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涅槃会を勤修いたしました! 2022年02月08日(火)16時27分

2月8日(火)、午前10時より礼拝堂において涅槃会を勤修させていただきました。
新型コロナウイルス変異種オミクロン株の爆発的な感染拡大の中で、本校は高等学校入学試験をひかえて、6日(日)から生徒の教育活動を制限しています。そうした中、五大宗教行事(花祭り、宗祖降誕会、成道会、報恩講と涅槃会)である涅槃会は、昨年同様に礼拝堂での勤修の様子を録画して、生徒の皆さんにはオンラインにての視聴という形で開催いたしました。礼拝堂には、お招きした浄土真宗本願寺派布教使 朝山大俊 氏と管理職者及び宗教科教員をはじめ少数の教職員が参列いたしました。

式 次 第
開式の言葉
1  「敬礼文」・「三帰依」
2  「さんだんのうた」 ・・・ 校長焼香
3  「念仏」
4   法話 ・・・ 朝山大俊 先生(浄土真宗本願寺派布教使)
5  「恩徳讃」
6  合掌・礼拝
閉式の言葉                               

≪ 涅槃会によせて ≫
 涅槃会とは、80歳でこの世を去られたお釈迦さまを偲び、またお釈迦さまの説かれた教えに耳を傾ける行事です。
 お釈迦さまは、35歳のとき悟りを開き、亡くなるまでの45年間、インド各地を巡り多くの人々に教えを説かれました。お釈迦さまは80歳のとき、生まれ故郷であるカピラヴァットゥに向けて最後の旅に出たといわれています。その旅路の途中、クシナガラでお釈迦さまはお亡くなりになりました。クシナガラに到着する前に訪れたパーヴァーという村でチュンダから差し出された食べ物にあたったことが原因だと考えられています。 
お釈迦さまは体調を崩されながらも旅を続け、クシナガラに到着しました。そこで、沙羅双樹の間に頭を北にして横になりました。「世は無常であり、会う者は必ず別れねばならぬのがこの世の定めである。怠ることなく精進せよ。」という言葉が最後の教えとなりました。入滅は2月15日であったと伝えられています。
私たちは時として「変わらないもの」を望みますが、そう思っている私自身も変わっていきます。すべては移り変わることが「真実」であると釈尊は教えます。あの頃に戻りたいと思っても当然の事ながら戻ることは出来ません。今日という一日もまさに最初で最後になります。「無常」という教えから、今日という一日を一生懸命生き抜くことの大切さを改めて考えさせられるように思います。
合掌

【仏涅槃図について】
写真「涅槃図」とは釈尊が亡くなられた時の様子を描いたものです。「涅槃図」には、釈尊の周りで悲しむ弟子とともに、さまざまな動物が描かれているものがあります。これは、釈尊が人間だけでなく、すべてのいのちの大切さを説いたことを表現しているのです。
右上に描かれた雲に乗っている女性は、釈尊の母であるマーヤー夫人です。マーヤー夫人は釈尊が誕生し7日後に亡くなりました。そのマーヤー夫人が釈尊の死を知り、天上界から駆けつけている場面が描かれています。

行事要文
八十歳を迎(むか)えられた釈尊は、故郷への最後の旅に赴かれたが、途中で病)に倒れられた。そして、クシナガラの沙羅(さら)の林の、大きくそびえる二本の木の間に身を横たえられた。入滅の近いことを悟られた釈尊は、弟子たちに最後の説法をなさった。
 弟子たちよ、皆それぞれに、自らを灯火とし、よりどころとせよ。他をよりどころとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない。
 弟子たちよ、わたしの終わりは近い。別離も遠いことではない。しかし、悲しんではならない。この世は無常であり、生まれたものは必ず死ぬのである。今、わたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示)すことなのである。
 弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体は滅びても、さとりは永遠に法として生きている。わたしの亡き後は、わたしの説いてきた法がおまえたちの師である。
 釈尊、八十年の人としての人生の旅は、ここクシナガラの沙羅双樹の下で終わった。しかし、釈尊の説かれた教えは、二千数百年を経た今も、世界の人々の心の中に生き続けている。