平成25年7月7日(日)中学校のオープンキャンパス(昨年までは中高合同)を開催いたしましたところ、午後1時半からの全体説明会に約150組総勢400名近くの皆さまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
学校長挨拶
みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました、本学園も、この5月21日で満137歳の誕生日を迎えました。そして、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは、少し難しすぎるかもしれませんが、宗教的仏教的なものの見方や考え方が自然に染み込むように身についていくことを言います。
本日、この講堂の入口に本願寺より送られてきました『ごえん』という小冊子を置かせていただきました。その「はじめに」という部分を紹介させていただきます。
ある日の、お父さんと娘さんの会話から。
お父さん;「〈ご縁〉って言葉を知ってるかい?」
娘;「何か、聞いたことあるような、ないような・・・おばあちゃんが、よく言ってるような気がする」
お父さん;「若い人は、最近使わなくなったようだね。でも、縁結びという言葉は、知っているだろう?」
娘;「うん。彼との縁結びを、お願いに行こうと思っているよ」
お父さん;「え、もう彼氏ができたのか!?」
娘;「お父さん、まだ、これから探すところだから、安心して」
お父さん;「おどかすのは、やめてくれよ。ただ、縁を結ぶというのは、もともと〈結縁(けちえん)〉といって、人間同士ではなく仏さまとの〈ご縁〉のことなんだよ」
娘;「え、そうなの。全然知らなかった」
お父さん;「そうだよ。辞書で〈結縁〉をしらべてごらん」
娘;「あ、ほんとうだ。最初に〈仏道に入る縁を結ぶ〉って書いてある。びっくり!」
お父さん;「もう一つ質問するよ。じゃ、どうしたら、私たちが、仏さまと縁を結ぶことができると思う?」
娘;「えっと・・・それは、私がお寺に行って、お賽銭を入れるからとか?」
お父さん;「お金が縁を結ぶということかい?そうじゃないんだ。そもそも、仏さまは、私たちが気付かない時も、ずっと私たちのことを心配してくださっているんだよ。その思いが、もうおまえに届いているから、それを受けとめるのが、仏さまとご縁を結ぶということなんだ」
娘;「へぇ~。じゃあ、今はまだ、私と一緒で、仏さまの片思いなんだね」
お父さん;「そうだね」
娘;「仏さまが、どんなふうに心配してくれているのか、知りたくなってきたわ」
以上、仏教が大切にしてきた「ご縁」という言葉を考えてみようということで、この『ごえん』という小冊子が送られてきました。今日、みなさんが龍谷大平安にお越しいただいていることも、こうして今、私の話を聴いていただいていることも「ご縁」です。あなたと私も、そして仏さまと私も、人間のはからいでは知り尽くせない多くのご縁でつながって、不思議なめぐりあわせがあって、ここに出あっているのです。
龍谷大平安で過ごす六年間は子どもたちに、仏教的なものの見方や考え方が自然と身についているのです。それが何を隠そう「宗教的情操の涵養」ということです。それが平安で学ぶ意義なのです。
今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て、存分に楽しんでください。
本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。