1月18日(水) 源 裕樹さん(本願寺)
本日の仏参は西本願寺から来られた源さんでした。兵庫県のご出身で仏様に手を合わせることの意味を話されました。
「…手を合わせることに慣れましたか?」「仏様に手を合わせる。」「西本願寺にて手を合わせる。」「御仏壇の前にて手を合わせる。」その姿を見てうれしく思う方々が周りにおられる。それは親であったり,祖父母であったりします。親の子に対する思いには限界があります。優しい姿もありますが,子を守るために牙をむくときもあります。それに対して,仏様には限界がありません。全てに対して目を向けておられるのです。その様子を例えることは難しいのですが,仏様を親のように例えて話をすることがあります。
次のような親子の話があります。ある子どもが家の手伝いの代金を,お手伝いの項目ごとに勘定書きとして母親に請求したことがありました。その翌日,その代金が自分の机の上に置いてありました。その子は一瞬喜びましたが,その横に同じような勘定書きを見つけました。その内容は「看病代や衣類代など」多岐にわたっていましたが,請求額はすべて0円とありました。
親にとって子どもとは対価のない存在なのです。子どもはそれを見て,どう思ったでしょうね。
仏様に手を合わせるということはこの母親と同じような存在として我々を見守ってくださる阿弥陀様への思いを表す行為なのです。
今日は,このような話ができたご縁に感謝します。