「袖振り合うも多生の縁」という仏教由来のことわざがあります。多生の縁「多生」とは、果てしない過去世から何生にもわたって、ということです。「縁」とは、つながりということです。電車の中で、バスの中で、見知らぬ乗客と、袖がふれあったり肩がふれあったりすることがあります。そんなふうに袖や肩がふれあうだけでも、果てしない過去世、生まれ変わりをくり返してきたいろいろな生の中で、何度もつながりのあった人なのだとということが、「袖振り合うも多生の縁」ということでしょうか。
地球上には何十億の人々がいますが、そのほとんどの人とすれ違うことさえもありません。まったく縁のないまま、この世から去ってしまう人ばかりです。そう考えると、同じ電車に、バスに乗り、肩と肩がふれあう人は、どんなにか自分とつながりの深い人なのでしょうか。過去世からのつながりがあったからこそ、肩と肩がふれあったのだということになります。
袖や肩がふれあうだけでも、過去世からの縁があってのことなのですから、友だちになる人、家族となる人、同じ学校で学ぶ人は、よほど深い因縁があってのことなのでしょう。自分と合わないなと思う人がいても、一緒に何かをするということは、ものすごく深い縁があってのことです。だから、相性のよし悪しなどで片づける前に、せっかく深い縁があって出会った人ですから、少し、仲良くなる努力をしてみるといいかもしれません。優しいまなざしや、笑顔で接することに心がけてみる。感謝やいたわりの言葉をかけてみる。お互いの約束は、きちんと守るなど、ちょっとしたことですが、続けてみませんか。