本日仏参の講話は国語科の吉本匡伸先生でした。
明治、大正、昭和3代の俳人、小説家で高浜虚子さんの
「去年今年貫く棒の如きもの」という俳句を紹介されました。
時の流れの中で一本の芯棒のようにまがらない己の信念という意味だそうです。
信念を持って自分の将来に向け突き進んで下さいということをお話しされました。
本日仏参の講話は国語科の吉本匡伸先生でした。
明治、大正、昭和3代の俳人、小説家で高浜虚子さんの
「去年今年貫く棒の如きもの」という俳句を紹介されました。
時の流れの中で一本の芯棒のようにまがらない己の信念という意味だそうです。
信念を持って自分の将来に向け突き進んで下さいということをお話しされました。
本日仏参のご講話は社会科の渡辺希久子先生でした。いろいろな物の資源を大切にするために社会全体を見直していかなければならない。そのためにも先ず一人一人が自分自身を見直し、今できることは何かを考えていきましょうと言うことをお話しされました。
コロナ禍の収束が見えない中、新年を迎えました。いよいよ最終学年となります。寒気にあわせて、身も心も引き締めてキリッとしてスタートを切ってほしいものです。
よく知っている諺に、「一日の計は朝にあり。一年の計は元旦にあり」というのがあります。英語にもNew year's Day is the Key of the year.「元旦は一年の鍵である」という諺があるそうです。洋の東西を問わず、人類の知恵とでもいうべきものかと思います。当たり前のことを言っていると思われますが、それだけに含蓄のある真理なのでしょう。
さあ、「一日の計、一年の計」を持ってみませんか。言い換えれば、自分の目ざすところ、目標・目的をつかめ、そして前へ進め、ということです。
若い人が、何もすることがない、退屈だ、だるい、などと言うのは、老化現象だそうです。若い人が、何もほしいものがない、したいことがない、目標がない、などと言うのは、豊かさの中の心貧しい症候群だそうです。そんな自分を放っておいて安逸をむさぼっていると、居心地のいいぬるま湯のはずが、実は蟻地獄であって脱出不可能になってしまうそうです。
そうならないためにどうすればいいか。それはみなさん一人ひとりが、自分という人間のドライバーをしっかり務めることです。自分をコントロールするのは自分、自分の主人は自分です。嫌なことでも、自分から逃げたり、ごまかしたりしないで、しっかり自分で自分を見つめ、自分の舵をとることです。自分で自分を見ていれば、必ず自分の目ざすところが見えてきます。ただし、前へ進みながら、行動しながら自分を見ていてほしい。何でもいい、小さなことでもいい。自分にできそうなこと、ちょっとやってみたいなと思うことをまず始めてみることです。小さな一歩でも踏み出すと必ず自信がついて、次の二歩三歩が出ますよ。ちがった自分が見えてくるかもしれませんよ。
(「一年の計」(学年通信「邂逅」15より)
本日、卒業生から「プリキュー」ということについて、教わりました。
プリキューとは「Please」「Thank you」「I'm sorry」という英語で、日本語に言い換えれば、「どうぞ」「ありがとう」「ごめんなさい」という三つの言葉です。また、アメリカがすべてではありませんが、アメリカではどこに行ってもこの三つの言葉に加えて、
「have a nice day」「Excuse me」があふれる中で生活を営んでいるそうです。
世の中では、このちょっとしたあいさつや言葉が言えずに、ささいな行き違いを生み、大きなトラブルに発展することもあります。これらの言葉が、人間関係をなめらかにする意味においても、いつでもどこでも、心から言える人になるように心がけたいものです。 ここで一度、お正月の頃を思い出してください。景気や経済がどうであれ、毎年変わらずに聞こえてくる「よりよい年でありますように」、そして「明けましておめでとうございます」の声、声、声。家庭で、友だち同士で、近所の人々と、もちろん学校の中でも。
ふだんは、お決まりの「近ごろの若い者は、ろくにあいさつもできない」との風評もどこへやら、この時期ばかりは、気持ちが温かくなる、あいさつの声があふれています。願わくは、一年中あのにこやかなあいさつが、自然と体から言葉として飛び出してくる日々でありたいと思います。
言葉を出す、使うことは、筋肉と同じ。毎日使ってはじめて身につくものです。あいさつは人間関係の基本、学校生活、社会生活の基本といってもいいでしょう。
ちょっとしたあいさつ、わたしたち一人ひとりの積み重ねが、大きく育って日本の文化をつくり、国際化につながる……決して大きすぎる話ではないと思います。相手の心に届くあいさつができる人間になってもらいたいと願うばかりです。
本日の仏参は西本願寺から来られた段證武邦さんで縁起についてのお話をされました。
人はいろいろな縁のつながりで支えられています。一つでも欠ければ成り立っていくことは困難です。皆さんも縁の大切さに感謝をされ、お過ごし下さいということでした。
選抜特進・一貫特進コース生による受験生宣言が行われました。代表生徒諸君は、生徒と教員が見守る中、「第1志望校に合格するために日々精進します」と、堂々と宣言してくれました。宣言の中には、将来社会貢献をするために大学に進学したいという強い志望理由、進路実現のためにこれからどのような努力をするのか具体的な方策が含まれており、これまでの進路指導で学んだことや考えたことを自分の言葉にすることができました。
宣言をした今日から受験生です。次は第1志望合格に向けて、これまで以上に勉強に励んでほしいと思います。
本日の仏参は西本願寺から来られた渡辺雅俊さんでした。
人生いろいろな中で物事をどう見るか、人と人との出会いをどのように見えているかを経験を通して切実に語られていました。お釈迦様も一人一人の命を尊く見守っておられるということでした。
本日はSUT終わりから、4限目に講堂で成道会をお勤めしました。成道会は、12月8日にお釈迦さまが悟りを開かれたことを記念する宗教行事です。
5月の宗祖降誕会に引き続き、浄土真宗本願寺派布教使の中村啓誠先生のご法話で、「諸行無常(すべてのものは移り変わり、滅びないものはこの世にない)」がテーマでした。その中で、中村先生は「すべてのことには終わりがあるという考えは、人の気持ちを楽にする。ずっと物事が続いていくと、そのものの魅力は半減するだろう」と語られました。次に、アップルの創立者であった、故・スティーブ・ジョブズ氏のことを紹介されました。ジョブズ氏は17歳の時から、毎朝、鏡を見て「もしも人生最後の日だとしたら、君がやろうとしていることは、本当にやりたいことか」と、自分に問いかけていたそうです。中村先生は「いのちというのは短いから、だからこそ今私が何をしなければならないのかがはっきりしてくるのだと思う。ずっと生きているのだったら、人生の目的がわからなくなるんだろう」と、スティーブ氏から教わったと述べられました。
「いのちというのは一瞬一瞬移り変わっている、だからこそ尊い」
今日の成道会を通して「諸行無常」を考え、仏さまに手を合わせながら、それぞれのいのちと向き合う時間になったことでしょう。
本日のお話は10組・12組副担任の成田直也先生です。
「ロボットと聞いて何を思い浮かべますか」から切り出され、ロボットについて語源や歴史について説明されました。ロボットはチェコ語で強制労働を意味する語とスロバキア語で労働者を意味する語から作られた造語。この言葉が初めて用いられたのは、1920年にチェコスロバキア(当時)の小説家が発表した作品の中。日本でも「人造人間」と訳された……特に「弱いロボット」「何もできないロボット」について、人間のフォローがコンセプトのロボット開発の話など、興味深いものでした。人に対して何かしてほしいと要求し、満たされない場合は……、人の場合に置き換えてみて、人のためにこうどうすれば、ついつい見返りを求めてしまいがち、ついつい自分中心、利己的な考えに陥ってしまいます。私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と「自分を犠牲にしても他の人をたすけよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、周りの協力を得ることはむずかしい。自分中心だから、視野も狭くなり、まちがった判断をしてしまいます。しかし、利他の心で判断すれば、周りの人が協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。思いやりに満ちた「利他の心」に立って進んでいってほしい、としめくくられました。