2月15日(月)~19日(金)
「シンガポール・マレーシア研修旅行(選抜特進コース)」
本日、朝6時過ぎに京都駅八条口を出て、中部国際空港へ向かいました。
眠そうな生徒もいますが、元気に出発です!
今日の仏参は
楠先生のお話でした。
今日は4時間目に涅槃会(ねはんえ)があります。
80歳でこの世を去られた釈尊(お釈迦さま)を偲(しの)び、
また、説かれた教えに耳を傾ける行事です。
「世は無常であり、会う者は必ず分かれねばならぬのがこの世の定めである。
怠(おこた)ることなく精進せよ。」
というお言葉を残されています。
このことにちなんで、『時間の大切さ』についてお話しようと思います。
明日は高校入試で、皆さんも2年前に受験しました。
時間というのはあっという間に過ぎてしまいます。
とあるブログにこんな詩がありました。
1年の大切さを知るには、
落第した学生に聞くとよいでしょう。
1ヶ月の大切さを知るには、
未熟児を生んだ母親に聞くとよいでしょう。
1時間の大切さを知るには、
待ち合わせをしている恋人に聞くとよいでしょう。
1分の大切さを知るには、
電車に乗り遅れた人に聞くとよいでしょう。
1秒の大切さを知るには、たった今、
事故を避けることが出来た人に聞くとよいでしょう。
10分の1秒の大切さを知るには、
オリンピックで銀メダルに終わった人に聞くとよいでしょう。
だから、あなたの一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を大切な誰かと過ごしているのなら、
十分に大事にしましょう。
先日、小学校の友人と久しぶりに会う機会があり、
懐かしい当時の話などをしているうちに、阪神淡路大震災の話になりました。
震災発生の早朝には、
隕石が落ちてきたかのような大きな音で目覚めました。
家では家具が倒れてぐちゃぐちゃになっていましたが、
家族の命は無事でした。
お寺の家でしたので、父がお寺を見に行くと、
屋根が抜けて廃墟のようになっていました。
近くのコンビニに水を買いにいくと周りの家が崩れていて、
コンビニもぐちゃぐちゃな状態でした。
ですが、店員がしっかりいて水を売ってくれました。
一瞬のことですがすべてが変わってしまいました。
中学生になって、仮設住宅で過ごす友人もいました。
小学生の頃は学校から帰宅するのが早く、
お寺で家族一緒にお勤めをしていました。
もし震災が時計1周分(12時間)ずれていたら、
お寺の屋根が崩れるのに巻き込まれて、
私の家族は亡くなっていたのかも知れません。
時間はあっという間で、
だらだらしているともっとあっという間に過ぎていきます。
一瞬の時間、今の時間を大切に。
怠(おこた)ることなく努力するように。
2年生もあと少し、3年生もあと少し、
それぞれの目標に向かって精進、努力をしていきましょう。
4時間目に涅槃会(涅槃会)がありました。
80歳でこの世を去られた釈尊(お釈迦さま)を偲(しの)び、
また、説かれた教えに耳を傾ける行事です
講師として浄土真宗本願寺布教使の藤本さんにお話頂きました。
涅槃(ねはん)とは、簡単に言えばお亡くなりになるということです。
今から2400年前の2月15日、
お釈迦さまが入滅された日と言われております。
亡くなられる直前に弟子達に、
「自らを灯火(ともしび)とし自らをよりどころとせよ」
という言葉を残されています。
お釈迦さまの御教えを聞き、
この私達が自分自身に責任をもって生きていかなければなりません。
テレビ等で清原選手が覚せい剤で逮捕されるというニュースがありました。
当時甲子園を沸かせた大スターですが、とても残念です。
桑田選手とKKコンビとして世間を沸かせていました。
その桑田選手のコメントが印象に残っています。
「前々から色々言葉をかけていた、細かいことまで。
3年前から俺に構わないでくれと言われ、連絡を取っていなかった。
誰よりも彼の気持ちは分かっている。
野球ではリリーフや代打は送れるが、人生には送れない。
人生でも逆転満塁ホームランを打ってほしい。」
都合の悪いことは誰にも代わってもらえない。
自分で責任を持たなければならない。
お父さんお母さん親戚や近所の人や学校の先生、
色々言われることをどこまで聞いているのでしょうか。
人は耳障りのいいことは聞きやすく耳障りの悪いことを聞くのは難しい。
しかしそんな存在がありがたいのです。
SMAPの解散騒動があり、テレビで会見がありました。
その中のコメントで、
「今回の騒動の中でたくさんのファンに支えられていることに気づいた」
というのがありました。
自分1人では自らを背負えないのです。
人は家族、友人、先生達の願いの中に支えられているのです。
それがお釈迦さまの御教えなのです。
縁起の中にすべてが成り立っている。
あらゆる支えの中に自分が成り立っている。
自分1人が歩む道だけれど、社会にも目を向けなければなりませんが、
自分を支えている社会や人が見えづらくなっている。
通学途中に電車やバスで椅子に座ればスマホ(携帯電話)を操作するでしょう。
スマホ1つで何でも出来るのでとりあえずスマホを触ってしまいます。
スマホに熱中して座ったときは空いていた車内が、
ふと目を上げれば満員になっていた、なんてことがありました。
そして目の前には杖をついた方が立っていらっしゃいました。
この人はいつから立っていらっしゃったのでしょうか。
本来はすぐにでも席を譲っているはずが、
スマホに熱中している余り気づくことが出来なかった。
他者が見えにくくなっている環境、現状があります。
自分は背後から支えられている、というのを感じづらくなっている。
それが非常に怖いのです。
音楽をイヤホンで聴きながら歩いていて車にひかれそうになったことがあります。
自分の状況、環境が変わっても気づけない。
太平洋戦争が終わって70年経ちました。
去年の漢字は「安」でした。
これは安心の安ではなく、不安の安、安保の安です。
世の中はがらっと変わってきています。
お釈迦さまの教えを日本に伝えた1人、
親鸞聖人の言葉にこんな言葉があります。
「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」
例え自分自身に問題はなかったとしても
周りの状況よってどう転んでいくかは分からないという意味です。
なりたくてなったわけではないのです。
自分自身の命がそうだと言っているのです。
直木賞作家で野坂昭如さんが去年お亡くなりになりました。
『火垂るの墓』の原作者としても有名な方です。
昭和20年を舞台にした悲しい映画です。
神戸大空襲により三ノ宮の焼け野原に放り出された兄妹。
父は兵隊で帰ってこない、母は焼夷弾で亡くなってしまう。
清太(兄14才)と節子(妹4才)は親戚を頼っていく。
時に清太は盗みを犯してまで、
栄養失調の節子を助けようとしていましたが亡くなり自らも亡くなってしまう。
原作者の体験を元にした映画ですが、実際は1才半の妹を連れていました。
時には妹が泣き続けるのを止めるため、殴ったこともあるそうです。
妹に硬いものを食べさせるとき、自分が噛んで柔らかくして妹にあげようとするが、
空腹に耐え切れず自分がそのまま食べてしまうことがあった。
妹をなくした後ろめたさ、憤(いきどお)り、願いを込めて、
『火垂るの墓』を書いたのです。
自らをよりどころとするのはこういう姿ではないのかと思います。
状況や環境によってどう変わるかは分からない、危ないものです。
自分を取り巻く環境をしっかり見つめながら、願いに気づきながら、
しっかりと生きていかなければなりません。
自分以外の他を見つめ、他の願いと共に自己を確立する。
小さなことからできること、好きなことだけに目を向けず、
ふと目を上げてみましょう。
互いに支えあい、気遣い、時には小言を言いながら他を見つめ共に生きて、
お釈迦さま、親鸞聖人の御教えを聞かせて頂き、学んでいきましょう。
2月に入りいよいよ研修旅行まで2週間です。
本日のLHRは、シンガポール・マレーシアコースは講堂で、ハワイコースは第一会議室で結団式を行いました。
まず旅行社から入出国カードや保険証、外貨が配られ、一通り説明がされました。また、完成した栞も配られました。シンガポールコースの栞の表紙は研修旅行委員が書きました。失くさないようにして、当日に向けて抜かりなく旅行の準備を進めてくださいね。
シンガポールコースはその後、研修旅行委員の紹介がありました。20名の委員が研修旅行中にいろいろと活躍してくれることでしょう。
ハワイコースでは最後に団長・副団長の生徒が英語で素晴らしいあいさつをしてくれたそうです。頼もしいですね。
研修旅行先では集団行動のルールを守ることが大切です。「時間を守る」「人の話を聞く」など、きちんとした行動の上に研修旅行での学びがあります。全員が楽しめる一生に一度の研修旅行にしたいですね。楽しみです!
3年生は2日間にわたるセンター試験を終え,明
くる日の月曜日には自己採点も済ませました。
センター試験の直前には多くの先生が見守られる
中で激励会も行われました。校長先生から直々に
お言葉もいただきました。「心と体は一体である
のだから,体をほぐすことで,心がリラックス
できる」ということを,実践を交えて教えて下さい
ました。(写真)全国の高校などから一斉に自己
採点された結果を,予備校が集計し,3日後には
膨大なデータが冊子(センターリサーチ)となって
送られてきました。各大学への合格判定がわかる
というわけです。この結果を踏まえて,担任の先生
方は休みなど返上で,3者面談をもって最終的に
どの大学に出願するのかを決定するのです。今は
国公立大学の出願もそろそろ出そろいつつあると
いう状態です。今年は例年以上にたくさん国公立
大学に合格してくれるのではないかと思っています。
2年生もこの時期に,先輩たちと同じ試験を1日
遅れで体験受験しました。さらに記述模試とマーク
模試も連続しており,ここ2週間は模試の嵐です。
今が頑張りどころかもしれません。センター同時
受験は「まだまだこれからという成績」ではあるで
しょうが,今はしっかり3年生を見守って,「来年は
我々がレギュラーで出場だ。」という気持ちで
ベンチを暖めたいと思います。
本日は,終日進研記述模試でした。後期より何度も模試を受け,受験生としての自覚が出てきているようです。
模試は,受けっぱなしではいけません。今日は帰って復習・復習。
今日の仏参は
森本先生のお話でした。
とても難しいことを言われたり、
とても難しいことを前にしたとき、
誰もが絶対に無理と思ってしまいます。
15年くらい前のハンドボール部でのお話です。
現在は部員数に恵まれていますが、
当時は7人(試合に出場する為に必要な人数)に届くかどうかという
深刻な状況でした。
ハンドボールは見た目よりも実際にやってみると難しく、
最初はボールも握ることができなかったり、
シュートもなかなか決まりません。
また、しんどいという面もあり、
コート内を5分走り続けるだけでかなりきついのです。
4月に入部しても、夏頃には辞めてしまいます。
高校1年生の授業を受け持ったときは
生徒にハンドボール部をすすめたりしているのですが、
あるとき入部したいという生徒が声をかけてきました。
「左腕が無いのですが、出来ますか?」
その生徒には「やれるだけやってみよう」と言いましたが、
ハンドボールは片腕だけではとても厳しいのです。
また相手と接触するスポーツで怪我をする場合もあります。
高校体育連盟の専門委員長に連絡を取り聞いてみると、
「規定上は問題なく、過去にもそういう生徒もいた」
と言われました。
自分でも出来るのかやってみましたが、
片腕だけではボールのキャッチも難しく無理かもしれないと思いました。
その生徒が入部して、
片腕だけでは無理だと思っていたボールのキャッチは、
右肩に一旦当てるという独自の工夫でキャッチできていました。
またその生徒がいた年の新入部員の退部率はとても低かったのです。
とてもがんばっているその生徒の姿を間近で見ている他の部員は
弱音を吐くことは出来ないのです。
コートは狭くスピードが要求され、相手に突っ込んでいくハンドボールは、
次のプレーに早く移らなければならない。
右肩でしかボールをキャッチできないということが、
不思議と他の生徒のパスが定まっていきました。
相手が攻めてくるとき両腕で押さえれなくても、
相手の右肩を押さえる等の工夫、
そして周りに他の生徒がいち早くフォローに行く。
部全体の意識も高くなっていきました。
最後の大会で10分ほど出場しました。
みんながその生徒にボールを集め2本のシュートを決めることが出来ました。
相手がシード校で負けてしまいましたが、結果を残すことが出来ました。
閉会式では特別表彰を受けました。
特別進学コースの生徒で有名私立大学に合格し、
大学生でもハンドボール部に入部しました。
大学での試合を見に行く機会がありましたが、
高校のときよりもさらに上達していました。
無理と思ってしまったらそこが限界になる。
しかし限界というものはもっとその先にある。
水曜日、ドラゴンゼミ終了時刻は17:20。
その後のわずかな時間でも、部活動を頑張っている生徒がいます。
本日は、110体育館で男子バレーボール部と剣道部の様子を見に行ってきました。
この今の頑張りは、受験直前の踏ん張りに絶大な効果を及ぼします。
勉強も部活も頑張れ!