平成24年度 中学 仏参講話 4月27日
みなさん、おはようございます。
1947年に創刊された『PHP』という雑誌がありますが、この雑誌は、今年2012年、創刊65周年を迎えました。その雑誌のスペシャル2月増刊号に、みなさんの中にもご存じの方もあると思いますが、相田(あいだ)みつをさんの息子で「相田みつを美術館」館長をおつとめの相田(あいだ)一人(かずひと)さんのインタビューが掲載されていました。
相田みつをさんの名が広く世間に知られるようになったのは、今から28年前の1984年に六〇歳を機に出版された『にんげんだもの』がきっかけでした。その後、『PHP』に連載がスタートと時をあわせるように、1991年12月17日、六十七歳の生涯を閉じられました。これは今から21年前になります。
インタビューは、「今、なぜ 相田みつをなのか?」と題して始まりました。
「相田みつを」を支えた二人の兄の事から、相田みつをとこの雑誌「PHP」の事に話題が変わり、物の豊かさから心の豊かさへ、お金による幸せから絆(きずな)による幸せへ――。とインタビューは展開していきました。
考えてみますと、相田みつをさんの書は、奇(き)を衒(てら)った(わざと普通と違っていることをして人の注意を引こうとする)ようなものだとか、意表を突くといったものはありません。まさにそれがどうしたの?と言われそうなくらい当たり前のことばです。だから、1954年~1973年の高度経済成長の時期には、物も豊富でお金による幸せもあり、事実、相田みつをさんのことばは、あまりに当たり前すぎて、ご本人自身も生前は、おそらく時代との乖離を感じ続けていたでしょう。そんな相田みつをさんのことばが、その死後から次第に時代に接近することになるのは、日本人が本来持っていた心根の部分を、ずっと以前から見抜いて的確に表現していた、ということではないでしょうか。
東日本大震災から一年が過ぎました。当たり前だったことが当たり前でなくなってしまった一年でした。当たり前のことというのは、それを失ってしまった時に初めて、その大切さが本当にわかるということです。
今日は、相田みつをさんの三つの書と文をスクリーンを通して、みなさんに視覚からも感じとってもらいたいと思います。
それでは、「道は一本」と題された①を紹介します。
いまから ここから
「道は一本」① 書と文 相田みつを
人間のいのち
いのちが与えられているのは、時間的に考えると、
きのうでもなければ、あしたでもありません。
まさに、いまです。
空間的に考えると、
東でもなければ西でもありません。
また、南でも北でもありません。
まさに、ここです。
つまり、いま、ここ。それ以外には
いのちの生きる場はありません。
これは万人共通の真理です。
だから、どんな仕事をする人にとっても、
スタートは、いつでも、
いまから、ここからです。
これは、まさに本校の「建学の精神」じかんを大切にに当たります。時間とは無常です。時々刻々と移り変わります。平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす 驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。」(ぎおんしょうじゃのかねのこえ しょぎょうむじょうのひびきあり さらそうじゅのはなのいろ じょうしゃひっすいのことわりをあらわす おごれるものひさしからず ただはるのよのゆめのごとし たけきひともついにはほろびぬ ひとえにかぜのまえのちりにおなじ)とあるように、諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日(今)すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。だから、平安はみなさんに時間の大切さを言うのです。
続きまして、「道は一本」と題された②を紹介します。
あなたの こころが きれいだから なんでもきれいに 見えるんだ なあ みつを
「道は一本」② 書と文 相田みつを
やわらかなこころ
美しいものを
美しいと思えるこころ。
それは正しいものを
正しいと感じ
不正なものを不正と
感じるこころです。
こういうこころを
素直なこころ
やわらかなこころといいます。
大切なことは、
むこう(対象)にあるのではなく
それをどう受け止めるかという
こちら(自分)のこころにあるんですね。
これは、入学式や始業式にもお話ししましたし、現在、ホームページに私のあいさつとして掲載しておりますEQ「こころの知能指数」に直結します。私は、人間の言葉と行動はすべて心の有り様(よう)に始まると話しました。こころの知性は、思いやり・自制・協力・調和を重んずる価値観が必要です。人間はとかく自己中心の考えをし、それにもとづく物事への執着心から欲望が生じます。そうした欲望まみれの自分の心を、どのようにコントロールするかということが大切なのです。つまり、心の有り様です。心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定したところには、素直な心と謙虚な心が根づきます。その心の有り様をみんなが意識して日々の生活を送れば、本当にすばらしい人間関係や環境が築けるはずです。
最後に、「道は一本」と題された③を紹介します。
花には人間のような かけひきがないからいい ただ咲いて ただ散って ゆくからいい
ただになれない 人間のわたし みつを
「道は一本」③ 書と文 相田みつを
花が見ている
庭の木蓮(もくれん)が咲きました。
白い花です。
人間のことばでは表現できぬ
浄(きよ)らかな白い花です。
わたしはいま木の下に立って
木蓮の花を見ています。
木蓮の花もわたしを見ています。
損だとか得だとか
勝ったとか負けたとか
金が有るとか無いとか
そういう分別心とは
全くかかわりのない
純白な花のこころで
人間のわたしを見ています。
浄土三部経といい「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」というお経があります。その中の「仏説阿弥陀経」の中に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
とありますが、「お浄土の池には、青い蓮は青く光り、黄色い蓮は黄色く光り、赤い蓮は赤く光り、白い蓮は白く光っている」と述べられています。それぞれがそれぞれ色の光を発し、輝いているということです。ちょうど我々が幼少期に口ずさんだ「チューリップ」の歌の歌詞にあるように♪赤白黄色 どの花見ても きれいだな♪ということでしょう。
どうか、みなさんそれぞれが自分色の花を咲かせ、それぞれ色に光り輝いて欲しいと思います。いよいよ新年度がスタートしましたが、これから始まる一年、今日(今)すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか。こころの知性は、思いやり・自制・協力・調和を重んずる価値観が必要です。今日お話ししました、やわらかなこころを持って、自分のいのちは自分しか磨けないのですから、自分でしっかりと磨いてくださることをお願いして、今日の私の話といたします。