プログレス理数専修クラスは、本日の5・6時間目。
理数研究の最終発表を聴講しました。
先輩方が1年間かけて研究してきた発表を聞く姿は、
まさに科学者の卵「Egg Scientist」でした。
来年は、君たちの番です。
未来の科学者たちよ!
色んなことを学び、考える日々を過ごすようにしてください。
プログレス理数専修クラスは、本日の5・6時間目。
理数研究の最終発表を聴講しました。
先輩方が1年間かけて研究してきた発表を聞く姿は、
まさに科学者の卵「Egg Scientist」でした。
来年は、君たちの番です。
未来の科学者たちよ!
色んなことを学び、考える日々を過ごすようにしてください。
「お浄土に帰るということ」
今日は本願寺から布教師の野田茜先生に来校いただきお話を聴いた。
「お浄土へ帰る」ということを言いますが、帰るとはどういうことでしょう。帰るのであれば、私たちはお浄土から来たのでしょうか。お浄土には懐かしい人がたくさんおり、そこへ阿弥陀様が連れて帰ってくれると言います。
みなさんは大切な家族を失った経験がありますか? 私は高校で祖母を、大学で祖父を失いました。
祖父はお寺の住職をしており、優しく、穏やかな人でした。頭が禿げていたから「お地蔵さま」のような感じでした。その祖父は大変苦労をしたと聞きました。8歳までに父親を失い、母に育てられたようです。その母も病弱で子どもを育てることができなかったので、祖父は親戚を転々として暮らしたそうです。祖父は早く大人になり、自分の母親と過ごすことを夢見たようです。また母親も祖父と暮らすことを夢見ており、たまに帰ってきたときには林檎を食べさせてくれたようです。
ところが祖父は兵隊にとられ、中国戦線へ送り込まれました。「絶対に死なない」と自分に言い聞かせたようです。敗戦で帰国の途に着き、母親の元へ戻ったといいます。帰国をそれはそれは首を長くして母親は待っていたといいます。そして思いがかない、一緒に暮らし始めたのです。その後祖父は結婚し、祖母と一緒になったこと聞きました。
祖母がお浄土へ帰った後、祖父の調子が悪くなってきました。足が悪くなり、認知もおぼつかなくなってきました。私は祖父と一緒に暮らすようになりました。ある夜、突然「おかあちゃん」と大声で叫んだ祖父の声にびっくりして起きました。夢に見たのでしょうか。その後肺炎になり入院をして治療を受けました。退院後、またうちへ帰ってきたのですが、死を覚悟したのか、とても穏やかになりました。そして帰ってから「林檎が食べたい」といったので、林檎を擦って食べてもらいました。その時「母が待っているお浄土へ帰れる」というようなことを言っていました。しばらくして祖父は亡くなってしまいました。
「お浄土へ帰れる」という祖父の言葉は、祖父の人生からとても理解が出来ました。阿弥陀様がお浄土へ帰してくださることは、とても意味があることなのです。
同じ人生を生きてきた人はいない。その中で「出逢い」があり、「別れ」もある。また「楽しい」ことや「辛い」こともある。誰一人その「楽しさ」「辛さ」は同じものではない。同じ場所で同じ時間を過ごしたとしても。それまでの人生が「その時」を一層「楽しく」したり、「辛く」したりするのだ。
自分の原体験を振り返って、「今」の自分について考えて欲しい。
今日は報恩講。親鸞聖人のご命日の法要である。例年であれば講堂で御法話を聴くなどをしていたのだが、コロナのこともあり、初めてWEBでお話を聴くことになった。講師は本願寺派布教師で本校の北に位置する知真保育園園長の苗村隆之先生のお話を伺った。
阿弥陀仏の眼差し
今日は親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」です。親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」のお心とメッセージを伝えて下さった方です。今日はその南無阿弥陀仏の眼差しについてお話をしたいと思います。
教典には「お浄土は金色に輝いている」と書かれています。そこにいる人たちが「金色に輝いている」から、そのように言われているのです。ではみなさんの家族、友だちは輝いているでしょうか。あまり気にしませんよね。そこに人は「ああおるなあ」済んでしまいます。しかしよくよく生活を振り返ると輝いているときがあるのです。私自身の経験ですが、子どもが生まれたとき、これほどにまで子どもが金色に輝いている時はありませんでした。一方で、「こんちくしょう」と思ったときは誰もが「全く輝いて見えません」。自分に勝手なコンタクトレンズがはまって「人」を見ているようです。
教育者の水谷修先生から「ウサギとカメ」の話を知っているかを問われたことがありました。このお話は明治の頃、「油断大敵」という題で語られていたそうです。駆け比べをして、居眠ったウサギがカメに負けるわけです。カメの勝ちでお話は終わります。実はその続きがあるようです。勝負に負けたウサギはとても悔しかったそうです。そこで再度試合を申し込んだようです。カメは了承をし、再度試合になったようです。そうするとまたカメが勝ったのでした。その理由はカメが勝負の方法を変え、ゴールを島というのです。カメは泳げますが、ウサギは泳ぐことが出来ず、ゴールまでたどり着けなかったということのようです。
水谷先生は「大人の価値観で子どもの価値観を曇らせていないか?」と問われました。確かに我々は大人の価値観で図っています。つい「はよせい」「〇〇するな」と言ってしまいます。私たちは「自分の居場所(価値観)を奪われることが一番イヤなこと」を知っていながら、子どもに条件をつけます。「カメはカメで良い」「ウサギはウサギで良い」と、どうして言えないのでしょう。でも阿弥陀様はそうではありません。ありのままで良いと言ってくれているのです。あなたや私の「ありのまま」をそのまま引き受けてくださるのです。歎異抄では「仏かねてしろしめして」と書かれていることからもわかります。
さて新人保育士研修会を毎年2月に開催をしています。新しく保育士になる人を対象に研修会をしているのです。その研修会では「恐怖の人差し指」というのがあります。講師の先生から指を指されて受講生の先生に質問をされるのです。
あるとき次のような質問がありました。どの保育園にもすぐにやることが苦手な子がいます。誰からも「遅い」と言われる子がいますよね。「集合」と声をかけたとき、その一番「遅い子」が、誰よりも早く集まるためにはどうすべきかと問われました。もちろん方法はいくらでもあります。その先生はその先生の方法をお話しされました。最後にその先生がお話しされたのは「保育士は子ども一人一人のために悩むということが大切」だということでした。
阿弥陀さんが示すポーズは「阿弥陀様が私たちを抱きしめてくれていることを示している」のです。私たちは幼少期に多くの人からいっぱい抱っこをしてもらった嬉しい思い出がります。阿弥陀様のポーズは「私の良いところも悪いところ、そのままの私を引き受けてもらっている姿」です。ですから保育園では抱っこをとても大切にしてもらっています。
私は勉強が大嫌いでした。だから夏休みは楽しみでした。しかし夏休みを超えるための大きなハードルがあります。「通知票」です。小学校中学年まで成績が悪く、父親によく怒られました。そこで両親は勉強が出来るようにと思い、私を塾に入れたのです。ただ何を間違ったのか「進学塾」に入れられてしまい、私は十二指腸潰瘍になったのです。塾に行く前におなかが痛くなります。でもその塾へ自転車に乗せて母親が塾へ運んだのでした、だから私は母親が嫌いでした。嫌々行っていた塾です。中学入試を失敗しました。でも勉強は嫌いでしたが、それなりに一生懸命に勉強はしたつもりです。試験の結果を塾の先生に電話で伝えていると、後ろの部屋で母親が泣いていました。そして電話が終わると私を抱きしめ「しんどかったな。辛かったな。もっと遊びたかったな」と言って抱きしめて泣いてくれたのです。母親を「鬼婆」と思っていたのですが、そうではなく私のありのままを受け止めてくれたのです。まさにその抱きしめられたことは、阿弥陀様に抱きしめられたのと同じことだと思っています。
これから生きていく中で、今までにないくらいの「理不尽」に遭遇するかもしれない。その時に自棄になりたくもなる。しかし自棄になっても解決にはならない。
「自棄」になっている人を冷ややかに見ることも出来る。一方でその「自棄」につきあうことも出来る。今日のお話を聴き、自分であればどのようなことが出来るのかをしっかり考えて欲しい。
2021年がスタートしました。
2020年は本当に大変な年になってしまいました。新型コロナ禍でいろいろなものが奪われ、これまでの「日常」というものがどれほど脆いものであるか、そしてどれほど「有り難いもの」であるかに気づかされました。
いよいよ今年は最終学年になります。
君たちの1つ上の先輩達はすでに最後の考査を終えて、現在は受験に向けて最後の追い込みをかけていたり、入学前課題に必死に取り組んでいる日々を過ごしています。
1年なんてあっという間です。1年後に自分がどうなりたいかをイメージして、どうか1日1日を大切に過ごしてください。
勉強やクラブ活動など、今、自分の目の前にあることに全力で取り組むことができるという環境がどれほど幸せなことかを決して忘れないでください。
A(明るく)T(楽しく)M(前向きに)
2021年を笑顔があふれる明るい1年にしてください。
『 ライフプラン探究 完結しました 』
今年度の取り組みは、春休みの課題「自分の身近にある疑問を考える」から始まり、同じような疑問を持つもの同士が集まってグループを組み、疑問について探究しました。
「HEIAN METHOD 探究MAP」を用いながら、自分たちで立てた「問い(リサーチクエスチョン)」をもとに現状を把握し、なぜそうなのか?という「仮説」を考えました。ライフプラン探究Ⅱでの最も重要なポイントとも言えるのは、この「仮説」をどのようなものにするかというところでしたが、多くの生徒が頭を抱えながら議論し合っていた場面が印象に残っています。独自の結論や解決策を導くためには、「仮説」を「検証」しなければなりません。
11月のキャンパスビジットⅡの2日間を使って、インターネットや書籍から情報を収集したり、龍谷大学の教授の講義を受けたりしながら探究活動を進めました。この時、多くのグループがクラスの垣根を越えて、「アンケート調査」を実施していました。説得力を持たせる客観的なデータを取って、パワーポイントに落とし込んでグラフを作成したりイラストを挿入したり、チーム内で協力しながら作成する様子が見られました。
さて、半年間に及ぶライフプラン探究Ⅱの締めくくりは講堂発表ですが、その前段階として、クラス内での発表を行い代表班を選出しました。スライドを動かしながら用意した原稿を間違えないように話す様子は、緊張が伝わってくる発表でした。
そして、いよいよ12月22日LHRで講堂発表。龍谷大学から原田太津男先生(経済学部)、松永敬子先生(経営学部)、中根真先生(短期大学部)、羽渓了先生(短期大学部)をお招きし、関目校長先生にも審査員に加わっていただきました。クラスの代表班ということもあり、原稿も見ず、身振り手振りを交えながら説得力のあるプレゼンや、工夫を凝らしたスライドを準備したグループもあり、集大成にふさわしいプレゼン大会になりました。
結果は……
◆最優秀グループ 6組「地球温暖化とペットボトルと平安高校」
◆優秀グループ 3組「今日のメディアは『公正な報道』をしているか」
◆優秀グループ 2組「ITと過労死」
以上のようになりました。
先生方の講評としては、プレゼン内容も重要だが、インターネット上の情報を鵜呑みにしないための「情報リテラシー力」や、人前で話すことができる「プレゼン力」、「問いをたてられる力」の必要性を述べられていました。
今回の取り組みを今後の探究活動に生かしていきましょう。
「時間について」
今日は2組担任郁芳先生のお話を聞いた。
今日は「時間を大切にして欲しい」ということについて話をしたいと思います。86,400円を毎日お小遣いとしてあげると言われたらどのように使いますか? 但し条件が1つだけあります。この86,400円は使い切ることです。
これは「時間」についての例え話なのです。1日24時間。それを「秒」という単位で現すと1日は86,400秒となります。当たり前のことですが、この時間は誰にでも平等に与えられている時間なのです。
ではこの時間を「1」という数字に置き換えます。手を抜くと「0.01」が引かれます。努力すると「0.01」が加算されます。365日で考えれば37.8と0.03となり、わずかながらも差ができてしまいます。これが何年か続くと、とんでもない差になりますよね。
一方でそれを取り戻すことはできるのでしょうか。残念ながら「1」に近づくのですが、決して「1」にはなりません。サボったツケは元に戻らないのです。
さてみなさんは昨年より成長をしていますか? 与えられた時間をどう過ごすかによって、その答えは変わってくるでしょう。「現在」は「過去」の縮図だと私は考えています。自分を成長させるために、時間を大切にするよう心がけてください。
平安の3つの大切は「言葉」「時間」「いのち」である。今日のお話は数値で示されただけに、とても理解しやすい話であった。「量」ではなく「質」なのである。「生き方」をしっかり考えていかなければならない。2020年が終わろうとしている今、郁芳先生のお話をしっかりと考えて欲しい。
「準備」
今日は1組担任島田先生のお話を聞いた。
昨日クラスの生徒から「明日の仏参ですが、先生なんのお話しをされるのですか?」と問われました。仏参の講師に当たっていたことは分かっていたのですが、特に「これ」という話を考えていませんでした。すると「先生、考えていないのですか? 僕らでも話をするときは色々考えているんですよ」と言われました。
アスリートの生徒は監督さんや先生方の前でスピーチが課せられているのです。内容はどのようなものでも良いようです。その話をするために、練習中や勉強中など気がつけばメモをしていると聞いています。「失敗できない」という思いがあるからだと聞きました。それだけ念入りに準備をしているのに「先生がどうして…」という思いから発した言葉なのだと思います。その言葉は私に突き刺さりました。
アスリートコースの生徒の目標は「甲子園」です。入学直後は、まだ中学までの生活、考えを引きずっています。それを監督さんや先生方がきっちり指導していき、ようやく人に褒めてもらえるくらいに成長をします。3年生が引退し、自分たちが引っぱっていかなければならなくなった今、自分から率先して動けるようになっています。まだまだ不充分なところはありますが、担任として1年彼らと一緒に歩んできた私としては嬉しいものです。
甲子園出場の夢は、日頃の積み重ねから準備をしないといけないのです。オリンピックを目指している人も全く同じです。「結果」はその日にすぐにでるものではありません。選抜特進・一貫のみなさんは来年の今頃は入試です。龍プロのみなさんは龍大への進学が決まっている時期です。今からの準備で自分の夢が達成されるのです。コロナでうまくいかないこともあるでしょう。でも自分たちの夢の達成のために1日1日大切にして欲しいと思います。
アスリートコースの生徒も、オリンピックを目指す人も諸君と同じ年代の「高校生」である。何も特別な存在ではない。諸君も彼らと同じような「準備」を大切にする生活をしてみないか。どうかアスリートの諸君、オリンピックを目指す諸君は、学年の範となる生活を行って欲しい。
今日は成道会である。昨年までとは違い、行事は講堂とホームルームで同時並行で行われた。
「未だ『死ぬこと』『仏教』のことはわかりません」
今日は成道会。浄土真宗大谷派玄照寺住職 瓜生崇先生のお話を聞いた。
私は寺の生まれではなく、サラリーマンの子どもとして東京都で生まれ育ちました。そのサラリーマンの子どもが、どうしてお寺に入ったのかをお話ししていきたいと思います。
幼い頃、絵本を買ってもらいました。その中には科学のことが沢山書かれていたのですが、「人間は必ず死ぬ。でも死ぬ原因や死後は何も分かっていない」と書かれていたのです。どの事柄にも明確に答えている本で、唯一答えが書かれていないのが「死」の問題でした。私はそのことにとても驚き、恐怖を感じました。
私たちの世代は、「頑張って生きろ」「頑張れば、勉強でも就職でも良いことが待っている」と聞いて育ちました。しかし私は「何を頑張るの。結局最後には『死んでいく』だろ」と苦しみました。理由もなく生まれ、相手が何を思っているのか分からず、それに相づちを打ち、分かったふりをして、自分を誤魔化して最後は死んでいく。ずっと考えていました。高校はキリスト教系の学校へ進学しました。宗教の時間にやはり「死ぬこと」について考えました。神父さんは「人のために生きよ」とおっしゃたが、やはり分かりません。
その後大学へ進学をしました。理系ではあったのですが、やはり「死ぬこと」が疑問で仕方がないのです。そこで「怪しげな宗教」に声をかけられ、入信をしてしまったのです。明快に答えてくれるのですが、しっくりいかない。聞けば聞くほど「おかしい」と感じてしまう。12年間布教活動などもしたのですが、その宗教から離れました。そして絶望のあまり身投げをしようとしたのです。身投げしようと崖っぷちまで行くのですが、身がすくんで出来ませんでした。何回も試みました。結局死にきれなかったのです。「身体が生きたい」と言っていたのだと思います。
その後IT関係の会社で仕事をしていたのですが、縁あってお寺に入ることが出来ました。今でも「死ぬこと」について考え話をします。
お釈迦樣は「私が思っている私はない。つまり私は生まれてもいないし死んでもいかない。その私は宇宙とつながっている」と言っておられます。難解ですね。それを動画にアップをしたら、35万回以上の再生されていることが分かりました。未だ「死ぬこと」「仏教」のことはわかりません。
「生は偶然、死は必然」。ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)はその著書『パンセ(Pensées) 199』の中で、「ここに幾人かの人が鎖につながれているのを想像しよう。みな死刑を宣告されている。そのなかの 何人かが毎日他の人たちの目の前で殺されていく。残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じである ことを悟り、悲しみと絶望とのうちに互いに顔を見合わせながら、自分の番がくるのを待っている。 これが人間の状態を描いた図なのである」と述べている。
この法話を機に、「死」というものを再考して欲しいものである
「大変な時は人間として向上をしている」
今日は学年部長の森本先生のお話を聞いた。
私と矢ノ根先生は同い年ですが、平安に奉職したのは矢ノ根先生が先です。そのため私が40年の奉職表彰を受けることはありません。平安には40年を超え勤務している先生方が多々おられ、本当にすごいことだと思います。
今日は「なぜすぐに仕事に就けなかったのか」をお話したいと思います。
私の家は困窮をしていました。そのためとても苦労をしました。私は公立高校を受験しましたが失敗し、私立高校へ進学しました。併願の私立を合格したからでしょう。安心しきって、受験勉強をいい加減に取り組んだのだと思います。高校の入学金などは、親が工面してくれたのですが、授業料や定期代などは私が働きお金を工面しました。放課後アルバイト先に行き、そして週末はずっと働きっぱなしでした。精神的にも肉体的にもクタクタになり生活をしていましたから、「早く終わって欲しい」という3年でした。思う存分クラブをしているみなさん。どうか保護者への感謝の気持ちを忘れないでください。
勉強は隙間時間で何とかしました。家に帰っても疲れて勉強が出来ませんでしたから、宿題は学校でやりきりました。大学への進学を考えていたので、登下校中、片道2時間のバス、電車の中や誰もいない教室で勉強をしました。「どうしても大学へ進学をしたい」と思っていたので、学費の安い大学を一生懸命探しました。学費を抑えるためには国公立大学でないといけません。何より働かないと駄目ですから「夜間大学」を目指し進学をしました。そして合格を果たしました。
大学進学後、日中はフルタイムで働き、18時からの授業に出ました。帰宅は深夜という生活が続きます。国公立大学ですからレベルが高くついていけないこともありました。生活することで精一杯になり、大学から足が遠のいたことがありました。大学の事務室へ「退学したいのですが…」と申し出たのです。事務員さんが「せっかく入学をしたのだから『休学』にしたら?」と言ってくれました。そこで休学をしました。その言葉がなければ「退学」していたのだと思います。
休学後バイト漬けの生活にかわり、将来の見通しがつかなくなってきました。しかし「このままでは終わりたくない」と思い、勉強をしたい思いに駆られました。そして復学。教員免許を取り卒業をしました。在学期間は休学を含め6年でした。その後も大変なことがあり、日本から離れ海外で生活をしたこともあります。奉職するまで波瀾万丈の人生でした。
先日の人権学習で、講師の林家染太さんの話が「人生、しんどいときが上り坂。楽なときが下り坂」と話されました。ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)も同じことを言っています。シラーは「上り坂を上ることは、急な斜面のためしんどい。また上るのにも時間がかかる。うっかりすると転げ落ちるかもしれない。しかしきちんと上に上がっているのである。つまりきちんと向上や成長をしているのだ」と。
つまり「大変なこと」は「人間的に向上をしているという意味」で「良いこと」なのです。一方注意したいのは「楽なとき」です。つるつる下り坂を下っているのだから、「楽」に感じているのです。元のところへ逆戻りしている可能性があるのではないでしょうか。
自分の人生を振り返ってください。試合の練習といい、受験勉強といい大変と感じているときの方が向上しているでしょう。だから「大変なとき」は上り坂だと思って頑張っていきましょう。
ベートーベンの交響曲第九番「合唱」の「歓喜(An die Freude)」はこのシラーの詩である。「苦しみの向こうに喜びは待っている」という、フランス革命に至るまでの民衆の苦しみに対して、シラーが詩にしたものなのである。
勉強やスポーツだけではない。友だち関係や恋愛も同じではないだろうか。辛いところから目を背けたくなるだろう。でもそうなった原因を客観的に理解し、自分のものにしていくことこそが大切なのである。
今日のお話を「根性論」として片付けることは容易いだろう。しかし「大変」は「大きく変わる」と書く。森本先生のお話をじっくりと味わって欲しい。
「『SDGs』『MDGs』について、あなたは何を考えますか?」
今日は矢ノ根教頭先生のお話を聞いた。
みなさんは、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)を知っていますか? ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)を元にして掲げられたものです。MDGsには8つの目標が掲げられています。それは改善されているのですが、地域など細かいところをみると達成されてはいません。そこでSDGsで改めて目標達成をしようとしています。この取り組みは2016年~2030年について行おうとしていることは知っていると思います。
今日よく聞く「食品ロス」「公正な貿易」「脱石油」など各企業の取り組みは、このSDGsによって実践をされているものです。
世界情勢を知り、企業の取り組みを理解し、自分が実践できることを考える。とても重要なことです。今日具体的な数字を示しましたが、改めて自分で調べ、「実践できること」や「自分が目標と出来ること」を感想と共に仏参ノートに書いて欲しい。
「宇宙船地球号」と地球の問題を考えるときに使われる古い言葉がある。地球で生活を営んでいるのは人間だけではない。多くの生物もやはり生きている。人間だけで考えるのであれば、先進国の人間だけが地球の「もの」を独占している。開発途上国の人間のことなど考えてもいない。今、ここで立ち止まり、改めて私たちが営む生活を検証していくことが大切であろう。かけ声だけで終わるのではなく、現状を知り、分析をし、我々の生活を改善する大切さを矢ノ根先生は示してくれた。放っておくのではなく、まずは現状把握から行おうではないか。