2013/04/11 前期始業式(中学) 学校長式辞
みなさん、おはようございます。
3月21日の終業式のあと、全体としては春休みに入ったわけですが、その後も、勉強やクラブ活動で学校にずっと登校していた人などさまざまだと思います。特に昨年度末の3月25日は、硬式野球部の選抜大会で多くのみなさんが甲子園球場で声を張り上げて応援してくれました。たいへんお疲れ様でした。ご存じのように硬式野球部は初戦で早稲田実業に惜敗し、それ以外のクラブでは、フェンシング部のベスト8が最高成績で、あとはインターハイならびに夏の選手権まで朗報はお預けとなりました。いずれにしましても慌ただしい束の間の春休みだったと思います。
さて、中学生のみなさんは8日の入学式から登校してくれていますが、一応、本日より平成25年(2013)年度がスタートいたします。今春101名の新入生を迎えて中学生が200名ということになります。
入学式にもお話ししましたが、本校は、今年で満137歳となります。昨年の四月、EQという言葉を打ち出しました。IQのように数字では表せない大切なものが、EQ「こころの知能指数」でしたね。つまり、私たち自身が自分の“こころ”ありようをどうコントロールするかということを一年間、事あるごとに話してまいりました。このEQを育てることが、仏教的なものの見方ができることと、素直に人の話を聞く姿勢をつくるのです。
そこで、みなさんには「学ぶ心」を持っていて頂きたいのです。
人はみな、自分一人で大きくなったと思いがちです。何か失敗を起こさないとなかなか自分を見つめ直すということがありません。自分の行いに何も疑問を持たないまま、日々を過ごしていませんか。私だってそんな毎日ばかり送っています。でも考えてみてください。私たちの日常は総て他人から学んでいることばかりではありませんか。必ずしも人からとは限らず、自然界からも……。
つまり、私たちを取り巻く総てのものから学んでいるのです。そうした中から日々成長しているのです。ただ、こちらに学ぶ心がなければ何の進歩も発展もありません。だからこそ今一度、自分の日々の行いを、ほんの束の間でもいいから問いなおして欲しいのです。何もみなさんにばかり言っているのではありません。わたし自身も肝に銘じておきたいと思っているところです。
一年生のみなさんには、昨日の新入生合宿で紹介しましたが、本校の元宗教科の先生で伊東順浩という先生がおられました。伊東先生の書かれた短編にこんなお話が記されています。
家族で常盤公園の花菖蒲苑を訪れられた際、三歳の娘さんに「いっぱいきれいなお花が咲いちょるけど、どれが一番きれいかね」と尋ねると、「みんなきれいよ!」と答えてくれたそうです。そうでした。花はそれぞれ色や形が変わっていても、精一杯咲いているのでした。みな美しいのです。ところが私は花までも比較し、優劣を付けていたのです。花ならまだしも、人だったらどうでしょう……。自分の都合で人を判断し、人を傷つけ、思い上がり、時には落ち込んだりします。「お浄土の池には、青い蓮は青く光り、黄色い蓮は黄色く光り、赤い蓮は赤く光り、白い蓮は白く光っている」と『阿弥陀経』に述べられています。と記されています。
どうぞ、龍谷大平安で学ぶみなさんは、「学ぶ心」を持って、それぞれがそれぞれ色に光り輝かれんことを心から願っています。
それでは、どこで目にしたかは忘れましたが、ある方が書かれた「学ぶ心」と題した文章を、みなさんの今後の更なる飛躍を願って紹介したいと思います。
学ぶ心
自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして 学ばずして 人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から 生徒は先生から 後輩は先輩から そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ 自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であると言えよう。
学ぶ心さえあれば万物総てこれわが師である。
語らぬ木石(ぼくせき)、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責(しっせき)、後輩の純粋な忠告、つまりこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんな古いことにでも、宇宙の摂理がひそかに脈づいているのである。人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらの総てに学びたい。どんなことがらも、どんなひとからも謙虚に素直に学びたい。総て学ぶ心があって始めて新しい知恵も生まれて来る。よき知恵も生まれて来る。学ぶ心が成長・幸せへのまず第一歩なのである。
これで私の式辞といたします。