2015年10月8日~14日中学生全学年・高校生各学年
2015年10月12日(祝)本校講堂におきまして『第2回学校説明会』を開催いたしましたところ、午前10時~(中学受験生対象)約90組、午後1時~(高校受験生対象)約310組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして心より御礼申し上げます。
学校長挨拶
本日は本校の「2016年度入試の学校説明会」に、休日にもかかわりませず、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
本校は1876年(明治9)年に創立されました浄土真宗本願寺派の宗門の学校です。来年140周年を迎えようとしていますが、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳ってまいりました。
さて、その浄土真宗で「みほとけさま」と言えば「阿弥陀如来さま」のことですが、多くの中学生・高校生は「阿弥陀如来さま」と「お釈迦さま」と「親鸞さま」がこんがらがっています。
本願寺新報「みんなの法話」に、易しく説明されていましたのでみなさんにご紹介いたします。
まず、「お釈迦さまは何人?」と聞くと「インド人」と答えてくれます。次に、「親鸞さまは何人?」と聞くと、「日本人」と答えてくれます。そして「阿弥陀さまは何人?」と聞くと、多くの場合、「インド人」という答えが返ってくるのです。きっとお釈迦さまとこんがらがっているのでしょう。
阿弥陀さまは何人でもありません。お釈迦さまと親鸞さまは、歴史上に存在された人間ですが、阿弥陀さまは歴史上に存在した人間ではありません。では、いったいどういうお方でしょうか。
阿弥陀さまは、私たちを真実に導いてくださる真実のはたらきそのもので、私たちのため姿・形となって現れてくださった方なのです。こうして、私たちのために人格的に現れてくださっていますが、阿弥陀さまは目で見て出遇う仏さまではなく、そのお心を聞かせてもらうことによって出遇うことのできる仏さまです。
浄土真宗は、裁きの宗教ではなく慈悲の宗教ですから、阿弥陀さまは善悪を裁き、悪いことをしたら罰を与えるということはされません。善悪を超えて、すべての存在を平等に慈しんでくださるのです。しかし、悪いことをしてもいいのではありません。悪いことをしたら、阿弥陀さまは悲しまれます。その阿弥陀さまの悲しみに出遇うことによって、私の生き方が、少しずつ正しい方向へと導かれていくのです。
毎週一回行われます龍谷大平安での仏参は、こうして「南無阿弥陀仏」とお念仏するところに「阿弥陀さまはいらっしゃった」と言える世界が開けてきます。仏さまの鏡に照らして自分を見つめてみる時間が仏参です。
阿弥陀さまのお慈悲の心を聞かせていただき、少しでも阿弥陀さまを悲しませない生き方を求めて日々を送りたいものですね。
したがいまして、今年度の生徒手帳には『慈悲』と記しました。
相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることが出来る、その心が慈悲です。心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって、目に見えない根っこの部分を磨くこと、つまりは、他人への思いやりの心を育むことが「平安の心の教育」だと考えています。
西本願寺のお膝元で、このようにして過ごす6年間や3年間は、みなさんに仏教的なものの見方や考え方が、自然と身についているのです。それが、平安で学ぶことの意義でもあります。
このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。
学校長式辞
みなさん、おはようございます。
前期考査を終え、4日間の試験休みをおき、本日より平成27年(2015)年度後期がスタートいたします。
前期の始業式で、みなさんの生徒手帳「生徒心得」の礼節のお話をしました。その一つに「学校への来客に対しては会釈をし、敬意をもってこれを迎え、不快の念を与えないように注意すること。」とあります。
前期の後半9月23日に中学高校のオープンキャンパスを開催しましたが、昨年に引き続き、総勢3000人を超える来校者がありました。龍谷大平安に興味を持っていただいている方々がこんなにもたくさんいてくださるということです。学校選びの一つに龍谷大平安を考えていただいていることの一番の理由は、実は、在校生のみなさんを見ていらっしゃるからです。
例えば、みなさんの挨拶は、このオープンキャンパスだけではなく、常日頃から本当に気持ちよく笑顔で挨拶をしてくれると、多くの来校者から言われ、たいへん嬉しく思います。当たり前と思っていることが、実は本当は大切なことで、こういう当たり前のことが周りから評価の対象となるのです。
始業式にお話したのは、みなさんのこの爽やかな挨拶や笑顔で接することは非常に微笑ましく素晴らしいことなのですが、さて、親や先生、目上の人に対して、今までに反抗的な態度をとったことはありませんかということです。親や先生の言うことを、素直に聞き入れず、反論ばかりしてはいませんか。ということでした。
実は、本当に賢い人ほど、謙虚で他人に嫌な顔もせずいつも笑顔が絶えないものです。逆に、未熟な者ほど、自分の愚かさを知らず、自分も賢くなったと勘違いしてしまい思い上がりの心が芽生え、他人の話を素直に聞くことができず、相手を見くだすようなこともしてしまうのです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがあるように、どんな社会の人でも本当に学問や人格が備わってくれば、自分の愚かさ、小っぽけさに気づきとても謙虚になってきます。自分の知恵や力に頼り、自分一人の力で生きていると思いあがっている間は、頭が上がるばかりです。すぐに善人づらをして、善人づらしていることさえ気づきません。
龍谷大平安で過ごす時間、特に毎週の仏参は、そんな私の自惚(うぬぼ)れの心を「それでいいのかな」「私は強がりを言っているんじゃないかな」と自分に問いかけ、向き合う修練の場です。この仏参や様々な宗教行事を通して、先生方やいろんな方からのお話を聴聞し、自分の心と照らし合わせてください。そして、自分の思い上がりの心に向き合ってください。そんな思いで学校生活を送ってくれることを願っていますと、申しました。
正に、一番あてにならないのが、自分中心に物事を見て自分がまるで一番かしこいと勘違いしている私の心なのです。
それでは、今年も小・中学生と保護者を対象にした学校説明会を開催しておりますが、そのおりに、私の挨拶としてお話ししている内容を少し紹介します。それは、龍谷大平安の「建学の精神」を私なりに、日々どのように生徒たちに伝えてきたか、ということです。
本校は、1876年(明治9)年、滋賀県彦根の地に「金亀教校」として創立され、本年、5月21日で満139歳となりました。来年創立140年を迎えますが、創立以来140年間、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養を理想としてきました。現在は、情操教育の中でも、道徳的情操教育の必要性が強調されています。その道徳的情操教育は、普遍的な宗教的情操の裏付けを必要とすると私は考えています。最近の社会科学でも、この点を明確にしてきています。このことも含めて、宗教的情操が人生や社会生活において、いかに大切なのかを考えてみたいと思います。と前置きをしております。
少し難しいかも知れませんが、簡単に言うと、仏教精神に基づく心の教育がみなさんのこれからの人生や社会生活にどれほど大事かということです。
私は3年前に校長になりましたが、まず「こころの知性(EQ)」を磨こうと、生徒たちに話しました。その時のベースになったのが、米国の心理学者 ダニエル・ゴールマン という人がお書きになった『EQ―こころの知能指数』と題された一冊の本です。
ゴールマンは「他の人への思いやりの心をもつことは、人生や社会生活では非常に大切だ」と語っています。彼が、「思いやりの心」というとき、英語でコムパッション(compassion)という言葉を使っていますが、これは慈しむ心のことです。つまり、人生や社会生活で大切なことは、他人への思いやりの心をもつことで、その思いやりの心は、すなわち、慈しみ寄り添う慈悲の心なのです。
だから、龍谷大平安がこれから140年、さらにその先も変わることなく目指すのは、まさに、知・徳・体の知育・体育の土台となる徳育、宗教的情操教育、心の教育の実践なのだということです。平安がめざすのは、「目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の本当の大切さ」に気づくことです。
具体的には、人が見ているからゴミを拾うのと、人が見ている見ていないにかかわらずゴミを拾うのとは違います。 逆を言うなら、人が見ているからゴミを捨てない、人が見ていなければポイとゴミを捨てるというのは、如何なものかということです。
先日の学園祭での演劇などは、正にみなさんの目の前で主演・助演・脇役として舞台の上で演じる人もいれば、そこまでの大道具・小道具作り、照明、それ以前の段階でシナリオ作りなど、表には現れない多くの裏方の努力の上に劇が完成します。だからこそ、やり終えた後にみんなで互いの苦労をねぎらいながら涙するのです。もっと大きなところでは、文化祭・体育祭を計画段階から支えた生徒会のみなさんもそうです。見られている見られていないではなく、目に見えない陰の立て役者に支えられて初めて物事は成り立っているのです。
みなさんに渡している生徒手帳に、これまで記してきました、遍照・智慧・慈悲、そして、その集大成としての今年度の校内スローガン~智慧と慈悲~。これは、相手の心を深く感じ取り、その人の痛みや気持ちが理解できる心を持ちましょう。というのが、みなさんに伝えたい思いです。仏さまの『智慧』に少しでも近づく心を育むことが私の願いです。
来年で創立140周年を迎えますが、歴史と伝統の中で培ってきた仏教精神を再確認しながら、人として一番大切にすべきこと、さらには本当の意味での心を磨いてもらいたいと願っているところであります。
このことを、しっかりと胸に刻み、みなさんそれぞれ独り一人が自分色の花を咲かせることができるように今後も日々精進してください。これこそが、龍谷大平安で学ぶことの意義だからです。
最後に、10月の「今月の言葉」として宗教教育係が掲げてくれました言葉を再確認します。
今を生きて咲き 今を生きて散る 花たち
今を忘れて生き 今を忘れて過ごす 人間たち 坂村真民
花壇や道端に咲いている花。それを見てあなたは何を感じるでしょうか。坂村さんは、その花と自分自身の姿を重ねたのでしょう。この詩には続きがあります。「ああ花に恥ずかし心いたむ日々」と締め括られています。
日々の生活の中で、つい忘れがちになってしまいますが、「今という時間」を大切にし、道端の花が美しく彩るように、私たちも自分という花を精一杯咲かせていきたいものです。ふと花を見たとき、「今を忘れて生きていないか、過ごしていないか」と思い出してみてください。
いよいよ今月から後期の学校生活がスタートします。節目の時期は大切です。しっかりと自分自身の振り返りをして、後期に活かしましょう。そして、勉強や部活動、それぞれの目標に向けて「今という時間」を大切にし、日々精進していきましょう。
平成27年9月23日(祝)オープンキャンパスを開催いたしましたところ、午前9時半からの中学全体説明会に約200組、午後1時半からの高校全体説明会に約1250組、総勢3000名の生徒・保護者のみなさまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
学校長挨拶
みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
さて、1876年(明治9)年に創立されました本校も、来年140周年を迎えますが、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳ってまいりました。それでは、仏教精神に基づく心の教育が、人生や社会生活において、いかに大切なのかを少しお話しさせていただきます。
私が校長職に就きました3年前、「こころの知性(EQ)」を磨こうと、子どもたちに話しました。その時ベースになったのが、米国の心理学者ダニエル・ゴールマンという人がお書きになった『EQ―こころの知能指数』と題された一冊の本です。
ゴールマンは「他の人への思いやりの心をもつことは、人生や社会生活では非常に大切だ」と語っています。彼が、「思いやりの心」というとき、英語でコムパッション(compassion)という言葉を使っていますが、これは慈しむ心のことです。この言葉は、仏教の慈悲心を英語で表現する言葉でも使われています。
「こころの知性(EQ)」として大切なものは、他人への思いやりの心をもつことで、その思いやりの心は、すなわち、慈しみ寄り添う慈悲の心ということになります。
本校の生徒手帳には、学校の年間スケジュールが、全て書き込まれており、日常の自己管理のツールとして活用させております。その中に、毎年テーマを掲げて、私の書を記してきました。
遍照・智慧・慈悲と一年ごとに記す言葉を変えてきましたが、今年度はその集大成として校内のスローガンを「智慧と慈悲」といたしました。
「相手の心を感じ取り、その人の痛みや気持ちが理解できる心を持ちましょう。というのが生徒達に伝えたい思いです。他人への思いやりの心を育むこと、これが平安の教育の基本です。」
西本願寺のお膝元でこのようにして過ごす3年間や6年間は、みなさんに仏教的なものの見方や考え方が自然と身についているのです。それが、平安で学ぶことの意義でもあります。
今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て、存分に楽しんでください。
本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。
【ご案内】
今年度6月1日の平安保護者会役員会でお話しいたしました「本願寺新報」の姉妹誌「大乗」に連載中の「じいじからあなたへの手紙」(中川真昭)が、再び取り上げられていましたのでご紹介いたします。
本紙の姉妹誌「大乗」に連載中の「じいじからあなたへの手紙」。童話作家の中川真昭さんが、何かおかしくなったと思う日常の風景を「いのち」の視点で振り返りながら、優しく「生」を問いかける。ツバメの話題があった。「村にたった一つのツバメの巣。何年もまえだったなあ。電線に押しあいへしあい、ズラリと並んで、南へかえる日をまっていたツバメたちのすがたもない…」
「みんなでおゆうぎしているよ」と童謡に歌われるメダカも今や絶滅危惧種。これらは数多くの事例の一つに過ぎず、経済活動の増大は生物の環境に大きな影響を与えた。その激変ぶりは他のいのちを省みることなく「モノ」を追い求めた結果であり、便利社会にどっぷり浸かっていることの証し。
私たちが失ったものの一つに「おかげ」と受け取るこころがある。四季豊かな自然の中で暮らし、その恵みをいただいてきた私たちは、その言葉に「さま」をつけ、さまざまな場面で感謝の気持ちを表してきた。そのこころは家庭でも代々受け継がれてきた。しかし、今はどうだろうか。
今号では「食事のことば」も取り上げた。家庭環境の変化は無視できないが、子どもたちの「孤食」が増えてきているという。できるだけ食事は家族でとり、合掌し「いただきます」「ごちそうさまでした」と声に出したい。多くのご苦労と、尊いいのちを糧に今の私が生かされていることをこころに刻む。その第一歩が「食事のことば」の唱和だと思う。
本願寺新報8月1日(土)コラム赤光白光より
●食前のことば
多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
●食後のことば
尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
おかげで、ごちそうさまでした。
9月 御命日法要
○ 日時 9月14日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 西村 了慶 先生
◎ みなさん、お揃いでお参りください。
2015 中学音楽祭
校長挨拶
あらためまして、みなさんおはようございます。
保護者のみなさまにおかれましては、お忙しい中、子ども達の発表を鑑賞していただくために、朝の早い時間からご来校いただきまして誠にありがとうございます。
いよいよ中学の三大行事の一つ「音楽祭」がやってきました。
龍谷大学付属平安中学校の音楽祭も、今年で19回目を迎えました。
さて、プログラムにも書かせていただきましたが、例年12月に実施しておりました音楽祭を、今年度は、高校生徒会が「平安祭」と名付けてくれました学園祭の最終日に設定しました。
そのために、中学3年生は研修旅行、中学2年・1年生は名古屋・滋賀県とそれぞれに夏期勉強合宿もあり、限られた練習時間だったと思います。
その限られた時間の中、毎日、校長室にみなさんの爽やかなハーモニーが教室から漏れ聞こえてきておりました。今日は本当に楽しみです。
いずれにしましても、みなさんのクラスの仲間との調和のとれた素晴らしいハーモニーを楽しみにしております。
最後に今回のパンフレットの表紙は、中学校の美術部のみなさんが、素晴らしいイラストを素敵に書いてくれました。ありがとうございました。
それでは、今日までの練習の成果を遺憾なく発揮し、楽しい音楽祭になりますことを期待いたしまして挨拶といたします。
2015年度学園祭が、本日9月6日より下記の日程で開催されます。
○6日(日)・ 7日(月)…文化祭
○9日(水)・10日(木)…体育祭(グラウンド)
※ 10日(木)…中学生音楽祭(講堂)
校長挨拶
暦の上では二十四節気の一つ、草の葉に白い露が結ぶという意味の白露を迎えましたが、まだまだ残暑の厳しい日が続いています。いよいよ秋の風物詩であります「学園祭」がやってきました。
みなさんが主体となって開催されます学園祭を今年度は、「平安祭」と名付けてくれました。テーマは「ハピネスチャージ平安 ~幸せが生まれる場所~」ですから、「幸せで(心を)満たす」「幸せに向かって突き進む」というところでしょうか。
さて、今年も文化の祭典と体育の祭典の連続日程としました。恒例の「高1合唱コンクール」「高2演劇コンクール」高3は「模擬店」、体育祭では「演舞」を披露してくれます。また、中学の音楽祭も学園祭最終日に設定しました。いずれも、クラスや仲間で協力し、達成感の感じられる文化祭・体育祭・音楽祭になることを願っています。
特に、大学受験を控えた高3生においては、この「学園祭」が高校生活の集大成となるとともに、龍谷大平安の特色をあらためて実感する機会でもありましょう。
この意義深い「学芸的行事」をみなさんの手で成功させてください。期待しております。