みなさん、おはようございます。
さて、今日は、大人から子どもまで誰もが知っているアンパンマンのお話をします。
作者はご存知やなせたかしさんです。その主題歌「アンパンマンのマーチ」は、「愛と勇気だけが友達さ」という、みなさんお馴染みの歌詞です。それでは、「アンパンマンのマーチ」の本当の意味を知ってますか。
この歌はどうしてできたかと言いますと、実は、アンパンマンは、元々大人向けの読み物でアンパンマン自身も普通の人間だったそうです。このアンパンマンの中には、私たちがしっかりと、心に留めておかなければならないことを教えてくれています。
アンパンマンは、「バイキンマンは悪い奴だ!許さないぞ!」とは言いません。アンパンマンが言うのは「あ!バイキンマン!また、イタズラしたな!許さないぞ!」と言います。悪いのは、バイキンマンという「人格」ではなく、イタズラという「行為」であるということです。正に、罪を憎んで、人を憎まずですね。行為に問題があるのであって、人格まで否定するものではないということを、私たちは肝に銘じておきましょう。
また、空腹の人たちの元へパン粉を届けるというところは、被災地に救援物資を届ける現在と比較的共通していますが、アンパンマンを語る上で、もう一つ知っておく必要があるのが、やなせたかしさんの弟の存在です。
実は、やなせさんの弟は、京都帝国大学に入学後、海軍に志願し戦場において享年22歳という若さで生涯を閉じました。また、やなせさん自身も戦時中・戦後の食糧危機に直面し、非常に辛い思いをされたそうです。やなせさんは、「ぼくは戦争は大きらい」という本も書かれています。
このような背景を知った上で、あらためて「アンパンマンのマーチ」の歌詞を見てみますと、やなせさんの平和への思いが伝わってきます。争いは絶対にしてはなりません。平和であることが一番大切なのです。
昨年の10月1日よりご本山で10期80日間にわたる第25代専如ご門主の伝灯奉告法要がお勤めされ、本年5月31日にご満座を迎えました。そのご満座の日、ご門主のご消息が示されました。
「み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。」
と記されておりました。心安らぐ社会の実現をお示しになっておられます。また、即如前ご門主も親鸞聖人750回大遠忌の消息で、
「戦争への危機感やいのちの軽視、倫理観の欠如などによって、様々な出来事が相次ぐ現代社会にあって、私たち一人ひとりが自己中心のこころを反省して、 同じいのちを生きている相手の存在に気づくことが求められています。自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはありません。善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは、仏の智慧だけであります。聖人は、仏法がひろまり、世の中が安穏であることを願われました。」
と記されました。本当の意味で、世界中が争いのない、安穏な世の中であることを願うばかりです。
さて、「アンパンマンのマーチ」をもう少し見てみますと、実はアニメでは流れない3番の歌詞の一節に「時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで」とあります。
お釈迦さまはお悟りをひらかれた後、最初の説法で、「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」という三つの真理を示されました。これを『三法印』と言います。これは、お釈迦さまの教えの根本で、この世の道理、仕組みををしっかりと心に持ちなさいという三つの真理を教えてくださいました。この「時は早く過ぎる 光る星は消える」という歌詞には、「三法印」の中の「諸行無常」が歌われています。ありとあらゆるものは変化するという、とても深い詩的な一節です。
最後に、やなせたかしさんがアンパンマンに込めた大切な想いの中に、「正義の味方というけれど、 本当の正義とはいったい何だろう?」ということが示されています。
やなせさんは、元々子供番組のスーパーマンものを見るのが大好きだったそうですが、見ていて納得できないのは、スーパーマンと怪獣がやたらに大あばれし、そして、街中をメチャメチャに踏み荒しても、そのことを謝りにいったりしないことだったと言います。
あらためて、正義の味方というけれど、本当の正義とはいったい何だろう?と考えた時、実は、「我々が、本当にスーパーマンに助けてもらいたいのは、たとえば、失恋して死にそうな時、おなかがすいてたおれそうな時、あるいは旅先でお金がなくなった時、その他色々と悩み苦しんでいる時、そういう細かいところに気がつく優しいスーパーマンがいてほしい」と言われています。正に私たちが大切にしている「寄り添う」という気持ちのことですね。
アンパンマンは、いつも背中を押してくれるだけです。どんなヒーローよりも優しく、どんなヒーローよりも厳しいのが、アンパンマンなのです。
私たちのご本尊である阿弥陀如来という仏さまは、目には見えないですが阿弥陀さまのいらっしゃらないときはありません。いつでもどこでも、この私とご一緒くださるお方、それが、阿弥陀如来という仏さまです。阿弥陀さまは、お慈悲の仏さまです。お慈悲というのは「人が苦しんでいたら、その苦しみをわが苦しみとして共感し、その苦しみを取り除いて、そのものに安らぎを与える」ということなのです。
阿弥陀如来という仏さまは、私たちが苦しいとき、悩んでいるとき、まさに阿弥陀さまご自身の痛みとして、まったく同じ気持ちで、「しんどいな、つらいな」と胸が痛んでくださっている。そういうお方です。
私たちは、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、一人一人がそれぞれの場で正しい生き方を目指し、少しでも仏さまに近づく努力を精一杯させていただくことが大切だと思います。
みなさんには、ありのままの自分を見つめ心を磨いて欲しい、そして、人と人とを繋ぐことばを大切に、今というじかんを大切にし、いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのちを磨き輝かせて欲しいということをお願いしまして、本日の仏参のお話を終わります。