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御礼 龍谷大学付属平安中学校オープンキャンパス 2014年07月06日(日)16時30分

平成26年7月6日(日)中学校のオープンキャンパスを開催いたしましたところ、午後1時半からの全体説明会に約230組総勢600名の皆さまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

学校長挨拶

 みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
 さて、1876年(明治9)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本学園も、この5月21日で満138歳の誕生日を迎えました。そして、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは少し難しすぎるかもしれませんね。宗教的、特に仏教的なものの見方や考え方が自然に染み込むように身についていくことを言います。
 それでは龍谷大平安で学ぶ仏教的なものの見方について、少しだけお話しさせていただきます。
 昨年度の生徒手帳には、阿弥陀さまの光は常に私たちを照らし護(まも)ってくださっているということを示す『遍照(へんじよう)』という言葉を記させていただきました。今年度(2014)の生徒手帳に記しましたのは、『智慧(ちえ)』という言葉であります。
 では、私たちが一般的に用いる人間の「知恵」とこの仏の「智慧」について考えてみましょう。
 人間の『知恵』とは、生きていく上での学問や知識のことで、本で読んだこと、人から聞いたこと、役に立つ知識のこととなります。そして、仏の『智慧』とは、仏さまの心のことです。
 例えば、私がここで居眠りをしていたらみなさんどう思いますか。授業中に居眠りをしている人がいたらどう思いますか。
 人間の『知恵』の世界だと、「先生のくせに居眠りなんてとんでもない」「不謹慎だ」となるでしょう。ところが、仏の『智慧』、つまり、仏さまの心の眼でみると、「ああ疲れているんだろうか。」「家庭で何か大変なことでもあったのかなあ。」「何か助けてあげられることはないかなあ。」などというふうな見方もできます。
 今の世の中は、人間の『知恵』の世界ばかりが横行して物質や知識は豊かになってはいますが、心がそれに併せて育っていないということです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、目覚めさせてくださるのです。
 西本願寺のお膝元である龍谷大平安でこのようにして過ごす六年間は、子どもたちに仏教的なものの見方や考え方が自然と身についているのです。それが何を隠そう「宗教的情操の涵養」ということです。それが平安で学ぶ意義なのです。
 今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て、存分に楽しんでください。
 本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。