HEIAN BLOG 校長 BLOG

記事一覧

今月の言葉《宗教教育係》 2016年04月01日(金)09時00分

ファイル 198-1.pdf

四月
 今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
 今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成27(2015)年度 龍谷大学付属平安中学校 後期終業式 2016年03月19日(土)11時25分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて10日前の3月9日、高校2年生と1年生約800人で雨の中、「人文字」を作ってくれました。硬式野球部が、第88回の選抜大会に4年連続40回目春夏通算73回目の甲子園に出場してくれますので、毎日新聞社がヘリコプターから空撮してくれたのです。
 高校生は、それ以外にもフェンシング部男子が19年連続・女子が2年連続、卓球部男子が18年連続・女子が初出場、常連のチアダンス部、個人で陸上部の中村僚真君が日本ジュニア室内陸上に出場し8位に入賞してくれました。ゴルフ部の中野恵里花さんが全国大会に出場してくれます。競技かるた部も全国に駒を進めてくれました。各クラブの全国での活躍を心より期待しているところです。
 また、みなさんの中学ではチアダンス部が、ダンスドリル・ウィンターカップにおいて、団体総合で2年連続で日本一に輝いてくれました。2月4日、本山に優勝奉告参拝に行きましたが、チアダンス部のみなさんの一糸乱れないお焼香・合掌・礼拝の姿勢に素晴らしいものを感じました。これが、優勝するチームだということです。
 いよいよそれぞれの学年のフィナーレを迎えようとしています。この1年は、みなさんそれぞれにとって成長の1年でしたか。進歩の1年でしたか。
 それでは、高校の終業式にもお話しました内容をご紹介いたします。
 大谷光真前ご門主が昨年出版されました『人生は価値ある一瞬(ひととき)』という御本から「こころの進歩」と題する文章を紹介しました。

 わたしたちは、生まれたときから常に、「進歩」することを生活の原理としています。学校では、多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると、業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。近代の日本人を導いてきたのはこの「進歩」の思想で、確かに優れた点もたくさんありました。しかし、他方では、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきたのも事実です。
 こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見える「進歩」だとすれば、同じ「進歩」でも、外から見えない「進歩」があります。自分の内面における「こころの進歩」です。
 「こころの進歩」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という箴言(しんげん)にもあるとおり、おのずから他人に対して謙虚になります。
 とはいえ、人間はなかなか自分を正しく見られません。ともすると、よい点は過大に認め、悪い点は割り引いて見るなど、自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分のほんとうの姿は無意識に見ないようにしてしまうからで、それだけに、「こころの進歩」を意識して生きる必要があると思います。

 このように記されておられます。さて、みなさんの「こころ」は「進歩」しましたか?
 冒頭に申しましたが、学年のフィナーレを迎えて、この1年、あるいは2年で、みなさんの「こころ」は、どのように「進歩」しましたか?
 「こころの進歩」とはね、中学の卒業式にも申しましたが、私たちの日常は「すべて他人が悪い」と思い、人の「良さ」や「痛み」に心を向けることなく、自己中心的に暮らしているのです。「自分は間違っていない、すべて他人が悪い」と思い込んでしまいがちなのです。
 しかし、自分、他者のいのちを見つめ始めれば、自己中心的で傲慢な生き方が、「お陰さま」の中で暮らす柔らかな感謝の暮らしへと変わってくるのです。そして、自己を見つめたとき、自分自身のいたらなさを知り、素直な心と謙虚な心が芽ばえ、ここに「人」としての成長があるのです。
 最後に、本年5月21日「龍谷大平安」は満140歳となります。その開校記念日を皮切りに全ての学校行事は140周年の記念行事となります。そして、11月12日(土)、ご門主様のご臨席を賜り、記念式典を挙行いたしたく思っています。みなさんにも何かとご協力をお願いすることとなります。
 何とぞ宜しくお願いします。
 このように今年は、龍谷大平安にとって記念すべき年です。目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、「こころの知性」の大切さを再確認して、われわれは決して一人で生きているのではなく、他に支えられて生かされているからこそ、人と人との関係性を何よりも大切にしなければならないということを今一度肝に銘じておきましょう。
○平成28(2016)年度
  おかげさまで~140周年~ありがとう“感謝”
 このことをお伝えして私の式辞といたします。

平成27(2015)年度 龍谷大学付属平安中学校 卒業証書授与式 2016年03月15日(火)12時06分

学校長式辞

 春のお彼岸を目の前にし、校庭の紅梅も見事に花を咲かせ春の訪れを感じる今日の佳き日、龍谷大学付属平安中学校の第69回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部部長 白川了信 様、龍谷大学副学長 池田 勉 様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、学園同窓会、親和会・保護者会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜りましたことに、理事長とともに、衷心より御礼を申し上げます。
 また、保護者のみなさま、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。
卒業生98名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 それでは、今日のこの日を迎えるにあたり、私が保護者から頂戴しました一通のお手紙を紹介します。
 まずは、子どもが3年間お世話になった御礼が丁寧に述べられ、振り返りますと、あっという間のようにも感じられますが、やはり3年という月日がしっかりと流れたようにも感じられます。
 中学1年のある日、「学校を辞めたい……」と言われたことがあり、とてもショックだったこと。クラスや友だちに馴染めないのか……。 とはいえ、支えとなってくださったのが担任であり、先生との出会いはとても有り難く幸せなことでした。と、綴られています。
 そんな中、中学生活を大きく変える出来事がありました。幼い頃から控え目であった子が、何事にも積極的になり始めたのです。そうするとどうでしょう。気持ちが前向きになると、苦手だったことや大嫌いなものに対する取り組み方が変わってきたではありませんか。
 中学2年生になって、どちらかというと苦手な先生が担任になりました。しかし、その先生の教育に対する姿勢や熱意が心を動かしました。今では心の底からその先生に本当にお世話になったと言うようになりました。先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
 そして、私が嬉しかったのは、「やはり宗教の授業や宗教行事が子どもの心の成長に大きく関わっている」ということが記されていました。
 宗教行事がある日の朝は、いつもより少しきちんと身支度を調えて登校していました。ある朝、そのことについて尋ねてみました。返ってきた答えは、「自分は、何もできていない人間だから、阿弥陀様に会うのに、せめて身だしなみくらいはきれいにしておかないと申し訳ない……」と、ごく自然にこう言いました。
 わたしはそんな言葉を聞いて嬉しくなりました。そして、仏の教えとは、何て美しいものなのだろうと思ったのです。自分のいたらなさを認識しておくことは、実はとても難しいことだと思います。でも人が成長していく上で、最も大切なことのようにも思うのです。
 なぜなら、自分自身のいたらなさを分かっている謙虚で素直な心があれば、どんな些細なことからも学ぶことが出来ると思うからです。宗教を教えていただいたことは、子どもにとって本当に尊い時間だったと思います。今、社会で起きていることも、政治も、平和について考える時も、先祖や自分自身について振り返る時も、仏の教えをもとに、見たり、聞いたり、より深く考えるようになったと思います。
 三年という月日の中で、辛かったこと、嫌だったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、色んな経験をしたと思います。そのどれもが、良い学びとして、誰からもうばわれることのない、決して減ることもない本人の財産となるでしょう。
 そして、最後にまた「本当に本当にお世話になりました」と締めくくられているお手紙でありました。
 私は目頭を熱くして読ませていただきました。私たちの日常は「すべて他人が悪い」と思い、人の「良さ」や「痛み」に心を向けることなく、自己中心的に暮らしています。「自分は間違っていない、すべて他人が悪い」と思い込んでしまいがちです。
 しかし、自他のいのちを見つめ始めれば、自己中心的で傲慢な生き方が、「お陰さま」の中で暮らす柔らかな感謝の暮らしへと変わります。そして、自己を真摯に見つめたとき、お手紙にありましたように、自分自身のいたらなさを知り、素直な心と謙虚な心が芽ばえ、ここに「人」としての成長があるのです。
 さて、先週と先々週の二週間にわたり卒業生98人と数分間の面談をいたしました。平安中学の3年間を振り返り、今の気持ちは?という質問をさせてもらいました。全員が申し合わせたかのように、口を揃えて、「楽しかった」「充実していた」「成長できた」「良き仲間に巡り会えた」と言ってくれました。中には「色々あったけど…今となってはいい思い出です」と言う生徒や「三年間迷惑ばかりかけてすいませんでした」といきなり謝る生徒もいました。素直にすいませんと言えることがとても嬉しかったです。
 いずれにしましても、満面の笑みを浮かべて「楽しかった」と言ってくれたことが何より、本当に心から嬉しく思いました。ほんの数分ですが、みなさんとのお話は本当に楽しかったです。みなさん一人一人の顔に、満足感や充実感が漲(みなぎ)っていました。私の方から感謝の言葉を言わせてください。「本当にありがとう!」
 最後に、このあと、平安高等学校に進まれる人、他校へ進学される人がいますが、どうぞ、龍谷大学付属平安中学校で身につけた、素直な心と謙虚な心を持って高等学校でも頑張ってください。龍谷大平安が涵養したこの「こころ」を基盤にして、未来に羽ばたかれんことを心より念じ、私の式辞といたします。

第88回選抜高等学校野球大会(甲子園)出場 壮行会 2016年03月14日(月)15時57分

奉告参拝式  於、西本願寺阿弥陀堂

校長挨拶
 春のお彼岸を目の前にして、校庭の紅梅も、見事に満開を迎えています。本当に暖かくなり、正に球春到来というところであります。
本日、本校硬式野球部の第88回選抜高等学校野球大会出場の奉告参拝式に際しまして、浄土真宗本願寺派総局のみなさまご臨席の元、また毎日新聞社京都支局長元田 禎様、京都府高等学校野球連盟会長北村 聡様をはじめ、多数のご来賓のご臨席を賜り衷心より御礼を申し上げます。
また、本奉告参拝式にあたり、本山の職員のみなさまには、たいへんご尽力をいただき心より感謝申し上げます。
ご出席いただきましたみなさま方におかれましては、平日のお忙しい中、激励に駆けつけていただきまして誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。
さて、龍谷大平安も明治9(1876)年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として産声を上げましてから、今年、創立140周年を迎えます。その記念すべき年に、こうして硬式野球部が4年連続40回目の甲子園出場を決めてくれました。本当に心から嬉しく思っております。夏の選手権大会出場の33回と合わせて、春夏通算73回目となる甲子園で是非とも2年前の感動をふたたびと心から願っているところであります。
その2年前のチームですが、秋の近畿大会の解説をされていた大阪ガスの石井智さんから、龍谷大平安の選手は「考える野球」がしっかりとできている。強さの秘密は、強打ということもあるが、その何よりも「考える野球」が実践できているとお褒めの言葉をいただきました。こういう評価をしていただいていた裏付けから、監督の口より「日本一」という言葉が出たのだと思います。この選抜大会でも「考える野球」を実践してください。
最後に、東日本大震災から今年で丸5年が経過いたしましたが、今なお避難生活を余儀なくされている方々がたくさんおられます。また、悲しい事件なども絶え間なくニュースで報道されているのも現実です。月並みかもしれませんが、今、こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝し、みんなに支えられてはじめて自分がここにあるのだということを忘れることなく、甲子園では頂点まで駆け上がってくれることを心から期待いたし、みなさまにはご声援の程宜しくお願い申し上げまして、私の挨拶といたします。本日は誠にありがとうございます。

平成27(2015)年度 龍谷大学付属平安高等学校 第1・2学年後期終業式 2016年03月09日(水)11時31分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて、この後みなさんには「人文字」にご協力いただかなければならないのですが、硬式野球部が第88回の選抜大会に4年連続40回目春夏通算73回目の甲子園に出場してくれます。
 フェンシング部が男子が19年連続・女子が2年連続、卓球部が男子が18年連続24回目・女子が初出場、常連のチアダンス部、陸上部の中村僚真君が日本ジュニア室内陸上に出場してくれます。ゴルフ部の中野恵里花さんが全国大会に出場してくれます。競技かるた部も全国に駒を進めてくれました。各クラブの全国での活躍を心より期待いたします。
 また、みなさんの後輩、中学のチアダンス部が、ダンスドリル・ウィンターカップにおいて、団体総合で2年連続で日本一に輝いてくれました。みなさんの活躍はめざましいものであります。
 いよいよそれぞれの学年のフィナーレを迎えようとしています。この1年は、みなさんそれぞれにとって成長の1年でしたか。進歩の1年でしたか。
 それでは、三年生の卒業式にお話しました内容をご紹介いたします。
 大谷光真前ご門主が昨年出版されました『人生は価値ある一瞬(ひととき)』という御本から「こころの進歩」と題する文章を紹介しました。

 わたしたちは、生まれたときから常に、「進歩」することを生活の原理としています。学校では、多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると、業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。近代の日本人を導いてきたのはこの「進歩」の思想で、確かに優れた点もたくさんありました。しかし、他方では、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきたのも事実です。
 こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見える「進歩」だとすれば、同じ「進歩」でも、外から見えない「進歩」があります。自分の内面における「こころの進歩」です。
 「こころの進歩」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という箴言(しんげん)にもあるとおり、おのずから他人に対して謙虚になります。
 とはいえ、人間はなかなか自分を正しく見られません。ともすると、よい点は過大に認め、悪い点は割り引いて見るなど、自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分のほんとうの姿は無意識に見ないようにしてしまうからで、それだけに、「こころの進歩」を意識して生きる必要があると思います。

 このように記されておられます。さて、みなさんの「こころ」は「進歩」しましたか?
 冒頭に申しましたが、学年のフィナーレを迎えて、この1年、あるいは2年で、みなさんの「こころ」は、どのように「進歩」しましたか?
 学校という学舎(まなびや)は、勉強を学ぶことはもちろんですが、それよりも何よりも集団生活の中で良き友人関係を構築する修練の場です。その土台になる感性、つまり「こころの知性『EQ』」を磨く大切な期間です。それぞれ3年生や2年生に進級しますが、「こころの進歩」を意識して、良好な人間関係を作ってください。
 最後に、本年5月21日「龍谷大平安」は満140歳となります。その開校記念日を皮切りに全ての学校行事は140周年の記念行事となります。そして、11月12日(土)、ご門主様のご臨席を賜り、記念式典を挙行いたしたく思っています。みなさんにも何かとご協力をお願いすることとなります。
 何とぞ宜しくお願いします。
 このように今年は、龍谷大平安にとって記念すべき年です。目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、「こころの知性」の大切さを再確認して、われわれは決して一人で生きているのではなく、他に支えられて生かされているからこそ、人と人との関係性を何よりも大切にしなければならないということを今一度肝に銘じておきましょう。
○平成28(2016)年度
  おかげさまで~140周年~ありがとう“感謝”
 このことをお伝えして私の式辞といたします。

平成27(2015)年度 龍谷大学付属平安高等学校 卒業証書授与式 2016年03月01日(火)12時18分

学校長式辞

 一雨ごとに気温が上がり日差しも徐々に暖かくなって春の訪れを感じる季節となりましたが、今朝起きますとみなさんの卒業をなごり惜しむかのようになごり雪が舞っておりました。また、校庭には二本の紅梅がありますが、今日の佳き日に合わせたかのように1本は満開に、もう1本もほころび始めました。本日ここに、龍谷大学付属平安高等学校の第68回卒業証書授与式を挙行するにあたり、浄土真宗本願寺派社会部賛事 辻本順爾 様、龍谷大学学長 赤松徹眞 様、法人理事・評議員の先生方をはじめ、平安同窓会、親和会・保護者会の役員のみなさま、多数のご来賓のご臨席を賜りましたことに、理事長とともに、衷心より御礼を申し上げます。
 保護者のみなさまには、ご子女の晴の卒業式典にご列席賜りましたことに、祝意ならびに謝意を表します。誠におめでとうございます。卒業生508名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 龍谷大平安ですが、明治9(1876)年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として産声を上げましてから、今年、創立140周年を迎えます。その記念すべき年に卒業されますみなさんに心よりお祝いを申し上げます。現在、卒業生は41,947名 ですので、みなさんが卒業されますと42,455名 となります。みなさんは、創立から数えますと137期生ということになります。
 さて、ちょうど10日ほど前の新聞に「ワトソン日本語版スタート」という記事が掲載されていました。
 ワトソンは、日本IBMが開発した人工知能で、大量のデータを「学び」「分析し」「判断し」「伝える」という人間に似た能力を持つ最先端のシステムです。質問応答システムで、言葉の趣旨を理解する能力の高さが特徴らしく、システムに入力された膨大なデータの傾向を分析し、回答の選択肢を選び、優先度を付けて回答を示す能力があるというのです。
 例えば、「手をたたく」という同じ表現が、注意を促したのか、拍手をしたのか、感心したのかを前後の文脈から判断し、アメリカのクイズ番組では人間のチャンピオンを破り、有名になったということです。今、大手企業が、顧客対応や研究開発分野で導入することを表明するなど、すでに、約150社が導入を検討中で、今後、さまざまな事業やサービスへの活用が広がっていきそうだ、ということであります。正に、科学が、私たち人間が発する言葉の趣旨までも理解し、対応をするまでに進歩したということです。が、ここで、忘れてはならない大切なものを、1月22日の終業式の話をおさらいして、私からみなさんに贈る言葉としたいと思います。
 大谷光真前ご門主著述の『人生は価値ある一瞬(ひととき)』の内容に触れたのを覚えてくれていますか。
 前門さまは、今さえよければ、自分さえよければという狭い思いを打ち砕く大切なはたらきを持った仏教を手がかりに、現代生活のさまざまな課題に、どう対処することができるかを考えてみました。と前置きをされ、エッセイを綴られています。その一つ「こころの進歩」と題する内容を紹介しましたね。
おさらいをしておきましょう。
 わたしたちは、生まれたときから常に、「進歩」することを生活の原理としています。学校では、多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると、業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。近代の日本人を導いてきたのはこの「進歩」の思想で、確かに優れた点もたくさんありました。しかし、他方では、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきたのも事実です。
 こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見える「進歩」だとすれば、同じ「進歩」でも、外から見えない「進歩」があります。自分の内面における「こころの進歩」です。
 「こころの進歩」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という箴言にもあるとおり、おのずから他人に対して謙虚になります。
 とはいえ、人間はなかなか自分を正しく見られません。ともすると、よい点は過大に認め、悪い点は割り引いて見るなど、自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分のほんとうの姿は無意識に見ないようにしてしまうからで、それだけに、「こころの進歩」を意識して生きる必要があると思います。
 このように記されておられます。さて、みなさんの「こころ」は、どのように「進歩」しましたか?意識して3年間・6年間を過ごしてきましたか?3年間を少し振り返ってみましょう。
 3年前、みなさんが龍谷大学付属平安高校に入学されました時の生徒手帳を思い起こしてみてください。その時の生徒手帳に私は「遍照」と記し、2年生の時の生徒手帳には「智慧」と記し、卒業の時には「慈悲」と記させていただきました。仏さまのお徳を「智慧」と「慈悲」であらわします。
 「慈悲」とはすべての者を救おうとする心で、相手の悲しみや痛みが、自分の悲しみや痛みとなる心です。「智慧」とは、その相手を救うために心理を深く洞察することを言います。
 しかしながら、今さえよければいいとか、自分さえよければいいとか、仲間さえよければいいというように、物事を自分にとって都合がいいようにしか理解せず、真実を真実として見ることができないのが、この自己中心的な私たちの姿です。ということは、この私が仏さまの「智慧」と「慈悲」を完成していくのではありません。
 仏さまの「智慧」と「慈悲」が私の身の上に届いて、私たちの内なるこころを成長させてくださるのです。このこころを育てることこそが、実は仏教的なものの見方のできる人間を育てる道であり、それが、本校の「徳育」(宗育)に他ならなかったのです。みなさんの心に「思いやりの心」を育て、「自制・協力・調和の心」を育む。そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいと願い,日常の心得として,「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけてきたのです。
 みなさんが今日、受け取られます卒業アルバムに、平安の三つの大切「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」という言葉に添えて『煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我』という言葉をしたためさせてもらいました。
 これは、私たちが、日々お勤めする『正信念仏偈』の中の、七高僧のお一人、源信和尚の述懐の箇所にある一節であります。
――悲しいかな、煩悩のためにわが眼はおおわれてしまって真実の有様を見ることができないですが、よろこばしいかな、如来はお慈悲の心をもって、倦(う)みつかれることなく、常にわが身を照らし続けて下さっているのですよ――
 自己中心的なものの見方や考え方しかできない私たちであります。その中で本当の姿、真実の姿をついつい見失ってしまい、物事をありのままに受け容れることができなくなり、だから、色々なことで悩み苦しみます。それでも、阿弥陀如来は常に私たちを照らしてくださっています。阿弥陀さまははたらき続けていてくださいます。
 安心して、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させましょう。すると、素直な心と謙虚な心が根づきます。そんな心のありようを意識して、先程ご紹介しました前門さまがおっしゃっています「こころの進歩」を意識して、日々の生活を送りましょう。
 次の日本を、そして世界を背負って立つみなさんに、こうして涵養した「宗教的情操」こそが、これからの人生の基盤に据えられることを願っております。どうぞ、龍谷大平安で青春を過ごしたことを誇りに、自らのいのちを磨き続ける人生を送られますことを心より念じまして、私の式辞といたします。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年03月01日(火)08時05分

ファイル 192-2.pdf

3月
 今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
 今月の聖語 ・・・ 学校正門 聖語版

English Day   2016年02月20日(土)12時56分

Principal greeting

Good morning, everyone.
It is time for English Day.
To all the parents, thank you very much for coming today.
On May 21st, we will have an anniversary to celebrate the 140th years since the founding of our school.
Before that, we have our final big event.
I am sure you will give great performances, and I really hope that you will do your best so that we can have a good day together.
Thank you.

校長挨拶
 みなさんおはようございます。
 保護者のみなさまには、たいへんお忙しい中ご来校いただきまして誠にありがとうございます。
 いよいよ「EnglishDay」の日がやってきました。
本校は、本年5月21日に創立140年を迎えます。この記念すべき日を目の前にして今年度の集大成とも言える最後の行事がまもなく開幕します。みなさんの素晴らしいパフォーマンスを期待しています。今日までの練習の成果を遺憾なく発揮し、素晴らしい一日になりますことを心から願っています。

今月の言葉《宗教教育係》 2016年02月01日(月)08時00分

ファイル 190-1.pdf

2月
 今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
 今月の聖語 ・・・ 学校正門 聖語版

平成27(2015)年度 高校第3学年 後期終業式 2016年01月22日(金)11時01分

学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて本校も、今年創立140周年を迎えますが、ここ十数年で大きな変化を遂げました。振り返りますと、明治9(1876)年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として創立されましてから126年間男子校であった平安が、2003(平成15)年に男女共学となりました。さらに5年後の2008(平成20)年に龍谷大学付属平安中学校・高等学校と校名を変更いたしました。そして、昨年4月1日学校法人平安学園は学校法人龍谷大学と法人合併し新たな歩みをはじめました。いよいよ、本年2016(平成28)年、創立140周年を迎えます。
 3年生のみなさんは今春卒業されますが、本年11月12日(土)に140周年の記念式典と記念祝賀会ならびに記念同窓会を開催する予定であります。みなさんも同窓としてご出席いただければと思います。
 現在、今春の卒業生であるみなさん(138期生)は含まず、卒業生総数は41,947名です。また、平成15(2003)年男女共学の1期生が2006年3月に卒業しましたが、そのうち女子の卒業生も1,315名となりますことをお知りおきください。
 さて、お正月は、ほんの束の間だったかも知れませんが、家族がコタツを囲み、もしくは、年末年始旅行に出かけお正月を外で迎えた人もいるかも知れません。少しはゆっくり過ごせましたか。そのお正月も返上し、3日からのセンター入試直前演習で最後の調整をして、この土日のセンター試験に臨んだみなさん、たいへんお疲れさまでした。この後も、2月・3月と入試本番を控えておりますので、気を抜かず頑張ってください。
 それでは今日は、昨年PHP研究所から発刊されました、大谷光真前ご門主著述の『人生は価値ある一(ひと)瞬(とき)』と題された御本をほんの少し紹介いたします。「まえがき」に次のように記されています。

 「人生を空しく終わってはならない、終わらせてはならない」ということが、私の願いです。それは、物質的な豊かさ、健康、快適な人間関係とは、必ずしも一致することではありません。快適な生活を求めて、世の中の流れに身をまかせるだけでは、何かのために利用される手段・道具になってしまうおそれもあります。
 外見的には困難に見える人生でも、目に見えない大切なものをわが身に持っているならば、こころ豊かな、空しくない人生となりましょう。
 目に見えない大切なものとは、一人ひとり、縁によって獲得するべきものですが、私にとっては、仏教の教えです。手っ取り早い解決法にはなりませんが、今さえよければ、自分さえよければという狭い思い を打ち砕く大切なはたらきを持った仏教を手がかりに、現代生活のさまざまな課題に、どう対処すること ができるかを考えてみました。本書が少しでも人生のヒントになればと思います。

と、このように記され、そのあと六章で構成されています。その2章「素直に生きるために」という章の中の一つを紹介いたしましょう。

 わたしたちは、生まれたときから常に、「進歩」することを生活の原理としています。学校では、多くの知識を増やして成績上位を目指し、会社に勤めると、業績を上げてより高い収入と地位を目標とします。近代の日本人を導いてきたのはこの「進歩」の思想で、確かに優れた点もたくさんありました。しかし、他方では、受験戦争など激しい競争社会を生み出してきたのも事実です。
 こうした学歴や出世、収入などは、他人と比較して外から見える「進歩」だとすれば、同じ「進歩」でも、外から見えない「進歩」があります。自分の内面における「こころの進歩」です。
 「こころの進歩」とは、ほかの人と比べてよりよい人間になることを言うのではありません。自分がいかにいたらない人間であるか、いかに自己中心的な人間であるかに気づきはじめることを言います。そこに気づけば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という箴言(しんげん)にもあるとおり、おのずから他人に対して謙虚になります。
 とはいえ、人間はなかなか自分を正しく見られません。ともすると、よい点は過大に認め、悪い点は割り引いて見るなど、自分に甘く、他人に厳しくなりがちです。自分のほんとうの姿は無意識に見ないようにしてしまうからで、それだけに、「こころの進歩」を意識して生きる必要があると思います。

 前門さまは、「こうしなさい、こう生きるべきです」とは決して断定せず、私たちに気づかせる道しるべを示してくださっているように思います。実はみなさんの過ごした龍谷大平安での3年間・6年間も、学問を学ぶことはもちろんですが、それよりも何よりも集団生活の中で人間関係をしっかりと築き、「こころの知性」を磨く大切な修練の期間だったのです。
 正に、目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の大切さ、つまりは「こころの進歩」を意識して日々の生活を過ごしてください。そして常に、仏さまを悲しませない生き方を心がけて日々精進してくださることをお伝えして私の式辞といたします。