1月18日(金)午前10時から本館講堂にて報恩講を勤修いたしました。御法話には、鈴木君代 氏(真宗大谷派僧侶、シンガーソングライター)を講師としてお招きし、心打たれるお話を生徒たちと共にお聴きいたしました。
□ 報恩講とは
浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、1173年に誕生され、波乱に満ちた生涯にあって多くの人々にお念仏の教えをひろめられ、90歳でお浄土に往生されました。聖人の遺骨は京都大谷(東山五条・大谷本廟)に納められ、聖人の遺徳をしのぶ人々の聞法の集いがもたれるようになりました。親鸞聖人が活躍されていた当時、念仏の教えを喜ぶ人々の間では、その師匠である法然聖人のご命日に「二十五日のお念仏」として念仏の集会が行われていました。親鸞聖人が亡くなられたあと、聖人を開祖として仰ぐ人たちが、それを親鸞聖人のご命日にあらため、法縁にあずかっていたのです。その後、本願寺第三代宗主の覚如上人〈かくにょしょうにん〉は、聖人の三十三回忌をお勤めするにあたり『報恩講私記〈ほうおんこうしき〉』を著され、「報恩講」が営まれるようになりました。
報恩講とは親鸞聖人の教えによって、阿弥陀如来の教えに遇わせていただいたご恩に対して感謝の心をもって、聖人のお亡くなりになった日を機縁に聖人のご遺徳をしのぶ行事です。この報恩講とは浄土真宗において最も重要な行事となっています。
親鸞聖人のご命日は旧暦11月28日ですが、本願寺では新暦に改め、1月16日とし、1月9日から16日までの間、報恩講が行われています。
□ 行事要文
浄土真宗の開祖親鸞聖人は、弘長2年11月、お浄土に往生なされた。90歳というご高齢であった。その90年のご生涯は、口では言い尽くせないほどの、苦難と波乱に満ちた、ながい人生の旅であった。
9歳で出家されてより、比叡山での厳しいご修行、法然聖人との出遇いと念仏法門への信順、念仏停止の令による越後への流罪、関東での伝道生活、晩年、京都へお帰りになってからの著述の明け暮れ、その間、結婚して家庭をもたれ、妻を愛し,子どもを育て、人間親鸞としての人生を歩まれながら、お念仏を喜ばれたのであった。そして、すべての人々が皆、御同朋御同行として手を取り合い、差別のない、平和な世界をめざす道を説き示されたのであった。
親鸞聖人のご生涯を偲ぶとき、私たちにとって忘れることのできない歌がある。それは、親鸞聖人がご和讃としてお作りになり、私たちが「恩徳讃」として唄っている歌である。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし