学校長式辞
春のお彼岸を目の前にし、少し開花の遅れていた校庭の紅梅も見事に花を咲かせ、春の訪れを感じる今日の佳き日、龍谷大学付属平安中学校の第67回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部部長、龍谷大学副学長、法人理事・評議員の先生方をはじめ、学園同窓会、親和会・平安会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜りましたことに衷心より御礼を申し上げます。
また、保護者のみなさま、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。
卒業生34名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
それでは、私からみなさんに贈る言葉として、昨日の終業式にお話しました「雑談の大切さ」のおさらいを少ししておきましょう。
私たちの毎日は、雑談をしながら生きているといっても過言ではありません。言い換えれば、私たちは、ほぼ、100%、雑談によって人とコミュニケーションをとっています。つまり、雑談というのは、人間関係やコミュニケーションにおける〝潤滑油〟の役割を持っています。
人間関係そのものを〝家〟にたとえると、要件を伝える、意味のある話ができる力、つまり、日本語が、きちんと話せる力が、基礎工事、土台になります。その上に、一個人として必要な、人間性という骨組みがあり、さらに、さまざまな経験を積んで身につけるマナー・人との付き合い方・コミュニケーション能力などで〝家〟が形作られていきます。このマナーや人との付き合い方やコミュニケーション能力というのが、雑談です。これは、私たちの日常に欠かせないものです。なぜなら、それが人間関係を築く礎(いしずえ)となる人間力だからです。この人間力を、学校という集団生活の場で身に付けるのです。
龍谷大学付属平安中学校で過ごした3年間は、この人間力の土台になる感性、つまり、「こころの知性」を磨いてくれる期間だったのです。
さて、先週の月曜日から卒業生34人全員と数分間の面談をいたしました。平安中学の3年間を振り返り、今の気持ちは?という質問をさせてもらいました。「いろいろあったけど……」の前置きはあったものの、全員が口を揃えて、「終わってみれば……」「楽しかった」「充実していた」「成長できた」「良き仲間に巡り会えた」「特に担任の先生が私たちと真剣に向き合ってくれた」と言ってくれました。
私は、本当に心から嬉しく思いました。3日間のみなさんとのお話は、束の間でしたが本当に楽しかったです。みなさん一人一人の顔に、満足感や充実感が漲(みなぎ)っていました。
少し思い起こしてください。みなさんが入学して間もない頃、私がみなさんにお話ししたことを覚えてくれていますか。仏説阿弥陀経というお経の中の「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光」という一節を紹介して、青い色には青い光、黄色い色には黄色い光、赤い色には赤い光、白い色には白い光があるように、どうぞ君たち色の花を咲かせ、光り輝いてくださいと、お話ししたと思います。
私たちは、とかく人と比較して優劣を付けてしまいます。そして、ついつい自分の都合で人を判断し、人を傷つけ、時には思い上がったり、落ち込んだりします。
大切なことは、ちょうど、私たちが子どもの頃に口ずさんだ童謡『チューリップのうた』の「赤、白、黄色 どの花見ても きれいだな♪」ということでしょう。つまり、みんな違ってみんな良いということです。
人は顔かたちがそれぞれ違うように性格も能力もさまざまです。若い人、年老いた人、速い人、遅い人……しかし、その違いによっていのちの優劣はありません。みんな、尊いいのちを生きているのです。阿弥陀さまは、できる、できないの私たちの価値観を超えて、すべてのいのちに喚びかけてくださっています。
こう考えると、それぞれ違った環境で生まれ、違った環境で育ち、性格も考え方も違う34人が、体育祭や音楽祭やEnglish Day、そして、一昨日の武道・ダンス発表会で見せてくれた見事な団結力や絆というのは、「こころの知性」「こころの幹(き)」が、みなさんの中に育っていることの証しであると思います。こころを開いてものを見ることができるように、仏教的なものの見方ができるように、よく成長してくれました。ありがとう。
最後に、このあと、平安高等学校に進まれる人、他校へ進学される人がいますが、どうぞ、龍谷大学付属平安中学校で身につけた、素直な心と謙虚な心を持って高等学校でも頑張ってください。
感性豊かなみなさんに涵養した龍谷大平安の宗教的情操が、こうしてみなさん一人一人にしっかりと染み込んだことをたいへん嬉しく思いますとともに、この心を持ち続けていただくことをお願いしまして、私の式辞といたします。