いよいよ始まりました。平安高等学校・中学校文化祭。
1年生の企画は合唱と貼り絵です。この日の為に何日も前から各クラスそれぞれが一丸となって作成・練習をしてきました。どのクラスの貼り絵も圧巻の仕上がりとなっております。頂礼館1F、一年生の廊下に展示しておりますので是非足をお運びください。また優秀賞を決める投票への参加もよろしくお願いします。
本日11時より、もう一つの1年生企画の合唱が慈光館3、4F講堂にて行います。生徒の一生懸命練習した成果を披露します。是非お越しください。
いよいよ始まりました。平安高等学校・中学校文化祭。
1年生の企画は合唱と貼り絵です。この日の為に何日も前から各クラスそれぞれが一丸となって作成・練習をしてきました。どのクラスの貼り絵も圧巻の仕上がりとなっております。頂礼館1F、一年生の廊下に展示しておりますので是非足をお運びください。また優秀賞を決める投票への参加もよろしくお願いします。
本日11時より、もう一つの1年生企画の合唱が慈光館3、4F講堂にて行います。生徒の一生懸命練習した成果を披露します。是非お越しください。
いよいよ2学期が始まりました。
1時間目、1年生は講堂で始業式に臨みました。
山脇校長先生は、次の機会に向けて力を蓄えてほしい、という意味も込めて「渾身」という言葉を示されました。まずは初めての文化祭に向けて、それぞれが主体的に取り組みクラスで団結して作品をつくりあげていきましょう。
始業式に続いて、夏の各クラブの戦績が紹介された後には、本校の卒業生でありパリオリンピック・フェンシング男子フルーレ団体金メダル、個人4位に輝いた飯村一輝さんのオリンピック報告会が行われました。オリンピックという大舞台での2試合の緊張エピソードから、緊張すらも楽しもうとしたこと、つまり「今をたのしんで」というメッセージを贈られました。 もちろん何の準備もなくただその試合の瞬間をたのしんだ訳ではなく、自然と身体が動く練習と努力があってこその集中力が生んだたのしさだったのではないでしょうか。先輩の言葉は、皆さんの心にしみ込んだことでしょう。
いろいろな場面での皆さんの活躍をたのしみにしています。
本日の仏参の法話は、5組担任の若宮先生のお話でした。
「おかれた境遇を受け入れて生きていくということ」をテーマに先生が以前勤められていた学校のことを例に出され、お話ししてくださいました。
先生が以前勤められていた学校は、多国籍の生徒が共に学ぶ学校で、韓国籍の兄弟は、自分ではどうしようもできない「国籍」という問題を、始めは受け入れられなかったけれど徐々に受け入れるようになっていきました。自分では変えられない状況から逃げるのではなく、まずは受けとめ、その中で個性を磨き、自分を作っていく。そういう姿を先生はそばで見ておられました。
自分では頑張っても変えられない境遇というものは誰にでもあります。しかし、それを嘆いているだけでなく、そこでどう行動していくのかということを考えないといけない。難しいことですが、目を背けず立ち向かっていきたいですね。
本日の法話は4組担任の筒井先生でした。
「割れ窓理論」を取り上げられ、自身の野球部での経験を通して考えたことを話してくださいました。また、普段の高校生活においてもこの理論が当てはまることが多く、ベル着や授業を受ける態度など、集団生活において当事者意識がいかに大切かということを中心に話をしてくださいました。
ジメジメした季節がやってきます。学校生活に慣れ、緩みが出る時期でもあります。今回の法話を自分を見つめる機会にしてくれれば幸いです。
本日の法話は3組担任の三宅先生でした。冒頭、入学式からちょうど2ヶ月ということで、入学してから今日までの振り返りをされました。生徒のみなさんの成長の早さに驚きを感じるとともに、とても感心しているとのことでした。
そんな三宅先生は読書大会期間中ということで、読書についてのお話をされました。三宅先生が読書に熱中するきっかけとなったのは中学3年生のときでした。塾の先生にミステリー小説を薦められたのがきっかけとのこと。はじめはなかなか続かなかったものの、最後まで読み切らなくてもいいじゃないかと思うようにすることで、読書習慣ができたということでした。最後に生徒に向けて、自分の世界が広がること、気分転換になること、コミュニケーション力がつくこと、他者理解につながることなど、読書を通じて自分の人生が豊かになるということをお話しされました。本を読むきっかけは人それぞれである、まずは売れ筋の本から入ってみて、徐々に自分にあったジャンルを見つけていくことをおすすめされました。最後に本を読むことによって自分の世界が広がる、気分転換になる、コミュニケーション力がつく、他者理解につながるなど、自分の人生が豊かになるということをお話しされました。また、昔読んだ本を年齢を重ねてから読み直すと、また違った味わいがあって面白いともお話されました。
みなさんの人生をより豊かにするためにも、読書を習慣にしましょう。
2組担任、石代先生の法話でした。
石代先生は、仏参にむけて久しぶりに小学校の卒業アルバムを開いたそうです。
当時の思い出の1つをはなしてくださいました。
5年生の頃、自転車競技部に所属していました。
全国大会に出場するほどの強豪校で、担任の先生の推薦がきっかけでした。
当初はあまり乗り気ではなかったのですが、次第にはまっていったそうです。
6年生では主将になりました。そんなある日、クラスで担任の先生に叱られました。大声で怒鳴られました。
教室はしーんとなりました。
大泣きしているとさらに担任の先生に次のように言われました。
「顧問のところに行って、自転車部なんか辞めてしまえ」と。
そのまま、顧問の先生のところに報告にいき、その場ではそのままになりました。
気持ちがすっきりしないまま考え悩み、数日後、自分の言動を撤回し部活に戻りました。
そのときの先生が、自分の戻りたいという言葉を待っていたかのような対応で、とてもうれしい気持ちになりました。
それからは、心を入れ替え、何事にも一生懸命取り組みました。
最後の大会では、全国には届きませんでしたが、県3位という成績を収めました。
その後、石代少年は、先生からの「俺の後輩になれ」と言う言葉で
教員を目指し、今へつながっています。
石代先生が、教員の原点となった言葉です。
“おこたらず 行かば千里の果ても見ん 牛のあゆみのよし遅くとも”
コツコツと続けていけば、遅い歩みでも、いつの間にかゴールは見えてくる。他人に追い越されても、自分のペースで地道に進む。
遅い早いの違いはあっても、結局は同じ所に到着出来るのだから。
今でも機会があれば自転車に乗っている石代先生。
そんな先生の原点のおはなしでした。
本日は、芸術鑑賞で落語をライブで鑑賞させていただきました。落語は「枕」「本編」そして「落ち」で構成されています。この3つを独立させることなく、一連のながれで話すようです。このながれで一席の落語が、できあがりということとなります。
まず噺家が高座に登場し、観客に対する感謝の意や自己紹介、もしくは時節や時事に軽く触れます。ここで観客をある程度ほぐしながらそのときの会場の様子を確かめるようです。
噺家と観客が一体になるというのもコミュニケーションのひとつではないでしょうか。ICT時代とはいえ、人とのやりとりをLINEなどですましてしまう現代、人の情というものが薄れていっているような気がします。今日の芸術鑑賞はそういった意味でも人との交流、コミュニケーションのとり方の勉強にもなったかもしれないですね。
本日は龍谷大学付属平安高等学校の開校記念日です。
5月21日浄土真宗宗祖親鸞聖人のお誕生日が開校記念日となっております。
高校1年生は、本願寺で行われる宗祖降誕奉賛法要に参加しました。
全国からの龍谷総合学園の生徒が集い、宗祖親鸞聖人のお誕生日をお祝いしました。
平安高校に入学したからこそ経験できることの一つであるように思います。
一つ一つの経験を積み重ね、成長していってくださいね。
本日の法話は1組担任の川口先生でした。
川口先生は、淡路島の南東に位置する沼島のご出身で、高校の進学先として平安を選び、3年間を過ごされました。現在は教員として母校平安に戻られ、日々教育活動に尽力されています。
そのような川口先生は、高校時代の恩師の先生についてお話しをされました。
その恩師の先生とは、1年程前にご逝去された平井哲司先生でした。高校在籍中、川口先生は柔道部に所属していました。当時、顧問の平井先生は大変厳しく生徒に指導をされていたそうです。挨拶などの礼儀作法や柔道への心構えなど、何事にも真剣に生徒に向き合っておられたそうです。しかし、川口先生は、当時は平井先生の厳しさの本当の意味が分かっていなかったそうです。先生ご自身が成長し大人になり、厳しさの意味が理解できるようになったそうです。それは、厳しさを持っている人こそが本当に優しい人であり、自分の将来を真剣に考えてくれているのだということです。ただ、優しいのではなく厳しさの裏に真の優しさがあるのだということが理解できるようになったそうです。
みなさんの周りにも厳しく接してくれる人がいるかも知れませんが、そのような人はきっとみなさんのことを真剣に考えてくれているのだと思います。耳が痛い話を聞くのは決して楽しいことではありません。しかし、わたしたちは、そのようなことばをしっかりと聞き入れ、人間として成長を遂げることができれば、それが自分の幸福な人生に結びついていくことになるのかも知れません。
本日は副校長先生のお話でした。
明治9年1876年に滋賀県彦根の地に創立した本校は金亀教校という名前で産声をあげ本年で148歳のお誕生日を迎えます
2024年などの西暦はキリストが産まれられた年から数えます
なのでキリストが誕生してから今年は2024年目になります
では、仏暦はご存じでしょうか?
ちなみに今年は仏暦2567年になります
仏暦とはお釈迦様が亡くなられてから2567年過ぎたということです
つまりキリストが産まれたよりもさらに543年前にお釈迦様が亡くなられております
そう考えると仏教というのは2567年もこうして私たちに受け継がれ
そして信仰されているのは非常にすごいことであると感じます
いま時の人である、大谷翔平選手はWBC準決勝後のインタビューで、
怪我をしながら出場して献身的に頑張ったチームメイトのことを称賛して
「身を粉にしてチームの為に頑張ってくれている」という内容の発言をされていました。同じ日本代表のヌートバー選手のペッパーミルのパフォーマンスも「身を粉にして働く」といった趣旨の意味が含まれています
浄土真宗の恩徳讃の中にも「身を粉にしても報ずべし」といった一行があります
お釈迦様や阿弥陀様から私たちは身を粉にしても、返しきれないほどの恩恵をいただいている
御恩を少しでも多く返すためにも聖典や生徒手帳に書いてある「私たちの誓い」を大切にするべきですね