6月27日は第8回目の高2仏参日でした。
更新が遅くなりまして申し訳ございません。
今回の御法話は6組担任の山之内先生から頂きました。
山之内先生は高校時代にソフトボールをしておられ、その時のクラブノートを今でも見返すことがあるそうです。
そのノートは、自分たちが2年生となり、新チームになって自分たちがチームを引っ張っていかなければならないというときに作られたノートです。
そこには主に日々の練習のことが記録されているのですが、クラブ員が誕生日の際にはクラブ顧問の先生が特別にメッセージを書いてくれているそうです。
2年次に贈られた言葉は次のものでした。
「技術はやっていればうまくなる。
だけど、その使い方はその人の人間性による。
他人を気にせずにやれ。
時間はありそうで無い。」
当時はそのメッセージに込められた意味に気付かずに自分が自分がとなって、“自分が”まとめる、“自分が”レギュラーをとる、などの自分中心の考え方に陥ってしまっていました。
だけど、大人になってから見返すともっと周りに敏感になって周囲のことに気を配る、考える。
特に、「時間はありそうで無い」と言われたように、時間をもっと意識して有効に使うこと。
そういうことをしていく、配慮いていなければまとめることはできなかったな、と当時を振り返って感じるそうです。
その時にはわからなかったとしても、後になれば何かを感じることもある。
だから生徒に接するときには、少しでも誰かの記憶に残るものがあればと、考えながら接するようにされているそうです。
ソフトボール部員時代に、誰がどういうバッティングをするかを考えていたことが、クラスの生徒がどう動くか、またはこんなふうに接しようなど考えることの役に立っているように、記憶に、体に覚えてきたことは何年経とうとも先で通じるもの。
高校生の今じゃないと出来ないことがあると思って、挑戦し続けることが、将来にふとしたときに活かされていく。
今は失敗しても大丈夫なとき。
クラブであれ、勉強であれ、挑戦をし続けること。
そしてそれをノートなど形のあるものに記録として残しておけば、いつでも当時を振り返ることが出来る。
今見て感じることと、先で考えることはきっと異なる。
その時に役に立つかどうかはわからないけれど、少なくともそれは自分がやってきたことの“証”になる。
それの有る無しでの違いは大きい。
あのときこうやったと思えるもの、友達との手紙などでもなんだって構わないので、そういったものを大事に、そして増やしていって欲しいと伝えられました。