【ご案内】
ご承知のとおり、龍谷大学付属平安高等学校・中学校の「建学の精神」は、ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切にです。ことばは「お名号」のことで、じかんは「無常」のことで、この世のありとあらゆるものは時々刻々と移り変わることを意味しています。いのちは「お浄土」のことです。これを中学生にも高校生にもわかりやすい形でことば・じかん・いのちの三つを大切にということで示しています。説明は、いのち・じかん・ことばの順でします。
まず、いのちについて説明します。私のいのちを考えてみますと、前生(生まれる前)・今生・後生(死んでから)と分けられます。その中で、私たちは、今生(こんじょう)だけをいのちと考えがちです。しかし、私は今生の限りある有限の生物的な生命を過ごしているにすぎないのです。父や母や祖父母などこの先祖のだれが欠けても生まれてこなかったいのちなのです。そう考えるとき、どうして私の誕生があったのかという前生(ぜんしょう)と、死んだあとはどこへ行くのかという後生(ごしょう)と、つまり、私たちのいのちは今生だけの限りある、そこで終わるいのちではなく、阿弥陀さまのおそばで無限の宗教的生命を得るのです。真実(まこと)の世界に生まれかわる、つまり、お浄土に往(い)って生まれる浄土往生なのです。
次に、じかんについて説明します。先ほど言いました私たちは阿弥陀さまのおそばで無限の宗教的生命を得るということに気づくのは、今をおいてほかにはありません。時間とは無常です。諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日、もっと言うなら、今、すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。(仏の教えではなく仏に成る教えです)
最後に、ことばについて説明します。では、後生(ごしょう)は往生浄土と、どなたが決めてくださったのでしょうか? それは阿弥陀如来になられる法蔵菩薩さまの18番目の本願に「衆生(しゅじょう)を仏にせずにはおれない」で約束されています。私たちは弥陀の号(みな)である南無阿弥陀仏を呼ぶのです。声に出すのです。実は仏さまの「おはたらき」により私の口を通して号を称えさせてくださっているのです。この声を私は耳で聞きます。これが「聞法(もんぼう)」なのです。
以上をまとめますと、いのちを大切にする生き方は、すなわち、じかんを大切に生きる姿そのものであります。そして往生は臨終によって定まるのではなく、信ずる心「信心」が定まる時に定まるわけですから、私の口を通して発することばこそ、本当に大事にしなければならないのです。
本校の建学の精神をご説明し、平成27年度最初の御命日法要にあたり、あらためて「いのちの大切さ」を考えさせてもらいました。
燧土勝徳
4月 御命日法要
○ 日時 4月16日(木)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 学校長
◎ みなさん、お揃いでお参りください。