今日は「花祭り」である。花祭りはお釈迦様の誕生をお祝いする日である。本来は4月8日が花祭りなのだが、本校では1か月遅れで花祭りを祝う。今日は本願寺より布教使の龍田智先生を講師に本校へ迎え、法話を聴いた。
仏教を日本に広めた聖徳太子は「我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず、… 相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきが如し。」(十七条憲法)と言っています。
私たちは「自分」を中心に物事をとらえ、解釈し、考え、主張をします。相手の話に耳を貸さないことも多いのではないでしょうか? ひどい時には自分と違う意見の人を「排除」しようともします。しかし聖徳太子は「鐶(みみがね)の端なきが如し」と言っています。鐶(みみがね)とはイヤリングのことです。イヤリングには端がありません。私たちの考え方の中には「善悪」の気持ちが同居しているのです。ならば相手の気持ちを理解し、話をじっくり聴いていくことが必要ではないでしょうか。
ビートたけしさんの詩に「友達」というものがあります。ビートたけしさんは若い時にある事件を起こしました。その事件後の心境が述べられている詩です。その詩が書かれている詩集に、無二の親友である島田洋七さんの態度に涙をした場面が出てきます。その内容に触れた時、「不請(ふしょう)の友」ということを思い浮かべました。阿弥陀様と同じように、善悪で判断せず、苦しんでいるビートたけしさんに寄り添っている島田洋七さん。島田さんのような生き方が「格好良い」と思ってくれるなら、是非、苦しんでいる友達にみなさんも寄り添って欲しいと思います。
さて、みなさんは何を感じたのだろう。今日は「ひと」としての生き方を、じっくり考える1日であって欲しい。