HEIAN BLOG 校長 BLOG

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御礼 第97回全国高等学校野球選手権京都大会 2015年07月28日(火)08時03分

第97回全国高等学校野球選手権京都大会は7月27日わかさスタジアム京都で決勝戦が行われ、立命館宇治4に鳥羽6が勝利し15年ぶり6回目の夏の甲子園出場を決めました。残念ながら4季連続の甲子園を目指しました本校は4回戦で京都翔英に延長の末8対11で惜敗いたしました。連日の猛暑の中、応援に駆けつけていただきました野球部OB・卒業生をはじめすべての平安ファンのみなさまに心より御礼申し上げます。すでに新チームは秋季大会、春の選抜大会に向けて始動しております。今後ともご声援の程宜しくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。
鳥羽高等学校の甲子園でのご活躍を心から念じ申し上げます。

平成27(2015)年度 御命日法要【7月】 2015年07月16日(木)08時10分

【ご案内】                         

釈尊のことば

              本願寺派総合研究所所長 丘山 願海

 他の人びとの過ちを見るなかれ。心はきわめて見がたく、
 まことに微妙で、欲望のままに動き回る
 聡明な人はこの心を制御し、制御された心は幸せをもたらす (ダンマ・パダ36偈)                            

心の在りよう見つめ、どう制御するか

 「心は捉えがたく、軽くたちさわぎ、欲望のままに動き回る」(35偈)、「心は遠くにさすらい、独り動き、姿かたちなく胸の奥深くに潜んでいる」(37偈)と前後にも心について述べられます。
 心って、本当に不思議です。喜んだり、悲しんだり、また苦しむ。しかも、悲しもうと思って悲しむわけでなく、喜びたいと思って喜べるわけでもない。自分の心は自分のものでありながら、思い通りにならず、頭で制御することもできません。この偈は、欲望に振り回される心は、見ることもできず、捉えがたく、制御するのがとても難しいと言っています。
 私の心って、身体のどこにあるのでしょう?心は、心臓や肺などの身体の一部のような存在ではありません。で、心は「物」でない。空の思想家・龍樹菩薩なら「心という言葉だけがあり、実際には存在しない」といわれるでしょう。実体なきものにしがみつくから苦しみが生じる、というのが思想の根本だからです。でも、デカルトの「我思う、故に我在り」に倣えば、「心が(喜怒哀楽を)感じる、故に心在り」とも言えます。まったく「心は見がたく、微妙で」「捉えがたい」という通りです。私たちが「心」というのは、物的な存在でなく、喜び悲しむ「はたらきそのもの」なのでしょう。
 心の在りようを見つめ、どう制御するかを探求してきたのが仏教です。これは人類の精神史でも際だった特色です。そして、人間の心の在りようや欲望の根深さを見抜かれたのが、親鸞聖人なのです。
(「本願寺新報」6月10日(水)掲載)

EQ「こころの知性」
 私は,人間の「言動」(言葉と行動)はすべて心の在りように始まると考えています。 仏教では人間の欲望を、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三つに分け、三毒の煩悩 (ぼんのう) と言います。いずれも,自己中心の考え,それにもとづく事物への執着心から生ずるものです。つまり,自分の心の在りようを見つめ,その心を、どのようにコントロールするかということです。
 心の持ち方,感情を落ち着け,情緒を常に安定したところには,素直な心と謙虚な心が根づきます。その心の在りようをみんなが意識して日々の生活を送れば,本当にすばらしい人間関係や環境が築けるはずです。
(本校 HP 学園紹介 校長挨拶より抜粋)


7月 御命日法要 
○ 日時 7月16日(木)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 佐長 道亮 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

御礼 龍谷大学付属平安中学校オープンキャンパス 2015年07月05日(日)16時30分

平成27年7月5日(日)中学校のオープンキャンパスを開催いたしましたところ、午後1時半からの全体説明会に約240組総勢700名のみなさまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
 さて、1876年(明治9)年に創立されました本校も、来年140周年を迎えますが、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは少し難しすぎるかもしれませんね。
 それでは龍谷大平安で何を学ぶのかについて、少しだけお話しさせていただきます。
 2013年の生徒手帳には『遍照(へんじよう)』という言葉を、昨年2014年の生徒手帳には『智慧(ちえ)』という言葉を、そして、今年2015年の生徒手帳には『慈悲(じひ)』という言葉を記させていただきました。相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることが出来る心を、生徒たちに育ませたいとの思いからです。
 それでは、その「慈悲の心」を持っていれば、誰でも実践することのできる七つの施しを紹介しましょう。
 一つ目の「眼施(げんせ)」は、温かく優しい眼差しで人と接すること。 
 二つ目の「和顔施(わげんせ)」は、優しく和やかな顔で接すること。
 三つ目の「言辞施(ごんじせ)」は、優しい言葉で接すること。
 四つ目の「身施(しんせ)」は、自分の体でできることを精一杯奉仕すること。
 五つ目の「心施(しんせ)」は、思いやりの心を持って接することです。
 六つ目の「床座施(しようざせ)」は、席を譲ることで、
 七つ目の「房舎施(ぼうしやせ)」は、場所をあたえ、あたたかく迎えることです。
 この七つを「無財(むざい)の七施(しちせ)」と言います。これらは、他人に対して、たとえ財産がなくても、親切な思いやりの心を持っていればできるものばかりです。龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことに目覚め、他人に対する思いやりの心を磨くことにあります。
 西本願寺のお膝元でこのようにして過ごす六年間は、みなさんに仏教的なものの見方や考え方が自然と身についているのです。それが、平安で学ぶことの意義でもあります。
 今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て、存分に楽しんでください。
 本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。

今月の言葉《宗教教育係》 2015年07月01日(水)08時00分

ファイル 164-1.pdf

7月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平安同窓会大阪会【総会】 2015年06月27日(土)07時24分

平成27年度「大阪会総会」が6月26日(金)18時より太閤園本館(大阪)に於いて開催されました。藤松喜久次大阪会会長の挨拶に始まりました同窓会は、その後、昨年は体調不良で欠席であった硬式野球部原田英彦監督から昨年の謝辞があり、選抜初優勝を振り返ると共に今夏にかける決意が述べられ、参加者から大きな拍手でありました。終始和やかに時間が流れ、時間のたつのを忘れるほどの楽しい一時を過ごし帰途につきました。お世話いただきました同窓のみなさまにこの場をお借りし感謝申し上げます。ありがとうございました。

御礼 第1回 学校説明会(高校受験生対象) 2015年06月21日(日)14時15分

2015年6月21日(日)午後1時から本校講堂におきまして『第1回高校受験対象学校説明会』を開催いたしましたところ、約320組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただき心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2016年度入試の第1回学校説明会」に、休日にもかかわりませず、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
 明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本校も5月21日で満139歳となりました。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。
その宗教教育の原点は、何といっても、毎朝、仏さまにお参りする仏参でありますし、年間5回実施される宗教行事であります。それでは、龍谷大平安で何を学ぶのかについて、まず、少しお時間をいただきまして、この3年間を振り返りながら、本校の宗教的情操教育についてお話しさせていただきます。
 2012年、私が校長職に就きました時、IQのように数字では表すことの出来ない大切なものとして、EQを打ち出しました。EQとは、心の知能指数と呼ばれるものですが、本校では、「こころの知性」として、すべては、私たち一人一人の心の持ちよう、有りようですよ。自分自身でそれぞれの心をしっかりと磨きましょうと言ってまいりました。
 翌2013年、教員に対して、私たちはそれぞれ各教科のプロとして生徒たちをしっかり注視させ、一時間一時間の中で、生徒たちに達成感が感じられる授業を展開することと、担任はクラスの生徒一人一人としっかり対峙して、朝のSHRから終礼まで、出来る限り生徒の顔色を観察し、少しの変化も見逃してはならないということで、授業力と担任力を教員のスローガンとしました。
 この年より生徒手帳を一新し手帳には私の書を記させてもらいました。仏さまがあたりくまなく照らしてくださっているという『遍照(へんじょう)』という言葉を記しました。到底、仏さまの真似は出来ないですが、私たちが、生徒たちの親のつもりで、生徒一人一人と膝と膝をつき合わせ向き合うことを望んでのことでありました。
 そして、昨年度2014年、学校という集団生活の場で自分をしっかり律する中で、相手の気持ちも考えて行動できる人間になって欲しいとの思いから、規律と統制、少し優しく言い換えてルールとマナーの大切さを、再確認いたしました。生徒手帳には、他人の気持ちがわかる、相手の気持ちを慮(おもんぱか)る心を育てたいとの思いから『智慧(ちえ)』という言葉を記しました。
 そして、今年度2015年、昨年度、相手の心を深く洞察することの『智慧』を記しましたので、今年度は、相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みとなる心、慈しみ寄り添う慈悲の心を持ち、共生(ともいき)の精神でこころの幹(き)を育てたいとの思いから、「智慧と慈悲」を学校方針とし、生徒手帳には『慈悲(じひ)』ということばを記しました。相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることが出来る、その心が慈悲です。
 そんな心を子ども達にも育ませることができる宗教的情操教育をめざしております、と同時に、「本校の教員の使命は、子ども達に寄り添う慈しみの心をもって、決して子どもに迎合するのではなく、共生の精神で生徒一人一人を大事にすること、そして、しっかりとこころの幹を育てる宗育、つまり宗教的情操教育を実践することである」とこのように考えています。
 こうしたこころの教育とは、すぐに答えを求めるのではなく生徒一人一人の一生涯を見据えてしっかりとサポートすることでしょう。それは、高校の三年間に、どれだけの質のいい喜びの種を蒔けるかにかかっています。
 龍谷大学付属平安高等学校は、この喜びの種を蒔き、そして花を咲かせることができるように、しっかりとサポートすることをお約束いたします。
 最後に、進学校化への改革も着実に進めており確かな手応えを感じております。今後も今までにもまして、しっかりと充実させていきます。
 是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

平成27(2015)年度 御命日法要【6月】 2015年06月15日(月)08時10分

【ご案内】                         

究極の乗り物
       岡山・浄福寺副住職 山下瑞円 (本校卒業生)

半世紀も前に開業
 私の住む岡山県高梁市から遠く離れた石川県金沢市。今年の3月、東京~金沢間を結ぶ北陸新幹線の開業に伴い、一躍〝時の街〟になりました。
 少しさかのぼって、昨年の10月1日。あるニュースが話題に。東京~新大阪間を結ぶ東海道新幹線が1964(昭和39)年10月1日の開業から50周年を迎えました。現在まで走行距離にして約20億キロ(地球5万周に相当)、運んだ乗客のべ56億人。特筆すべきは、その間、脱線、衝突などによる乗客の死亡事故が一度もないことです。
 誰もが安心して乗ることができ、安全に目的地まで連れて行ってくれる唯一の交通手段かもしれません。その裏には立案当時から現在に至るまで、関係者の創意工夫、たゆまぬ努力や苦労があってこそでしょう。
 例えば、東海道新幹線が走る区間には、トンネルがたくさんあります。できるだけ直線を確保するためです。カーブが多いとスピードも出せませんし、脱線などの大事故に繋がる可能性があります。次に、東海道新幹線の区間には踏切がありません。車との衝突事故を防ぐため、わざわざ高架に敷かれています。人が線路に侵入することも防ぎます。これらの創意工夫があってはじめて、乗客の安心・安全が守られています。
 と、簡単に述べましたが、これらの策を講じるのにどれだけの苦労があったか、我々は知る由もありません。少し想像してみると、トンネルを掘ることの大変さ。工事に伴う事故が起こったかもしれません。線路を通す土地を買収するために、幾度も頭を下げて回った関係者の姿。逆に、先人が守ってきた大切な土地を泣く泣く手放した方の姿。線路を高架に造るといっても、コストはもちろんのこと大変な時間と労力がかかったはずです。私たちが知りえない、たくさんの苦労があってこその開業50周年です。
 おかげさまで、安心して乗車できます。乗車したその瞬間から、読書をしようが、駅弁を食べようが、はたまたトイレに行こうが…。車掌さんが切符を確認しに来るため、寝過ごす心配もほとんどありません。それぞれが思い思いの時間を過ごす中、東海道新幹線は乗客を間違いなく目的地まで届けてくれます。北陸新幹線をはじめ、今や全国各地を結ぼうと計画されている新幹線。その原点は、50年前の東海道新幹線開業にありました。

お念仏に確かな安心
 『仏説無量寿経』には、阿弥陀さまがおさとり開く前、法蔵菩薩であられたとき、五劫という長い時間の思惟の末に、「すべてのいのちに寄り添い、決して見捨てることなく浄土へ迎えとることのできる仏となる」と誓われ、この誓いを成就するのに、兆載永劫という想像を絶する時間を要された内容が説かれます。
 皆さんは法蔵菩薩の五劫思惟像をご存知ですか? さまざまな五劫思惟がありますが、そのほとんどが、ご苦労を表現された痛々しいお姿の像です。
 目は落ちくぼみ、頬はこけ、指先までやせ細り、今にも折れそうなあばら骨。現在、浄土真宗のお寺にご本尊として安置されている阿弥陀さまのお姿からは、想像し難い痛々しいお姿が表現されています。
 おさとりを開くことが、どれほど大変であられたか。私を救うことがどれほどの大仕事なのか。法蔵菩薩のご苦労が偲ばれます。
 私たち一人ひとりを救いの目当てとして、常に寄り添い、決して見捨てることなく浄土へ導く阿弥陀さまの間違いないはたらきが、ご苦労の上に今、「南無阿弥陀仏」の喚び声となってこの私に届けられています。阿弥陀さまは私たちに生きる意味といのちの行く末を知らせるため、声の仏となることを選ばれました。
 家族や子どものことで悩もうが、仕事や人間関係で悩もうが、自身の健康、将来のことで悩もうが…。それぞれの人生を歩む中、そのはたらきに出遇った時すでに、「南無阿弥陀仏」という究極の乗り物に乗せられているいのちであったことを知らされます。
 お念仏申す私の声を通して、唯一確かな安心をいただいています。
「本願寺新報5月20日(水)みんなの法話」より

6月 御命日法要 
○ 日時 6月15日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 寺村 篤 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2015年06月01日(月)07時43分

ファイル 160-1.pdf

6月
今月の言葉・・・各クラス教室掲示
今月の聖語・・・学校正門聖語版

平成27年度 平安保護者会(旧平安会)総会 2015年05月19日(火)15時55分

学校長挨拶

 保護者のみなさまには、平日のたいへんお忙しい中、ご出席を賜りまして、誠にありがとうございます。平素は、学園に対しまして、ご理解とご協力を賜りまして、心より御礼申し上げます。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本校も本年5月21日で満139歳となります。その長い歴史と伝統の中で、私が第13代の校長を拝命したのが3年前です。
 その私が校長職に就きました最初の年であります2012年は、IQのように数字では表すことの出来ない大切なものとして、EQを打ち出しました。EQとは、心の知能指数と呼ばれるものですが、本校では、「こころの知性」として、すべては、私たち一人一人の心の持ちよう、有りようですよ。私たちは自分自身でそれぞれの心をしっかりとコントロールしましょうと言ってまいりました。
 2年目であります2013年は、生徒手帳を一新し手帳には私の書を記させてもらいました。仏さまがあたりくまなく照らしてくださっているという『遍照(へんじょう)』という言葉を記しました。到底、仏さまの真似は出来ないですが、私たちが、生徒たちの親のつもりで、生徒一人一人と膝と膝をつき合わせ向き合うことを望んでのことでありました。
 3年目であります昨年度2014年は、他人の気持ちがわかる、相手の気持ちを慮(おもんぱか)る心を持ってもらいたいとの思いから『智慧(ちえ)』という言葉を記しました。
 そして、今年度4年目に入りました2015年は、昨年度、相手の心を深く洞察することの『智慧』を記しましたので、今年度は、相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みとなる心、慈しみ寄り添う慈悲の心を持ち、共生(ともいき)の精神でこころの幹(き)を育てたいとの思いから、生徒手帳には『慈悲(じひ)』ということばを記しました。相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることが出来る、その心が慈悲です。
 したがいまして、今年度2015年度のスローガンは「智慧と慈悲」です。
 本校の教員の使命は、子ども達に寄り添う慈しみの心をもって、決して子どもに迎合するのではなく、共生の精神で生徒一人一人を大事にすること、そして、しっかりとこころの幹を育てる宗育を実践することであるとこのように考えています。
 子どもは自分に都合の良いことしか言いません。それは、私たち教師だけではなく、親にでも一緒です。そんな中で、私たちは子どもに振り回されていないでしょうか。本当の意味で、生徒に迎合するのではなく、しっかりと子どもに、ダメなことはダメと言えているでしょうか。子どもにしっかりと我慢をさせているでしょうか。我慢が足りない子どもは、社会に出てから問題を起こす、あるいは、情緒不安定になるリスクが高いというデータが出ています。
 とにかく、昨年度に引き続き、教員には、褒めるときはしっかりと褒める、叱るときはしっかりと叱る、ということを実践するようにと申しました。そんな中で、生徒との信頼関係をしっかりと築くためには、ねぎらい・気配り・人の気持ちがわかる上手な関係づくりを心がけなさいとも申しました。
 子どもたち一人一人としっかりと対峙して教育に当たりますので、何とぞご理解をいただき、更なるご尽力を賜りますようお願い申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。

平成27(2015)年度 御命日法要【5月】 2015年05月15日(金)08時10分

【ご案内】

「お子様に語り継ぎたい童話や昔話は何ですか?」。玩具メーカーのバンダイは2009年と2012年、12歳までの子どもを持つ保護者対象にアンケートを行った。連続で男女総合1位となったのは「桃太郎」だった。年代別でもすべて1位、全体の数字でも20.3%を占め、2位の「うさぎとかめ」の9.6%を大きく引き離している。
 「♪桃太郎さん」で始まる童謡「桃太郎」(作詞不明)は明治44年5月、「尋常小学唱歌 第一学年用」で発表された。有名な曲だが、4番以降の歌詞は意外に知られていない。4番「そりゃ進めそりゃ進め 一度に攻めて攻めやぶり つぶしてしまえ鬼ヶ島」、5番「おもしろいおもしろい 残らず鬼を攻めふせて 分捕物(ぶんどりもの)をエンヤラヤ」と、童謡とは思えないような怖い内容が続く。
 先の大戦で桃太郎は、勇敢さの比喩として語られたと聞く。桃太郎は「鬼畜米英」という鬼を成敗する子として、周辺国を従えた勇ましい日本国の象徴として戦前まで利用されたという。
 「桃太郎」と回答した保護者からは、「一人では困難なことでも、仲間と一緒に立ち向かうことで目的を達成できるということを物語から伝えられるから」といった内容のコメントが多く寄せられたという。共に歩むことは大切。しかし、問題は「鬼」をどう見るかである。私の外にではなく、実は「鬼は自分の内にいる」と添えて、「現代版桃太郎」として、子や孫に語り伝えていきたい。
                   本願寺新報4月20日(月)コラム赤光白光より

「共に歩むことは大切。しかし、問題は『鬼』をどう見るかである。私の外にではなく、実は『鬼は自分の内にいる』」の「しかし」以降の内容は、先月(4月)の御命日で、私がみなさんにお話しさせていただきました「智慧と慈悲」の話と重なりますね。


5月 御命日法要 
○ 日時 5月15日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 中森寿樹先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。