学校長式辞
春のお彼岸を目の前にし、校庭の紅梅も見事に花を咲かせ春の訪れを感じる今日の佳き日、龍谷大学付属平安中学校の第70回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部部長白川了信様、龍谷大学副学長池田 勉様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、平安同窓会、親和会・保護者会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜り、衷心より御礼を申し上げます。
保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。
卒業生120名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
明治9(1876)年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として産声を上げました龍谷大平安も、昨年11月12日にご門主さまご臨席のもと、創立140周年記念式典を挙行させていただきました。その記念すべき年に本校を卒業されますみなさんに、心よりお祝いを申し上げます。
さて、昨年9月大谷光淳ご門主のお書きになった「『ありのままに、ひたむきに』~不安な今を生きる~」というご本が発行されました。その中で人工知能(AI)に触れられています。少しご紹介いたします。
これからの時代、人工知能あるいは人型ロボットの進化で「人が生きていくこと」の意味が改めて問われるようになってくる。おそらく、いまの四十代半ばから下の人たちにとっては、社会の中で今、人がしている仕事を、ロボットがどんどんこなしていく時代に直面し、それは、極めて現実的な問題になるという話です。
人間関係の悩み一つをとっても、携帯電話のなかった時代と今とでは違い、携帯電話を通話目的だけで使っている人と、不特定多数の人とつながるツールとして使っている人とでは、かかえる問題が違います。
特に、情報源は、新聞・テレビ、本しかなかった私たちと違い、若い世代の人たちの情報源は、インターネットという媒体に変化し、人との交流にはSNSを使う人が増えています。当然、そこで起こり得るのは不特定多数の人との交流が招く問題などです。そう考えれば、こうした、SNSなどのツールをどう上手く活用するかを考えていかなければならないということです。
人工知能(AI)の話に戻りますと、人間とロボットの違いは何であるのか。その違いは、私たち人間には心があるということです。だからこそ宗教を持つということでありましょう。
科学技術の発達した現代であるからこそ、私たち人間の本当の意味での生き方が問われることになります。そして、それは、日々の生活の中で、私たちがどのように自分の命の問題を考え、周りの家族の方、友達のことなどを考え生活していくかということにつながっていくことになります。と、このような内容です。
日常生活の中で、悩みや苦しみを抱えながら生きていかなければならない私たちにとって、お釈迦さまは「必ず救い取るぞ」という阿弥陀さまのご本願をお説きくださり、人が人として生きる道をお示しくださいました。その教えを受けて真実の人生を歩まれた親鸞聖人は、阿弥陀さまのご本願を聞きひらいた時、自己を真摯に見つめ、かけがえのない「いのち」を大切に生きていく道が開かれてくると教えてくださいました。
龍谷大平安の3年間は、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいとの願いのもとに、日常の心得として「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけてきたのです。
ここで、前門さまの著述『人生は価値ある一瞬(ひととき)』というご本の中から「こころの進歩」と題された内容を紹介します。
わたしたちは、生まれたときから常に、「進歩」することを生活の原理としています。学校では、多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると、業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。
近代の日本人を導いてきたのは、この「進歩」の思想で、確かに優れた点もたくさんありました。しかし、他方では、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきたのも事実です。
こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見える「進歩」だとすれば、同じ「進歩」でも、外から見えない「進歩」があります。自分の内面における「こころの進歩」です。
「こころの進歩」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という箴言(しんげん)にもあるとおり、おのずから他人に対して謙虚になります。
とはいえ、人間はなかなか自分を正しく見られません。ともすると、よい点は過大に認め、悪い点は割り引いて見るなど、自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分のほんとうの姿は無意識に見ないようにしてしまうからで、それだけに、「こころの進歩」を意識して生きる必要があるのです。と記されています。
私たちの日常は「すべて他人が悪い」と思い、人の「良さ」や「痛み」に心を向けることなく、自己中心的に暮らしています。「自分は間違っていない、すべて他人が悪い」と思い込んでしまいがちです。
しかし、自他のいのちを見つめはじめれば、自己中心的で傲慢な生き方が、「お陰さま」の中で暮らす柔らかな感謝の暮らしへと変わります。そして、自己を真摯に見つめたとき、自分自身のいたらなさを知り、素直な心と謙虚な心が芽ばえ、ここに「人」としての成長があるのです。
さて、約3週間にわたり卒業生のみなさんと数分間の面談をいたしました。平安中学の3年間を振り返り、今の気持ちは?という質問をさせてもらいました。みなさん、口を揃えて、「楽しかった」「充実していた」「成長できた」「良き仲間に巡り会えた」と言ってくれました。中には「色々あったけど…今となってはいい思い出です」と言う生徒や「三年間先生に迷惑ばかりかけてすいませんでした」という生徒もいました。
いずれにしましても、笑みを浮かべて「充実していた」と言ってくれたことが、何より本当に心から嬉しく思いました。そして、みなさんの成長がうかがえました。ほんの数分でしたが、みなさんとのお話は本当に楽しかったです。みなさん一人一人の顔に、満足感や充実感が漲っていました。私の方から感謝の言葉を言わせてください。「本当にありがとう!」
最後に、このあと、平安高等学校に進まれる人、他校へ進学される人がいますが、どうぞ、龍谷大学付属平安中学校で身につけた、素直な心と謙虚な心を持って高等学校でも頑張ってください。龍谷大平安が涵養したこの「こころ」を基盤にして、未来に羽ばたかれんことを心より念じ、私の式辞といたします。