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成道会を勤修いたしました! 2020年12月10日(木)14時04分

写真12月8日(火)、『成道会』を勤修いたしました。

本年度は、新型コロナウイルス感染症予防対策のため、第3校時は高校3年生のみ、第4校時は中学生のみが本館3回講堂に参列着座し、高校1-2年生はホームルームにて放送を通じてのお参りとなりました。


█ 成道会によせて
 
写真 成道とは、ゴータマ・シッダッタ(釈尊)が35歳のとき真実に目覚め(さとりを開くこと)仏陀となられたことを意味します。仏陀とは「真実に目覚めた者」という意味です。したがって、成道会とは釈尊が真実に目覚められたことを祝い、また改めて釈尊の教えに触れる行事です。今日でも成道会は仏教関係学校をはじめ広く執り行われています。
 今からおよそ2500年前、インドの北方の釈迦国の王子として誕生した釈尊は、「生老病死」という人間にとって避けて通ることができない「四苦」に悩み、29歳のときに出家を決意されました。そこで釈尊は、瞑想によって精神を安定させる修行を行いますが、満足いくものではなく、次に苦行という肉体を極限にまで苦しめる厳しい修行に入られました。6年に及ぶ苦行の末、苦行ではさとりは得られないと考え、「中道」という立場に立たれました。これは苦楽の極端を否定することを意味します。苦行をやめた釈尊はネイランジャラー河で沐浴したのちに、村娘のスジャーターがささげる乳粥を食べ体力を回復されました。そして、菩提樹の下に座られ、「悟りをひらくまでは決してこの座をたつまい」と堅く決心されました。そして、ついに真理に目覚め、仏陀となられました。釈尊35歳、12月8日のことであったと伝えられています。
 釈尊はさとりを開かれて、すぐ人々に教えは説かれませんでした。釈尊はさとりを開いた後、じっとその境地を楽しんでおられました。そこにインドの神である梵天が現れて、「どうか人々のために教えを説いてください」とお願いました。このことを「梵天勧請」といいます。釈尊は最初のうちは教えを説くのを躊躇されていました。「私のさとったこの真理は、深遠で、見難く、難解であり、静まり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は、執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりを嬉しがっている」ということから、たとえ真理を説いたとしても理解してもらえないだろうと考えられていました。それに対して梵天はこう答えました。「願わくはこの甘露の門を開け。無垢なる者のさとった法を説け。たとえば山の頂きの巌(いわ)に立って、あまねく諸人を見るように智慧の優れたあまねく見る眼ある人よ。自らはすでに憂いを超えておられるのですから、願わくは、あなたの法より高楼に昇り、憂いに沈み、生と老におそわれている諸人をみそなわせたまえ」このようなやり取りを経て、釈尊は説法に踏み出されました。
 釈尊が説法された場所はサールナートといい、仏教の聖地の一つに数えられます。説法の相手はかつて苦行を共に行っていた5人の友人でした。この釈尊が説法したという事実が今日まで仏教が受け継がれる原点になる重要な出来事なのです。その後、釈尊は80歳で涅槃に入られるまでの45年間、多くの教えを説き、人々を救われたのです。

█ 次第

開 式 の 言 葉
行事要文
三帰依
さんだんのうた
念仏
法話・・・瓜生 崇 先生(真宗大谷派玄照寺住職)
恩徳讃
合掌・礼拝
閉式の言葉