2015年10月12日(祝)本校講堂におきまして『第2回学校説明会』を開催いたしましたところ、午前10時~(中学受験生対象)約90組、午後1時~(高校受験生対象)約310組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして心より御礼申し上げます。
学校長挨拶
本日は本校の「2016年度入試の学校説明会」に、休日にもかかわりませず、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
本校は1876年(明治9)年に創立されました浄土真宗本願寺派の宗門の学校です。来年140周年を迎えようとしていますが、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳ってまいりました。
さて、その浄土真宗で「みほとけさま」と言えば「阿弥陀如来さま」のことですが、多くの中学生・高校生は「阿弥陀如来さま」と「お釈迦さま」と「親鸞さま」がこんがらがっています。
本願寺新報「みんなの法話」に、易しく説明されていましたのでみなさんにご紹介いたします。
まず、「お釈迦さまは何人?」と聞くと「インド人」と答えてくれます。次に、「親鸞さまは何人?」と聞くと、「日本人」と答えてくれます。そして「阿弥陀さまは何人?」と聞くと、多くの場合、「インド人」という答えが返ってくるのです。きっとお釈迦さまとこんがらがっているのでしょう。
阿弥陀さまは何人でもありません。お釈迦さまと親鸞さまは、歴史上に存在された人間ですが、阿弥陀さまは歴史上に存在した人間ではありません。では、いったいどういうお方でしょうか。
阿弥陀さまは、私たちを真実に導いてくださる真実のはたらきそのもので、私たちのため姿・形となって現れてくださった方なのです。こうして、私たちのために人格的に現れてくださっていますが、阿弥陀さまは目で見て出遇う仏さまではなく、そのお心を聞かせてもらうことによって出遇うことのできる仏さまです。
浄土真宗は、裁きの宗教ではなく慈悲の宗教ですから、阿弥陀さまは善悪を裁き、悪いことをしたら罰を与えるということはされません。善悪を超えて、すべての存在を平等に慈しんでくださるのです。しかし、悪いことをしてもいいのではありません。悪いことをしたら、阿弥陀さまは悲しまれます。その阿弥陀さまの悲しみに出遇うことによって、私の生き方が、少しずつ正しい方向へと導かれていくのです。
毎週一回行われます龍谷大平安での仏参は、こうして「南無阿弥陀仏」とお念仏するところに「阿弥陀さまはいらっしゃった」と言える世界が開けてきます。仏さまの鏡に照らして自分を見つめてみる時間が仏参です。
阿弥陀さまのお慈悲の心を聞かせていただき、少しでも阿弥陀さまを悲しませない生き方を求めて日々を送りたいものですね。
したがいまして、今年度の生徒手帳には『慈悲』と記しました。
相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることが出来る、その心が慈悲です。心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって、目に見えない根っこの部分を磨くこと、つまりは、他人への思いやりの心を育むことが「平安の心の教育」だと考えています。
西本願寺のお膝元で、このようにして過ごす6年間や3年間は、みなさんに仏教的なものの見方や考え方が、自然と身についているのです。それが、平安で学ぶことの意義でもあります。
このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。