学校長式辞
みなさん、おはようございます。
前期考査を終え、4日間の試験休みをおき、本日より平成28年(2016)年度後期がスタートいたします。
たびたび申しておりますが、本年5月21日「龍谷大平安」は満140歳となりました。そして、11月12日ご門主様のご臨席を賜り挙行いたします記念式典も、一ヶ月あまりに迫ってまいりました。どうぞみなさんもご協力の程よろしくお願いします。
◎平成28年11月12日(土)
【生徒対象事業】
1)「龍谷大学付属平安高等学校・中学校 創立140周年記念 教育講演会」
1. 開催時間 10時00分~11時00分
2. 開催場所 龍谷大学付属平安高等学校・中学校 講堂、礼拝堂・第一会議室
3. 教育講演 「フェンシングを通じて培った“こころ”」(仮)太田雄貴氏
※全校生徒 1,735名 ・高校生1,350名…講 堂
・中学生 385名…礼拝堂・第一会議室(ライブ映像配信)
【ご来賓・同窓生対象事業】
1)記念式典
1. 開催時間 14時00分~15時00分 ※受付13時30分
2. 開催場所 龍谷大学付属平安高等学校・中学校 講堂
2)生徒パフォーマンス
1. 開催時間 15時30分~16時30分
2. 開催場所 リーガロイヤルホテル京都 2階 朱雀の間
※舞台発表 1、合唱部 2、チアダンス部 3、吹奏楽部
※展示発表・実演等 1、華道部 2、茶道部 3、美術部 4、写真部 5、書道部 6、考古学部 7、鉄道研究部 8、競技かるた部 9、GCC 10、ネイチャー部 11、古典文化研究部 12、ESS 13、将棋
※映像発表 1、アメリカンフットボール 2、剣道 3、硬式野球 4、サッカー 5、自転車競技 6、柔道 7、ソフトテニス 8、卓球 9、軟式野球 10、バスケットボール 11、バドミントン 12、バレーボール 13、ハンドボール 14、フェンシング 15、陸上競技 16、ワンダーフォーゲル 17、ゴルフ(同好会)
さて、本年4月、本校が創立140周年を迎えるにあたり『建学の精神』を、広く深く伝えたいとの願いのもとに「平安の願い“三つの大切”」を作成いたしました。広く深く伝えたいとの願いはもちろんですが、皆さんにも、何を隠そうこの私も、今一度『建学の精神』を再確認するという意味もあるのです。
龍谷大平安の『建学の精神』は「浄土真宗の精神」です。「浄土真宗の精神」とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。少し難しいですね。これを具現化するための日常の心得として、「ことばを大切に」「じかんを大切に」「いのちを大切に」という“三つの大切”を掲げているのです。“三つの大切”については、前期始業式で「ことば」、前期初めの仏参で「じかん」を話しましたので、「いのち」は後期初めの仏参でお話しします。
今日は、みなさんはご存知の方もご存知でない方もいらっしゃると思いますが、浄土真宗には十派あります。まず私たちの西本願寺「本願寺派」・東本願寺「大谷派」・専修(せんじゅ)寺「高田派(三重)」・佛光寺「佛光寺派」・興正寺「興正派」・錦織寺「木辺派(滋賀)」・毫摂(ごうしょう)寺「出雲路派(福井)」・誠照(じょうしょう)寺「誠照寺派(福井)」・専照(せんしょう)寺「三門徒派(福井)」・證誠(しょうじょう)寺「山元派(福井)」です。その十派が「真宗教団連合」を組織しています。その「真宗教団連合」が、毎年「法語カレンダー」を発行しています。そのカレンダーの10月に「まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに 照します」という言葉が記されています。
実は、高校3年生の卒業アルバムに、平安の三つの大切に添えて『煩悩障眼雖不見(ぼんのうしようげんすいふけん) 大悲無倦常照我(だいひむけんじようしようが)』という言葉をしたためております。
これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中にある一節であります。
――悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来はお慈悲の心をもって、倦(う)みつかれることなく、常にわが身を照らし続けて下さっている――という意味です。
2016(平成28)年9月1日の『本願寺新報』「いのちの栞」に、この「大悲無倦」について、龍谷大学非常勤講師の小池秀章先生の文章が掲載されていましたので紹介いたします。
多くの宗教は「いい事をしたら救われるけど、悪い事をしたら救われない」と説きます。しかし、浄土真宗では「いい事をした人も悪い事をした人も、平等に救われる」と説きます。普通に考えると納得がいきません。
ところで、皆さんは今までに、「そんな悪い事をしていたら、罰が当たるよ」と言われたことはありませんか。多分、多くの人が言われた経験があるでしょう。ところが、私は今までに、親から「そんな悪い事をしていたら、罰が当たるよ」と言われたことは、一度もありません。とは言っても、小さい頃から、ずっといい子だったわけではありません。悪い事もしました。そんな時は親から、「そんな悪い事をしていたら、仏さまが悲しまれるよ」と言われました。
浄土真宗では、善悪平等の救いを説きますが、それは決して悪い事をしてもいいと言っているのではありません。悪い事をしたら仏(阿弥陀)さまは、悲しまれるのです。当然、いい事をしたら喜ばれるのです。
私は、母親から叱られた時は、あまり反省しなかったけれど、母親を悲しませてしまった時は、深く反省したという、子どもの時の経験があります。
強く叱って正さないといけないこともありますが、悲しみの心に出あうことによって、人生が正されることもあるのです。
阿弥陀さまはいつも私たちのことを心配して見守っていてくださいます。善人も悪人も平等に慈しんでくださいます。さらに言えば、それは、私がいい事をしている時も、悪い事をしている時も、どんな状態にあろうとも、見捨てず見守ってくださっているということなのです。
「正信偈」に「大悲無倦常照我(大悲、倦(ものう)きこと無くして、常に我を照らしたもう)」とあります。阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきは、飽きたり疲れたりすることなく、常に私を照らし続けてくださっているのです。
私は幼い頃からそのことを、「仏さまはいつも見守っていてくださいます」という言葉で聞かせていただいてきました。そんなあたたかい世界に包まれた人生を歩ませていただきましょう。
少し難しかったかも知れませんが、私たちは、自己中心的なものの見方や考え方しかできない存在であります。その中で本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまい、物事をありのままに受け容れることができなくなり、だから、色々なことで悩み苦しみます。それでも、阿弥陀如来は常に私たちを照らしてくださっています。阿弥陀さまは私たちを決して見捨てることなくいつも寄り添ってくださっています。阿弥陀さまははたらき続けていてくださっているのです。
そんなあたたかく包まれた中で、私たちはしっかりと自分の心を磨きましょう。それが、140年間変わることなく続いてきた平安の伝統です。
先日の文化祭・体育祭・中学の音楽祭など、みなさんはしっかりと自分の心を磨き、確実に成長してくれています。それが証拠に、この学園祭も素晴らしいものとなり、やり終えた後にみんなで互いの苦労をねぎらいながら涙する場面も見られました。私たちの人生やこれからの社会生活においても、他人への思いやりの心をもつことは非常に大切であります。そして、その思いやりの心が、慈しみ寄り添う慈悲の心なのです。
創立140周年という歴史と伝統の中で培ってきた仏教精神を再確認しながら、人として一番大切にすべきこと、さらには本当の意味での心を磨いてもらいたいと願っているところであります。
このことを、しっかりと胸に刻み、みなさんそれぞれ独り一人が自分色の花を咲かせることができるように今後も日々精進してください。これこそが、龍谷大平安で学ぶことの意義だからです。
いよいよ今日から後期の学校生活がスタートします。節目の時期は大切です。しっかりと自分自身の振り返りをして、後期に活かしましょう。そして、勉強や部活動、それぞれの目標に向けて「今という時間」を大切にし、日々精進していきましょう。
以上、式辞といたします。