朝の仏参は、本願寺派布教使の髙島幸博先生のお話でした。
阿弥陀さまは「光の仏さま」にたとえられます。この「光」という言葉をキーワードに、高島先生は視力検査の思い出を話されました。小学生のときの視力検査で、当時は2.0まで見えていたそうです。保健室で視力検査が終わり教室へ帰ると、高島先生を含めて結果の良かった子たちが自慢し合います。そして、眼鏡をかけている子たちに対して、掛けている眼鏡を取り上げ、「お前こんなんかけているのか、眼がクラクラする」などと言いながらちょっかいをかけました。そんな光景を見ていた担任の先生が、「いま視力の検査結果を自慢して合っていたけど、光がなかったらどうする?光がなかったなら何も見えないだろ?」と言われたそうです。高島先生はそのとき意味を理解できませんでしたが、後にどれだけ結果が良かくても、光がなかったら何も見えないことに気づかれたそうです。
「阿弥陀さまは、眼で見ることができない仏さまです。しかし、光となって私の心やいのちを照らしてくださいます。その阿弥陀様にみんなでお手合わさせていただく時間が仏参です。」と、仏参のことを触れられました。
今日は今年度最後の仏参で、生徒たちはあらためて「仏参の時間」について考えてもらえたと思います。