本日は、保津川下りで自然を感じ、京都の雰囲気満点の嵐山・嵯峨野の散策を通じてクラス・学年の仲間との交流を深め、団体行動の規律についても学ぶことができました。
本日は第4回目の高2仏参です。
今回は前回よりもブレザー着用ができてなく、また、4Fの遅刻者用の席にも数名の生徒がおり残念でした。
2年生は中だるみの時期ではありますが、だからこそ自分の生活に気を配るようにして欲しいと思います。
本日の御法話は2組担任の池本先生から頂きました。
池本先生はご自身の学生時代の体験から、2年生にあがった生徒の皆さんが先輩としてどう接するのが望ましいのかということを話されました。
まず大事なこととして次の2つを挙げられました。
①相手との信頼関係を作ること
②自分が変わっていって、相手と接すること。
池本先生は中学生や高校生の時、性格に少々勝ち気なところが有り自分が出来ることを他人が出来ないことに苛立ちを感じてしまうことがよくあったそうです。
中学2年生となってクラブの後輩ができたとき(おそらくテニス部かと思いますが)、クラブの後輩達のランニングのタイムがいつまでも縮まらないことや、練習をする際の姿勢(速やかに行動して準備をする、次の練習をするなど)がきちんとできていないことが非常に気にかかっておられたそうです。
後輩を待つ時間が増えれば増えるほど、自分たちの練習時間も同様に削られることに不満が募りました。
また毎日きちんと取り組んでいればそのくらいのことはできるようになる(自分ができていたから)との思いもあったため、あるとき後輩の1人に
「やる気無いのか?」
などといった言葉を(苛立たしげに)掛けてしまったそうです。
その相手はそれまでほとんど関わりがない後輩だったそうですが、そのことがあってからは卒業まで目も合わしてくれなくなってしまいました。
当時は深く考えはしなかったそうですが、成長していくとともに当時を振り返ったとき、信頼関係がまるでできていないのに、なぜ自分はそんな辛らつな言葉を浴びせてしまったのかと後悔の念が湧くようになったそうです。。
また、高校の時にも似た体験があったことを語られました。
高校の時は音楽関係のクラブに所属しておられたそうですが、そこでは後輩の面倒を上級生が見ることになっていたそうです。
中学の時を振り返り、相手に言い過ぎてしまわないようにと気を遣われていたそうです。
ですが、『あいさつ』や『言葉遣い』など、技術以前の心構えの部分がちゃんとしていない後輩もおり、なぜこんなことができないのかと次第に苛立ちを感じるようになられたそうです。
そうして上級生として注意を続けていると、後輩はどんどん反発し、自分の言っていることをまるで聞かなくなっていったそうです。
「なぜ人の話が聞けないのか」
「自分は正しいことを言っているはずだ」
こういった考えが巡り、結局その後輩達とも折り合いが悪くなったまま終わってしまいました。
「何を言ったとしてもどうせ聞きはしない」と、思考停止に陥ってしまっていたのです。
今になって思えば、“相手が悪い”と決めつず、“自分が変わって歩み寄ろうとする”ことさえできていたら、きっと別の結果があっただろうと後悔されているそうです。
中高生くらいの子供達は、「年上だから」「先輩だから」と、年齢のみによって相手に従おうとする意識はあまりないと思います。
自分たちが相手を育てようとしたとき、信頼関係の構築と、自分の方が先に変わっていく努力をすることが必要になります。
“自分の方から歩み寄る努力”が不可欠になります。
それはとても難しいことですが、悩んで、考えていくことは自分の成長にもつながるものです。
どうか、自分たちが後輩達を本当の意味で支えられるよう、「1年生頑張れ」と応援する気持ちを忘れないで欲しいものです。
本日は宗祖降誕会がありました。宗祖降誕会とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご生誕をお祝いする行事です。本日は浄土真宗本願寺派布教使の大竹章和先生にご法話を頂きました。
「誕生日」という言葉を聞くと、私たちはプラスのイメージを持ちます。しかし、「誕」という字には「嘘・偽り」や「騙す」という意味があります。つまり私たちは言葉がでたらめな世界に生まれるということを意味します。ただ、私たちは「嘘もあるけど本当のこともある」と考える一方、仏様は私たちの世界を嘘偽りの苦しみの世界とご覧になっています。そして仏様は私たちの良い所や悪い所、秘密など全てをそのままご存知です。私たちは自分に都合の悪いことは見たり聞いたり、知ったりしたくないものですが、それは自分のものさしで物事を見ている証拠です。
また、私たちは生きていることを当たり前と思っています。しかし、私たちがこの世に生まれるということは宝くじの1等に100万回連続で当たるのと同じぐらい稀なことだそうです。ですから、私たちは頂いている命に感謝しなければなりません。また、仏様は目を細くして私たちを見守っていてくださいますが、それは愛しいものを見ているからだそうです。このように私たちがどんな世界に生まれ、どのように自己中心的に考えていても私たちを温かく見守ってくださる仏様に感謝をして、その教えを私たちに説いてくださった親鸞聖人のご生誕をお祝いさせて頂きたいと思います。
本日は3回目の高2仏参日でした。
前回ブレザー着用でない生徒が目立ったため、今日はどうだろうかと見ておりましたが、まだ4,5人ブレザー着用でない生徒がいるようです。
改善はされていますが、1回目が全員ブレザー着用できていたことを考えるとまだまだです。
(念珠の方はどうなのかと少々気になります。)
本日の御法話は1組担任の島田先生から頂きました。
島田先生は昨年度にある漢字についてのお話をされています。
それは“兆し”という漢字についてです。
物事にはそれが良い物であれ悪い物であれ、起こる兆しというものがあります。
それを感じ取ったときに『手』を出してそれに“挑む”のか、はたまた『辶(しんにょう)』をつけてそれから“逃げる”のかでは、大きくその後のあり方が変わることになります。
この1年の間に生徒達が、物事に“挑んだ”のか、それとも“逃げた”のか、どんな高校生活だったのかと初めに問われました。
そして、今年示された漢字は“吐く”という漢字です。
島田先生は卓球部の顧問をしておられるので、この春卒業した3年生の2人の部員の話をされました。
彼らは小学校4年生の時から卓球を始めていましたが、中学生の時で京都でベスト32~16くらいの実力の選手でした。
彼らが入学してきてすぐの頃は、部員に対して卓球台の数が足りておらず、満足のいく練習が出来る環境には無かったそうです。
しかし、3年生の引退と共に練習時間を多く確保できるようになり、そこからメキメキと頭角を現すようになっていったそうです。
(もちろんそれまでの半年ないし1年間努力を続けてきたことによる結果ですが)
そうして、彼らはダブルスで夏・秋の京都大会、近畿大会で優勝を重ねるほどの実力を身に付けるようになりました。
京都には東山高校という40年以上も京都優勝を続けてきた学校があるため、このダブルスでの優勝はまさに快挙でした。
しかし、急激な伸びが彼らに驕りも抱かせるようになり、その後の全国大会の団体戦では1勝もあげることができませんでした。
敗退を機に、周囲からかけられている期待が自分たちが考えている以上に大きく膨らんでいることに気付いた2人は、それに応えられない自分たちに焦りと不安を感じるようになったそうです。
「どうしたらいいのか?何をしたらいいのかわからない。」
答を見つけられない彼らに島田先生は
「自分の生活を見つめ直し、毎日の中での積み重ねをしていくしかないだろう」とアドバイスを送られたそうです。
彼らはそうして考えました。
『練習をしたい。』『勝てるようになりたい。』
“でも”、卓球台が少ない。
“でも”、部員が多すぎる。
“でも”、東山という強敵が居る。
今までのこうした考え方を改め、
卓球台が少ないから“こそ”、
部員が多いから“こそ”、
東山が居るから“こそ”、
今練習できるこの時間を濃密なものにする。
一瞬一瞬の集中力を高める。
可能な範囲で学校外の卓球場を利用する。
彼らの環境が変わったわけではありません。
彼らのマイナスの意識が、プラスの意識へと移り変わっただけなのです。
しかし、そのたった1つの変化が、彼らを一層真摯に練習に取り組ませ、46年ぶりに団体でも東山に勝利し、インターハイベスト8の結果をもたらすことにつながりました。
マイナスをプラスに。“でも”を“こそ”に変えることが、大きな原動力になるのです。
人はともすればマイナスのことばかり“吐”きがちです。
しかし、それでは何も前には進めません。
ただ、ストレスをため込むだけでしょう。
“吐”ことからマイナス( _ )を取ってしまえばそこにはプラス(+)が残ります。
それさえできれば、想いを“叶”えることができる力を生み出します。
皆さんがポジティブに研鑽を積み、夢を目指すことを望みます。
本日は高校2年生2回目の仏参となります。
4Fには遅刻者はおりませんでしたが、前回と比べてブレザー着用をしていない生徒が目立ち少し残念でした。
身だしなみの乱れは心の乱れに繋がるものです。
次回は全員揃うように期待しております。
さて、本日の御法話は指導主事の草川先生から頂きました。
生徒達は2年生となり後輩ができました。
それに伴い、上級生から与えられる立場から、上級生として下級生へ与える立場へと移り変わっていきます。
そういった中核の時期であるからこそ、自分たちの高校生活を振り返り、受け継がれてきたものを次の世代へと“つなぐ”心の大切さについて語られました。
草川先生は“つなぐ”ことの事例として2つのことを挙げられました。
1つ目は兵庫県立尼崎小田高校についてです。
ここでは、お昼休憩にお茶のやかんを用務員室に取りに行くことになっています。
誰もが入退室時は挨拶を欠かさず、礼の心を持って丁寧にやかんを扱うそうです。
これは特別なことではなく、長年脈々と受け継がれてきたものを自分たちも引き継いでいこうとする心が自然と芽生えていくからです。
その結果このやかんは25年もの間、修理も交換もされずに使用されていますが、傷や凹みが全くないそうです。
2つ目は岡山県西粟倉村についてです。
ここは人口1500人程度の小さな村で、周辺地域に小中学校が1つずつしかないような場所です。
ここでは子供を支援するために、「どのような大人にしたいか」「どんな子育てをし、どんな取り組みをするか」を村一丸となって考えていました。
そこで、子供達が使用する椅子などの備品を大人達が檜を伐採し、自分たちで作成することにしました。
自分たちの使っている備品が、周りの大人達が創ってくれた物だと知っている子供達は何かできることはないかと考え、3月になるとそれらを磨き上げ、次の子供達へ回していくようになったそうです。
大人達や自然への感謝の気持ちを、次の世代へとつなぐという形で表したのです。
“つなぐ”という行為が感謝の気持ちを持ちながら生きる力を育んでいます。
次の世代へと“つなぐ”ことができたときこそ、今の活動に価値が生まれます。
3年生からつながれたものを、次の1年生へつなぐことを今こそ考えていきたいものです。
本日、花祭まつりのあと防災訓練が行われました。
全校生徒、おはし(押さない・走らない・しゃべらない)を守り
速やかに避難できました。
「東日本大震災から6年、阪神淡路大震災から22年、熊本地震から1年、今日この日、避難訓練の日を迎えられたことを感謝しつつ、家族と防災について話す時間を持ってください。」と校長先生よりお話がありました。
本日、花まつりが行われました。花まつりは4月8日のお釈迦さまのお誕生日を祝う仏教行事です。4月は入学式と重なるため、毎年5月に行います。
今年は、浄土真宗本願寺派布教使の源裕樹先生がご講話くださいました。お釈迦様が6を越え7歩歩かれた意味を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道からご紹介されました。そして、つらいとき、さみしいとき「南無阿弥陀仏」ととなえることで、時と場所に関係なくそばに阿弥陀がいらっしゃるとお話しくださいました。これからは、隣にいてくださる暖かさを感じながら感謝の気持ちをもってお念仏を唱えましょう。
本日、龍大プログレスコースの保護者対象進路ガイダンスが行われました。
まず初めに、学年部長の村上先生から「龍谷大学進学に向けてベストを尽くす1年にしましょう」というお話がありました。次に、高大連携推進室の吉本先生から、1年の流れを説明して頂きました。昨年は龍谷大学を知る1年間でしたが、2年生の今年は学部・学科について学ぶ1年になります。また、龍谷大学進学に必要な評定や人物像についてもお話し頂きました。最後に、校長補佐の平井先生からプログレスコースの到達目標や龍谷大学への進学状況をお話し頂きました。先般、生徒対象にも同じような内容のガイダンスを行いましたので、ご家庭で今後の進路を話し合って頂き、具体的な目標を持ってこの1年を過ごして欲しいと思います。
全体ガイダンス終了後は各クラスに分かれて懇談会がありました。クラス替えがあり、新しいクラスの様子を家庭で話している生徒もいるようで、「楽しい」と言っているのを聞くと安心しました。今年も色々とお気付きになる点もあるかと思いますが、お気軽に担任に相談して頂ければと思います。本年も一年、よろしくお願い致します。
本日は第1会議室にて,選特一貫コース保護者の方向けの進路ガイダンスが行われました。
まず校長補佐の平井先生より,昨年度入試結果の報告や今後の大学入試の動向に関してお話がありました。多様化する大学入試の形態とその実態について,保護者の方にも理解を深めて頂けたことと思います。
次に進路部長の牧野先生より,保護者と受験生の関係についてお話がありました。「勉強しなさい」と命令したくなりますが,私たちも言われた頃の気持ちを思いだし,やる気が出るような励ましをしたいものです。
最後に学年部長の村上先生からも,高校2年生となった子どもたちとの接し方についてお願いがありました。ついこの間まで中学生だったような気がしてしまいますが,心身共に大きく成長しています。大人になりゆく姿を見守りつつ,学校とご家庭とで一丸となり適切にサポートしていきましょう。