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2021(令和3)年2月 御命日法要について 2021年02月16日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【2月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

今年は例年にない大雪に見舞われ、除雪作業中の事故や交通事故の報道が相次ぎ、心が痛む。雪といえば、親鸞聖人にも雪にまつわる歌の話がある。昔の説教本(親鸞聖人御一代記説教)に出てくる話だが、聖人が越後の国をあとに、常陸の国へ行く途中、雪の中をお念仏を称えながら歩んでおられたときのことだ。
聖人一行が橋を渡ろうとすると、向こうの葦原から一羽の白鷺が鳴き声とともに高く飛び去った。その時、聖人は「声なくばいかにそれとは知られまじ雪ふりかかる葦原の鷺」と詠まれたという。そして、雪も白、鷺も白、どこに鷺がいても見分けがつかないが、声をあげて飛び去ったので鷺だと知れた。
今、凡夫の胸の内には、悪業煩悩の大雪が積もっている。その中に阿弥陀さまからいただく他力の信心があるかないかは見分けはつかないが、信心をいただいたしるしには、夜の寝覚めに思い出しても、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と、ご恩をよろこぶお念仏の声が口に浮かぶ、とお諭しになられたという。
雪という災難もお念仏のご縁にさせていただく。ここに真宗門徒の真骨頂があるように思う。災難といえば、新型コロナウイルス感染拡大の猛威は、かつて経験したことのない出来事だ。これから一体どのような社会が到来するのか。もとより、このパンデミックをどう意味づけるかは、これからの私たちの生き方にほかならない。まさに念仏者の生き方が真骨頂を発揮するときだ。

「2021(令和3)年2月1日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

2月 御命日法要
○ 日時 2月16日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

オンライン涅槃会 2021年02月09日(火)16時00分

本日は、本校の礼拝堂で涅槃会をお勤めし、今回もオンライン配信となりました。涅槃会とは、仏教を開かれたお釈迦さまが亡くなられて涅槃に入られた日(2月15日)に行われる行事です。

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 この度のご講師は、相愛大学教授(副学長)の釈徹宗先生でした。

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まず最初に、私たちの脳は、二項対立で物を把握するというお話をされました。二項対立でものごとをとらえると、私たちは攻撃的になったり、排除的になったりする。日本赤十字社が昨年の春に発表した感染には、三段階あるそうです。一段階目はウイルスの感染、二段階目の感染は不安やおそれの感染、三段階目は攻撃や排除の感染というものです。それは、ウイルス感染が拡大すると、世界全体が不安やおそれが起こり、そして攻撃的で排他的になっていくということです。仏教の教えに照らされることによって、私たちの心と体は柔らかくなっていきます。釈先生は、「第一と第二の感染は避けられないものの、とくに第三の感染は二項対立の罠であり、心と体を柔らかくして気をつけなければなりません」と強調されました。

 次に、本願寺の大谷光淳ご門主がお示しになられた「私たちのちかい」を紹介されました。この内容を釈先生がわかりやすく解説された冊子があり、本日の行事の前に全学年で配布し、生徒たちには一読するよう促しました。


私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 釈先生は、そのうちの1つ目をわかりやすく解説されました。ときには自分の殻に閉じこもることも大切ですが、閉じこもってばかりいると、自分というものが大きくなり苦しみも大きくなっていくのです。穏やかな顔と優しい言葉というのは、しなやかな心への第一歩であり、お経に出てくる「和顔愛語」という言葉をわかりやすく表したものです。
 次に、4つ目の「気づかされていることに気づく」という言葉に注目され、仏教という鏡のお話をされました。私たちはどうやって気づいていくのか。仏教という鏡は、自分の心の中も見事に映す鏡(あるものをそのまま映す心)であり、私たちはどうしても「自分の都合」というフィルターで映してしまいます。だからこそ、仏教に照らされることによって、少しでもフィルターを通さずに見ていくことができるのではないでしょうか。
 この「私たちのちかい」を通して、あらためて考えてみたいものです。

2021(令和3)年2月 今月の聖語・言葉について 2021年02月01日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

【今月の聖語】
人のわろきことはよくよくみゆるなり
わが身のわろきことはおぼえざるなり
                   蓮如上人
 昔、「今まで、悪いことをしたことがない」と言う若者がいました。
 ある老僧は彼に言いました。「バケツに一杯になるように小石を集めてこい」と。若者は、庭中から小石を集めてきました。さらに老僧は、「このバケツ一杯分と同じ重さの大きな石を一つもってこい」と言い、若者は庭の端から大きな石を運んできました。今度は、「ではその大きな石をもとの場所へ戻してこい」と老僧が言いました。若者はしぶしぶ石を元の場所へ返しました。続けて、老僧は命じます。「では、バケツの小石をそれぞれ元の場所へ戻して来い」と。さすがの若者も黙っていません。「小石のあった場所をいちいち覚えていません。無理です」。
 すると、老僧が言いました。「お前の犯してきた罪も同じだ。大きな罪なら、忘れもしまい。だが、小石のように小さな罪は身に覚えがないものだ。小石でも集めると、大きな石と同じ重さになるように、お前が気付かずに犯してきた罪はとても重たいものである」と。
 人の「わろきこと」には気付きますが、特に自分の小さな「わろきこと」にはなかなか気付きません。知らぬ内に犯してしまっている罪。その恐ろしさを教えてくれるお言葉。

※わろきこと・・・悪いこと ※みゆるなり・・・みえる ※おぼえざるなり・・・気付かない

【今月の言葉】
一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。       『歎異抄』

 父と母で二人。父と母の両親で四人。そのまた両親で八人。こうして数えていくと十代前で千二十四人。二十代前では百万人を超え、さらに三十代前では十億人を超えます。さかのぼればきりがありませんが、この多くの祖先の内誰一人が欠けても、今の私は存在しません。改めて、自分は、多くのいのちのつながりの中にあることがわかります。
 これだけ多くの祖先がいれば、今は他人でも、遠い昔は祖先同士が「父母兄弟」だったということも十分考えられます。むしろ、何の関係もない人を見つける方が難しいといえるでしょう。
 今月の言葉は親鸞聖人のお言葉で、「いま生きるすべてのものは、過去からのいのちとつながりあって生きる父母兄弟のような存在です」という意味です。
普段、自分の都合によって、親しい人・親しくない人、敵・味方と区分けをしていますが、実は深いところでいのちのつながりがあり、関わり合っているのです。そんなまなざしを宗祖親鸞聖人は教えてくださっているように思われます。

オンライン報恩講 2021年01月15日(金)16時00分

本日は、本校の礼拝堂で報恩講をお勤めしました。報恩講とは、親鸞聖人のご命日をご縁として、親鸞聖人のご恩に報いる集まりであり、浄土真宗では最も大切な法要です。

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今回初めてのオンラインとなり、一部の教職員以外は、全生徒を含めて自宅にて閲覧する形となりました。

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この度のご講師は、本校の北側にある知真保育園の園長であり、浄土真宗本願寺派布教使の苗村隆之先生です。苗村先生は、最初に、夜回り先生こと水谷修先生の講演で話された、童話の「うさぎとかめ」のお話をされました。そして、「遅いかめのままではだめだ、足の速いうさぎのようにならなければだめだ」と言って、大人の価値観を押しつけて、せっかく光ろうとしている子供の光を、大人の価値観で曇らせてはいませんか、という水谷先生の言葉を紹介されました。苗村先生はわが子に対してそうであったと話され、我々教員も生徒たちに対してそのような対応をしていないか、ご法話を聞きながら考えさせられました。

阿弥陀さまなら、「かめのふりしてうさぎになる必要はありません。うさぎが無理をしてかめになる必要はありません。あなたはあなたのままで素晴らしいんだ」とおっしゃるに違いないでしょう。苗村先生は、保育士にとって一番大切なこととして、「子どもの目線に立つ」ということを挙げられました。子どもの目線に立つというのは、子どものことを全部知りぬくということです。その子のことを全部知りぬき、その子に寄り添うような保育をしていかなければならない。阿弥陀さまは私のすべてを知りぬかれ、今の私を認めてくださり、そのままの私を受け止めてくださる。苗村先生のご法話を通して、お念仏を称えつつ、宗祖である親鸞聖人のご遺徳を偲びました。

2021(令和3)年1月 今月の聖語・言葉について 2021年01月01日(金)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
少欲知足にして染・恚・痴なし   『仏説無量寿経』

 この言葉は、『仏説無量寿経』という経典に出てきます。意味は、「欲は少なく足ることを知って、貪(むさぼ)り・怒り・愚かさを離れていた」ということです。これは、阿弥陀仏と成る前の法蔵菩薩のお姿を述べた一部です。他には「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心を汲み取ってよく受け入れ」などが経典(『仏説無量寿経』)に説かれています。
 さて、今月の言葉で述べられていることは、法蔵菩薩が「少欲知足」であり、「三毒の煩悩」を離れていたということです。「三毒の煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)」については、今月の聖語等でも度々紹介しているので、言葉と意味はすでに知っていると思います。「少欲知足」は「欲は少なく足りることを知る」ということです。欲しいものを貪るように求めても、また次から次に欲は出てきます。そして、自分が一体何を求めているのかさえ見失ってしまうこともあるでしょう。大切なことは、足ることを知ることであり、自分自身の心をコントロールすることだと思います。
 今月の聖語を踏まえ、一度自分自身の心のあり方や姿を見つめ直してみてください。


□今月の言葉
願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれ。 『教行信証』

いよいよ2021年がスタートしました。新しい年をみなさんはどのような心境で迎えたでしょうか。「一年の計は元旦にあり」という言葉があるように、勉強のこと、クラブ活動のこと等、昨年の反省を踏まえ、新たな目標に向けて気持ちを引き締めていることだと思います。
 今月の言葉に述べられているように、仏教では「無常」を説きます。「無常」とは仏教の中心となる教えの一つで、すべては移り変わっていくことを意味します。私たちは後戻りができない、最初で最後の貴重な時間を日々過ごしています。もっと勉強しておけば・・・、もっと部活の練習を真面目にしておけば・・・等の後悔を残すことなく、今年も自分自身の目標に向けて精一杯コツコツと積み上げていきましょう。
 何事も節目が大切です。気持ちを新たに2021年も精進していきましょう。合掌

2020(令和2)年12月 御命日法要について 2020年12月15日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【12月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

酔っぱらいの親【阿弥陀如来の慈悲をあらわす例話】
酔っぱらった男が、路に倒れて泥だらけになりながら暴れまわっている。周りの人に言いがかりをつけたり、飛びかかったりと、歩いている人はみな避けて通る始末。誰一人として近づこうとするものはいない。そこへ一人の紳士がやってきて、酔っぱらいを背中にせおって連れていこうとする。からだは泥だらけ、逃げ回るやら食いつくやらで、とても始末におえない。それでも無理に連れていこうとする。あの人は何という変わり者だ。あんな酔っぱらいを、何でそこまでして連れていくのか。まったく物好きな人である、とよそから見ればそう思われるが、よくよく聞いてみると、その紳士は酔っぱらいの親であった。我が身の難儀も厭わず、一人で抱えて連れていこうとするのは、親なればこそである。
蓮如上人の『御文章』のなかに、「阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくもたすけましまし候へ」とある。無明煩悩の酒に酔い、邪見慢と暴れまわっている私であれば、どんな仏さまでも愛想をつかし逃げてしまわれるのに、ただ阿弥陀如来さまだけは、煩悩に酔っぱらっている私を決して見捨てはしないぞと、南無阿弥陀仏と呼びかけてくださる。これはどうしたことかと思ってみれば、阿弥陀如来こそ久遠劫以来のまことの親さまであったからだ。
【田淵静縁『布教大辞典』法蔵館】「浄土真宗本願寺派総合研究所布教伝道の基礎より」

12月 御命日法要
○ 日時 12月15日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

2020(令和2)年12月 今月の聖語・言葉について 2020年12月01日(火)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
一丈の堀を越えんと思わん人は、一丈五尺を越えんと励むべし。
『勅修御伝(ちょくしゅごでん)』 
                            
  今月の聖語は、浄土宗の開祖である法然聖人のお言葉です。『勅修御伝』という法然聖人の絵伝にあり、「一丈(約三メートル)の壁を乗り越えようと思う人は、その一・五倍努力しなければ、確実に飛び越えることはできない」ということです。「目標は高く持つ」とよく言われますが、理想的でないあまりに高い目標を設定すると、かえってしんどくなり、実現が難しくなります。しかし、目標設定する上で、ギリギリでやっと乗り越えられる目標よりも、それ以上の力を身に付けて乗り越えたいものです。
みなさんが目標設定をする上で、どんな小さなことでも手を抜かず、前向きに取り組み、つねに最善を尽くすこと。そうした努力を続けていくことで、一歩上の目標に達することもできるのではないでしょうか。もうすぐ新しい年を迎えます。すでに来年に向けて大きな目標を掲げている人もいるでしょう。今月の聖語にならい、その目標に向かって努力を惜しまず、取り組んでみてください。

□今月の言葉
人生はやり直すことはできないが 見直すことはできる  金子大榮(だいえい)

今年も終わりに近づきました。この一年を振り返ると、「あのときに戻ってやり直したい」と思うことがあるかもしれません。今年の三月から、新型コロナウィルスの影響により、できるものもできなかったということもあったでしょう。
今月は金子大榮先生(真宗大谷派の僧侶)のお言葉ですが、私たちの人生は一度かぎりのものであり、二度の人生はなく、一度通ってきた人生という道を、なかなか変えられるものではありません。学校生活においては、テストが良い例でしょう。朝テストをはじめ、SUTや考査の答案が返ってきた際、もちろんやり直すことはできません。しかし、どこが間違っていたか、どこができていなかったのかは見直しをすることによって再確認ができます。金子先生が言われるように、見直すことはできるのです。見直すことによって、今後の人生(または勉強)に生かすことができ、また良い方向に変えることも可能です。今月の言葉を通して、みなさんも今までのことをぜひ見直してみましょう。

2020(令和2)年11月 御命日法要について 2020年11月17日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【11月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

新型コロナウイルスの影響で客足の遠のいた映画館が、久しぶりに活気づいている。劇 場版アニメ『鬼滅 き め つ の 刃 やいば 』のおかげである。ニュースに映し出される見終わった人たちの顔 を見ると、映画が与える影響力をあらためて感じさせる。 宗門では平和学習の教材として、映画『ドキュメンタリー沖縄戦―知られざる悲しみの 記憶』が製作された。昨年 12 月 9、10 日の 2 日間限定で、那覇市で完成披露上映会を行っ たところ、観客から「一人でも多くの人に観てもらいたい」という要望が相次ぎ、全国 27 の映画館での上映につながった。そして 10 月、米国で開催された「ロサンゼルス日本映画 祭」でドキュメンタリー最優秀賞を受賞した。 私も京都シネマで鑑賞した。沖縄戦体験者や研究者の声、米軍の記録映像が収録された 貴重な映像だった。今まで見聞きしてきた戦争の写真や体験談以上に戦争の恐ろしさをス クリーンを通して強く感じた。舞台挨拶した太田隆文監督は「沖縄の慰霊の日(6 月 23 日) の式典を訪れたときに乗ったタクシーで、運転手さんから『よく来てくれた』とお礼を言 われた」と話した。沖縄の深い悲しみを知ることが、どれだけ大切であるかを教えられた。 今年は戦後 75 年という節目の年だ。戦争体験者も少なくなっている今、この映画が製作 された意味は大きい。各教区教務所に DVD とブルーレイが配布されている。まだご覧にな っていない人、特に若い世代にはぜひ一度、観ていただきたい。

「2020(令和 2)年 11 月 10 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

11 月 御命日法要
○ 日時 11 月 17 日(火)16 時 00 分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

2020(令和2)年11月 今月の聖語・言葉について 2020年11月01日(日)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
 善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや  『歎異抄』
 
 親鸞聖人が示された有名なお言葉です。日本史や倫理の教科書に示され、かつてセンター試験(現共通テスト)にも出題されたことがあります。「善人でさえ往生できる。ましてや悪人ならなおさらだ」という意味です。
 往生というのは、仏の悟りの世界である浄土に生まれるということです。善い行いを積み重ねることで悟りに向かうというのが一般の道理です。ところが、善人よりも悪人こそが往生すなわち悟りに向かうことができるというのは、どういうことでしょうか。
 ここでの悪人とは、道徳的に悪いということではなく、阿弥陀仏の願いを聞き、自らの罪悪を深く悲しむ人のことです。また善人とは仏によらずとも、自らの善なる行いによってこそ、悟りに向かえると信じている人のことです。つまり、ここでの悪人とは、道徳的な善悪を超えて、自らが愚かな人間であることを悲しみながらも、そのような存在を対象に「必ず救う」と誓われた阿弥陀仏のお心を慶ぶ人のことをいうのです。  
 無論、浄土真宗では悪事をすすめているわけではありません。「薬あればとて毒をこのむべからず」という先月の聖語とも併せて味わいたいお言葉です。

□今月の言葉
明るい人はすばらしい 悩んでいる人は尊い   林暁宇
 
 「なぜ私は何をやってもうまくいかないのだろう」
 勉強は苦手。クラブ活動も上手くいかない。加えて友達ともうまく付き合えない。悩みを誰にも話したくないし、聞いてくれる人もいない。そんな時、孤独な気持ちになります。暗い人と思われるのが嫌で、明るくふるまおうとしても、どこか空元気。 
しかし悩んでいるそこのあなた。悩んでいるということは、あなたが真剣に自分に向きあ
っている証拠。すぐに悩みを解決する方法が見つからなくても、いいじゃないですか。あせらずにじっくり悩み抜くのも大事なことなのです。仏さまはそのようなあなたに寄り添っておいでです。
 真剣に悩むあなたの姿は、暗いのではなく、尊いのです。

2020(令和2)年10月 御命日法要について 2020年10月13日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【10月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

日常の言い方をひっくり返した「眼で聞き、耳で見る」ということばがある。「眼で聞く」とは、われわれをとりまく物質を見る眼で聞くというのである。これは「目で見ているものが語りかけてきて、それを聞く」というようなことばを補わなければ理解できないだろう。
たとえば、広島平和記念資料館には被爆の実相を記す展示が並んでいる。それらは何かを語り、何かを訴えかけている。もちろん、声で聞こえるものではないが、確かに語りが聞こえてくる。それは、聞く側に受け入れる準備がととのっているからでもある。先日、本紙で紹介された被爆ピアノもそうだ。音だけでなく、奏でる奥にあるものを聞いていくとき、はじめて、そのピアノと向かい合うことになる。
また、「耳で見る」という語については、眼に見えないけれど、聞こえてくるものによって状況を把握したり、頭に描いたりすることである。朝、スズメの鳴き声で目が覚める。いつも餌をやるので朝、庭に遊びにくる。そういう様子は眼には見えなくても声によって想像することができる。
このように、「眼で聞き、耳で見る」という表現の根底には、「他を思うこころ」があるといえよう。かつて、このようなことばに出会ったことがある。東北の被災地を見舞うときは、眼で聞き、耳で見るような気持ちで訪ねるべきだと。被災者の声なき声を眼で聞き、発する言葉の奥にあるものを見ていくというような出会い方をいうのであろう。
「2020(令和2)年10月1日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

10月 御命日法要
○ 日時 10月13日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ            

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