学校長式辞
桜花爛漫の校庭に陽光があふれる今日の佳き日、龍谷大学付属平安高等学校(中学校)の平成27(2015)年度入学式を挙行いたしましたところ、多数のご来賓のご臨席を賜り、衷心より御礼を申し上げます。
新入生のみなさん、龍谷大学付属平安高等学校(中学校)へのご入学、おめでとうございます。新入生の保護者のみなさま、ご子女の晴のご入学を心よりお祝い申し上げます。誠におめでとうございます。
さて、今から4年と1ヶ月前の3月11日、東日本大震災が起きました。また今年は、1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きてからちょうど20年となります。時間とともに記憶から薄れてしまいそうになりますが、私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。そして、今こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝いたしたいと思います。
それでは、私の式辞は、龍谷大平安の三つの大切「ことば・じかん・いのち」の「ことば」について少しお話をします。
みなさんは、毎日どんな言葉を使っていますか?
PHPという雑誌に掲載されていました、真島みほさんという方の文章を紹介いたします。
二十年あまりの結婚生活を終えた彼女は、半分以上の聴力を失っていました。左耳はまだ聞き取れていましたが、右耳は既に音を失っていました。聴力を失った原因は定かではありませんが、当時の彼女は身体のあらゆるところに痛みを感じ、眠れず、食べられず、心も極限まで衰弱していました。生きる希望を失い、音まで失いつつありました。
平成二十二年の春、彼女は、身体障害者手帳六級の交付を受けました。医師の診断は「感音性難聴でこれからも聴力は低下していき、完全に聞こえなくなることもあります」とのことでした。新しい人生を始めたばかりなのに、その言葉によってまた彼女は奈落の底に突き落とされました。けれども、転機はある日突然訪れました。今までは難聴であるということを認めず、聞こえているふりをしていた彼女ですが、仕事の上で支障をきたすことが多くなり、ついに補聴器をつけることになりました。するとどうでしょう。
初めて補聴器をつけて帰った日のことです。両手を合わせて擦ると、音が聞こえてきました。彼女はたくさんの音を忘れていたのです。風の音、鳥の声、本のページをめくる音などなど。その日は、生まれたての赤ん坊のように、ワクワクし通しだったと言います。そして、大切なことに気付いたのです。彼女の耳が、一番聞いていた音は自分の声だったのです。その時に初めて、彼女は自分が不幸だった原因が解ったような気がしました。彼女は、常に悲観的で、いつも心配事を探し不平不満や愚痴、泣き言を口にしていました。きっと、知らず知らずのうちに人を不愉快にさせていたのでしょう。そして、彼女を大切に思ってくださる人たちにも随分心配をかけてしまったと後悔しました。
補聴器を通して、はっきりと聞こえてくる自分の声を聞いて、初めて自分の愚かさを知りました。彼女の耳も、今までは、その醜い暗い言葉を聞きたくなかったから聞くのをやめたのでしょう。自分がマイナスの言葉を口にすることで、不幸を招き、心を病み、身体も病んでいったのだと、彼女はそう感じました。
それからです。マイナスの言葉は口に出さず、前向きな言葉、褒める言葉、感謝の言葉を常に使うように心がけました。そうすると、不思議なのですが、嬉しいことがたくさん起きるようになったのです。向上心を持った尊敬できる人たちと出逢い、新しい友人も増えました。彼女は今、昔がウソのように、毎日笑顔で明るく楽しく暮らしています。日々、感謝の気持ちでいっぱいですと言われています。
(「大人になる君たちへ伝えたいこと 心が喜ぶ明るい言葉を 真島みほ」より)
これから大人の階段を一段一段登っていくみなさんへ。どうか、心が喜ぶ素敵な言葉を使ってください。優しい思いやり溢れる言葉を、口にしてください。言葉には、自分を幸せに導く素晴らしい力があります。それが音を失いつつある彼女からのメッセージであるとともに「ことばを大切に」と申しております龍谷大平安の願いでもあります。
最後に、金子みすゞさんの「転校生」という詩を紹介いたします。
よそから来た子は/かわいい子、/どうすりゃ、おつれに/なれよかな。
おひるやすみに/みていたら、/その子は桜に/もたれてた。
よそから来た子は/よそ言葉、/どんな言葉で/はなそかな。
かえりの路で/ふと見たら、/その子はお連れが/出来ていた。
新入生のみなさんは、あちらこちらから、縁あってこの龍谷大平安に入学なさいました。どうして友達になろうか、それぞれの育った環境も言葉も違うから、どんな言葉で話せばいいだろうか、という不安もあるかも知れませんが、この詩にあるように心配はいりません。ふと見たら、お連れが出来ています。
先にも申しましたが、どうか、心が喜ぶ素敵な言葉を使って、優しい思いやり溢れる言葉を口にしてください。このことを心がけていただければ、素晴らしい友、仲間が自然と出来ます。
みなさんがご入学なさった龍谷大平安は、明治9年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として創立しました。本年5月21日で満139歳となります。その長い歴史の中で、変わらないものが、建学の精神にもとづいた、「こころの教育」です。仏教的なものの見方ができる、人づくりであります。
本校では、一般的に『徳育』と呼ばれる心の教育を『宗育』と呼びます。それは、本校の宗教的情操教育が、仏教精神をもとにした宗教的な視点と、素直に人の話を聞く姿勢を大切にするからです。
ご本尊であります、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)は、常に私たちを照らしてくださっています。そんな中で、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させましょう。すると「素直な心」と「謙虚な心」が根づきます。そんな、心のありようを意識して日々の生活を送ってください。
私たち教職員は、みなさんを時には叱り、時には励ましの声を、常にかけ続け、特に、担任は、みなさん一人一人と膝と膝をつき合わせて、しっかりと関わっていきます。みなさんは、しっかりと「こころの知性」を磨き、人間力を高めるべく心豊かな中学校生活を送られることをお願いしまして、私の式辞といたします。