平成25年 修正会〔しゅしょうえ〕
2013(平成25)年1月5日 午前10時~ 於、礼拝堂
学校長法話
新年あけましておめでとうございます。
2013(平成25)年1月1日(火)の「本願寺新報」に掲載されていた内容をご紹介いたします。
Q普段は何気なく合掌しています そもそも合掌に意味はあるの?
A阿弥陀如来への感謝を表します
皆さんはテレビなどで、インドやタイの人が合掌して日常の挨拶をしている姿を見たことはありませんか? 両手を合わせ、相手を敬う姿はとても美しいですね。
阿弥陀如来へのご挨拶も、合掌で始まり合掌で終わります。合掌し礼拝(らいはい)することは、私を救ってくださる阿弥陀如来への感謝を表す姿です。人間の知恵では計り知ることのできない大いなる阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらきである「南無阿弥陀仏」の名号を称え、力まず自然な気持ちで手を合わせましょう。
合掌し礼拝することは、愚かな私の心を見つめ直す時間でもあります。現代では生活環境などの変化によって、お仏壇の前で合掌、礼拝する姿が家庭から消えつつあります。しかし、科学技術が発達し、すべてのことが人間の思い通りになると錯覚してしまいがちな現代にこそ、手を合わせる時間を持つことが大切なのです。合掌、礼拝する中で自分を見つめ、私を抱きとめ包み込んでくださる阿弥陀如来がいつもはたらいてくださっていることを味わい、自らを振り返る時間を持ちましょう。
今年もぜひ、日常生活の中で、お仏壇の前に座り、阿弥陀如来に合掌、礼拝する時間を持ってください。
私たちは、毎週の仏参や毎月の御命日法要で念仏を称えます。私たちが声に出して呼ぶ弥陀の号(みな)である「南無阿弥陀仏」は、実は仏さまの「おはたらき」により私の口を通して号を称えさせてくださっているのです。この声を私は耳で聞きます。これが「聞法(もんぼう)」です。我々が一番大事にしなければならないことで、仏の教えを聴聞することが大切なのです。
今、こうして私の話をご聴聞いただいております。話の中身はともかく、合掌し礼拝することは、私の心を見つめ直す時間でもあります。合掌、礼拝する中で自分を見つめ、私を抱きとめ包み込んでくださる阿弥陀さまがいつもはたらいてくださっていることを味わい、自らを振り返る時間にいたしたいと思います。
今年もぜひ、日常生活の中で、お仏壇の前に座り、阿弥陀如来に合掌、礼拝する時間を持ってください。そして、月曜日の教職員仏参や毎月の御命日法要にも是非ともみなさんお揃いでお参りください。何を隠そう、これが龍谷大平安の建学の精神であり、平安に身を置く私たちにおきまして一番大切なことであります。
一年のはじめにあたり、一言ご挨拶申し上げます。
龍谷大学付属平安中学高等学校 校長 燧 土 勝 徳