HEIAN BLOG 校長 BLOG

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平成29年度 平安保護者会 役員会(本部役員・クラス理事) 2017年06月12日(月)18時52分

校長挨拶

 平安保護者会本部役員、クラス理事のみなさまにおかれましては、平素は何かと学園に対しましてご理解とご協力を賜り心より御礼申し上げます。
 さて、6月になり各クラブがつぎつぎと個人・団体でインターハイ出場を決めてくれていますが、野球もまた夏の京都予選まで一ヶ月を切りました。先日、野球の第99回大会運営委員会が開催され、その中でお聞きしました話をご紹介します。
 ホームベースを逆さまにすると家の形になります。正に家庭、ホームです。数ある球技の中で、ボールではなく、人がゴールして得点するのは野球だけです。
 まずは、バッターが出塁します。つまり、ホームを出ます。次に、盗塁もあるかもしれませんが、送りバントなどによって次打者に進塁させてもらいます。監督のシグナルを受け、走者・打者・ランナーコーチなど、みんなの力で「人」をホームに迎え入れて一点ずつ加点していく競技です。
 何か、家庭であるホームで家族が協力して、学級であるホームルームでクラスの仲間が協力して、喜びを分かち合える理想の家族や学校を象徴しているようですね。
 子育てにおける家庭の機能の重要性や家庭教育のあり方、親の役割について、文科省も色々な施策を進めていくことを指針としています。
 本来、ホームベースの形が五角形になったのは、家を表したものではありませんので、何かこじつけのようですが、こんな風に考えますと、家族の絆、クラスの絆、仲間との絆、それぞれ一人一人が、打ちたいところを我慢して送りバントをしたり、犠牲フライを放って三塁走者をホームに迎え入れたり、試合に直接出場できないかもしれませんが、ランナーコーチを務めて適切な指示を出したり、ベンチで大声を張り上げ応援し、ベンチのムードを維持したり、正に、野球というのは、円満な家族の縮図のような気がします。
 学校という集団で学ぶ場では、その活動の一つ一つから学ぶべきことは、本当にたくさんあります。それらのすべてが学びです。
 その背景に、家族の姿があり、クラスメイトの姿があり、社会の姿があり、それらのすべてに、支えられている・生かされていると感じられたとき、いのちの大切さに気づくことができるのです。そんなご家庭や学校でありたいと切に願っているところであります。
 本日は、みなさまと教職員とが忌憚のない意見交換をして有意義な時間がもてれば幸いと存じます。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年06月01日(木)07時39分

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六月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

甲子園「優勝記念石碑」ならびに「出場記念碑」(創立140周年記念事業) 竣工式 2017年05月20日(土)15時00分

学校長式辞

 龍谷大平安ボールパークの周辺の木々も、ますます色濃くなってまいり、本当に新緑の香りがすがすがしい季節となりました。明日、5月21日は、ご開山親鸞聖人のお誕生日であります。また、本校の141歳の誕生日でもあります。
 このたいへん意義深い今日の佳き日、龍谷大学付属平安高等学校硬式野球部の甲子園「優勝記念石碑」ならびに「出場記念碑」の竣工式を挙行いたしましたところ、玉井建設株式会社代表取締役社長 玉井康義 様・久保田貿易株式会社代表取締役社長 久保田英嗣様をはじめ、硬式野球部OB会長、平球会・平安保護者会役員・旧教職員、硬式野球部OBのみなさまなど平安の関係者、多数のご来賓のご臨席を賜り、衷心より御礼を申し上げます。
 さて、お陰さまをもちまして、去る3月16日に学校内の関係者におきまして、建碑式を無事執り行いましたことを、まずもってご報告申し上げます。
 昨年11月12日、ご門主さまご臨席のもと、多くのみなさまと共に創立140周年記念式典が厳粛に挙行できました。「おかげさまで140周年 ありがとう 感謝」のスローガンのもと、その記念事業の一つとして、本校硬式野球部の甲子園での選手権大会全国制覇3回・選抜大会優勝1回、合わせて4基の「優勝記念石碑」、並びに選手権大会出場33回・選抜大会出場40回、合わせて73基の「出場記念碑」の設置工事を進めてまいりました。
 ここにめでたく竣工式を迎えられましたこと、学園といたしましてもこの上ない喜びであり、ご尽力くださいました皆々さまに心より感謝を申し上げます。
 この度の建碑は、本校硬式野球部の歴史と伝統の証しであります。と同時に、現役部員を鼓舞する意味合いを持っております。先人たちが築かれた偉大な業績に敬意を表するとともに、部員たちはそれぞれが己を奮い立たせ、「HEIAN」の野球部員であることの誇りを持ち、チームが一丸となって、甲子園を目指し、「出場記念碑」を増やしつづけて欲しい、更なるは「優勝記念石碑」を増やし、新たな歴史を築いてもらいたいという期待を込めています。
 この立派な石碑が、硬式野球部員にとって大きな励みとなり、心を奮い立たせてくれると信じております。そして、今年の夏の第99回選手権大会であと1勝に迫っている甲子園100勝を達成し、来年は、いよいよ記念すべき100回大会です。そこで、4回目の全国制覇という大きな目標を持って、ますます精進してくれることを願っているところであります。
 最後になりましたが、施工いただきました玉井建設株式会社様におかれましては、たいへんご無理ばかり申しましたのに、快諾の上、工事を見事に成し遂げていただきました。心より御礼申し上げます。
 優勝石碑をお作りいただきました久保田貿易株式会社様には、これまたご無理を申し、限られた期間でこんなにも立派な石碑を作成していただき、ただただ感激の一言であります。深く感謝しております。学園を代表いたしまして心より御礼申し上げます。
 今後ともみなさまには龍谷大平安をお支えいただき、いついつまでもご声援賜りますように、そして、更なるご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
 本日ご列席のみなさまに、心より御礼申し上げご挨拶に代えさせていただきます。本日はお忙しい中、誠にありがとうございます。

平成29(2017)年度 御命日法要【5月】 2017年05月15日(月)10時59分

【ご案内】

 新しい年度がスタートした。満開の桜が新入生、新社会人を祝福するかのように咲き誇っている。4月の陽光に照らされ、日本列島は波打つように春色へと染まっていく。希望に満ちた季節の始まりだ。
 日本人は桜が好きだ。昔から多くの詩歌に詠まれてきた。まるで春を告げるサイレンのように一斉に開花し、あっという間に散ってしまう。天を覆うような咲きっぷりが見事なだけに、散った後の喪失感は時の移ろいやすさ、世の儚さを説くための格好の題材だった。
 桜は寒い間、暗い土の中でエネルギーを蓄え、春を待ちわびたかのように、一気に咲き乱れる。多くの人が行き交う道を、豪華な枝ぶりの老木がトンネルのように彩る光景が各地で見られる。路地裏にひっそりと一本だけ咲く若木もある。どちらも同じように美しい。一晩嵐が吹けば、散ってしまうことも変わりない。
 桜だけではない。何事にも終わりがある。学校にも職場にも、そして人生にもいつか終焉の時は訪れる。学園生活が充実していればいるほど、職場環境が恵まれていればいるほど、その終わりは切ない。諸行無常、全てが変化して止まないが、確かなことは、私たちにはこの世での命が尽きた後、次に生まれる世界があることだ。そのお浄土へ間違いなく救い取ってくださる阿弥陀如来。広大なお慈悲に対して、自然と御恩報謝のお念仏が出る。
(2017(平成29)年4月1日本願寺新報コラム「赤光白光」より)

 「お釈迦になる」という言葉がある。思っていた物と異なる物が出来上がったり、壊れたりして使い物にならなくなったときに使われる。語源には諸説あるが、ある辞典の説に目がとまった。鋳物職人の用語で「火が強かった」ので失敗したのが訛って「しがつよかった」となり、それがお釈迦さまの誕生日の4月8日に聞こえるので洒落で「お釈迦になる」と言ったという。お釈迦さまも苦笑されているかもしれない。
 その4月8日、山あいの小さな寺でお釈迦さまのご誕生をお祝いする灌仏会(花まつり)が行われた。ここ数年、入退院を繰り返していた老僧が「最後かも」と、少なくなった同世代のご門徒に呼びかけた。曾祖父母から曾孫までの4世代の家族連れ、そして仏教婦人会と日曜学校の子たちも集まり、お念仏と笑い声が、春の山野に大きくこだました。境内の未だ蕾の紅枝垂も、きっと目を覚ましたことだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。皆が帰り、静まり返った境内に、夕べを告げる鐘の音。その余韻に、ことさら無常を感じた。今日を楽しく共にした人たちとも、やがて桜の花びらが欠け散るように、今生の別れがある。お釈迦さまが説かれたように「愛別離苦」、愛しい人との別れがやってくる。
 言いようのない寂しさを覚える半面、再び会うことのできる世界が恵まれているよろこびにも包まれた。その確かさ、うれしさに、ナンマンダブツの念仏があふれ出た。
(2017(平成29)年4月20日本願寺新報コラム「赤光白光」より)


2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


5月 御命日法要 
○ 日時 5月15日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 中森寿樹 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

平成29年度 平安保護者会総会・教育講演会 2017年05月13日(土)13時27分

平成29年5月13日(土)13:00~

学校長挨拶
 保護者のみなさまには、たいへんお忙しい中、平安保護者会総会ならびに第3回の「教育講演会」にご出席を賜り、誠にありがとうございます。平素は、学園に対しまして、ご理解とご協力を賜りまして、心より御礼申し上げます。
 今春、中学の新入生99名を迎え中学生が358名となり、高等学校は、新入生401名を迎え1323名となりました。したがいまして、全校生徒1681名となります。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀教校」として創立されました本校も、お陰さまをもちまして、昨年、創立140周年を迎えさせていただきました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきているところであります。
 そして、本年2017(平成29)年141年目を迎えるにあたり、この140年の歴史と伝統を心のよりどころとして、「建学の精神」を広く深く伝えたいという願いのもとに「『建学の精神』の伝播と醸成」を教育の根幹に据えました。
 本校の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」です。そして、伝播とは、広く深く伝えることです。醸成とは、雰囲気を醸し出すことで、辞書的には醸し出すとは、作り出す・生み出すことですが、肝心なことは無理やり押しつけるのではなく、あくまでも、自然に染み込むようにゆっくり養い育てること、涵養することが大切です。
 昨年11月12日の創立140周年記念式典でのご門主のお言葉の中で人工知能について言及されました。人間とロボットの違いは何であるのか。その違いは私たち人間には心がある、だからこそ宗教を持つということでありましょう。
 科学技術の発達した現代であるからこそ、私たち人間の生き方が問われることになります。そして、それは、日々の生活の中で私たちがどのように自分の命の問題を考え、周りの家族の方、友達のことなどを考え生活していくかということにつながります。
 その背景には、必ず宗教が必要になります。という内容のお言葉を頂戴いたしました。
 今年度、2017(平成29)年度の生徒手帳に「求道(ぐどう)」と私の書を記させていただきました。
 求道とは、①仏の教えを求めて修行すること。②真理を追求すること。でありますが、それを、龍谷大学付属平安高等学校・中学校では、「阿弥陀仏の本願」を「鏡」として自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間に成ることをめざすと意義づけました。そして、阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てたい。生徒たちにそんな人間に育ってほしいと心から願っていることであります。
 本日は、このあと「教育講演会」ということで、みなさまよくご存知の 清水 健 さんに「大切な人の『思い』とともに」という演題でお話いただきます。本当にお忙しい中、この平安にお越しくださいました。私もたいへん楽しみにしております。みなさまも、楽しみにしていてください。
 それでは、今後ともご尽力を賜りますようお願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。本日は、ありがとうございます。

平成29(2017)年度 防災訓練(避難・実技訓練)実施 2017年05月08日(月)15時15分

学校長 訓話

 さて、今から6年前3月11日東日本大震災が起きました。また今から22年前1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きました。また昨年(2016)4月14日熊本地震が発生しました。時間とともに記憶から薄れてしまいそうになりますが、私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。今もなお多くのみなさんが避難生活を余儀なくされている状況に直面し、心が痛む思いであります。
 さて、本校における防災教育の目的は、自らの生命(いのち)を大切にし、他の人々を思いやるこころの教育と位置づけています。こうした目的の中で本校では地震を想定した避難訓練を実施しています。
・生徒一人ひとりが、自分の身を自分の努力によって守ること(自己責任による自助の考え方)
・仲間が互いに協力し合いながら、防災活動に取り組むこと(助け合いという共助の考え方)
・この「自助」・「共助」に学校の危機管理体制という「公助」が有機的に繋がることにより、被害を最小限にとどめることが出来るのです。
 とくに、クラスの仲間が協力し合う体制をつくったり、そうした活動、つまり「共助」は、自主防災活動の最も大切なことです。直ちに安全な場所へ避難するという本日の訓練の注意点は、
 ①避難指示の伝達
 ②避難生徒人数の確認
 ③安全な避難方法と避難経路の確認
 地震など災害が発生した時には、正確で迅速な情報の収集と伝達活動が欠かせません。また、いかに冷静沈着な行動がとれるかということです。万が一にそなえ、今日の防災訓練が意義あるものとなりますよう願っております。
 本日、お釈迦様の誕生をお祝いする花まつりの行事を約一ヶ月遅れで営みました。
 私たちの人生は、何が起こるかわかりません。この世の中はどんなことが起こっても不思議ではないのです。仏教というのは、思いもよらぬ災難が来ないように祈る宗教ではありません。どんな思いがけない災難にも耐え、それを乗りこえていく正しい「仏さまの『智慧』」の眼を開かせたいものです。
 先ほども申しましたが、東日本大震災から6年、阪神淡路大震災から22年、熊本地震からは1年が経ちました。たくさんの方が被災され、避難生活を余儀なくされ、今なお、苦しみや悲しみの中で生活されています。何も出来ないかもしれませんが、そういった方々に「慈しみ寄り添う心」をしっかりと持ちましょう。
 今、こうして今日が迎えられていることを、心から「ありがたい」と感謝いたし話を終わります。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年05月01日(月)08時00分

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五月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 仏参【4月】 校長講話 2017年04月26日(水)09時14分

校長講話

 みなさん、おはようございます。
 さて、みなさんは、2年ほど前の2015年にテレビドラマ化されました『下町ロケット』という番組をご存知だと思います。原作は、池井戸潤さんという小説家で、流行いたしました「やられたらやり返す、倍返しだ」「10倍返しだ」の半沢直樹シリーズの原作者でもあります。
 さて、この『下町ロケット』のモデルといわれていますのは、植松努さんというお方のようです。
 植松努さんは、北海道でリサイクルのマグネットを作る会社の社長で全国各地での講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どーせ無理」を無くし、夢を諦めないことの大切さを伝える活動をしておられます。
 植松さんは、北海道でロケット開発に挑戦されており、私たちが直ぐに口にしてしまう「どーせ無理」を根絶したい!という強い思いを持っておられます。その強い思いはどこからきたのかと申しますと…
 それは、植松さんのお母さんから教わった「思いは招く」という言葉なのです。これは「思ったらそうなるよ」という意味で、はじめから「どーせ無理」と諦めていては夢なんか実現しません。この「思いは招く」という言葉から、思い続ければ、必ず夢は成し遂げられるということを教わったといいます。
 それともう一つは、植松さんのおばあちゃんが教えてくれた「お金は値打ちが変わってしまうもの」という言葉です。
 樺太で自動車会社を運営していた植松さんのおばあちゃんですが、突然のソビエト軍侵略により、貯金していたお金が紙くず同然になったといいます。そんなおばあちゃんが努少年に言った言葉がこんな言葉です。「お金は値打ちが変わってしまうもんだよ。だから、くだらないお金があったら、貯金なんかしないで、本を買いなさい。頭に入れなさい。それは、誰にもとられないし、新しいことを 生み出すんだよ。」と教えてくれたそうです。
 だから、植松さんは本屋が大好きな子どもになりました。そして、植松さんには大好きなおじいちゃんがいました。そのおじいちゃんとの一番の思い出は、アポロの月着陸です。一緒にテレビを見ていた時、おじいちゃんが見たこともないほど喜んでいる姿を、植松さんは今でも覚えているそうです。「人が月へ行ったぞ」「お前も月行けるぞ」と喜んでる姿です。
 だから、いつも本屋に行ったら飛行機ロケットの本を手に取ったそうです。そしたら、おじいちゃんはでっかい手で頭をなぜてくれ、ほめてくれたといいます。きっと、植松さんはおじいちゃんの笑顔が見たくて、飛行機、ロケットが好きになったんだろうと思います。
 植松さんが中学生になった頃の夢は、飛行機やロケットの仕事をすることになっていたということです。しかし、中学校の先生からは「そんな夢みたいなことを言ってないで、テスト勉強をしなさい」と言われます。さらに先生は、「そもそも宇宙なんちゅうものはよほど頭が良くないと無理だ。すごくお金がかかるんだぞ。だからそれは別世界の話だ。お前なんかにできるわけがない」とも言われたそうで、とても悲しくなったと振り返っておられます。
そして、考えたのが…
 「夢ってなんだろう?」できそうな夢しか見ちゃダメなんだろうか?
 でも、「できるかできないかはいったい誰が決めるんだろう」「やってみなきゃわからないはずなのに、やったこともない人が決めるのは、変じゃないのか」「今できないことを追いかけることが、夢っていうんじゃないのか」と思ったそうです。
 そして、植松さんは、一生懸命自分の大好きなことを追いかけます。その結果、それはまわりの人に理解されなくなりました。友達からも先生からも、そして、親からも「そんなことしてて大丈夫なのか?」と言われ、いつも、「意味なくねえか?」「何それ、自慢?」って言われて、どんどん一人ぼっちになっていったそうです。ついに、自分の好きなことをひとに喋ることができなくなってしまいました。
 でも、そんな植松さんを助けてくれた人たちがいました。その人たちは本の中の人たちです。助けてくれたのは、ライト兄弟だったり、エジソンだったり、彼らもまた誰にも信じてもらえない人たちで応援もしてもらえなかった人たちでした。でも、彼らは一生懸命がんばったんです。そして、その人たちが植松さんを助けてくれました。
 だから、がんばれたんですと植松さんは言います。自分の好きなことをもっと好きになり、もっと伸ばしていったんです。そして、紙切りが得意だった植松さんは、それがどんどん発展していって、どんどん物がつくれるようになって、そして、ついに自分の会社をつくってリサイクルのマグネットをつくることができるようになります。
 植松さんが、お母さんから教わった「思いは招く」という言葉、おばあちゃんから教わった「お金は値打ちが変わってしまうもの。だから、本を買いなさい。頭に入れなさい。それは、誰にもとられないし、新しいことを 生み出すんだよ」という言葉を懐に抱き、多くの苦難を乗り越え、今の植松さんがあります。
 今、植松さんは、この日本から「どーせ無理」という諦めの言葉がなくなることを願いつつ、もし、みなさんが「どーせ無理」という言葉に出会ってしまったときには、「だったらこうしてみたら?」って言って欲しい、と言い続けておられます。
 そして、友達に「これをやってみたいんだよね」と言われたら「だったらこうしてみたら?」「こういう本を知ってるよ!」「こう言う失敗をしたことがあるからこっちの方がいいよ!」と応えてくれたら、ただそれだけでいつか「どーせ無理」がなくなって、この世からいじめも虐待もなくなるんです。と植松さんは講演で話されています。
 友だちに、「これをやってみたいんだよね」と言われたら、「だったらこうしてみたら?」こんな会話が世の中に溢れることこそ、相手を思いやり、トゲのある言葉ではなく優しい言葉が飛び交う社会でありたいと願う、本校の『建学の精神』が教えるところであります。それが私たちの自己中心的な見方を変えていくことになるのです。つまり、相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることができる他人への思いやりの心が育まれ、こうした生き方を心がけることが、いのちを磨くことに繋がっているのです。
 毎週一回行われます龍谷大平安での仏参で「南無阿弥陀仏」とお念仏することは、阿弥陀さまのご本願を鏡として自分を照らしてみる、つまり、仏さまの鏡に照らして、今の自分を見つめてみる大切な時間です。
 こうしてご本尊に向かい、私たちが阿弥陀さまのお慈悲に出遇い気づかせていただくことによって、心を磨いているのです。
 みなさんには、ありのままの自分を見つめ心を磨いて欲しい、それが、いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのちを磨き輝かせることになるのだということをお話ししまして本日の仏参のお話を終わります。

平成29(2017)年度 御命日法要【4月】 2017年04月17日(月)08時10分

【ご案内】
 龍谷大学付属平安高等学校・中学校の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているあり方です。悟りとは自己中心性を離れ、ありのままのすがたをありのままに見ることのできる真実の安らぎのあり方です。阿弥陀仏の願いに照らされ、自らの自己中心性が顕わにされることにおいて、初めて自分中心の勝手な考え方にとらわれるのではなく、広く柔らかな考え方ができるようになるのです。
 本校は、阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。このことを実現するための日常の心得として以下の3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神あってこその心であり、生き方です。
   ことばを大切に
     正確な言葉・やさしい言葉・ていねいな言葉
   じかんを大切に
     今という時間・青春という時間・人生という時間
   いのちを大切に
     いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのち

◎龍谷大学付属平安高等学校・中学校~「徳育(宗育)」の具現化
日常の心得として、「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけています。ことばは「お名号」のこと、じかんは「無常」のことで、この世のありとあらゆるものは時々刻々と移り変わることを意味しています。いのちは「お浄土」のことです。これを中学生にも高校生にもわかりやすい形でことば・じかん・いのちの三つを大切にということで示しています。いのち・じかん・ことばの順で説明いたします。
 まず、いのちについて説明します。私のいのちを考えてみますと、前生(生まれる前)・今生・後生(死んでから)と分けられます。その中で、私たちは、今生(こんじょう)だけをいのちと考えがちです。しかし、私は今生の限りある有限の生物的な生命を過ごしているにすぎないのです。父や母や祖父母などこの先祖のだれが欠けても生まれてこなかったいのちなのです。そう考えるとき、どうして私の誕生があったのかという前生(ぜんしょう)と、死んだあとはどこへ行くのかという後生(ごしょう)と、つまり、私たちのいのちは今生だけの限りある、そこで終わるいのちではなく、阿弥陀さまのおそばで無限の宗教的生命を得るのです。真実(まこと)の世界に生まれかわる、つまり、お浄土に往(い)って生まれる浄土往生なのです。
 次に、じかんについて説明します。先ほど言いました私たちは阿弥陀さまのおそばで無限の宗教的生命を得るということに気づくのは、今をおいてほかにはありません。時間とは無常です。諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日、もっと言うなら、今、すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。(仏の教えではなく仏に成る教えです)
 最後に、ことばについて説明します。では、後生(ごしょう)は往生浄土と、どなたが決めてくださったのでしょうか? それは阿弥陀如来になられる法蔵菩薩さまの18番目の本願に「衆生(しゅじょう)を仏にせずにはおれない」で約束されています。私たちは弥陀の号(みな)である南無阿弥陀仏を呼ぶのです。声に出すのです。実は仏さまの「おはたらき」により私の口を通して号を称えさせてくださっているのです。この声を私は耳で聞きます。これが「聞法(もんぼう)」なのです。
以上をまとめますと、いのちを大切にする生き方は、すなわち、じかんを大切に生きる姿そのものであります。そして往生は臨終によって定まるのではなく、信ずる心「信心」が定まる時に定まるわけですから、私の口を通して発することばこそ、本当に大事にしなければならないのです。


2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


4月 御命日法要 
○ 日時 4月17日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 学校長
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

平成29(2017)年度 龍谷大学付属平安高等学校(2・3年生) 前期始業式 2017年04月10日(月)11時56分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 3月10日の終業式のあと、全体としては春休みに入ったわけですが、選抜特進と一貫選抜のみなさんは、ドラゴンゼミ春期講習や勉強合宿が行われました。その間、ご承知の通り、選抜大会や全国大会に出場されましたフェンシング・卓球・チアダンス・柔道・ゴルフの出場選手も全国の強豪との対戦、たいへんお疲れ様でした。この大会では、どのクラブもよく頑張りましたがあと少し奮わずということで、インターハイならびに夏の各大会での活躍を願っているところであります。
 それと、東日本大震災の募金活動を本校の中高生徒会執行部とインターアクトクラブが中心になり、3月10日(金)~12日(日)の3日間、京都駅前を中心として実施してくれました。多くの方々のご支援によって、総額は236,180円の義援金をお寄せ頂きました。この活動を通じて、あらためて人の温かさに触れたことと思います。そして、こうした継続した支援の必要性も感じ取ってくれたと思っています。今後も微力ながら東北の復興支援に協力していきましょう。本当にありがとうございました。いずれにしましても慌ただしい束の間の春休みだったと思います。
 さて、本日より平成29年(2017)年度がスタートいたします。今春401名の新入生を迎えて高校生が1323名ということになります。
 それでは、私の式辞は、高校の入学式で新入生にお話いたしました内容を紹介します。つい先日、一冊の本を頂戴しました。「『目的が一番、目標が二番』と記されており、こころを磨く、メンタルトレーニングについて、書き出されています。
 メンタル・トレーニングでは、最初に「夢のような目標」を考え、その次に「最低限度の目標」を決め、そこから五十年後、三十年後、十年後、五年後、四、三、二、一年後、さらに半年後、今月、今週、今日の目標まで落としてくることが大事であると書かれています。つまり、何でも長期的に物事を考えて、その上で、今から向かう方向性を考える必要があるというのです。
 大切なことは、「ゴールを決める」ということです。私たちはとかく、今を何とかしようとばかり思い、小手先の変化ばかりを追い求め、うまくいくかいかないかは時の運に任せているように思います。そして、いつも「こんなに頑張っているのに、なんでうまいこといかないんだ」と口癖のように言っています。
 みなさんにもわかりやすい具体例が記されていました。
 たとえば、みなさんは「旅行に行くときに、まず何を決めるでしょうか?」「行き先」ですね。
「行き先を決めなかったらスタートからどこに行っていいかわからないですよね。その次は?」「いつ行くか」ということです。
「一緒に行く人の予定とかも確認しなければなりませんし、泊まるところも予約しないといけません。さらにその次は何を決めるのかというと「交通手段でしょうね」
「これが方法です。お金のことも考えて、できるだけ安く行く手段としては、バスを使うかもしれません。また、日程がなくて少しでも早く着きたいと思えば、新幹線や飛行機を利用するかもしれません」
「さて、今の話というのは、結論、目標が決まらないと何も決まらないということです。どこのホテルを予約するのか、バスなのか、電車なのか、予算はどれくらいなのか?これらは全て、目標があるからできることです。」
 では次に「この旅行は、誰と行くか?」ということです。未成年のみなさんの場合は「家族」ということになると思いますが、
「かりに、みなさんが成人した大人だとして、何の制限もなく旅に行けるとしましょう。場所を宮城県にします。さて、みなさんは、どういう目的でそこに行く可能性がありますか?」
 色々考えられますが「仕事での出張、友だちと旅行、新婚旅行もあるかもしれませんし、ボランティアとして行きたいと思う人もいるかもしれません」
「ということは、何をしに行くかで、旅行がずいぶん変わってきます。仕事として行くのか、観光としていくのか、ボランティアとして行くのか。『宮城県に行く』という目標は同じなのですが、目的が違うだけで、また交通手段や日程なども変わってくるということです」
「そうすると、何のためにそれをするのかという目的が、一番大切だということになります。クラブ活動で大会で優勝したいと思ったとしましょう。これは目標です。そうすると、どんな手段を使ってでも、勝てば良いという勝利至上主義に陥りがちです。
 勝負事ですから、勝たなければ意味がないと考えるのも確かなことです。しかし、本当の意味での価値は、優勝した後、後輩が『先輩みたいなチームになりたいです』という憧れを抱いてくれたり、今まで応援してくれた人が、涙を流して喜んでくれたり、そういうところに優勝の価値があるのではないでしょうか。それが、本当の意味での部活を頑張る目的だと思います。だから目的が一番で、目標が二番なんだ」と、このような内容でありました。
 それでは、こうした内容をもとにして、目標達成のためのメンタルトレーニングについて、スポーツを例に挙げもう少し考えてみましょう。
 あなたはどんな選手になりたいですか?
 京都の大会で1番?
 全国で1番?
 それとも世界の舞台で活躍したいでしょうか。
 もう少し身近なところで言うと、本番の試合で実力を十分に発揮していますか?
 日々のトレーニングは何も考えず、言われたことだけを行っていませんか?
 特に高校3年生は高校生活最後の大会に向けて、あなたはどのように毎日を過ごしていますか?
 今やっていることが明日はどうなっているでしょうか。
 この先、1週間後、1ヵ月後、1年後はどうなっているのでしょうか。
 中々、すぐに答えられる人は少ないでしょう。多くの人は夢があっても具体的に何をしたら良いかまでは想像がつかないかもしれません。こういうとき、自分の思い描く夢を叶えるための具体的な目標設定の方法やそれを実行するためのメンタル面強化を行うのが、メンタルトレーニングです。
 それは、単純に試合に勝つことだけを目的にしているわけではありません。一人の人間としてどのように自分が成長していきたいか、自分で考え、目標を持ち、それに向かって様々なトレーニングや困難を克服していくためです。
 メンタルトレーニングは、メンタル面を強化するトレーニングです。では、メンタル面とは、どのようなことでしょうか?スポーツの世界において、「心・技・体」とよく言いますが、この3つのバランスが重要と言われています。メンタル面とは、これの「心」の部分を指しています。
 〇心…精神、感情といったメンタル面、精神面
 〇技…戦術、作戦といった技術面
 〇体…体力、コンディションといった身体面
 あなたは、この3つのバランスが取れていますか?
 技・体は、毎日トレーニングしている人が多いと思います。しかし、心をトレーニングしているという人は少ないと思います。スポーツにおいて、技術、体力面の強化は絶対に必要ですが、これだけでは、勝負に勝つことは難しいです。本当の実力を獲得するためには、心技体それぞれ、バランスよくトレーニングする必要があります。だから、メンタルトレーニングでの、この「心」の部分のトレーニングが大切なのです。
 では、「心」の部分をどのようにトレーニングするのか? それこそ幼稚だと思うかもしれませんが、たとえば「おはよう」のあいさつを元気よく言ってみることです。実はこうしたことがメンタルトレーニングの第一歩なのです。一度、試してみてください。
 ①小さい声で「おはよう」
 ②少し大きい声で「おはよう」
 ③笑顔で大きな声で「おはよう」
 どうでしょうか?それぞれの「おはよう」はどれが気持ち良いでしょうか。声の出し方で、気持ちがまったく違うことが実感できるのではないでしょうか。
 つまり、三つ目の笑顔で大きな声で「おはよう」が一番明るく、楽しい気分になると思います。
 このように普段何気なく行っている、あいさつの仕方一つで気持ちを切り替えることができるのです。これが、メンタルトレーニングの呼吸方法や心の準備といった集中力を身に着けるための方法の一つです。
 あなたは、家族や仲間、周りの人に対し元気よく「おはよう!」と言っていますか?
朝食の際、「いただきます!今日も朝食準備してくれてありがとう!」といえますか?
 高校生ともなると少し恥ずかしいかもしれませんが、これが、いつでもプラス思考でいられるための原点とも言えます。日々の生活の中でどんなときもプラス思考になる会話や言葉遣いに、自信のある行動や表情をするよう心がけることが本当に大切なのです。ぜひ、家庭でも学校でも、今日からやってみてください。
 どうぞみなさん、常に目的を考えるという習慣を身につけて、その目的・目標をしっかり持ち、そこから逆算をして計画を立てる。短いスパンで計画を立てて、一日一日を大切に過ごし、将来に向けたイメージを育ててください。
 ご本尊であります、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)は、常に私たちを照らしてくださっています。そんな中で、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させ、そんな、心のありようを意識して「メンタル」を磨く学校生活を送ってください。
 今年度の始まりにあたり、このことをお願いして、式辞といたします。