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御礼 第3回 学校説明会【高校】 2014年11月16日(日)16時30分

本日2014年11月16日(日)第3回生徒保護者対象学校説明会【高校】を開催いたしましたところ、約500組1200名の受験生・保護者にご来校いただきまして誠にありがとうございました。万全を期して臨みましたが、個別相談に関しまして多くの方々に待ち時間が出ましたこと陳謝申し上げます。第4回生徒・保護者対象学校説明会が12月7日(日)中学;午前10時~、高校;午後1時~開催いたします。これをもちまして最終回となりますので、ぜひお越しくださいますようお願い申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2015年度入試の学校説明会」に休日にもかかわりませず、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、ちょうど約1年前の2013年9月7日、2020年のオリンピックが東京で開催されることに決まりました。その際、本校出身の太田雄貴君も招致アンバサダー・オリンピアンとして、立派なプレゼンを披露してくれました。その時、一時、流行語となったのが、招致"Cool Tokyo"アンバサダーの滝川クリステルさんのプレゼンで冒頭に述べられた『おもてなし』という言葉です。滝川クリステルさんのプレゼンはこのように始まりました。
「東京は皆さまをユニークにお迎えいたします。日本語ではそれを『おもてなし』という言葉で表現いたします。それは、見返りを求めないホスピタリティの精神。それは先祖代々受け継がれながら、現代の日本の文化にも深く根付いています。『おもてなし』という言葉は、いかに日本人が互いに助けあい、お迎えするお客様のことを大切にするかを示しています。」という内容でありました。
 人間には、他人の気持ちを感じ取るという素晴らしい能力が備わっています。微妙な表情や仕草や、声のトーンなどから、相手の気持ちを読み取ることで、人と人とのコミュニケーションは成り立っています。
 実は人間は「脳」によつて他者の感情を読み取って共感しています。顔を見ることで、その人の心理状態から性格まで、私たちは実にたくさんのことを読み取っています。普段あまり意識することはありませんが、私たちの脳は、周囲の人の微妙な表情や仕草の意味を読み取っています。まるで気温を肌で感じるかのように、意識することなく自然にそうしています。
 そして、無意識のうちに他者から読み取った感情は自分にも移っていますから、イライラした気分なんかは、言葉にしなくても、声や態度に出てしまいます。そうすると、嫌味を言い合うまでもなく、お互いに嫌な気分になっていたりします。逆に、楽しい気分も伝わりますから、自分の身の回りの人を楽しませてあげれば、それが自分に返ってきます。だから、楽しい人の周りには、自然と人が集まってきますし、逆に、孤独で不平不満ばかりを言っている人は、周りから嫌がられ、ますます孤独に陥ってしまうことになります。
 人にもてなされて幸せだと感じることができるのは、そのような行為が、自発的な他者を思いやる心から起こるからでしょう。そこに心温まる人との交流が生まれるのです。この思いやりの心こそが『おもてなし』であります。
 この『おもてなし』について、少し触れておきましょう。
 例えばレストランでウェイターがおしぼりを持ってくることであったり、旅館で布団の準備がされていることなどは「サービス」と呼ばれます。しかし、おしぼりを渡すときに「お仕事お疲れ様です」という言葉を掛けたり、敷かれた布団の横に「ゆっくりとお休みなさいませ」と一言書いたメモを添えたりすることは『おもてなし』と呼ばれます。
 つまり、お客様にとって、想定内のことはサービスでしかなく、お客様の期待をいい意味で裏切るような気遣いこそが『おもてなし』とされるのです。つまり、「想定外の気遣い」ですね。おもてなしは、相手のことを慮(おもんぱか)る気持ちから生まれるものです。
 そして、滝川クリステルさんのプレゼンにもありましたように「見返りを求めないホスピタリティの精神」つまり、見返りを求めない思いやりの心です。
 外国では、レストランなどで接客を受けるとチップを支払います。あのチップは、接客してくれた店員のサービス料として任意ではありますが、支払っているわけです。一方、日本ではどうでしょう。高級レストランやホテルからコンビニに至るまで、程度の差はあるにせよ、店員は無償で同じお客様として丁寧な扱いをしてくれます。見返りを求めず、相手を敬い丁寧に扱うことが出来るのは、日本人の良いところであり、これこそが『おもてなし』と言えます。見返りを求めず相手を敬い丁寧に接する『おもてなし』は日常生活においても同様です。
 この『おもてなし』の精神こそ、龍谷大平安で生徒たちに常々言っている「EQ]です。いつまでも親や先生を頼らず、自分自身でしっかりと磨きなさいと言っている『こころの知性』のことです。
 心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって、目に見えない根っこの部分を磨くことが「平安の心の教育」だと考えています。
 これを龍谷大平安では「宗育」と申しておりますが、この「宗育」があってこそ、根っこから吸収されるすべての栄養源「EQ]こころの知性を人間力として枝に運ぶことが出来るのです。
 さて、龍谷大平安は、面倒見のいい学校だということをあちらこちらから言われ、たいへん嬉しく思っております。しかし、私はもう一歩先に行きたいと考えています。と言いますのは、面倒見がいいと言っても、乳幼児には乳幼児の、小学生には小学生の年齢に応じたケアがあると思います。従って、中学生や高校生にとっては面倒見の良さは「分かるまで教える」ことではないと思います。
 特に、義務教育を終えた高校生には「わかろうとする心をつくる、そのお手伝いをする」ことが面倒見がいいということだと考えます。本当の意味で真の自立をさせるために、龍谷大平安は、面倒見の良さは変わりませんが、「上質の面倒見の良さ」を提供することをお約束いたします。
 ぜひとも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。