11時30分より校内放送のアナウンスがスタートし防災訓練を行いました。昨年よりは少し時間は短くなりましたが、まだまだ改善すべき点も多いですね。
いざという時に、自助・共助・公助、助け合う気持を持ちつつ行動して行きましょう。
11時30分より校内放送のアナウンスがスタートし防災訓練を行いました。昨年よりは少し時間は短くなりましたが、まだまだ改善すべき点も多いですね。
いざという時に、自助・共助・公助、助け合う気持を持ちつつ行動して行きましょう。
龍大プログレスコースは花まつり、ホームルーム後、
選抜・一貫コースと入れ替わる形で、
第1回進路ガイダンスが礼拝堂にて行われました。
龍大プログレスコースでは、
平井校長補佐より
○ 教科ごとの基礎学力をしっかりと身につける。
○ 当たり前のことを当たり前にやる、主役は生徒のみなさんである。
牧野進路部長より
○ 保護者と進路(ガイダンス)などについて会話をしてほしい。
○ 保護者や先生に頼りっきり人任せではなく生徒自身が自立していくこと。
○ たくさん支援してもらったとしても最後に動くのは生徒自身。
ということについて説明して頂きました。
各教室には龍大のパンフレットが常備されています。
そのパンフレットを見て、今後の進路を思い描いてみましょう。
花まつりの後、礼拝堂にて第1回進路ガイダンスが行われました。
平井校長補佐より、学校評価、教育実践の成果をふまえ、、本学が生徒達の夢の実現に向けてどのような取り組みをしているかについてお話がありました。
また、牧野進路部長からは、先輩方がどのような進路に進んだのかなど実例を交えた具体的なお話で生徒達も熱心に聞いていました。
3年後にむけて、どのように進んで行けば良いのかイメージが持てたことでしょう。
今日は、お釈迦さまの誕生をお祝いする行事、
『花まつり』が行われました。
本来はお釈迦様が誕生されたとされる4月8日に行うべきですが、
平安で5月に行うのは、4月は入学式などの行事と重なるためであることを
お知りおき願います。
講師:南條 了瑛 先生 (浄土真宗本願寺派布教使)
花まつりはお釈迦さまの誕生日をお祝いする日です。
親鸞聖人が
「お釈迦様がお出ましになられた理由は、
ひとえに阿弥陀様の願いを説く為である」
と仰られたそうです。
今日は阿弥陀様の願いについてお話させて頂きます。
南無阿弥陀仏という言葉にはお釈迦さまの願いが込められています。
『拝まない者も拝まれている、拝まないときも拝まれている』
誰しも、いつでも阿弥陀様のことを拝んでいるわけではありません。
家に帰ってくつろいでいるとき、寝ているときなど、
阿弥陀様のことを考えていないときであっても、
阿弥陀様はいつでも願い続けていて、私たちのことを思っていて下さっています。
私は、とても遠くの小学校へ通っていました。
入学したての小学1年生の頃、朝6時に家を出て、
地下鉄での乗り換え、通勤ラッシュでもみくちゃにされながら、
そしてバスも利用し1時間45分もかけて通学していました。
始めの頃はとてもつらかったのですが、数ヶ月経つと次第になれていきました。
とある日、日曜日に登校しなければならない日があり、
母が心配だからと案内カード
(困ったとき、どうしたらよいかが書かれている母お手製のカード)
を渡してくれました。
当日は平日とは異なる土日ダイヤだったので
いつもの駅まで行く電車がなかなか無く、
駅で混乱して泣きじゃくってしまいました。
しばらくして、母がくれた案内カードのことを思い出し、
混乱しながらも、最後の方に書いてあった、
「困ったときは駅員さんに聞きなさい」
というコメントを見つけ、
駅員さんにどうしたらよいかと聞くと、
一緒に目的の駅まで付き添ってくれ、無事に学校へ行くことができました。
次の日に、おばあちゃんから、
「1人で学校へ登校して偉いね、偉いね」
とほめられ、そうかそうかと聞いていました。
「日曜日でも困ったときは駅員さんに自分で聞いて登校できて偉いね、偉いね」
とほめられました、あれっ?と思いました。
実は駅員さんに泣きながら聞いたことが恥ずかしくて、
自分だけの秘密にしていたのに、なぜおばあちゃんは知っているのだろうと。
どうしてなのかおばあちゃんに聞いてみると、
「実はお母さんが心配して、
後ろからこっそりと後ろから見守ってくれていたんだよ。
日曜日の特別なときだけじゃなくて平日の通学のときも、
毎日心配で見守っていたんだよ」
と教えてくれました。
しばらく経って、母に、
「いつも見守ってくれてありがとう」
とお礼を言うと、
「おばあちゃんは大袈裟に言っているだけで、
毎日見守っていたわけではなく、自分のことで精一杯なときもあるんだよ」と。
阿弥陀様は私たちのことをいつでもどこでも思い、
願い続けてくださっている、それが南無阿弥陀仏です。
私達がどのように終わっていったとしても、
私達を仏さまにしてくださるというものです。
知識を身につけ、頑張って成長していっても、
どうにもならないことがあります。
そんな私達を思い、願い続けて下さり、すべてを受け入れて下さいます。
南無阿弥陀仏を唱え、私達の命が尊いことを感じてほしいと思います。