本日は本願寺布教師の平野先生のご法話でした。
「待つ」ことは難しい。そこには愛がある。
「待たない」ことは簡単である。しかし愛はない。
待つことをテーマに、平野先生の幼なじみの方の体験を元にお話されました。
幼なじみの田中くん(仮名)、元々はジャイアンのような人で、中華料理屋さんへ就職します。仕事へは行くものの軽く捉え、仕事が終われば遊ぶ・・・という生活を送っていたそうです。
ある日事故で複雑骨折。入院。
中華料理屋さんで働いていた田中くんは、足は元に戻らないだろうし、仕事ができるわけがない、そう考えていたそうです。
しかし、入院中、毎日毎日、欠かさずお見舞いへくる人がいました。
それは、仕事場の店長さんでした。
店長さんは「待っている」と。
この足で、仕事ができるわけがない、そう思っていた田中くんでしたが、店長さんが毎日毎日お見舞いに来ることで、心変わり、
リハビリも頑張り、不自由が残ったものの、工夫をして、
今も厨房へ立ち続けているそうです。
待っている人がいると言うことは、幸せであり、一人ではない。
これからの人生、つらいとき、苦しいときも必ずある。
もしも店長さんのような人がいてないと思ったとき、阿弥陀様が必ず待って見守ってくださっています。忘れないでください。
だけど、阿弥陀様が待ってくれている、見守ってくれている、そのことを忘れないでいてください。