11月12日(火)午後2時20分からご本山御影堂にて本年にご往生されました同窓生、生徒関係者、教職員関係者28名のご遺族と本校高校1年生の全員とで追悼法要を勤修いたしました。
式次第は、次のとおりです。
・開会のことば
・献灯・献華
・真宗宗歌
・讃仏偈 - 焼香
・追悼のうた - み仏に抱かれて
・校長挨拶
・法話
・恩徳讃
・閉会のことば
次に、校長として申し述べました挨拶を紹介させていただきます。
本年度、学校関係者、ご同窓の方々及び教職員関係者のお身内が28名、ご往生の素懐を遂げられました。本日は、ご遺族の皆様方はじめ本校1年生の皆さんと共に、御仏の国におかえりになりました方々を追悼する法要を勤修させていただきました。
ご遺族の皆様方にとりまして、最愛のご家族とお別れになりましたことは、この上もなくあきらめきれないお悲しみであるかと拝察いたします。仏教におきましては、これを『四苦八苦』のひとつに数え、「愛別離苦」とし、「会者定離」の言葉のとおり、出会ったからにはどんなに愛する人とも最後には必ず別れていかなければならないとしております。晩年に待ち焦がれた子供を授かった江戸時代の俳人・小林一茶も、かわいい一人娘を病により亡くした、茫然自失の胸にこみ上げる深い悲しみを
露の世は つゆの世ながら さりながら
と詠み、露のような儚い世の習いを咽び泣くように吐露いたしております。
このご挨拶の冒頭で、物故者の方々を「ご往生の素懐を遂げられました」と申しましたが、これらの方々はどちらに往かれ、どちらにおかえりになりましたのでしょうか。先ほど皆さん方が斉唱されました『み仏にいだかれて』の歌詞の中に「西の岸」「慈悲の国」「花の里」さらに4番には「宝楼閣(たまのいえ)」という表現があります。すなわち、御往生の先は、これらに示されておりますように、「お浄土」と呼ばれる「阿弥陀如来の国」なのであります。今は亡き方々は、仏様に救われてお浄土に往き、すでに仏様になっておられるのです。菩薩となって私たちにはたらきかけ、慈悲の光を照らし続けてくださっているのです。私たちは亡き方々を案じて悲しんでいるのですが、実は亡き方々から「いつまでも悲しんでばかりいずに、しっかり生きていきなさいヨ!」と案じられているのです。
慈光照護の下、私たちは自らの命を精一杯輝かせる努力をしなければなりません。これこそが御往生なさいました皆様方にお応えする私たちの生き方であり、在り方なのです。
哀惜の念はひとしおであります。皆様と共に、在りし日の28名の方々のお姿を偲び、お念仏を申し上げて参りたいと存じます。
本日のご参列、誠にありがとうございました。