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今月の言葉《宗教教育係》 2017年02月01日(水)08時00分

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二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成28(2016)年度 第3学年 後期終業式 2017年01月20日(金)11時56分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて、昨年を振り返ってみますと、創立140周年の記念事業と銘打ってたくさんのことをしました。

①4月1日「平安の願い“三つの大切”―建学の精神―」冊子発行
②5月9日「教育講演会(高1対象)」講師:岩室紳也氏 内容:思春期・若者を知るためのシンポジウム
③5月19日「教育講演会(保護者)」講師:桧山進次郎氏 内容:野球人生を支えた”こころ”(演題)
④5月21日 創立140周年記念日・宗祖降誕会
⑤6月16日「教育講演会(高2・3対象)」講師:水谷 修氏
⑥9月4日~8日 創立140周年記念学園祭(文化祭・体育祭・音楽祭(中学))
⑦11月12日「教育講演会(中・高校生)」講師:太田雄貴氏
      14:00 記念式典 15:30~16:30 記念☆生徒パフォーマンス 17:00 記念祝賀会・記念同窓会

 みなさんが、直接知らなかった事業も含めてたくさんの催しをしてきました。明治9(1876)年に滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立された平安は126年間男子校でありましたが、2003(平成15)年に男女共学となり、5年後の2008(平成20)年に龍谷大学付属平安中学校・高等学校と校名を変更しました。そして、昨年、めでたく創立140周年を迎えたのです。3年生のみなさん411名が今春卒業され、卒業生総数は約43,000名ということになります。知っておいてください。
 さて、お正月は、ほんの束の間だったかも知れませんが、家族がコタツを囲み、もしくは、年末年始旅行に出かけお正月を外で迎えた人もいるかも知れません。少しはゆっくり過ごせましたか。そのお正月も3日からのセンター入試直前演習で最後の調整をして、この土日のセンター試験に臨んだみなさん、たいへん、お疲れさまでした。この後も、2月・3月と入試本番を控えておりますので気を抜かず頑張ってください。
 今日は、昨年9月PHP研究所から発行されました、大谷光淳ご門主著述の「『ありのままに、ひたむきに』~不安な今を生きる~」から、一つのお話しを紹介させていただきます。
「人工知能や人型口ボットの進化で『人が生きていくこと』の意味が問われる」と題して記されています。

 これからの時代、人工知能(AI)あるいは人型ロボットの進化で、「人が生きていくこと」の意味が、改めて問われるようになってきます。おそらく、いまの四十代半ばから下の人たちにとっては、自分たちの仕事に影響する極めて現実的な問題になると思います。
 若い人の場合は、社会の中で今、人がしている仕事を、ロボットがどんどんこなしていく時代に直面するわけです。
 人間関係の悩みにしても、携帯電話のなかった時代とある時代とではやはり違います。携帯電話(スマートフォン)が普及した現代の日本でも、通話目的だけで使っている人と、不特定多数の人とつながるツールとして使っている人とでは、かかえる問題が違います。
 特に、私より若い世代の人たちの情報源は、新聞やテレビ、本からインターネットという媒体に変化し、人との交流には、インターネットによるコミュニケーション手段であるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使う人が増えています。そこで起こる問題、不特定多数の人との交流が招く問題などを考えれば、SNSなどのツールをどううまく活用するかを考えていかなければなりません。
 時代の変化とともに、特に若い人のかかえる悩みは変化していくということを、もっと意識していく必要があるのではないかと思います。

とこのように記されています。現在、人間が開発した人工知能がますます高度なことを成し遂げようとしています。いったい人間が作り出した機械の頭脳は、いつまで人類の手の中にいるのでしょう。機械が人間を操る時代がもうそこまで来ています。
 例えば、みなさんはEyeSight(アイサイト)ってご存知ですか。EyeSightは、富士重工業と日立製作所・日立オートモティブシステムズが開発した「衝突被害軽減ブレーキ」のことです。車内前方に装備されたステレオカメラで前方を監視し、障害物を三次元的に認識することで、自動ブレーキ、クルーズコントロール等を制御する「運転支援システム」のことです。私は難しいことはわかりませんが、富士重工業が製造しスバルブランドで販売する乗用車に装備されており、市販車用に実用化された世界初のシステムです。
 実は、ご門主さまは、昨年11月12日の創立140周年記念式典でのお言葉の中でも人工知能について言及されました。式典でお話になった内容はこのようなものです。

 人間とロボットの違いは何であるのか。その違いは私たち人間には心がある、だからこそ宗教を持つということでありましょう。新聞によりますと、人工知能の全自動の車が動き始めた時、私たち人間は、究極的な選択を迫られることになります。
 それは、全自動で走っている車の前に突然、人が飛び出してきたとき、その車は飛び出してきた人を守るように行動するのか、あるいは、乗っている人を守るように行動するのか、ということを私たち人間が決めなければいけない。すべての人を守ることが出来ない状況をどのようにロボットに行動をさせるのかということを私たちが決めなければいけません。
 科学技術の発達した現代であるからこそ、私たち人間の生き方が問われることになります。そして、それは、日々の生活の中で私たちがどのように自分の命の問題を考え、周りの家族の方、友達のことなどを考え生活していくかということにつながります。
 その背景には、必ず宗教が必要になります。浄土真宗のみ教えを建学の精神とする龍谷大学付属平安高等学校・中学校、これからも建学の精神を大事にされ、多くの生徒やその保護者に対し、浄土真宗のみ教えと宗教をもとにした教えを伝えていただくことを切にお願い申し上げます。

 というお言葉でありました。日常生活の中で、悩みや苦しみを抱えながら生きていかなければならない私たちにとって、お釈迦さまは「必ず救い取るぞ」の阿弥陀さまのご本願をお説きくださり、人がひととして生きる道をお示しくださいました。その教えを受けて、真実の人生を歩まれた親鸞聖人は、阿弥陀さまのご本願を聞きひらいた時、自己を真摯に見つめ、かけがえのない「いのち」を大切に生きていく道が開かれてくると教えてくださいました。
 龍谷大平安の3年間・6年間は、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、「自制・協力・調和の心」を育む。そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいというのが、龍谷大平安の願いだったのです。そして、具体的には、日常の心得として「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけてきたのです。
 記念式典でのご門主のお言葉、「人間とロボットの違いは何であるのか。その違いは、私たち人間には心がある、だからこそ宗教を持つということでありましょう」正に、「IQ」(知能指数)や「SS」(偏差値)のように数字では表すことのできない大切なもの、「EQ」、「こころの知性」、「こころ」を育てることこそが、実は、仏教的なものの見方のできる人間を育てることであり、それが本校の「徳育」に他ならないのです。
 2018(平成30)年、2019(平成31)年には、小学校と中学校でそれぞれ、道徳教育が教科化されます。義務教育において、道徳、つまり人がひととして生きる道について、それぞれが自らがしっかり考える必要性が問われてきます。こういう時代にあるからこそ、「EQ」(こころの知性)を磨く大切な修練の期間が龍谷大平安で過ごした学校生活だったのです。
 みなさんは、これから、高校生からほとんどが大学生を経て、大人の社会に入って行かれますが、本当の意味で、目先の目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、つまりは「こころの進歩」を意識して、そういう生き方を心がけて日々精進してくださることをお伝えして私の式辞といたします。

2017年度 センター試験 出陣式 2017年01月12日(木)15時17分

        2017/01/12 13:00~ 於、第一会議室

校長より激励

 元旦開けの1月3日からセンター試験直前演習が始まりました。その際、『克己心』というたいへん力強い草川先生の書が、前に掲げられました。
 この言葉の意味をみなさんはよくご存じだと思いますが、『法句経』に「戦いで百万の敵に 勝つひとよりも ひとりの自己に 克つひとが まことに最上の 勝利者よ」と記されています。【ダンマパダ】
 この『克己心』の内側にあるものは「自分を高めたい。自分に打ち克ちたい」という熱意です。
 センター試験は、クラブ活動で言うと、予選のない全国大会にあたります。ただし、敵という対戦相手はいません。敵は、自分の内なる「不安」とか「焦り」です。どうぞ、自分の内なる「不安」や「焦り」に打ち克って、やるだけのことはやったという自信を持ってセンター試験に挑んでください。
 もし、「不安」や「焦り」を少しでも感じた時の打開策を教えます。
さあ、みなさん、「立ち上がって両腕を上げ、大きく伸びをしましょう」。全身が伸びて、体がスッキリしませんか?実は「体と心と呼吸は、繋がっていて、互いに影響し合っている」のです。それが証拠に私たちは、自信があるときや元気なとき、背骨を伸ばしまっすぐ前を見ているでしょ。逆に、不安で落ち込んでいるとき、背骨を丸め、うつむいていることが多いでしょ。
 もし、「不安」や「焦り」を少しでも感じたら、試してみてください。「まっすぐ垂直に立ちます。そして、背中の後ろで手の指を組んで胸を開きましょう。肩甲骨と肩甲骨を真ん中に寄せるようにします」。こうすると明るく前向きな気持ちになり、元気がわいてきます。体の形を変えるだけで、心が自然に変わるのです。
 この正しい姿勢がいかに大切かということは、解剖学に基づいたちゃんとした意味があります。骨格と筋肉の配置が整い血流が良くなるので、酸素が肺にたくさん取り入れられるため、細胞が活性化し、勉強や仕事がはかどるのです。
 「さあ、もう一度伸びをしましょう」。気分はどうですか?「姿勢を正して、胸を開くこと」「深呼吸をすること」、ぜひ試してみてください。
 アメリカのオバマ大統領が最後の演説を 'Yes we can, yes we did' と締めくくられました。どうぞ、やるだけのことはやったという自信を持って、特に、難しい問題に直面した時ほど、今までの努力を思い出し、それを最大限に発揮してください。
 みなさんの健闘を心から念じております。頑張ってください。

2017(平成29)年 修正会 2017年01月05日(木)10時48分

学校長挨拶
      2017(平成29)年1月5日 午前9時30分~ 於、礼拝堂

 あけましておめでとうございます。
 「一年の計は元旦にあり」と申しますが、先生方におかれましては、今年一年の計画や抱負を立てられたことでしょう。昨年を振り返りますと、私はとにかく創立140周年記念事業に翻弄された一年でありました。その中で、11月12日(土)の記念式典・祝賀会・同窓会におきましては、本校教職員の一体感を力強く感じた一日でありました。それは、12月開催されました、龍谷総合学園25学園70校の理事会・総会と京都府私学連合会40校の校長会において、多くの理事長や校長先生方から、平安の力強さを見せてもらった、素晴らしい一体感だったとお褒めの言葉をたくさんいただき、本当に幸せだと感じました。また、記念式典に参加してくれた中学生385人、生徒パフォーマンスに協力してくれた文化系クラブを中心とする高校生数百人、気持ちの良いおもてなしに対してお褒めをいただきました。本当に嬉しいかぎりであります。
 日頃、先生方が、生徒やその保護者にむけ、建学の精神をしっかりと意識した語りかけをしていただいている、その姿勢が、龍谷大平安のあるべき姿を醸し出したのだと思います。誠にありがとうございました。
 さて、束の間のお正月休みでしたが、そのお正月も3日から返上して、センター直前演習でお世話になっている先生方には本当にありがとうございます。いずれにいたしましても、あらためまして、みなさん本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 今日は、11月と12月の御命日法要のご案内でご紹介いたしましたが、PHP研究所から発行されました、大谷光淳ご門主著述の「『ありのままに、ひたむきに』~不安な今を生きる~」から、何個かお話しさせていただきます。
 まず、「すべて自分自身が正しいと考えるのは 仏教的に見れば正しくない 自分の至らなさに気づいて行動する」と題された内容をご紹介いたします。

 生き方として、すべて自分が正しい、あるいは自分の思いどおりになるというのは、仏教的に見れば正しくないことです。
 私たちは、自分自身とほかの人をまったく同じように考えることができない、ということがあります。また、私を無くす「無私」という言葉がありますが、自分自身のことを横へ置いておいて、ほかの人のことを考えられるかというと、やはり難しい。しかし、もともと難しい中で、ほかの人に寄り添い、自分自身とまったく同じようにその人の立場になり、考えることができるよう努力をされている方もなかにはおられます。
 けれども、そういう努力をしたとしてもやはり完全にできることではありません。ですから、他人の喜びを私の喜びとし、他人の悲しみを私の悲しみとする仏さまのような行いができない自分自身の姿を認めて、そのうえで、常に自分自身の意識や行いを思い、自分の至らなさに気づいて行動することが大切です。

と、このように記されております。次に、「相手を自分の思いどおりにしよう 押しつけようとすると いろいろな問題が出てくる」と題された内容をご紹介いたします。

 最近よく話題になる学校や職場でのいじめは、きっと昔からあったのだと思います。つまり、自分と比べて弱い立場の人に対し、いろいろなかたちで力が向いてしまうのです。また親子間の場合のいわゆる虐待については、親子関係が昔とは変わってきているのではないかという気もします。
 いずれにせよ、いじめでも虐待でも、結局は、自分と相手との関係の中で、相手に対してどういう気持ちを持てるかということが問題になります。いじめや虐待には、相手を自分の都合どおりに動かそうとする思い、相手に自分の思いを押しつけようとする気持ちが根底にあるのでしょう。差別やさまざまなハラスメントと言われるようなことも同じだと思います。
 「ご縁を大切にする」と言いますが、相手との関係を大切にすることができれば、いじめや虐待にはつながりません。つまり、自分とほかの人との関係性をどのようにつくっていくのか、自分と相手をまったく対等な人間として認めることができているかどうかです。
 そもそも人はすべてのものとの関係性の中に生きています。そういう関係性を自分の都合のよいように無理に変えよう、あるいは断ち切ろうとするところに問題があるのでしょう。

と、このように記されています。
 中学や高校の現場における子どもたちの「いじめの問題」については簡単には答えは見つけられませんが、これは、私たち大人社会の価値観の倒錯が挙げられるでしょう。自分の権利の主張には長けても、義務の遂行にいたっては他人任せで、自己中心の生き方が蔓延している親世代のライフスタイルが、そのまま子どもたちに反映しているのではないでしょうか。
 子どもは親の後ろ姿を、弟や妹は兄や姉の一挙手一投足まで真似をし、学びながら成長すると言われます。かつて家庭には独自の家風があり、学校にはよき校風があり、それぞれが学びの場でした。今、その学びの場が機能せず、親も教員も自己主張に執らわれた生き方に偏ってしまっているように思います。
 しかし、この自己に執らわれる心からの解放なくして真実の世界は見えてこないのです。この原点にたちかえれば、身分の上下もなく、男女の別もなく、学歴の有る無しに関係なく、老若男女みな倶(とも)に同朋の世界がひらけ、仏さまのお慈悲につつまれた世界に生かされているという平等の人生を歩むことができるのです。
 自分のありのままの真実の姿、いのちの原点について、真摯に学ぶところに、こころの教育が成立するのです。私たちの「いのち」は預かりものに他なりません。多くの命の恵みをいただいて生かされている「いのち」であり、多くの人たちに願われ支えられた「いのち」であり、かつまた阿弥陀さまの願いのかけられた尊い「いのち」であるというのが、私たちの「いのち」の在り方です。その「いのち」は、一たび失ったら、もう二度と取り戻すことのできない「いのち」でもあります。だからこそまた、尊いのです。
 ありとあらゆる「いのち」が尊いのだと気づき、自らの人間性を育てていくことが、大切なのです。こうした、「いのちに対するめざめ」こそが建学の精神の教えるところであり、これによって、すべてのものに感謝する生き方が生まれ、また「ことば」や「じかん」を大切にする生き方も身についてくるのです。生徒たちに、そんな人間に育ってほしいというのが、平安の願いであります。このことを確認しておきましょう。
 今、学校教育において、改めて、情操教育の中でも道徳的情操教育の必要性が強調されています。時代によって価値観の変わる道徳教育と時代を超えた思想に根ざした宗教教育との本質的なちがいは、歴史が証明するところです。つまり、道徳的情操教育は、普遍的な宗教的情操の裏付けを必要とすると思います。言い換えれば、宗教教育が人生や社会生活において如何に大切なのかということです。
 現在、人間が開発した人工知能「AI(Artificial Intelligence)」がますます高度なことを成し遂げようとしています。いったい人間が作り出した機械の頭脳は、いつまで人類の手の中にいるのでしょう。機械が人間を操る時代がもうそこまで来ています。
 先程、ご紹介いたしましたご門主さまのご本にも「人工知能や人型口ボットの進化で 『人が生きていくこと』の 意味が問われる」というタイトルで記されていますが、昨年11月12日の創立140周年記念式典でのお言葉の中でも人工知能について言及されました。式典でお話になった内容はこのようなものです。

人間とロボットの違いは何であるのか。その違いは私たち人間には心がある、だからこそ宗教を持つということでありましょう。新聞によりますと、人工知能の全自動の車が動き始めた時、私たち人間は、究極的な選択を迫られることになります。
 それは、全自動で走っている車の前に突然、人が飛び出してきたとき、その車は飛び出してきた人を守るように行動するのか、あるいは、乗っている人を守るように行動するのか、ということを私たち人間が決めなければいけない。すべての人を守ることが出来ない状況をどのようにロボットに行動をさせるのかということを私たちが決めなければいけません。
 科学技術の発達した現代であるからこそ、私たち人間の生き方が問われることになります。そして、それは、日々の生活の中で私たちがどのように自分の命の問題を考え、周りの家族の方、友達のことなどを考え生活していくかということにつながります。
 その背景には、必ず宗教が必要になります。浄土真宗のみ教えを建学の精神とする龍谷大学付属平安高等学校・中学校、これからも建学の精神を大事にされ、多くの生徒やその保護者に対し、浄土真宗のみ教えと宗教をもとにした教えを伝えていただくことを切にお願い申し上げお祝いの言葉といたします。

というお言葉でありました。2018(平成30)年には小学校で、翌2019(平成31)年には中学校で、道徳教育が教科化されます。記念祝賀会・同窓会の謝辞でも申しましたが、こういう時代にあるからこそ、ここで改めて、宗門校としての基本的な理念を確認し、さらなる建学の精神の伝播と醸成につとめなければならないと2017年が始まるにあたり、決意を新たにしたことであります。
 先生方には、今年も1年繁忙の日々となりますが、ご協力賜りますようお願い申し上げ年頭のご挨拶とさせていただきます。
 本日はようこそのお参りでございます。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年01月01日(日)09時00分

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一月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成28(2016)年度 御命日法要【12月】 2016年12月16日(金)08時15分

【ご案内】

PHP研究所創設70周年記念 ◆特別対談◆
とらわれず、執着しないことが大切です
      遠藤保仁(プロサッカー選手・ガンバ大阪)×大谷光淳(西本願寺 門主)

 親鸞聖人の血脈を継ぐ西本願寺の新しい門主と、サッカー日本代表でも活躍するガンバ大阪キャプテンのお二人に、PHP創設70周年を記念し、普段から大切にしていることを話していただきました。


遠藤 初めてお目にかかります。お会いするのをとても楽しみにしていました。
大谷 こちらこそ、ありがとうございます。テレビでは、サッカーの試合をよく見ています。たとえば野球とは、スタジアムの雰囲気がかなり違いますね。
 遠藤さんは、サッカーの魅力は何だと思いますか。
遠藤 ボールに集中して、ゴールを決める、ゴールを守るというのは、とにかく楽しいです。それから、チームメイトと助け合いながら、喜びや悔しさを分かち合って、一つずつステップアップできるのは大きな喜びです。

余計なことを考えずに全力を出す
大谷 遠藤さんはべテランですね。若い人たちにはどんな指導をしますか。
遠藤 たとえば、周りの選手がミスした場合、僕はまず褒めるんですよ。「こういうプレーのほうがよかったんじゃないか」といったことは試合後に言いますが、選手にはそれぞれ自分のサッカー観があります。だから、その選手が自信を持って自分のプレーをしたのであれば、ミスをしても褒めますね。そもそもミスをしない人はいませんから。
大谷 人はどうしても、物事を自分中心に考えてしまいがちです。だから、自分が思っていることと違うことをされると、「どうして?」と思ってしまいます。そうしたことを考えても、遠藤さんがおっしゃった視点を持つことは、とても大事だと思います。
遠藤 「自分の短所を隠さない」ことも、大事にしています。足が遅いことやへデイングが苦手なことなどの短所があるのですが、それを隠さずにオープンにした上で、伸ばすように努めています。僕の短所をほかの選手が得意にしている場合もあるので、「お願い、ここは頼むよ」と言うこともあります。その代わり、自分のいい部分でほかの選手からしたら短所になる部分を、その選手のために僕が補うこともあります。
大谷 すばらしいですね。私は自分の短所を隠したくなる(笑)。ただ、少なくとも自分の短所に気づかないと隠しようもない。その意味では、自分の身に引き寄せて考えたり、人の話を聞いたりして、常に自分のことも意識することが大切でしょうね。
 プロスポーツ選手には、高い技術と強い精神力が求められると思いますが、遠藤さんはどちらがより重要だと思いますか。
遠藤 精神面、メンタルだと思います。「体を動かすのは心」だと、僕は思っているので。もちろん技術も大切ですが、「最後にものを言うのは根性」といった場面もあります。つらくても、ここで走らなきゃいけない、といった場面で走れるかどうかは、気持ちの強さにかかってくると思います。
大谷 きつい状況で、がんばれる源は何でしょうか。
遠藤 「勝ちたい」という思い、執念ですね。絶対に優勝したい、とか。日本代表の選手には、そうした執念を持った、メンタルの強い選手が多いように感じます。
 ただ一方では、心を〝さら〟にして臨むことも大切だと思っています。特に試合では、余計なことを考えずに、その場に集中して、全力を出し切ることが大事です。
大谷 「とらわれない」「執着(しゅうじゃく)しない」ことが仏教では大事な教えの一つです。自分の考えにとらわれると、悩みや苦しみの原因にもなります。自己中心的な考えに陥っていないか、ときおり省みることが必要でしょうね。
遠藤 相手チームについても、味方の選手についても、情報は可能な限り入れるけれど、それらを踏まえた上で、さらというか、白紙の状態で試合に臨むことが望ましいような気がします。

「受け容れてもらえる」安心感を
大谷 自分の置かれている状況やまわりの状況を把握したうえで、そのときどきにいい選択ができることが大切ですね。
 私も人と懇談させていただく際、自分が話したいことを前もって用意しますが、すべて出そうとせずに、できるかぎりその場の状況に合わせるように心がけています。
 ところで、遠藤さんにとって、理想のチーム、あるいは理想の監督といったものはありますか。
遠藤 監督が何も言わないチームがいいですね(笑)。選手が自ら気づき、自ら動いて、結果を出す。監督は指示を出したら、あとはべンチに座って見ているだけ。そういうチーム、そういう監督が一番よいと思います。でも、どこのチームの監督もだいたい怒鳴っていますけどね(笑)。
大谷 新聞に書いてありましたが、最近、急に成績のよくなった大学野球のチームがあるようです。そこでは監督が代わって、学生がコーチとしてサインなども出すようになったそうです。選手が自主的に考え、行動するようになったことが、好成績につながっているのだと思います。
遠藤 実際にブレーしているのは、選手なので、本来であれば、選手が気づいて「こうしたほうがいい」と監督に言って、許可を得るのが一番いいのです。監督からアクションして、選手がリアクションするというのはあまりよくないと思います。
大谷 監督と選手の信頼関係について、お話しいただけますか。
遠藤 重要なことですね。選手は「監督から必要とされている」と思えば、自分自身に責任感が出てきます。すると「このチームを、この監督を勝たせる!」「勝てるチームにしていきたい!」という主体的な気持ちが自然に出てきます。そのなかで相談したり、意見を交わしたりすると信頼関係を築くことができます。
大谷 なるほど。人と人との関係はなかなか簡単に築けるものでないですし、宗教の場合も、一般生活の場合も、信頼、つまり「受け容れてもらえる」という安心感が大切ではないかと思います。


以上、『PHP11月』PHP研究所創設70周年記念号に特別対談として掲載されました。この内容は、下記の著書に収録されています。

『ありのままに、ひたむきに ~不安な今を生きる~ 』西本願寺門主 大谷光淳著
  親鸞聖人の血脈を継ぐ第25代門主が語る難しい時代を生きるヒント!
                                               PHP研究所648円(税込)

対談●遠藤保仁さん(ガンバ大阪)とともに
ぶれることなく
思いを伝える
ともに、よい方向をめざして


おかげさまで ~140周年~ ありがとう“感謝”

12月 御命日法要 
○ 日時 12月16日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 小川智成 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

御礼 第4回 学校説明会 2016年12月11日(日)16時40分

2016年12月11日(日)本校講堂におきまして『第4回学校説明会』を開催いたしましたところ、午前10時~(中学受験生対象)約110組、午後1時~(高校受験生対象)約430組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2017年度入試の学校説明会」に、休日にも関わりませず、たくさんの方にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本校は、本年140周年を迎えました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。
 今年、創立140周年を迎えるにあたり『建学の精神』を広く深く伝えたいとの願いのもとに「平安の願い“三つの大切”」という冊子を作成いたしました。
 私の方からは、その内容の一部を紹介し、本校の教育理念について、少しお話しさせていただきます。
 本校の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。この阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。
 このことを実現するための日常の心得として「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という3つの「大切」を掲げています。
 それでは、今日は「いのちを大切に」について、記しております内容をご紹介いたします。

 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで こわれて消えた
 しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
 生まれてすぐに こわれて消えた
 風風吹くな しゃぼん玉飛ばそ

 誰もが一度は口ずさんだことのある童謡「しゃぼん玉」の歌詞です。作詞者は野口雨情さんという方です。 野口さんが童謡の普及に四国へ行っている時、2歳になる娘さんが病気で亡くなったとの知らせが届きました。愛するわが子を突然失った悲しみの中で、あまりにもはかなく消えたわが子のいのちを想い、この歌を作ったと言われています。
このしゃぼん玉を通して、私たちの「いのち」について考えてみましょう。
 みんな一人ひとりにいのちがあり、そしてそれは「たったひとつのいのち」です。私たちにはお父さんやお母さんがいて、そのお父さんやお母さんにも、またお父さんとお母さんがいます。というように、ずっとずっとつながっていて、そうしたつながりの中で、私たちが生きているのです。ですから、たくさんの方からいただいたいのちと言えるでしょう。
 そのいのちを大切にし、屋根まで飛ぶしゃぼん玉のように大きく成長してほしい、はかない世の中ではありますが、雄々しくたくましく元気に育ってほしい、と願わずにはいられません。そんな願いが、みなさん一人一人にかけられているのです。
 とは言いましても、私たちは、自分ひとりで生きていくことはできません。毎日の食事一つをとっても、お米やお野菜を作る人、それを運ぶ人、売る人がいます。そのお米やお野菜で、食事を作ってくださる方々がいます。こうしてたくさんの方たちの支えのおかげで、私たちは食事をいただくことができ、たった一つの大切ないのちを、今日から明日へつなぐことができるのです。
 このように、私たちは、多くのつながりの中に生きています。あなたも私も、一人一人かけがえのない、尊いいのちを生きているのです。
 「いただいているいのち」「願われているいのち」「支えられているいのち」。「建学の精神」のもとで謳われている、そのようないのちを生きている自分であることを忘れないでください。

とこのように記しています。こうした「いのちに対するめざめ」こそが「建学の精神」の教えるところであり、これによって、すべてのものに感謝する生き方が生まれるのです。また、「ことば」や「じかん」を大切にする生き方も身についてくるのです。みなさんに、そんな人間に育ってほしいというのが、本校の願いです。
 阿弥陀仏の本願は名号という「ことば」となり、「必ず救い取るぞ」と呼びかけてくださり、ついには私たちに無限の「いのち」を恵み与えてくださる。そのことに気づいた時、「今」という「じかん」を大切に生きる道がまた、みなさんの前に開かれてくるのです。そんな,心豊かな人間になってほしいと、心から願っています。
 こうした心の教育を教育の根幹に据えて、進学校化に向けての教育改革も着実に進めております。今後も今までにもまして、進化させ、しっかりと充実させていきたいと思っております。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年12月01日(木)08時00分

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十二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
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御礼 創立140周年記念式典および記念祝賀会・同窓会 2016年11月14日(月)12時03分

謹啓 初霜の候 益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 平素は、本校に対しまして格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
 さて、11月12日(土)の本校創立140周年記念式典および記念祝賀会ならびに同窓会には、ご多用中にも拘わりませずご丁重なるご祝意を賜り、心より御礼申し上げます。
おかげさまをもちまして、ご門主さまご臨席のもと、皆さまと共に記念式典が厳粛に挙行できましたこと、また、同窓生も一同に集い記念祝賀会・同窓会を催し、祝すことができましたことに深く感謝を申し上げます。
 龍谷大学付属平安高等学校・中学校は、創立140周年を機に宗門校としての基本的な理念を確認し、さらなる建学の精神の伝播と醸成につとめる決意を新たにいたしました。
 このうえは、42,600名の同窓生をはじめ、みなさまのご期待を龍谷大平安の力として、教職員一同、これまで以上に精進いたす覚悟ですので、今後とも更なるご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。誠にありがとうございました。
      合 掌

2016(平成28)年11月14日
            龍谷大学付属平安高等学校・中学校 校長 燧土 勝徳

平成28(2016)年度 御命日法要【11月】 2016年11月14日(月)08時13分

【ご案内】

このたびPHP研究所から、大谷光淳ご門主著述の『ありのままに、ひたむきに』~不安な今を生きる~【定価;本体600円(税別)】が発刊されました。  ※平成28年9月21日

まえがき
 私たちは日々、喜びだけでなく、さまざまな出来事に悩み、苦しみながら生きています。仕事上の行き詰まり、人間関係、あるいは病気など……。人生、よいときもあれば、悪いときもあります。どんなときも前向きに安心して生きていける、そんな心のよりどころがあればよいなと思っても、答えはなかなか見つかるものではありません。
 そんなとき、どこまでも自分を深く見つめた先人たちの教えは、素晴らしいヒントを与えてくれます。はるか昔、インドのお釈迦さまや、鎌倉時代の親驚聖人は、それぞれに自分自身を見つめられ悩み抜かれたすえに、世の中と人生のありのままの真理に気づかれました。その言葉は民族や地域、時代を超えて、真剣に生き、悩み続ける人たちの心のよりどころとなってきました。
 人はいま、平和を求めながらも互いに争い、豊かさを求めて、かえって貧しさと不安を拡大しています。自分の心の不安だけではなく、社会の矛盾に翻弄され、私たちはまるで不安の荒海を漂う小舟のようです。このような状況の中でも、振り回されることなく、生き抜くためにはどうすればよいのでしょうか。答えの一つが「日々の一瞬一瞬を、まずはありのままに受け止めて、そしてひたむきに精いっばい生きていくこと」だと思います。
 本書では、心の不安や社会の矛盾に振り回されることなく、「ありのままに、ひたむきに生きていく」という私の思いを語らせていただきました。強くなくてもいい。力がなくてもいい。悩みは「生きるよりどころ」を見つけ出す糸口にもなります。
 いま、さまざまな悩みをかかえておられるお一人おひとりにとって、この小さな本が、大きな喜びと幸せへのきっかけとなることを願ってやみません。


第1章一瞬一瞬を精いっぱい生きる
第2章困難な時代をともに生き、ともに歩む
第3章現代に生きる仏教の教え、親鸞聖人の教え

対談●遠藤保仁さん(ガンバ大阪)とともに
ぶれることなく思いを伝える ともに、よい方向をめざして
対談●大平光代さん(弁護士)とともに
親と子が安心できる社会に お寺をほっこりできる場に

あとがき 龍谷山 本願寺(西本願寺)について

おかげさまで ~140周年~ ありがとう“感謝”


11月 御命日法要 
○ 日時 11月14日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行のみ  ※ 終了後、臨時職員会議(専任教職員)
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。