4月22日(月)の教員仏参を皮切りに翌23日(火)から高校2年生、1年生、3年生と中学生全員の順に26日(金)まで早朝仏参が行なわれました。第1週となるそれぞれの学年の仏参講師は校長となっております。入学式、始業式や中高新入生のオリエンテーション合宿で年度当初のお話をいろいろとさせていただいたのですが、それぞれの第1回目仏参では、概ね次のような講話を行ないました。
龍谷平安の生徒のあるべき姿を表わす言葉に『凜』(りん)という漢字がよく使われます。例えば、「凛として平安」とか「硬式野球部は甲子園で凛として闘います!」とかです。では一体全体この「凜」にはどういう意味が込められ、生徒のどのような姿が平安らしいというのでしょうか?
『凜』という漢字の偏(へん)は二水”冫”で凍るとか氷を意味します。イメージとしては’冷厳’が近いのでしょうか。そしてこの漢字の旁(つくり)は”稟”(ひん、りん)で米蔵を意味しています。人類はその歴史の長い間、自らの力で食料を計画的に生産することができず、日常のすべての時間を食料獲得だけに専念するという狩猟・採集の生活を送っていました。いまから約一万年前ぐらいに農耕を始めたこと(食糧生産革命)により、安定的に食糧自給が可能になり、アジアでは稲作が主流となりました。その将に命の源である稲(米)を収蔵する米蔵は、集落の中央に高床式の荘厳な威厳ある様式で建造され、将に宝物収蔵庫として取り扱っていたと思われます。”稟”は’荘厳、威厳のある姿’というイメージでしょうか。
このことから『凜』の一文字の表わす意味は”冷静沈着にして威厳のある堂々とした姿、態度”と解してよいと思います。
龍谷平安の生徒は、建学の精神やその歴史伝統を背景に、その誇りと自覚を胸に秘めて、いかに変化を見通せない激動と混乱の社会にあっても「冷静沈着で威厳のある姿・態度と行動で、将に凛として」日々の生活を送り、勉学に怠りなく努めてほしいものです。
”凜”、forever at HEIAN !
※ 文中の『凜』は本校山脇先生の、『凛として平安』は同じく草川先生の揮毫によるものです。