本日、本校の講堂において、報恩講が行われました。報恩講は浄土真宗にとり非常に大切な行事です。ではなぜ大切な行事なのでしょう。これは親鸞聖人の教えによって、「阿弥陀如来の教えに出あわせていただいたご恩に対して感謝の心をお伝えする行事」だからです。
浄土真宗本願寺派布教使でいらっしゃる南條了瑛先生から、この「出あう」についての意味についてご法話をしていただきました。
仏教では、「出あう」には2種類があり、一つ目は、直接目と目で出あうこと、2つ目は、聞いて出あうことです。親鸞聖人は、二つ目の聞いて出あうことを非常に大切になさっていました。
「聞いて出あう」の具体的なエピソードとして紹介してくださった、亡くなられたご主人のお葬式を1人でなさった奥様の「一人だけれども1人じゃない」という言葉から、「聞いて出あう」の意味を深く理解させていただきました。奥様が、亡くなられたご主人の心を聞いて出あっておられるから一人じゃないとおっしゃったように、私たちが阿弥陀様のお心と出あうことも同じであることを学ばせていただきました。
阿弥陀様のお心とは、「大慈悲」と言います。大慈悲とは、あなたの苦しみをわが苦しみとして引き受けてくださることです。
私たちは、一人ぼっちだと感じて苦しむことがありますが、決して1人ではなく阿弥陀様がいつも私たちの心の中で私たちの気持ちに寄り添ってくださっているのです。
そして、これをわかるようにしてくださったのが、親鸞聖人なのです。
みなさんは南條先生の留学時やお葬式での経験のお話を聴き、どのようなことが自分の体験から感じ、考えられたでしょうか。自分の経験から先生のお話を重ね合わせお話を聴かないと、本当に「理解した」とは言えないように私たちは考えています。
どうか今日の南條先生のお話を自分の経験に近づけて聴き、「阿弥陀如来」のお心を感じとれる人間となって欲しいと願っています。