HEIAN BLOG 高2学年 BLOG

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春の勉強合宿 3日目 2021年03月24日(水)11時49分

後半戦に差し掛かった合宿ですが、皆は本日も元気に登校。しかし、自学自習の時間が始まると少し空気がどんより!けっこう疲れてきた様子。こういう時のリフレッシュの方法も考えていきましょうね。何やかんや言っても自分を奮い立たせて頑張ろうとしてくれています。今で90分✖️10コマ目=900分目の勉強中です。

合宿中でも、いつもの平安の良さを生かし、分からないこと、質問があればすぐに対応。専門教科の先生に来てもらって直接解説をいただいています。また、勉強の仕方や進路についての個別相談も求められたらすぐに対応。その場で解決します。

校長先生が書き残してくださったとおり、生徒は今、悪戦苦闘しているようですが、さらなる飛躍のために必死でがんばっています。応援してあげてくださいね。
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春の勉強合宿2日目 2021年03月23日(火)12時02分

合宿初日であった昨日は予想以上に集中して勉強する者ばかりでしたので「すごいやん!明日もこの調子で!」の応援のメッセージを送って解散しました。「時間が過ぎるの早すぎるー」ですって。今まで勉強でそんなこと言ったことあった?
そして今日は2日目。午前中は自学自習に励む者、またはこちらが用意していたレベル別の数学講座や英語講座を事前登録して受講する者に分かれて勉強開始。今のところ何の問題もなし。と、いうより、何も言っていないのに自ら進んでこんなに勉強を欲している姿を見るのは初めてかも。ちょっと感動。
本日もがんばろー。
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高2選抜特進・一貫選抜コースより 2021年03月22日(月)13時34分

本日より「春の勉強合宿」(本校にて日帰り)が始まりました。当初は3泊4日の合宿を予定していたのですが、、、コロナで中止。仕方ないです。しかし諦められず、、、合宿ということばを残して校内でその目的の達成を目指すことにしました。22日から25日まで、9時から17時の間、参加を希望してくれた84名が勉強漬けの日々を過ごします。
本日はその初日。校長先生と進路部長から激励のことばをいただいて始まった午前中は、今のところ、素晴らしい自学自習の風景が広がっていますよ。合宿の目的の一つに「自走力」を身につけることをあげています。持参した教材を使って自ら設定した学習計画を黙々と進めていく、、、順調です。さあ、合宿は始まったばかり!4日間がんばりましょうね。
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合格者講演会を聴講しました 2021年03月16日(火)15時22分

 本日、午前中のドラゴンゼミ春期講習に続いて、午後から3年生による合格者講演会が講堂で行われました。

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 1年生の特進コースとともに特進コースの皆さんは、先輩のお話に聞き入っていました。いろいろな話を正直に語ってもらいました。参考にしようと思った点や心に残ったことがあるのではないでしょうか。
 先輩からのエールを忘れずに苦しい受験勉強を乗り切り、一年後に「やりきって良かった」と思えるようにコツコツと頑張りましょう!

後期終業式 2021年03月09日(火)08時35分

 8日(月)1限目、2年生は講堂でフィジカル・ディスタンスを確保しながら後期終業式を行いました。

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 関目校長先生のお話にもありましたが、今年度は本当に未曾有の学校生活を皆さんに送らさざるを得ない状況でした。学校生活の新たな様式にしたがって、皆さんは目の前のやるべき事によく取り組みました。ありふれた日常生活のありがたさを本当に実感したのではないでしょうか。いつまでこの状況が続くのか、引き続き見通せませんが、来月からは3年生です。心の準備をして、怠りなく励みましょう。
 一貫選抜・選抜特進コースの皆さんは、ドラゴンゼミ春期講習が始まります。頑張れ、受験生!

研修旅行には行けなかったけれども…… 2021年02月16日(火)18時00分

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 本校の教育目標である「いのちを大切に」を実践できる生徒を育成するための一環としてこれまで実施されてきた研修旅行でしたが、世界規模の新型コロナウィルス感染拡大のため、今年度は中止せざるを得ませんでした。
 多くの命が奪われた激戦地である沖縄やハワイを実際に訪問し、戦争について、そして現在の「平和」について改めて考えることは非常に大切な教育活動であっただけに本当に残念な気持ちで一杯です。
 そんな中、今後、皆さんが少しでも戦争や平和について考えるきっかけになるようにと、社会科の先生方が中心になり、今年度最後のHRの時間を利用して、戦争と平和にフォーカスした沖縄の「地理」「歴史」についてのレクチャーを行っていただきました。限られた時間ではありましたが、3人の先生がそれぞれのテーマで、皆さんに伝えたいことを熱く語ってくださいました。
 将来、家族や友人と沖縄やハワイを訪問する機会があれば、本日の講義の内容を思い起こし、観光地としてだけではなく、戦地としての側面についても是非体感してくれればと思います。
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2月12日 仏参 2021年02月14日(日)18時09分

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「コミュニケーション力を見直そう」

 今日は3組担任の山之内先生からお話を聴いた。

 最近、人と逢うことの大切さが感じられます。コロナで休校になり、家にいる時間が増えると、自分中心の生活になってしまいました。学校が再開され、学校の生活が戻ってくると、元の生活に戻ってきます。しかし自分中心で動いていた時間から戻すのには大変なことでした。他人と合して生活をするわけですから、人と生活する大切さがよくわかりました。元の生活に戻った今だからこそ、人と合わせて暮らす大切さを考えて欲しいのです。
 私は人と直接話をするときに目を合わせて話をします。それまであまり気にしなかったのですが、顔を見て話すとき、目を見て顔全体を認識しているのです。外国では、口元を見て話をするようですが、日本は目を見て話をします。今、マスクを付けざるを得ないのですが、目ははっきりと認識できるので、何をその人が伝えようとしているのかが理解できます。コミュニケーションは本当に大切なものです。
 一方でメールでのやり取りが多くなり、自分で字を書いて物事を伝えるコミュニケーションが少なくなってきています。しかし今年はコロナの影響なのか、年賀状を出す人が増えたといいます。皆さんの中にも、年賀状を出した人が多いのではないでしょうか。自分の字で書く暖かさ。字で書き伝えることにより、自分自身を見直す機会に恵まれました。
 何かを伝える大切さ。わずかなことですが、提出物が遅れたことを詫びるメモひとつで、相手に自分の気持ちが伝わります。
 自分のコミュニケーションとは何なのかを、しっかり考えて欲しいと思います。

 コミュニケーション手段が発達し、色々な方法でコミュニケーションをとっているのだと思う。みなさんはコミュニケーションが下手だとは思わない。一方で、うまいとも思わない。ただ自分中心でコミュニケーションを深めようと思うから、違う世代の人に伝わらないことがある。これは各年代が自分のコミュニケーションツールが万能だと考えるからこそ起こる問題なのである。世代間ギャップがあることを認めるが、それではお互いが理解しあうことは出来ない。せめて共通のツールである「話し」や「文字」は大切にしていきたいし、それを磨く力はつけたいと私は考えている。
みなさんはどうだろう。改めて考えて欲しい。

涅槃会 2021年02月11日(木)23時13分

 今日は涅槃会。お釈迦様のご命日である。例年であれば講堂で御法話を聴くなどをしていたのだが、コロナのこともあり、報恩講に続きWEBでお話を聴くことになった。講師は相愛大学の釈徹宗先生のお話を伺った。 

学ぶことの理由

 今日はお釈迦様が息を引き取り、涅槃の世界へ行った日として、中国や日本では2月15日近辺で涅槃会の行事が行われます。

 今年は近畿3府県に緊急事態宣言が発令され、みなさんの日々の暮らしも難渋されているのではないでしょうか。昨年の今頃は未知のウイルスという感じでしたが、1年が経ち、少しずつウイルスのことが分かってきて、そのための対応も進んでいますし、ワクチン接種も各国で始まっています。マスクをつけることも当たり前になりました。

 私は今までマスクをつけて外出をするようなこともなかったのですが、今ではマスクをつけないと何か落ち着かないような気がします。マスクをつけ始めたとき、マスクをつけていない人がとても気になりました。何かマナー違反のように思えたのです。今までそのようなことも考えたことがなかったのですが。そういう自分に驚きを感じてしまいました。マスクをつけているだけで、マスクを「つけている側」と「つけていない側」という区分けのようなものが、自分の中に生まれているのです。「二項対立」でものを把握するという癖が人間の脳にあります。この「二項対立の図式に気をつけろ」ということを仏教では取り組んできました。そこにはたくさんの罠が潜んでいるからです。「二項対立」で物事をとらえると攻撃的になったり、排除が起こったり、何より自分自身が苦しむことになるからです。

 日赤が昨年春に発表をした中に「感染の三段階」があります。「ウイルスの感染」「不安やおそれの感染」「攻撃や排除の感染」です。「貪り、愚かさ、怒りに流されず、しなやかな心とふるまいを…」とみなさんの手元にある「私たちの誓い」に書かれています。「ウイルス」「不安やおそれ」は避けられないものですが、「攻撃や排除」は二項対立の罠ですよね。こころとからだを柔らかくしたいものです。

 また「私たちの誓い」には「和顔愛語」のことも書かれています。このことを道元禅師は「慈しみの言葉は、社会を変えるだけの力がある」と言っておられます。
 昔「コロムビア・トップ・ライト」という漫才師さんがおられました。トップさんは参議院議員になられたので、コンビは解散し、ライトさんは「司会者」をめざしました。ある時ライトさんは声帯をとらなければならない病気になりました。仕事が仕事ですから、不安に思われたようです。そこで「食道で発声をする」という道を選ばれたようです。奥さんも一緒になってそのトレーニングに付き合われたようです。しかしそのトレーニングは大変なものでした。奥さんからの叱咤激励にも応じられないようなときもあり、怒りに任せものを奥さんへ投げたこともあるようです。「第1の声は気がついたら喋っていたので、有難いとも何とも思わず喋っていた。でも第2の声は妻と私とが血と涙で、やっと手に入れた声だから、その第2の声で人を傷つけるようなことを言いたくない」と言っておられました。私はこのお話から「和顔愛語」の大切さが理解できました。

 次に「自分の殻に閉じこもることなく…」とあります。時には自分の殻に閉じこもることも大切なことだと思います。誰とでも仲良く…って出来ないこともありますから。でも自分の殻ばかりに閉じこもっていると、自分が肥大化します。そうすると苦しみも大きくなります。コミュニケーションは難しいものです。自分の思いをすべて伝えることは難しいものです。中学高校時代はその難しさを味わうのです。だから私たちは自分の内面を言語化するために学んでいるのです。

 次に「生かされることに気づき…」とあります。自分に気づかされている道が仏教です。それはどうやって気づくのでしょう。仏教という教えの鏡に自分の姿を映してみます。また仏教では私たち自身のこころが鏡のようにこころを目指すとあります。あるものをそのまま映すこころです。私たちは自分のフィルターを通じて映してしまいます。それがなくなれば手放すようにしていかなければなりません。

 滾々と私たちのこころからは色々なことが湧き出してきます。それをきちんとみて、そしてそれを言葉にしたり、表現したりする学びをこれからも進めていってください。

 「学ぶ」ことは「勉強」だけではないことが今日のお話からも理解できるだろう。ましてや「受験勉強」だけが「勉強」だとは捉えないで欲しい。日々生活を営む中で、多くの人から、多くの事柄から学び、そして自分の思いや考えを言語化できるようになって欲しい。

理数研究 聴講 2021年02月05日(金)16時28分

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プログレス理数専修クラスは、本日の5・6時間目。
理数研究の最終発表を聴講しました。

先輩方が1年間かけて研究してきた発表を聞く姿は、
まさに科学者の卵「Egg Scientist」でした。

来年は、君たちの番です。
未来の科学者たちよ!
色んなことを学び、考える日々を過ごすようにしてください。

1月29日 仏参 2021年02月01日(月)00時38分

「お浄土に帰るということ」

 今日は本願寺から布教師の野田茜先生に来校いただきお話を聴いた。

 「お浄土へ帰る」ということを言いますが、帰るとはどういうことでしょう。帰るのであれば、私たちはお浄土から来たのでしょうか。お浄土には懐かしい人がたくさんおり、そこへ阿弥陀様が連れて帰ってくれると言います。
 
 みなさんは大切な家族を失った経験がありますか? 私は高校で祖母を、大学で祖父を失いました。
 祖父はお寺の住職をしており、優しく、穏やかな人でした。頭が禿げていたから「お地蔵さま」のような感じでした。その祖父は大変苦労をしたと聞きました。8歳までに父親を失い、母に育てられたようです。その母も病弱で子どもを育てることができなかったので、祖父は親戚を転々として暮らしたそうです。祖父は早く大人になり、自分の母親と過ごすことを夢見たようです。また母親も祖父と暮らすことを夢見ており、たまに帰ってきたときには林檎を食べさせてくれたようです。
 ところが祖父は兵隊にとられ、中国戦線へ送り込まれました。「絶対に死なない」と自分に言い聞かせたようです。敗戦で帰国の途に着き、母親の元へ戻ったといいます。帰国をそれはそれは首を長くして母親は待っていたといいます。そして思いがかない、一緒に暮らし始めたのです。その後祖父は結婚し、祖母と一緒になったこと聞きました。
 祖母がお浄土へ帰った後、祖父の調子が悪くなってきました。足が悪くなり、認知もおぼつかなくなってきました。私は祖父と一緒に暮らすようになりました。ある夜、突然「おかあちゃん」と大声で叫んだ祖父の声にびっくりして起きました。夢に見たのでしょうか。その後肺炎になり入院をして治療を受けました。退院後、またうちへ帰ってきたのですが、死を覚悟したのか、とても穏やかになりました。そして帰ってから「林檎が食べたい」といったので、林檎を擦って食べてもらいました。その時「母が待っているお浄土へ帰れる」というようなことを言っていました。しばらくして祖父は亡くなってしまいました。
 「お浄土へ帰れる」という祖父の言葉は、祖父の人生からとても理解が出来ました。阿弥陀様がお浄土へ帰してくださることは、とても意味があることなのです。

 同じ人生を生きてきた人はいない。その中で「出逢い」があり、「別れ」もある。また「楽しい」ことや「辛い」こともある。誰一人その「楽しさ」「辛さ」は同じものではない。同じ場所で同じ時間を過ごしたとしても。それまでの人生が「その時」を一層「楽しく」したり、「辛く」したりするのだ。
 自分の原体験を振り返って、「今」の自分について考えて欲しい。