12月15日,深草キャンパスにて経済学部の入学前課題の1つ【基礎演習Ⅰの授業見学】が実施されました。2人~3人の15グループに分かれ,それぞれの教室で90分間の授業に参加をしてきました。
質問をされて意見を求められ戸惑うグループ,積極的にゲーム形式の授業に参加しているグループ,卒業生と同じグループになり課題の答えを一緒に考えているグループなどありました。
高校での学びの違いに戸惑いながらも,大学の学びとはどのようなものなのかを少しでも感じてもらえたのではないでしょうか。
12月11日(土),付属校推薦で入学する予定者の入学前課題のガイダンスが,
龍谷大学深草キャンパスと瀬田キャンパスにて実施されました。
各学部にわかれ,事前に配布されていた実施要項をもとに
大学の先生から説明をしていただきました。
真剣に聞き,メモを取る姿も見られました。
学部によっては,現在大学1年生(本校卒業生)が参加をしてくれて,
大学の様子,今から準備しておくべきことなど教えてもらえました。
最初は緊張した様子の3年生でしたが,
先輩方がその場を和ませてくれ
たくさん話をしてくれたので有意義な時間となりました。
来週から各学部で,学校での取り組み・大学での講義見学など
動きが活発になっていきます。
大学の学びに向けて大事な時間となるので,
しっかりと取り組んでいきましょう。
本日より冬期講習(ドラゴンゼミ)が始まりました。
受験生の多くが自分でしっかりと予定を組み、真剣に取り組んでいます。
自習室で朝早くから、完全下校時刻まで頑張っている姿も見られます。
自分を信じてひたすら「努力」あるのみ。「努力は嘘をつかない」
共通テストまで残り約1ヶ月余り、私大一般入試まで2ヶ月足らずです。
今が踏ん張りどころ。「しんどい時が上り坂」です!
本日ですべての考査が無事に終了しました。制服を着て試験を受ける
のはこれが最後になる人もいると思います。テストが多いと言われる
「龍谷大平安」で何とか皆最後まで頑張り抜きましたね。3年間本当
にお疲れさまでした。さて「有終の美」を飾ることは出耒ましたか。
3限目は「成道会」を執り行いました。釈尊が真実に目覚められたこと
を祝い、改めてその教えに触れる行事です。
浄土真宗本願寺派布教師の中村啓誠先生からご法話をいただきました。
お話の中で「自是他非(じぜたひ)」という言葉が何度か出てきました。
「自分が得をするためには、相手がどうなろうが構わない」
「自分は正しくて、相手は間違っている」
自分の都合、自分の価値観で世界を見て、それが受け入れられないと、
無理に押し通そうとする。そうすると、苦しみは消えるどころか深まる
ばかりになる。
80年前の12月8日の出来事についても考えさせられるお話でした。
「自是他非」この言葉をどうかこれからも胸に刻んでおいてください。
明日以降は入試をひかえている者は冬期講習で毎日、その他の生徒は入学
前課題の添削や特別授業で週に何日かの登校になります。決して「休暇」
ではありません。やるべきことをしっかりと進めていきましょう。すでに
進路が決まっている者も、勉強がまだまだ足らないと感じているはずです。
毎日登校し、学校で自主学習に取り組んでも構いません。(ただし「登校
ルール」は遵守してください)次のステップに進む大切な「準備期間」だ
ということを忘れないでください。
次回の高校3年生の学年全体の登校日は1月18日(火)の終業式です。
詳細については追って連絡いたします。
今日は久保田先生のお話をうかがった。
「やりたいことを見つけ、それを深く追究する」
スマホを多くの人が持っているはずです。なんでも調べることが出来、便利なものです。「できる」人は、そのスマホで、興味のあることなどをどんどん調べていくと言われています。「できない」人は、その調べる作業を途中で投げ出してしまうと言われています。デジタルはどんどん発展をしていくでしょう。でも私たちは、ずっと学んでいく必要性があります。
以前プログレスの担任をしていました。その時の担任を持った生徒のことを話してみたいと思います。外部に進学をした人は、自分がどうしても勉強したいことがあったので、その進路に向かって勉強をし、進学を決めていきました。卒業になり、平安を訪れ、「大学院に進学をして、自分のやりたいことをやる」と言ってくれました。ある生徒は、自分の思いを完成させ、自分の希望する企業に就職をしました。龍大へ進学をした人も、やはり自分のやりたい勉強を見つけ、やはり自分の力が発揮できる企業に就職をしていきました。自分から動いていかないとモノにはなりません。今まで先生方から導かれてきたことが「普通」になっていませんか? 大学進学を含め、自分のことは自分でやっていくことを身に着けてほしいものです。卒業後、何がやりたいのかをしっかりと見定めて、進学していってほしいものです。
さて諸君は、「やりたいこと」がみつかっているだろうか。「学習」から「学修」へ移行することを知ってほしい。大学は「自ら学ぶ」ところだ。専門の内容に興味がないのであれば、退学せざるを得ないことになる。単に「就職」だけを考えるのではなく、やりたい勉強を大いに学ぶ姿勢」を忘れないでほしい。
25日で平安での仏参は終了する。コロナで従来の仏参形式でできなかった。しかし先生方のご法話は、1つ1つ君たちに理解して欲しいことを伝えられている。人生の中で、何かあったとき、先生方の顔を思い出し、乗り越えていって欲しい。
最後に、今日の仏参の講師久保田先生は、25日が「平安での最後の仏参」であった。人間、ゴールは必ずある。今日のお話は、諸君のゴールまでの課題をお話になったにすぎない。だからこそ、真剣に考えて欲しい。
お世話になった久保田先生に大きな拍手を送りたいと思う。
久保田先生、長い間本当に有難うございました。
今日は森口先生のお話をうかがった。
「長所を知ることからできること」へ
入学時の佛参で、「あなたの長所はなんでしょう?」と尋ねたことがあります。「高校3年の間に、こたえられるよう考えておきましょう…」といいましたが、胸を張ってこたえられますか?
「自分のこころを耕すために…」と思い、今私は話をしているのですが。さてみなさんは、「ここで良かった」と思い、平安を卒業するのでしょうか…。担任団は、みなさんと関わりながら、「これで良かった」と思っているのですが…。
いったい自分はどのよう進路を決定したのでしょう。このことは入学時から問われていたはずです。龍プロの人は、どのように学部、学科を決めたのでしょうか。特進の人はどうして志望校を決めたのでしょうか。多くの人々が、来年4月から新たな次のステージへ進むのです。
私自身が教員になった理由は、「生徒と関わり、その人が成長する瞬間が楽しい」「サッカーがやりたい」ということからです。しかしその中で、どの教科を教えるのかで悩みました。「数学」なのか、「体育」なのか。そこで「何ができるのか」を考え、「数学」の教員になったのです。
「好きなこと」「やりたいこと」を抜き、今のあなたたちは「何ができる」のでしょう。好きなことであっても、やりたいことがあっても、チャンスは巡ってきません。私たちは「次に進んだらやる」と放置してしまいます。でもそれは「いつでも言える」ことばではないでしょうか。あとわずかで別れるクラスメイトと、どう接していくのでしょう。授業もあとわずかになりました。教科担任の先生とどう接するのでしょうか。「知識の伝授や思考」という面だけではなく、「人の接し方」で考えて欲しいのです。特別なことを言っているつもりはありません。もう君たちは、出来るはずです。
さて諸君は、「残された時間どうのように使うか」ということを、常々問われている。今日の森口先生のお話は、「自分」と「他人」という間で行われる、「コミュニケーション」から考える必要がある。お互いが「良い時間だったね」と言い合える関係のことだ。理屈ではない。平安で学んだ全てのことを振り返れば、自ずと行動できるのではないだろうか。今日の森口先生のお話をじっくりと味わい、考えて欲しい。
本日1・2限,講堂にて人権学習を実施しました。
本年度は犯罪被害者支援コーディネーターの岩城順子さんをお招きし,「いのちを考える教室」という講演をしていただきました。
岩城さんは,大切なご長男を理不尽な犯罪のせいで失いました。息子さんには何の落ち度もなく,ただある日突然一方的な暴力を受け,そのために脳に重い障害が残りました。
岩城さんとご家族は息子さんの回復を信じて必死に看病しましたが,病状は悪化の一途を辿り22歳で亡くなってしまいました。また,この事件のずさんな裁判,役所の心ない対応,周囲の人々の興味本位の好奇心が,岩城さんをさらに苦しめました。
「人間関係によってできた傷は,人間関係でしか治らない」と岩城さんは仰いました。福祉について学ぶためもう一度大学へ入った岩城さんを,大学の仲間たちが支えてくれたといいます。
「皆さんが被害者にも加害者にもならないように」と,辛い経験を話してくれた岩城さんに対し,高3生も真剣に耳を傾けていました。岩城さんの願いは,きっと皆さんに伝わっていたことと思います。そして本当につらい思いをしている人に,どのように寄り添えばいいのか,その答えの一つを感じ取ってくれたのではないでしょうか。
これから先,高校で学んだ知識は少しずつ忘れてしまうかもしれません。しかし,平安高校は皆さんに繰り返し”三つの大切”について伝えてきました。これだけは決して忘れずに,心に刻んでほしいと思います。
いつでも他者を大切にし,そしてかけがえのない自分を大切にしてください。
今日は南先生のお話をうかがった。
「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ(インドネシア独立に栄光あれ)について」
私は日本という国が好きです。好きになった理由は、偉人の話を聴いたからです。その偉人のことを今日はお話してみたいと思います。
もしあなたが、銃で撃たれ重傷を負ったとしましよう。助けは来ず、結局死ななければならなくなったのであれば、その瞬間あなたは何を思うのでしょう。私であれば、撃った相手のことを考え、なぜこんなことに巻き込まれたのかを悔やみながら死ぬのだろうかと思います。実は今日お話しをする阿部頌二(あべしょうじ)さんは、インドネシアの刑務所で亡くなった人なのです。そして、死ぬまでの短時間に、壁に自分の血液で「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ」と書いたのでした。
阿部さんが亡くなった当時のことをお話ししましょう。当時インドネシアはオランダ領でした。太平洋戦争の拡大で、旧日本陸軍はインドネシアに進駐し、オランダで戦ったのでした。当時のインドネシアの人は、オランダの圧政に敵対心を持っていたといいます。古いインドネシアの統治者の「西から白い人が訪れ土地を統治する。それを北から来た黄色い人が解放する」という言い伝えを信じ、日本軍の進駐を喜び、積極的に協力をしたと言われています。民間人としてインドネシアンに渡った阿部さんは、事業を展開するだけでなく、病院や学校を建て、そして回教寺院まで建てたのでした。
しかし終戦を迎え、インドネシアの内政は非常に不安定になり、暴動が頻発してしまい、阿部さんは収監されることになります。暴動に興奮した民衆が阿部さんの収監されているところを襲い、機関銃を乱射したのです。その弾に阿部さんは当たり、死んでしまいます。被弾し死ぬまでの間に、自分の血液で壁に「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ」と書いたのです。インドネシアのために尽くした阿部さんは、どのような気持ちで死と向かい合ったのでしょうか…。
この血書のことが、当時のスカルノ大統領に伝えられたといいます。その話を聴いた大統領は非常に感激し、「日本人は同胞」ということを民衆に訴え、抑留されていた日本人が解放されたのだといいます。
いのちを張って、他の国の民族独立のために生きた一人の日本人の功績が、多くの同胞を救ったことは素晴らしいことだと思います。間違って欲しくないのは、戦争を肯定しているのではありません。このように、社会を下支えする人がいることを知って欲しいのです。みなさんは3月には平安を卒業し、各々の進路に向かいます。社会で生きていくということは、社会の下支えになることです。今、私たちが下支えをしていますが、それをみなさんに託すことになります。そしてみなさんは次の世代へ、それを託すことになります。託すために私たちは精一杯下支えしますので、みなさんもしっかりと下支え出来る人になって下さい。
さて諸君は、「社会を下支えする」ということが理解出来るだろうか。好き勝手に過ごすことではない。周囲に気を遣い、優しい言葉や行動を行っていける人になって欲しいと思う。どうしても若い人は自分よがりになる。ネットの世界では心ない言葉が飛び交っている。今日の南先生のお話をじっくりと味わい、考えて欲しい。