みなさん、新年おめでとうございます。
さて、みなさんの中には、朝明るく元気な声で挨拶をしてくれる人も大勢いますが、ぶつかりそうになっても挨拶しない人、こっちから挨拶しても返事さえしない人もいます。また校外で、町の通りや店の中などで会ったとき、なかなか挨拶しにくい人が多いですね。みんな、「したいようにしたい」自分だけがあって、他人が見えない症候群なのかと思ってしまいます。よく「自分を出したい」と耳にします。結構なことです。ただし、他人を意識して、つまり自分と同じように尊ばれるべき他人がいることを配慮して自分を出せばいいのです。だから「自分がしてもらいたいと思うことは、人にもそのようにせよ。」ひっくり返せば、『論語』にあるように、
己れの欲せざるところを、人に施すことなかれ
ということになります。これが人として生きる基本、古今東西変わらぬ真理ではないでしょうか。自己と他己とが共存・共生するには、お互い同じように資格や権利を持っているという認識が絶対条件です。人間とは人の間と書くではありませんか。人と人との間、他者との関係を認識できてはじめて「人間」だと思います。他人への配慮ができない人は、「人間」として一人前ではないでしょう。
家族や近所の人、先生や友だちに、さり気なく、何も構えずさらっと挨拶してみよう。言って何を損しますか? 挨拶した後、不快になる人はいません。挨拶できない自分を抱えて、何かつまずいているあなた。言わないで済ませようとしているから、顔を合わせない。目線をそらす。知らんぷりをする。そのくせ「自分を出したい」というあなた。ならば、まず挨拶からはじめてみませんか。さり気なく挨拶してみませんか。自分が変わるかもしれませんよ。
『論語』にまた言う。
子曰く、「徳は孤ならず、必ず隣あり。」
徳を備えた人とは、人間として品位のある人。つまり、他者への配慮のできる人です。そういう人は、信義ある誠実な人。必ず仲間ができるというほどの意味です。挨拶は他人理解の窓口、人とのつながりの出発点です。
徳は孤ならず、必ず隣あり
挨拶からはじめよう。今年はそういう年にしたいものです。