校長挨拶
本年度は学園関係者およびそのお身内の方々が53名お亡くなりになられました。本日はその方々を追悼する法要を勤修し、これを機縁として私の生き方を学ぶという意義深い日であります。
さて、それではお亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行ってしまわれたのでしょう。そう思うと、悲しみどころか不安で、とても辛い気持ちになります。
お釈迦様は『愛別離苦』と名付けて、私たちはこの世で愛する人と必ずお別れをしなければならないという苦しみを八つの思うようにならない苦しみの一つに数えられました。
では、お亡くなりになられた方々は、どこへ行かれたのか?と言いますと、その答えは今、みなさんと歌いました追悼のうた『み仏に抱かれて』に歌われております。
1番の歌詞には、君ゆきぬ「西の岸」とあります。
彼岸は、西の方角にあるとされます。西方浄土のことです。
2番の歌詞には、君ゆきぬ「慈悲の国」とあります。
仏様のお心を表す言葉が慈悲です。人々をいつくしみ、苦しみを取り去る心です。 この心に満ちた国のことです。
3番の歌詞には、君ゆきぬ「花の里」とあります。
四季の花々が咲き競う美しい世界です。
そして、本日は3番までしか歌っておりませんが、
4番の歌詞には、君ゆきぬ「宝楼閣(たまのいえ)」とあります。
仏説阿弥陀経には、宝石でできた建物が描写されています。
つまり、この「西の岸」「慈悲の国」「花の里」「宝楼閣」の四つとも、お浄土・阿弥陀如来の国を指す言葉であります。亡くなられた方は、仏さまにすくわれてお浄土へ行かれたのです。すでに仏さまになっておられますからご安心ください…と歌われているのです。
ですが、亡き方はお浄土にいき、それで終わりということではありません。親鸞聖人は「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり」とお示しくださっています。
すでに仏となられ、お浄土からの還相摂化(げんそうせつけ)のおはたらきにより、還相の菩薩となって私たちに、はたらきかけ慈悲の光を照らし続けてくださっているのです。分かり易くいうと、私が、亡き人々のことを案じていたのですが、実は、亡き人々の方から「いつまでも悲しんでばかりはおれませんよ!しっかり生きなさい!」と案じられている立場であったのです。
現在、ご本山では、第25代専如ご門主の『伝灯奉告法要』が、2016年10月1日から来年、2017年5月31日まで10期80日にわたって営まれております。この度PHP研究所からご門主が「ありのままに、ひたむきに」~不安な今を生きる~(2016年9月21日発行)という御本をお出しになりました。その御本の「まえがき」に「日々の一瞬一瞬を、まずはありのままに受け止めて、そしてひたむきに精いっぱい生きていくこと」が大切だと思います。と記されております。
このことに、一日も早く気づき、私のいのちを精一杯磨き輝かせる努力をしましょう。それが、いのちを大切にし、先に逝かれた方々に応える私の生き方であったことに気づくことになるのです。
本日は、ようこそお参りいただきました。