高3プログレスコースの皆さんは平常授業が終了し、龍大進学予定者は学部学科別課題に取り組みながら、進学する学部の催しに参加しています。
16日(金)には、法学部進学予定者が「政治学特講E」の講義を見学、参加させて頂きました。
現代社会や現代を学ぶ、その他の取り組みで勉強した18歳選挙権について。大学入学前に実際の講義に参加して、今の自分の位置を確認できたようです。積極的にまなび、その距離を縮めていきましょう。
高3プログレスコースの皆さんは平常授業が終了し、龍大進学予定者は学部学科別課題に取り組みながら、進学する学部の催しに参加しています。
16日(金)には、法学部進学予定者が「政治学特講E」の講義を見学、参加させて頂きました。
現代社会や現代を学ぶ、その他の取り組みで勉強した18歳選挙権について。大学入学前に実際の講義に参加して、今の自分の位置を確認できたようです。積極的にまなび、その距離を縮めていきましょう。
今日は3限目に高3の成道会があり、最後の大きな行事がありました。講師は宗教科の石川先生で、「究極の賢さと究極の優しさ」についてお話されました。
まず最初に、長い棒を取り出して「持っている棒を触ることなく短くするにはどうしたらいいか」と、生徒たちに投げかけました。生徒たちはこぞって返答する中、一人の生徒が「横に長い棒を持ってくる」と発言。そのとおり長い棒を持ってくることで、最初の棒は相対的に短くなりました。私たちは、こうした比較や区別などして物事を見ています。
石川先生は
「比較の後に価値とか意味を受けとろうとすることが問題だと、仏教は説いている。それでは、私たちは幸せを得られない。なぜなら、比較や区別で得られる意味というのは、すぐに失われる。」
「いくら勉強できても賢いとは言わない。仏さまの智慧からすれば、優劣の比較や損得を越えて心安らかになるのが平安である。平らで安らいでいる、それが悟りの境地である。その境地を得る智慧が、究極の賢さです。」
と、究極の賢さについて述べられました。
続いて「死」を通して究極の優しさのお話をされました。
「あなたの死の恐怖を取り除いてあげるよ」というのが究極の優しさです。痛がっている子供を見て、母親も子供と同じ立場になって痛がる。仏さまも同じように他者の痛みを自分の痛みのように受け取って、心をやすらかにしてくれる。その優しさというのは、仏さまからの一方的に見てくれているような優しさであり、不安感や迷いを拭い去ってくれるのが、仏さまの究極の優しさです。」
今まで宗教行事や宗教の授業に触れてきた生徒たちとって、今日の「究極の賢さと究極の優しさ」という内容はよく理解できたと思います。しっかりと心に刻んでほしいものです。
今日の今年度最後の仏参で、お話は9組副担任の郁芳先生でした。
郁芳先生は高校からバレーボールを始められ、今はバレーボール部の顧問をされています。
バレーボールという競技は「つなぎ(つながり)」というものがとても重要な競技で、次にボールを扱う人のことを考えてプレイし、プレイをする仲間同士の心と心がつながることで、試合がうまく展開していくそうです。
そして、その「つなぎ(つながり)」のお話から、生徒たちに三つの大切を伝えられました。
①ことばのつなぎ(つながり)
「人に話をするときや文章を書くとき、正しい言葉や丁寧な言葉を使っていても、そのつながりが曖昧で伝わらないことがある。人に物事を伝えるときは、言葉のつながりを意識してほしい。」
②じかんのつなぎ(つながり)
「過去に行ってきたことが、現在の自分たちの姿になっている。ここに時間のつがなりがある。この先の未来も、現在がつながって作れられていくものあり、今まで過ごしてきた過去や、いま過ごしている現在を大切にしてほしい。」
③いのちのつなぎ(つながり)
「御飯を食べる前に“いただきます”という言葉を言うと思いますが、この言葉には“いのちをいただく”という意味がある。食事をいただくということは、まさにいのちのつながりであり、(先祖から)いのちのバトンをつないできてもらったからこそ、いまの我々がいる。そのことを忘れないでほしい。」
最後の仏参でしたが、生徒たちに三つの大切をあらためて考えてもらえる時間でした。それぞれ一つ一つのつながりを大事にしてほしいものです。
今朝の仏参は、高3学年部長の西村先生のお話でした。
西村先生は『アンパンマンのマーチ』の以下の歌詞を紹介されました。
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
この歌の歌詞は、アンパンマンの原作者である故・やなせたかしさん。弟さんと戦争へ出征され、弟さんが特攻隊に志願され、やがて帰らぬ人となったそうです。そのことで、やなせさんは、「なぜ生き残ったのか、なんのために生きるのか」を問うきっかけとなり、アンパンマンを描くきっかけになったようです。
西村先生は、
「お腹がすいた子が出てきたら、アンパンマンは自分の頭をあげて食べさせる。アンパンマンは弱ってへとへとになって飛び去っていく。自分を犠牲にして、誰かを救おうとするそんなヒーロー像として描かれている。それがやなせさんの問いに対する答えであろう。」
「仏教では、他人のために尽くすことを「利他」という。自分を犠牲にして、他人のために行動する。利他ということをアンパンマンのストーリーに描かれているのだろう。」
「君たちが授かったその命というのは、どのようにして生かして生きていけばいいのか。何をして生きるのかということは、まもなく卒業を迎えるあなたたちが常々問い直していかなければならないだろう。答えは自分のなかで見つけていただきたい。」
と、生徒たちに話されました。
最後に、西村先生は『アンパンマンのマーチ』の最初と最後に挙げられる以下の部分を紹介。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
「生きるきる喜びというのは、常々胸に痛みが伴うものです。それでもへこたれず、自分のいのちを生かして生きていってもらいたい。」
今日は『アンパンマンのマーチ』の歌詞を通して、生徒たちもそれぞれ考えさせられる内容でした。
本日は祝日でしたが、アスリート・プログレスコースの政策学部進学予定者は、政策学部のキャリアプログラムに参加しました。
龍大卒業生が講演、パネルディスカッションをされ、そのお話を聴きました。先輩のアドバイスを聞き漏らすまいと、参加者は熱心に聴き入りメモを取っていました。
大学を卒業したばかりの若い先輩方のお話は、手の届かない特別な人の話ではなく、「自分も努力すればなれるかもしれない」方の話として、とても励まされたのではないでしょうか。それぞれの道ではありますが、社会に出てきらきらと輝いていてほしいな、と願います。 今日の話を心に留めておきましょう。
今朝の仏参は、12組担任の小須賀先生のお話でした。
小須賀先生は、コミュニケーション能力が求められる社会のなかで、
「話したり書いたりする方向に意識がいきがちだが、まずその前提として大切なのは聞くことではないか。しっかりと人の話を聞くことから、コミュニケーションが始まります。」
「ことば」を大切にする前提として、人の話をしっかり聞くことが大事だと述べられました。そして、「きく」という三つの漢字を紹介され、それぞれどういうときに使うかを順に説明されました。
①「聞」 ・・・音や言葉が聞こえてくる状態のとき。
②「聴」 ・・・注意して人の話を聞くとき。
③「訊」 ・・・尋ねて自分の理解を深めるとき。
社会に出る前に、③のような訊き方ができるようにすることが大切であり、まず相手の言うことをしっかり聴き、理解した上で自分の思っていることを発信する。小須賀先生は「これができるように、残りの3ヶ月を過ごしてほしい」と、生徒たちに伝えてられました。
本日の6限目、3年生はクラスの取り組みを行っています。そこで、先日行われた本校の創立140周年記念事業、教育講演会を振り返ろうと思います。
さる11月12日(土)に、本校の創立140周年の記念事業が執り行われました。その一環の教育講演会で、全校生徒が本校卒業生の太田雄貴氏のお話を聴きました。太田先輩は自身作のパワーポイントを示しながら「ありがとう、感謝 あの頃の僕へ」と題して、フェンシングを始めたきっかけに始まり、特別な存在ではなかった自分がどのように世界を意識するようになったのか、どんなことをやっていったのかなどなどを話されました。時には笑いを織り交ぜながら、とてもわかりやすく、後輩たちに語りかけられました。生徒たちも太田先輩の姿をじっとみつめながら、最後まで聞き入っていました。
講演の最後には、積極的に挙手した3年生を中心とする後輩たちの質問、要望に真剣に応え、励まされました。
今日の講演を聴いて、「やるぞ!」と一歩を踏み出す人もいるのではないでしょうか。
たくさんのエールを、ぜひ心にとどめておいてください。