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御礼 第3回 学校説明会(高校受験生対象) 2016年11月06日(日)16時44分

2016年11月6日(日)午後1時から本校講堂におきまして『第3回高校受験対象学校説明会』を開催いたしましたところ、約300組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただき心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2017年度入試の学校説明会」に、休日にも関わりませず、たくさんの方にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本校も、本年5月21日をもちまして満140歳となりました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。
 今年、本校が創立140周年を迎えるにあたり『建学の精神』を広く深く伝えたいとの願いのもとに「平安の願い“三つの大切”」という冊子を作成いたしました。
 私の方からは、その内容の一部を紹介し、本校の教育理念について、少しお話しさせていただきます。
 本校の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。この阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。
 このことを実現するための日常の心得として「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という3つの「大切」を掲げています。
 それでは、今日は「じかんを大切に」について、記しております内容を1つご紹介いたします。

 いきなりですが、質問です。「86400秒」、これは何を示していると思いますか。これは、1日24時間を秒数で示したものです。
 では、次の質問です。「1095日」、これは何を示していると思いますか。これは、高校生活3年間を日数で示したものです。86400秒と聞くと、とても長いように思えますが、気がづけば、あっという間に1日は過ぎてしまいます。そして、その1日1日が積み重なれば、3年間で1095日となるのです。
 浄土真宗の第8代宗主の蓮如上人は、次のような言葉を残されました。

 いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。(『御文章』)

「人が、1万歳まで生きたということは、聞いたことがない。一生はすぐに過ぎてしまう」という意味です。「一生過ぎやすし」と言われたところで、ピンとこないかもしれません。しかし、みなさんも「いつの間にかもう過ぎてしまったか」と思うことが、きっとあったはずです。その延長が「一生過ぎやすし」なのです。
 時間は止まることなく、まるで、川の流れのように過ぎていきます。そして、時間と同じく、私たちを含めたすべてのものは、変化していきます。それを仏教では、「無常(むじよう)」といいます。だから、私たちも時間が流れていくように、常に変化しているのです。ずっと、中学生や高校生というわけにはいきません。
 ですから、次の3つの「時間」を大切にしてください。3つとは「今という時間」「青春という時間」「人生という時間」です。みなさんにとって、この3つは、どれもかけがえのない大切な時間です。この3つの「時間」が示す意味を味わいながら、日々の学校生活を送ってください。

と記しています。「今を悔いなく大切に生きる人間」として成長してほしいというのが、本校の願いなのです。
 それでは最後に、龍谷大平安の願い「ことば・じかん・いのちを大切に」をまとめておきます。
「ことば」は「南無阿弥陀仏」とお名号を称えることによって、阿弥陀さまから「必ず救い取るぞ」と呼び掛けられ、誰もが仏さまに願われた存在であることに気付かされること、他人への思いやりの形が言葉で表れます。
「じかん」は、先程も申し上げましたように、ものごとは時々刻々と移りゆき、必ず過ぎてしまうものです。生きている今を大切にしてほしいという思いを込めています。
「いのち」は、阿弥陀さまからの預かりものです。阿弥陀さまの願いのかけられた尊い「いのち」と思えた時、仏さまを悲しませない生き方をしようと考えるようになるのです。
 こうした心の教育を教育の根幹に据えて、進学校化に向けての教育改革も着実に進めております。今後も今までにもまして、進化させ、しっかりと充実させていきたいと思っております。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年11月01日(火)10時25分

ファイル 226-1.pdf

十一月

今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

2016(平成28)年 校友関係物故者追悼法要 2016年10月31日(月)15時44分

校長挨拶

 本年度は学園関係者およびそのお身内の方々が53名お亡くなりになられました。本日はその方々を追悼する法要を勤修し、これを機縁として私の生き方を学ぶという意義深い日であります。
 さて、それではお亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行ってしまわれたのでしょう。そう思うと、悲しみどころか不安で、とても辛い気持ちになります。
 お釈迦様は『愛別離苦』と名付けて、私たちはこの世で愛する人と必ずお別れをしなければならないという苦しみを八つの思うようにならない苦しみの一つに数えられました。
 では、お亡くなりになられた方々は、どこへ行かれたのか?と言いますと、その答えは今、みなさんと歌いました追悼のうた『み仏に抱かれて』に歌われております。
 1番の歌詞には、君ゆきぬ「西の岸」とあります。
   彼岸は、西の方角にあるとされます。西方浄土のことです。
 2番の歌詞には、君ゆきぬ「慈悲の国」とあります。
   仏様のお心を表す言葉が慈悲です。人々をいつくしみ、苦しみを取り去る心です。   この心に満ちた国のことです。
 3番の歌詞には、君ゆきぬ「花の里」とあります。
   四季の花々が咲き競う美しい世界です。
 そして、本日は3番までしか歌っておりませんが、
 4番の歌詞には、君ゆきぬ「宝楼閣(たまのいえ)」とあります。
   仏説阿弥陀経には、宝石でできた建物が描写されています。
 つまり、この「西の岸」「慈悲の国」「花の里」「宝楼閣」の四つとも、お浄土・阿弥陀如来の国を指す言葉であります。亡くなられた方は、仏さまにすくわれてお浄土へ行かれたのです。すでに仏さまになっておられますからご安心ください…と歌われているのです。
 ですが、亡き方はお浄土にいき、それで終わりということではありません。親鸞聖人は「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり」とお示しくださっています。

 すでに仏となられ、お浄土からの還相摂化(げんそうせつけ)のおはたらきにより、還相の菩薩となって私たちに、はたらきかけ慈悲の光を照らし続けてくださっているのです。分かり易くいうと、私が、亡き人々のことを案じていたのですが、実は、亡き人々の方から「いつまでも悲しんでばかりはおれませんよ!しっかり生きなさい!」と案じられている立場であったのです。
 現在、ご本山では、第25代専如ご門主の『伝灯奉告法要』が、2016年10月1日から来年、2017年5月31日まで10期80日にわたって営まれております。この度PHP研究所からご門主が「ありのままに、ひたむきに」~不安な今を生きる~(2016年9月21日発行)という御本をお出しになりました。その御本の「まえがき」に「日々の一瞬一瞬を、まずはありのままに受け止めて、そしてひたむきに精いっぱい生きていくこと」が大切だと思います。と記されております。
 このことに、一日も早く気づき、私のいのちを精一杯磨き輝かせる努力をしましょう。それが、いのちを大切にし、先に逝かれた方々に応える私の生き方であったことに気づくことになるのです。
 本日は、ようこそお参りいただきました。

平成28(2016)年度 中学校体育祭 2016年10月28日(金)17時02分

学校長激励のことば

おはようございます。
 暦の上では二十四節気の一つ霜降(そうこう)を過ぎました。「霜降」とは字の如く、霜が降り、朝晩の冷え込みが厳しくなることを言います。少し雨が心配ではありますが、予定通り、体育祭ができますことを心より嬉しく思います。
 さて、いよいよ赤・黒・白の三つの団に分かれての熱き戦いが始まります。
 赤団『ハバネロ(猛烈に辛い真っ赤な唐辛子のこと)』団長の荒居君は「『チームワークが自慢』このチームワークを生かして、校進・応援合戦・競技の全てに於いて全力で頑張りたい……」
 黒団『Black Thunder(黒い稲妻)』団長の村尾君は「『去年の団長を見ていてかっこいいと思ったのが団長になろうと思ったきっかけ』各クラブのキャプテン・部長などがたくさんいるのが強み…本気で挑みます……」
 白団『光凰(はくおう)』団長の内山君は「『やる時はやる、休む時は休むといったけじめをしっかりつけられる団』チーム力が高くとにかく一生懸命楽しむことをスローガンに優勝を目指して頑張っていきます……」
と各団長が熱きメッセージで、それぞれの意気込みを語ってくれました。
 ここまで3年生のみなさんは、下級生をよく導き、まとめてくれました。この体育祭は、本当に学年を超えて友好を深められる素晴らしい機会だと思っています。
 中学校通信10月号にも先生のメッセージが記されていましたが、勝つことだけが目的ではありません。今日の本番を迎えるまでの毎日の取組こそが大切なのです。全員が「こころ」ひとつにがんばりましょう!やればできる!何事も今を一生懸命!ケガの無いように充実した一日になることを願っています。
 最後になりましたが、平日にも関わりませず、朝早くからご観戦に駆けつけていただきました保護者のみなさま、誠にありがとうございます。
 ご家庭では見られない一面をたくさん見せてくれることと思いますので、今日一日、子どもたちにたくさんの声援を送っていただきたいと思います。何卒宜しくお願い申し上げ挨拶とさせていただきます。

平成28(2016)年度 仏参【10月】 校長講話 2016年10月19日(水)17時04分

 みなさん、おはようございます。
 後期始業式で、本年4月に発行いたしました冊子「平安の願い“三つの大切”」については、今日の仏参で話しますと言いました。今一度、『建学の精神』を確認しておきます。
 龍谷大平安の『建学の精神』は「浄土真宗の精神」です。では、「浄土真宗の精神」とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。何度聞いても難しいですね。では、具体的にどういう心を持ち、どういう生き方をするのかという日常の心得として、「ことばを大切に」「じかんを大切に」「いのちを大切に」という“三つの大切”を掲げているのです。
「ことば」は「南無阿弥陀仏」とお名号を称えることによって、阿弥陀さまから「必ず救い取るぞ」と呼び掛けられ、誰もが仏さまに願われた存在であることに気付かされること、他人への思いやりの形が言葉で表れます。
「じかん」は「諸行無常」という言葉があるように、ものごとは時々刻々と移りゆき、必ず過ぎてしまうものです。生きている今を大切にしてほしいという思いを込めています。
「いのち」は、阿弥陀さまからの預かりものです。阿弥陀さまの願いのかけられた尊い「いのち」と思えた時、仏さまを悲しませない生き方をしようと考えるようになるのです。だからこそ大切にしてほしいということです。これが龍谷大平安の願いです。
 それでは、前期の始業式と前期初めの仏参で、「平安の願い“三つの大切”」から「ことばを大切に」と「じかんを大切に」の内容を紹介しましたので、いよいよ“三つの大切”の「いのちを大切に」について、
紹介いたします。

中学生に向けた文章で、次のように記しております。

 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで こわれて消えた
 しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
 生まれてすぐに こわれて消えた
 風風吹くな しゃぼん玉飛ばそ

 誰もが一度は口ずさんだことのある童謡「しゃぼん玉」の歌詞です。作詞者は野口雨情(うじよう)さんと言います。
 野口さんが童謡の普及に四国へ行っている時、2歳になる娘さんが病気で亡くなったとの知らせが届きました。
 愛するわが子を突然に失った悲しみの中で、あまりにもはかなく消えたわが子のいのちを想い、この歌を作ったと言われています。このしゃぼん玉を通して、私たちのいのちについて考えてみましょう。
 みんな一人ひとりにいのちがあり、そしてそれは「たったひとつのいのち」です。
私たちにはお父さんやお母さんがいて、そのお父さんやお母さんにも、お父さんお母さんがいます。というように、ずっとずっとつながっていて、そうしたつながりの中で、私たちが生きているのです。ですから、たくさんの方からいただいたいのちと言えるでしょう。
 そのいのちを大切にし、屋根まで飛ぶしゃぼん玉のように大きく成長してほしい、はかない世の中ではありますが、雄々しくたくましく元気に育ってほしい、と願わずにはいられません。そんな願いが、みなさん一人ひとりにかけられているのです。
 しかしながら私たちは、自分ひとりで生きていくことはできません。毎日いただいている食事ひとつをとっても、お米やお野菜を作る人、それを運ぶ人、売る人がいます。そのお米やお野菜で、食事を作ってくださる方々がいます。このようなたくさんの方たちの支えのおかげで、私たちは食事をいただくことができ、たったひとつの大切ないのちを、今日から明日へつなぐことができるのです。
 このように私たちは、多くのつながりの中に生きています。あなたも私も、一人ひとりかけがえのない、尊いいのちを生きているのです。「いただいているいのち」「願われているいのち」「支えられているいのち」。「建学の精神」のもとで謳われている、そのようないのちを生きている自分であることを忘れないでください。

 とこのように記しています。毎週一回行われます龍谷大平安での仏参で「南無阿弥陀仏」とお念仏することは、阿弥陀さまのご本願を鏡として自分を照らしてみる、つまり、仏さまの鏡に照らして自分を見つめてみるという大切な時間なのです。
 最後に、10月の「今月の聖語」に宗教教育係が『ダンマパダ』の言葉を記してくれています。ちょうど、正門を入って直ぐ左の黒板を見てくれていますか?どんな言葉かと言いますと、

 先ず自分を正しくととのえ、次(つ)いで他人を教えよ。

と、このような言葉です。どのような解説をしてくれているかと申しますと、

 ストレートに心に響く言葉だと思います。まさに自分自身のことを言われているような気になりませんか。みなさんは、この言葉を読んで、どのように感じたでしょうか。
 不思議なもので、人の欠点はよく見えてしまいます。私たちは、つい人の欠点や至らないところを指摘しがちですが、自分自身のことは案外見えていないことが多いかも知れません。
 人の言動ばかりに気を取られて、肝心の自分自身を見失ってしまってはいけませんね。人に何か言う前には、必ず一度立ち止まり、自分自身の言動を振り返ってみることが大切です。
 仏陀が述べるように、日々の言動をこの機会にしっかりと見つめ直して、まずは自分自身を正しく整えることに努めましょう。合掌

 どうぞみなさん、仏参では、「南無阿弥陀仏」のお念仏を通して、阿弥陀さまのお慈悲の心を聞かせていただき、少しでも阿弥陀さまを悲しませない生き方を求めて日々を送りましょう。
 その生き方を心がけることが、お互いに敬い合い、助け合いながら、日々の生活を送ることにつながるのです。他人への思いやりの心をもって、日々過ごしていただくことをお願いしまして仏参の話を終わります。

平成28(2016)年度 御命日法要【10月】 2016年10月17日(月)08時08分

【ご案内】               

大悲無倦(だいひむけん) 「正信偈」より

■いつも見守っていてくださる
「悲しまれるよ」
多くの宗教は「いい事をしたら救われるけど、悪い事をしたら救われない」と説きます。しかし、浄土真宗では「いい事をした人も悪い事をした人も、平等に救われる」と説きます。普通に考えると納得がいきません。
ところで、皆さんは今までに、「そんな悪い事をしていたら、罰が当たるよ」と言われたことはありませんか。多分、多くの人が言われた経験があるでしょう。ところが、私は今までに、親から「そんな悪い事をしていたら、罰が当たるよ」と言われたことは、一度もありません。とは言っても、小さい頃から、ずっといい子だったわけではありません。悪い事もしました。そんな時は親から、「そんな悪い事をしていたら、仏さまが悲しまれるよ」と言われました。
浄土真宗では、善悪平等の救いを説きますが、それは決して悪い事をしてもいいと言っているのではありません。悪い事をしたら仏(阿弥陀)さまは、悲しまれるのです。当然、いい事をしたら喜ばれるのです。

善人も悪人も
私は、母親から叱られた時は、あまり反省しなかったけれど、母親を悲しませてしまった時は、深く反省したという、子どもの時の経験があります。
強く叱って正さないといけないこともありますが、悲しみの心に出あうことによって、人生が正されることもあるのです。
阿弥陀さまはいつも私たちのことを心配して見守っていてくださいます。善人も悪人も平等に慈しんでくださいます。さらに言えば、それは、私がいい事をしている時も、悪い事をしている時も、どんな状態にあろうとも、見捨てず見守ってくださっているということなのです。
「正信偈」に「大悲無倦常照我(大悲、倦(ものう)きこと無くして、常に我を照らしたもう)」とあります。阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきは、飽きたり疲れたりすることなく、常に私を照らし続けてくださっているのです。
私は幼い頃からそのことを、「仏さまはいつも見守っていてくださいます」という言葉で聞かせていただいてきました。そんなあたたかい世界に包まれた人生を歩ませていただきましょう。
(『本願寺新報』2016(平成28)年9月1日「いのちの栞」龍谷大学非常勤講師 小池秀章)


おかげさまで ~140周年~ ありがとう“感謝”

10月 御命日法要 
○ 日時 10月17日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 石川真也 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

御礼 第2回 学校説明会 2016年10月10日(月)16時13分

2016年10月10日(祝)本校講堂におきまして『第2回学校説明会』を開催いたしましたところ、午前10時~(中学受験生対象)約110組、午後1時~(高校受験生対象)約330組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2017年度入試の学校説明会」に、休日にも関わりませず、たくさんの方にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本校も、本年5月21日をもちまして満140歳となりました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。
 今年、本校が創立140周年を迎えるにあたり『建学の精神』を広く深く伝えたいとの願いのもとに「平安の願い“三つの大切”」という冊子を作成いたしました。
 私の方からは、その内容の一部を紹介し、本校の教育理念について、少しお話しさせていただきます。
 本校の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。この阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。
 このことを実現するための日常の心得として「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神あってこその心であり、生き方です。
 それでは、今日は「ことばを大切に」について、記しております内容を1つご紹介いたします。

 ひとつのことばで けんかして
 ひとつのことばで なかなおり
 ひとつのことばで 頭が下がり
 ひとつのことばで 心が痛む
 ひとつのことばで 楽しく笑い
 ひとつのことばで 泣かされる
 ひとつのことばは それぞれに
 ひとつの心を 持っている
 きれいなことばは きれいな心
 やさしいことばは やさしい心
 ひとつのことばを 大切に
 ひとつのことばを 美しく (「ひとつのことば」)

 詩人の北原白秋さんが作ったとされる「ひとつのことば」という詩です。みなさんは、家族の人たちをはじめ、学校の先生や友だちと会話をするとき、きちんと言葉を選んで使っていますか。この詩で言われているように、自分が発したひとつの言葉で、相手とけんかになることがあります。しかし、相手が親しい関係であれば、「ごめんね」の一言でなかなおりすることができます。それだけ口から発せられる言葉の力は大きく、ひとつの言葉であっても、相手を笑わせ喜ばせることもできれば、泣かせ悲しませてしまうこともあるのです。
 お釈迦さまは、次のようにお説きになりました。

 人が生まれたときには、実に口の中に斧(おの)が生じている。愚者(ぐしゃ)は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。 (『ブッダのことば』)

 「口の中に斧がある」というのは、言葉のことを指しています。相手が嫌がるような悪口を言うことによって、言葉という見えない斧が自分の心をも傷つけているということです。それは相手の心も傷つけることになり、どれだけ言葉の力が大きいかがわかります。普段から汚い言葉や乱暴な言葉を使わないように意識することを心がければ、まわりの人の心も自分自身の心も傷つかずにすむのではないでしょうか。
 人と会話をするときは「正確な言葉」を使い、思いやりのある心で「やさしい言葉」をかけ、「ていねいな言葉」を使う。平安では「建学の精神」のもと、この3つのキーワードを大切にしています。
 これらのキーワードを心に留めて、日々の生活の中で相手を思いやる気持ちを大切に、たくさんの友だちと良い関係を作っていってください。

 と記しています。これから大人の階段を一段一段登っていくみなさんへ。どうか、心が喜ぶ素敵な言葉を使ってください。優しい思いやり溢れる言葉を、口にしてください。言葉には、自分を幸せに導く素晴らしい力があります。
 それでは最後に、龍谷大平安の願い「ことば・じかん・いのちを大切に」をまとめておきます。
 「ことば」は「南無阿弥陀仏」とお名号を称えることによって、阿弥陀さまから「必ず救い取るぞ」と呼び掛けられ、誰もが仏さまに願われた存在であることに気付かされること、他人への思いやりの形が言葉で表れます。
 「じかん」は「諸行無常」という言葉があるように、ものごとは時々刻々と移りゆき、必ず過ぎてしまうものです。生きている今を大切にしてほしいという思いを込めています。
 「いのち」は、阿弥陀さまからの預かりものです。阿弥陀さまの願いのかけられた尊い「いのち」と思えた時、仏さまを悲しませない生き方をしようと考えるようになるのです。だからこそ大切にしてほしいというのが龍谷大平安の願いです。
 こうした心の教育を教育の根幹に据えて、進学校化に向けての教育改革も着実に進めております。今後も今までにもまして、進化させ、しっかりと充実させていきたいと思っております。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

平成28(2016)年度 後期始業式 2016年10月05日(水)17時56分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 前期考査を終え、4日間の試験休みをおき、本日より平成28年(2016)年度後期がスタートいたします。
 たびたび申しておりますが、本年5月21日「龍谷大平安」は満140歳となりました。そして、11月12日ご門主様のご臨席を賜り挙行いたします記念式典も、一ヶ月あまりに迫ってまいりました。どうぞみなさんもご協力の程よろしくお願いします。

◎平成28年11月12日(土)
【生徒対象事業】
1)「龍谷大学付属平安高等学校・中学校 創立140周年記念 教育講演会」
 1. 開催時間  10時00分~11時00分
 2. 開催場所  龍谷大学付属平安高等学校・中学校 講堂、礼拝堂・第一会議室
 3. 教育講演 「フェンシングを通じて培った“こころ”」(仮)太田雄貴氏
  ※全校生徒 1,735名 ・高校生1,350名…講 堂
            ・中学生 385名…礼拝堂・第一会議室(ライブ映像配信)

【ご来賓・同窓生対象事業】
1)記念式典
 1. 開催時間  14時00分~15時00分 ※受付13時30分
 2. 開催場所  龍谷大学付属平安高等学校・中学校 講堂
2)生徒パフォーマンス
 1. 開催時間  15時30分~16時30分
 2. 開催場所  リーガロイヤルホテル京都 2階 朱雀の間
  ※舞台発表 1、合唱部 2、チアダンス部 3、吹奏楽部
  ※展示発表・実演等 1、華道部 2、茶道部 3、美術部 4、写真部 5、書道部 6、考古学部 7、鉄道研究部 8、競技かるた部 9、GCC 10、ネイチャー部 11、古典文化研究部 12、ESS 13、将棋
  ※映像発表 1、アメリカンフットボール 2、剣道 3、硬式野球 4、サッカー 5、自転車競技 6、柔道 7、ソフトテニス 8、卓球 9、軟式野球 10、バスケットボール 11、バドミントン 12、バレーボール 13、ハンドボール 14、フェンシング 15、陸上競技 16、ワンダーフォーゲル 17、ゴルフ(同好会)

 さて、本年4月、本校が創立140周年を迎えるにあたり『建学の精神』を、広く深く伝えたいとの願いのもとに「平安の願い“三つの大切”」を作成いたしました。広く深く伝えたいとの願いはもちろんですが、皆さんにも、何を隠そうこの私も、今一度『建学の精神』を再確認するという意味もあるのです。
 龍谷大平安の『建学の精神』は「浄土真宗の精神」です。「浄土真宗の精神」とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。少し難しいですね。これを具現化するための日常の心得として、「ことばを大切に」「じかんを大切に」「いのちを大切に」という“三つの大切”を掲げているのです。“三つの大切”については、前期始業式で「ことば」、前期初めの仏参で「じかん」を話しましたので、「いのち」は後期初めの仏参でお話しします。
 今日は、みなさんはご存知の方もご存知でない方もいらっしゃると思いますが、浄土真宗には十派あります。まず私たちの西本願寺「本願寺派」・東本願寺「大谷派」・専修(せんじゅ)寺「高田派(三重)」・佛光寺「佛光寺派」・興正寺「興正派」・錦織寺「木辺派(滋賀)」・毫摂(ごうしょう)寺「出雲路派(福井)」・誠照(じょうしょう)寺「誠照寺派(福井)」・専照(せんしょう)寺「三門徒派(福井)」・證誠(しょうじょう)寺「山元派(福井)」です。その十派が「真宗教団連合」を組織しています。その「真宗教団連合」が、毎年「法語カレンダー」を発行しています。そのカレンダーの10月に「まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに 照します」という言葉が記されています。
 実は、高校3年生の卒業アルバムに、平安の三つの大切に添えて『煩悩障眼雖不見(ぼんのうしようげんすいふけん) 大悲無倦常照我(だいひむけんじようしようが)』という言葉をしたためております。
 これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中にある一節であります。
――悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来はお慈悲の心をもって、倦(う)みつかれることなく、常にわが身を照らし続けて下さっている――という意味です。
 2016(平成28)年9月1日の『本願寺新報』「いのちの栞」に、この「大悲無倦」について、龍谷大学非常勤講師の小池秀章先生の文章が掲載されていましたので紹介いたします。

 多くの宗教は「いい事をしたら救われるけど、悪い事をしたら救われない」と説きます。しかし、浄土真宗では「いい事をした人も悪い事をした人も、平等に救われる」と説きます。普通に考えると納得がいきません。
 ところで、皆さんは今までに、「そんな悪い事をしていたら、罰が当たるよ」と言われたことはありませんか。多分、多くの人が言われた経験があるでしょう。ところが、私は今までに、親から「そんな悪い事をしていたら、罰が当たるよ」と言われたことは、一度もありません。とは言っても、小さい頃から、ずっといい子だったわけではありません。悪い事もしました。そんな時は親から、「そんな悪い事をしていたら、仏さまが悲しまれるよ」と言われました。
 浄土真宗では、善悪平等の救いを説きますが、それは決して悪い事をしてもいいと言っているのではありません。悪い事をしたら仏(阿弥陀)さまは、悲しまれるのです。当然、いい事をしたら喜ばれるのです。
 私は、母親から叱られた時は、あまり反省しなかったけれど、母親を悲しませてしまった時は、深く反省したという、子どもの時の経験があります。
 強く叱って正さないといけないこともありますが、悲しみの心に出あうことによって、人生が正されることもあるのです。
 阿弥陀さまはいつも私たちのことを心配して見守っていてくださいます。善人も悪人も平等に慈しんでくださいます。さらに言えば、それは、私がいい事をしている時も、悪い事をしている時も、どんな状態にあろうとも、見捨てず見守ってくださっているということなのです。
 「正信偈」に「大悲無倦常照我(大悲、倦(ものう)きこと無くして、常に我を照らしたもう)」とあります。阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきは、飽きたり疲れたりすることなく、常に私を照らし続けてくださっているのです。
 私は幼い頃からそのことを、「仏さまはいつも見守っていてくださいます」という言葉で聞かせていただいてきました。そんなあたたかい世界に包まれた人生を歩ませていただきましょう。

 少し難しかったかも知れませんが、私たちは、自己中心的なものの見方や考え方しかできない存在であります。その中で本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまい、物事をありのままに受け容れることができなくなり、だから、色々なことで悩み苦しみます。それでも、阿弥陀如来は常に私たちを照らしてくださっています。阿弥陀さまは私たちを決して見捨てることなくいつも寄り添ってくださっています。阿弥陀さまははたらき続けていてくださっているのです。
 そんなあたたかく包まれた中で、私たちはしっかりと自分の心を磨きましょう。それが、140年間変わることなく続いてきた平安の伝統です。
 先日の文化祭・体育祭・中学の音楽祭など、みなさんはしっかりと自分の心を磨き、確実に成長してくれています。それが証拠に、この学園祭も素晴らしいものとなり、やり終えた後にみんなで互いの苦労をねぎらいながら涙する場面も見られました。私たちの人生やこれからの社会生活においても、他人への思いやりの心をもつことは非常に大切であります。そして、その思いやりの心が、慈しみ寄り添う慈悲の心なのです。
 創立140周年という歴史と伝統の中で培ってきた仏教精神を再確認しながら、人として一番大切にすべきこと、さらには本当の意味での心を磨いてもらいたいと願っているところであります。
 このことを、しっかりと胸に刻み、みなさんそれぞれ独り一人が自分色の花を咲かせることができるように今後も日々精進してください。これこそが、龍谷大平安で学ぶことの意義だからです。
 いよいよ今日から後期の学校生活がスタートします。節目の時期は大切です。しっかりと自分自身の振り返りをして、後期に活かしましょう。そして、勉強や部活動、それぞれの目標に向けて「今という時間」を大切にし、日々精進していきましょう。
 以上、式辞といたします。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年10月01日(土)11時00分

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十月

今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

御礼 龍谷大学付属平安中学校・高等学校オープンキャンパス 2016年09月22日(木)16時01分

平成28年9月22日(祝)オープンキャンパスを開催いたしましたところ、午前9時半からの中学全体説明会に約210組、午後1時半からの高校全体説明会に約1080組、総勢3000名近くの生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
 さて、1876年(明治9)年に創立されました本校も、本年創立140周年を迎えました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは少し難しすぎるかもしれませんね。
 それでは、龍谷大平安で何を学ぶのかについて、少しだけお話しさせていただきます。
 みなさんは、こんなCMを見たことはありませんか?テレビやラジオで吹石一恵さんがナレーションをつとめられ、相田みつをさんの詩が朗読されます。

 セトモノ と セトモノ と
 ぶつかりっこすると すぐこわれちゃう
 どっちか やわらかければ だいじょうぶ
 やわらかいこころを もちましょう
 そういうわたしは いつもセトモノ    みつを

 このセトモノとは、みなさんがご飯を食べる時のお茶碗をイメージしてください。お茶碗とお茶碗がぶつかると欠けてしまったり割れてしまったりします。どちらかが柔らかければ、割れないですよね。人もお茶碗と一緒で柔軟性がなく、頑固な人同士では、意見がぶつかってしまいます。でも、どちらかが「柔らかい心」を持って「なるほどね」と耳を傾ける姿勢があれば、衝突しないですみます。
 このCMでは、交差点の横断歩道で、たまたま肩と肩がぶつかって睨み合いになるところ、一方が「ごめんなさい、失礼」と頭を下げる映像が流れます。
 どうでしょう。ちょっとしたことを許せる気持ちが、世の中に少し足りていないかもしれませんね。このCMは、「やわらかいこころをもちましょう!」と、メッセージしています。そして、最後のフレーズに「そういうわたしはいつもセトモノ」とあります。
 残念ながら、私たち人間は自分が自分がに執着し、素直になれずにいます。自己中心的で、自分が正しいと考えてしまうものです。
 「そういうわたしはいつもセトモノ」というところに、自己中心的で、何でも自分が正しいと思う私の姿が映し出されているのです。実は、こうした自覚の上に立ってこそ「ありのままの自分をしっかりと見つめる」ことができるようになるのです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。他人に対する思いやりの心を磨くことにあります。この心を育てたいというのが龍谷大平安の願いです。
 今日は、限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て存分に楽しんでください。本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。