【ご案内】
『2016(平成28)年5月1日(日曜日)本願寺新報 第3234号』より
「いのちの栞」 龍谷大学非常勤講師 小池秀章
自ら仏に帰依したてまつる
自ら法に帰依したてまつる
自ら僧に帰依したてまつる 「三帰依文」
■何を依りどころに生きるか
仏教の3つの宝
仏教には大切なものが三つあり、三宝と呼んでいます。
三宝とは「仏法僧」の三つのことで、「仏」は仏さま(真実に目覚めた者)のこと、「法」は仏さまの教えのこと、「僧」は仏さまの教えに従って生きる人たちのことです。この三宝によって仏教が成立することから、古くから大切にされてきました。
そして、その三宝に帰依する(依りどころとする)ことを「三帰依」と言います。釈尊在世の当時は、「三帰依文」をとなえることによって、仏教教団への入門が許されていました。仏さまの教えを聞こうとする人は、まず、この三宝に帰依することが大切になります。
では、三宝に帰依するとは、本質的にはどのようなことを意味するのでしょう。それは、自分の生きる依りどころ、物事の判断基準(ものさし)を三宝におくということなのです。 相田みつをさんの言葉に、
そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
仏さまのものさし
があります。私たちは普段、損か得かのものさしで物事を判断しています。しかし、仏さまは、嘘か真かのものさしで物事を判断するのです。自分の損得に関係なく真実を求めて生きる。それが三宝に帰依する意味なのです。
つまり、三宝を依りどころにするということは、損得をものさしとする自己中心の生き方から、真実を求めて生きる生き方への転換だと言っていいでしょう。
わが身を知らされ
ちなみに「仏」は、もともと梵語(昔のインドの言葉)で「ブッダ」、「法」は「ダンマ」、「僧」は「サンガ」と言います。また、「帰依」は梵語で「ナモ」、それが漢訳(音訳)されて「南無」となりました。
音楽礼拝の「三帰依」
ブッダンサラナン
ガッチャミ
ダンマンサラナン
ガッチャミ
サンガンサラナン
ガッチャミ
帰敬式の「三帰依文」
南無帰依仏
南無帰依法
南無帰依僧
も、ともに同じ意味なのです。
普段の生活の中で、三宝を依りどころに生きることを忘れないでいたいものです。
おかげさまで 140周年 ありがとう“感謝”
6月 御命日法要
○ 日時 6月16日(木)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 楠 深水 先生
◎ みなさん、お揃いでお参りください。