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平成27(2015)年度 前期始業式 2015年04月09日(木)15時17分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて、高校生は春休み中、ドラゴンゼミ春期講習や「るり渓少年自然の家」での勉強合宿が行われました。また、選抜大会・全国大会に出場したフェンシング・卓球・硬式野球部・チアダンス・個人で柔道は全国の強豪との対戦、たいへんお疲れ様でした。この大会では、チアダンス部が中学高校共に準優勝という結果をおさめてくれました。よく頑張りました。あとのクラブは残念ながら奮わず、インターハイならびに夏の選手権まで優勝はお預けとなりました。中学生もこの春休み中、勉強やクラブ活動で学校にずっと登校していた人など、様々だと思います。いずれにしましても慌ただしい束の間の春休みだったと思います。
 さて、本日より平成27年(2015)年度がスタートいたします。今春、高校は498名・中学は149名の新入生を迎えて、高校生が1425名・中学生が371名となりました。学校行事など全てにおいて今まで以上に活気溢れる龍谷大平安になることを心より願っています。
 それでは今日は「かしこいと勘違い」と題して「本願寺新報 みんなの法話」に掲載されていました内容を交えながら少しお話をいたします。
 みなさんの生徒手帳に「生徒心得」の礼節として、7つ掲げています。その六つ目に「長上に対しては、常に敬意の念をもって接し、礼を欠くことのないよう心掛け、特に校内校外を問わず、教職員に対する礼を忘れてはならない。」とあります。また、七つ目に「学校への来客に対しては会釈をし、敬意をもってこれを迎え、不快の念を与えないように注意すること。」と記しております。
 龍谷大平安の生徒は、オープンキャンパスや学校説明会はもとより、常日頃から、本当に気持ちよく笑顔で挨拶をしてくれると、多くの来校者から言われ、たいへん嬉しく思います。そのことは、みなさんを褒めたいとも思いますし、挨拶の励行を申しております平安の誇りでもあります。
 これは良いことなのですが、さて、みなさん。親や先生、目上の人に対して、今までに反抗的な態度をとったことはありませんか。親や先生の言われることを、素直に聞かず、反論ばかりしてはいませんか。もう中学生ともなれば、立派に大人の仲間入りをしたと思っていませんか。大人も子どもも一人前の人間として対等であると考えていませんか。確かに「いのち」という観点から見れば、優劣などあるはずがありませんので、大人も子どもも関係なく、人はみな対等と言いますか、等しく平等であります。
 ただ、本当に賢い人は、未成熟な子どもに対しても理解できるよう、会話の程度を下げて話をされます。ところが未熟な者ほど、自分の愚かさを知りません。賢い人と対等に話ができると思ってしまいます。自分も賢くなったと勘違いしてしまうのです。対等になったという思い上がりの心は、賢い人の話を素直に聞くことができません。また、相手を見くだす心にもつながります。
 阿弥陀如来と私の関係も似ていますね。如来さまは、私のことをよくご存知でいらっしゃいます。しかし、私は如来さまのおさとりの世界を量(はか)り知ることができません。そんな私のすべてを見抜き、すべてをお見通しの上で、私にあわせてご用意してくださったおみ法(のり)が「南無阿弥陀仏」なのです。その中身は「わが誓いを信じ念仏せよ。必ず清らかなさとりの世界に生まれさせる」ということなのです。
 しかし私は、如来さまの智慧によって仕上がったおみ法を、自分の思い量らいを持って理解しようとしています。つまり、自分勝手な思いで理解しようとするのですから、わかるはずがありません。さらには対等になった錯覚から、如来さまの仰せを謗(そし)ることにもなります。
 親鸞聖人の師匠である法然上人は「愚者になりて往生す」と言われました。愚か者と思えということではありません。如来さまの側で、この私を愚者と見抜かれての仰(おお)せを、自分勝手な思い込みを雜(まじ)えず、聞こえたままに受け容れるのです、と言われたのです。唯一、その中で愚者の自覚が芽生えていくのでしょう。
 浅はかな私の知恵や努力では、おさとりの世界にはいたれませんが、如来さまの仰せの通りに受け容れていれば、必ず、往き生まれることのできるおみ法なのです。つまり、浄土に往生できるのです。
 自分は賢いと勘違いしている私の思い込みが、如来さまのお救いのみ法を難しくさせているのです。ただただ、如来さまの仰せの通りお念仏申すことが大切なのです。
 少し難しかったかも知れませんが、龍谷大平安の仏参は、そんな私の自惚れの心を「それでいいのかな」「私は強がりを言っているんじゃないかな」と自分に問いかけ、向き合う修練の場です。毎週の仏参や様々な宗教行事を通して、先生方やいろんな方からのお話を聴聞し、自分の心と照らし合わせてください。そして、自分の思い上がりの心に向き合ってください。そんな思いで聴聞(ちょうもん)してくれることを願っています。
 最後に、今年度の生徒手帳には「慈悲」という言葉を記させていただきました。そして、今年度のスローガンを「智慧と慈悲」としました。「慈悲」とは、相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みとなる心のことです。他人の心の痛みがわかる優しい人になって欲しいのです。共に生きる者として、互いに、慈しみ寄り添う心を持って学校生活を送ってください。今年度の始まりにあたり、このことをお願いして、式辞といたします。