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御礼 第3回 学校説明会【高校】 2014年11月16日(日)16時30分

本日2014年11月16日(日)第3回生徒保護者対象学校説明会【高校】を開催いたしましたところ、約500組1200名の受験生・保護者にご来校いただきまして誠にありがとうございました。万全を期して臨みましたが、個別相談に関しまして多くの方々に待ち時間が出ましたこと陳謝申し上げます。第4回生徒・保護者対象学校説明会が12月7日(日)中学;午前10時~、高校;午後1時~開催いたします。これをもちまして最終回となりますので、ぜひお越しくださいますようお願い申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2015年度入試の学校説明会」に休日にもかかわりませず、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、ちょうど約1年前の2013年9月7日、2020年のオリンピックが東京で開催されることに決まりました。その際、本校出身の太田雄貴君も招致アンバサダー・オリンピアンとして、立派なプレゼンを披露してくれました。その時、一時、流行語となったのが、招致"Cool Tokyo"アンバサダーの滝川クリステルさんのプレゼンで冒頭に述べられた『おもてなし』という言葉です。滝川クリステルさんのプレゼンはこのように始まりました。
「東京は皆さまをユニークにお迎えいたします。日本語ではそれを『おもてなし』という言葉で表現いたします。それは、見返りを求めないホスピタリティの精神。それは先祖代々受け継がれながら、現代の日本の文化にも深く根付いています。『おもてなし』という言葉は、いかに日本人が互いに助けあい、お迎えするお客様のことを大切にするかを示しています。」という内容でありました。
 人間には、他人の気持ちを感じ取るという素晴らしい能力が備わっています。微妙な表情や仕草や、声のトーンなどから、相手の気持ちを読み取ることで、人と人とのコミュニケーションは成り立っています。
 実は人間は「脳」によつて他者の感情を読み取って共感しています。顔を見ることで、その人の心理状態から性格まで、私たちは実にたくさんのことを読み取っています。普段あまり意識することはありませんが、私たちの脳は、周囲の人の微妙な表情や仕草の意味を読み取っています。まるで気温を肌で感じるかのように、意識することなく自然にそうしています。
 そして、無意識のうちに他者から読み取った感情は自分にも移っていますから、イライラした気分なんかは、言葉にしなくても、声や態度に出てしまいます。そうすると、嫌味を言い合うまでもなく、お互いに嫌な気分になっていたりします。逆に、楽しい気分も伝わりますから、自分の身の回りの人を楽しませてあげれば、それが自分に返ってきます。だから、楽しい人の周りには、自然と人が集まってきますし、逆に、孤独で不平不満ばかりを言っている人は、周りから嫌がられ、ますます孤独に陥ってしまうことになります。
 人にもてなされて幸せだと感じることができるのは、そのような行為が、自発的な他者を思いやる心から起こるからでしょう。そこに心温まる人との交流が生まれるのです。この思いやりの心こそが『おもてなし』であります。
 この『おもてなし』について、少し触れておきましょう。
 例えばレストランでウェイターがおしぼりを持ってくることであったり、旅館で布団の準備がされていることなどは「サービス」と呼ばれます。しかし、おしぼりを渡すときに「お仕事お疲れ様です」という言葉を掛けたり、敷かれた布団の横に「ゆっくりとお休みなさいませ」と一言書いたメモを添えたりすることは『おもてなし』と呼ばれます。
 つまり、お客様にとって、想定内のことはサービスでしかなく、お客様の期待をいい意味で裏切るような気遣いこそが『おもてなし』とされるのです。つまり、「想定外の気遣い」ですね。おもてなしは、相手のことを慮(おもんぱか)る気持ちから生まれるものです。
 そして、滝川クリステルさんのプレゼンにもありましたように「見返りを求めないホスピタリティの精神」つまり、見返りを求めない思いやりの心です。
 外国では、レストランなどで接客を受けるとチップを支払います。あのチップは、接客してくれた店員のサービス料として任意ではありますが、支払っているわけです。一方、日本ではどうでしょう。高級レストランやホテルからコンビニに至るまで、程度の差はあるにせよ、店員は無償で同じお客様として丁寧な扱いをしてくれます。見返りを求めず、相手を敬い丁寧に扱うことが出来るのは、日本人の良いところであり、これこそが『おもてなし』と言えます。見返りを求めず相手を敬い丁寧に接する『おもてなし』は日常生活においても同様です。
 この『おもてなし』の精神こそ、龍谷大平安で生徒たちに常々言っている「EQ]です。いつまでも親や先生を頼らず、自分自身でしっかりと磨きなさいと言っている『こころの知性』のことです。
 心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって、目に見えない根っこの部分を磨くことが「平安の心の教育」だと考えています。
 これを龍谷大平安では「宗育」と申しておりますが、この「宗育」があってこそ、根っこから吸収されるすべての栄養源「EQ]こころの知性を人間力として枝に運ぶことが出来るのです。
 さて、龍谷大平安は、面倒見のいい学校だということをあちらこちらから言われ、たいへん嬉しく思っております。しかし、私はもう一歩先に行きたいと考えています。と言いますのは、面倒見がいいと言っても、乳幼児には乳幼児の、小学生には小学生の年齢に応じたケアがあると思います。従って、中学生や高校生にとっては面倒見の良さは「分かるまで教える」ことではないと思います。
 特に、義務教育を終えた高校生には「わかろうとする心をつくる、そのお手伝いをする」ことが面倒見がいいということだと考えます。本当の意味で真の自立をさせるために、龍谷大平安は、面倒見の良さは変わりませんが、「上質の面倒見の良さ」を提供することをお約束いたします。
 ぜひとも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。

御礼 平安学園同窓会 総会・懇親会 2014年11月09日(日)11時24分

平成26年11月8日(土)16時より本校講堂にて勤行後、理事会を開催、終了後第1次リニューアルいたしましたコミュニケーションホール・人工芝化されたグラウンド・カーペット敷きの廊下等を見学、その後17時30分よりリーガロイヤルホテル京都に於いて平安学園同窓会総会・懇親会が開催されました。約70名の卒業生が集った懇親会では、現役吹奏楽部員の演奏、また昨年に引き続き本校卒業生のシンガーソングライター佐々木清次さんが歌を披露してくださり大盛況でありました。同窓のみなさまに心より御礼申し上げます。

今月の言葉《宗教教育係》 2014年11月01日(土)08時10分

ファイル 136-1.pdf

十一月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

御礼 第2回 学校説明会 2014年10月13日(月)15時30分

平成26年10月13日(祝)生徒保護者対象学校説明会を開催いたしましたところ、台風接近に伴いお足元の悪い中、午前10時からの中学は約60組総勢150名、午後1時からの高校は約150組総勢300名の皆さまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。特に、午後の高校は台風の影響で公共交通機関が運休になるとのことで、急遽、全体説明会を取りやめました。よって時間を短縮して個別の対応とさせていただきましたため、少し待ち時間が出てしまいました。心よりお詫び申し上げます。あと2回[11月16日・12月7日]生徒・保護者対象の学校説明会を開催させていただきますのでお忙しいとは存じますが、ぜひお越しくださいますようお願い申し上げます。

学校長挨拶
 本日は本校の「2015年度入試の学校説明会」にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、ちょうど約1年前の2013年9月7日、2020年のオリンピックが東京で開催されることに決まりました。その際、本校出身の太田雄貴君も招致アンバサダー・オリンピアンとして、立派なプレゼンを披露してくれました。その時、一時、流行語となったのが、招致"Cool Tokyo"アンバサダーの滝川クリステルさんのプレゼンで冒頭に述べられた『おもてなし』という言葉です。滝川クリステルさんのプレゼンはこのように始まりました。
「東京は皆さまをユニークにお迎えいたします。日本語ではそれを『おもてなし』という言葉で表現いたします。それは、見返りを求めないホスピタリティの精神。それは先祖代々受け継がれながら、現代の日本の文化にも深く根付いています。『おもてなし』という言葉は、いかに日本人が互いに助けあい、お迎えするお客様のことを大切にするかを示しています。」という内容でありました。
 人間には、他人の気持ちを感じ取るという素晴らしい能力が備わっています。微妙な表情や仕草や、声のトーンなどから、相手の気持ちを読み取ることで、人と人とのコミュニケーションは成り立っています。
 実は人間は「脳」によつて他者の感情を読み取って共感しています。顔を見ることで、その人の心理状態から性格まで、私たちは実にたくさんのことを読み取っています。普段あまり意識することはありませんが、私たちの脳は、周囲の人の微妙な表情や仕草の意味を読み取っています。まるで気温を肌で感じるかのように、意識することなく自然にそうしています。そして、無意識のうちに他者から読み取った感情は自分にも移っていますから、イライラした気分なんかは、言葉にしなくても、声や態度に出てしまいます。そうすると、嫌味を言い合うまでもなく、お互いに嫌な気分になっていたりします。逆に、楽しい気分も伝わりますから、自分の身の回りの人を楽しませてあげれば、それが自分に返ってきます。だから、楽しい人の周りには、自然と人が集まってきますし、逆に、孤独で不平不満ばかりを言っている人は、周りから嫌がられ、ますます孤独に陥ってしまうことになります。
 他人の気持ちや状態を正しく認識する能力や、相手を喜ばせたいと思う気持ちは、万国共通の本能です。そして、人にもてなされて幸せだと感じることができるのは、そのような行為が、自発的な他者を思いやる心から起こるからでしょう。そこに心温まる人との交流が生まれるのです。この思いやりの心が正に『おもてなし』であります。
 少し『おもてなし』ということについて、触れておきましょう。
 例えばレストランでウェイターがおしぼりを持ってくることであったり、旅館で布団の準備がされていることなどは「サービス」と呼ばれます。しかし、おしぼりを渡すときに「お仕事お疲れ様です」という言葉を掛けたり、敷かれた布団の横に「ゆっくりとお休みなさいませ」と一言書いたメモを添えたりすることは『おもてなし』と呼ばれます。つまり、お客様にとって、想定内のことはサービスでしかなく、お客様の期待をいい意味で裏切るような気遣いこそが『おもてなし』とされるのです。つまり、「想定外の気遣い」ですね。おもてなしは、相手のことを慮(おもんぱか)る気持ちから生まれるものです。
 そして、滝川クリステルさんのプレゼンにもありましたように「見返りを求めないホスピタリティの精神」つまり、見返りを求めない思いやりの心です。
 外国では、レストランなどで接客を受けるとチップを支払います。あのチップは、接客してくれた店員のサービス料として任意ではありますが支払っているわけです。一方、日本ではどうでしょう。高級レストラン・ホテルからコンビニまで、程度の差はあるにせよ、店員は無償で同じお客様として丁寧な扱いをしてくれます。見返りを求めず、相手を敬い丁寧に扱うことが出来るのは日本人の良いところであり、これこそが『おもてなし』と言えます。つまり、日常生活において「見返りを求めず相手を敬い丁寧に接すること」であります。
 この『おもてなし』の精神こそ、龍谷大平安で生徒たちに常々言っている「EQ]です。いつまでも親や先生を頼らず、自分自身でしっかりと磨きなさいと言っている『こころの知性』のことです。
 心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって、目に見えない根っこの部分を磨くことが「平安の心の教育」だと考えています。
 これを龍谷大平安では「宗育」と申しておりますが、この「宗育」があってこそ、根っこから吸収されるすべての栄養源「EQ]こころの知性を人間力として枝に運ぶことが出来るのです。
 さて、龍谷大平安は、面倒見のいい学校だということをあちらこちらから言われ、たいへん嬉しく思っております。しかし、私はもう一歩先に行きたいと考えています。と言いますのは、面倒見がいいと言っても、乳幼児には乳幼児の、小学生には小学生の年齢に応じたケアがあって、中学生や高校生にとっては面倒見の良さは「分かるまで教える」ことではないと思います。
 中高生の年齢には「わかろうとする心をつくる、その手伝いをする」ことが面倒見がいいということだと考えます。本当の意味で真の自立をさせるために、龍谷大平安は、面倒見の良さは変わりませんが「上質の面倒見の良さ」を提供することをお約束いたします。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。

仏参講話【10月】 2014年10月10日(金)08時53分

2014年10月 仏参講話[学校長]

 みなさん、おはようございます。
 ちょうど約1年前の2013年9月7日、2020年のオリンピックが東京で開催されることに決まりました。その際、本校出身の太田雄貴君も招致アンバサダー・オリンピアンとして、立派なプレゼンを披露してくれました。
 その時、一時、流行語となったのが、招致"Cool Tokyo"アンバサダーの滝川クリステルさんのプレゼンで冒頭に述べられた『おもてなし』という言葉です。滝川クリステルさんのプレゼンはこのように始まりました。
 「東京は皆さまをユニークにお迎えいたします。日本語ではそれを『おもてなし』という言葉で表現いたします。それは、見返りを求めないホスピタリティの精神。それは先祖代々受け継がれながら、現代の日本の文化にも深く根付いています。『おもてなし』という言葉は、いかに日本人が互いに助けあい、お迎えするお客様のことを大切にするかを示しています。」という内容でありました。
 『おもてなし』は、「もてなす」の丁寧語で言葉の通り、「客をもてなす」の「もてなす」からきています。「もてなす」の語源とは、「モノを持って成し遂げる」からきており、お客様に応対する扱い・待遇のことを指します。ここでいう「モノ」とは、目に見えるモノと目に見えないモノの2つを示します。
また、「表裏無し」という、これも字の如く、表裏がない心でお客様を迎えるということです。この2つが合わさって、一般的に『おもてなし』の語源とされています。
 それでは、PHPという雑誌に掲載されていました神経科学者である金井良太さんの文章を紹介し、科学から見た『おもてなし』について、少し考えてみましょう。
 金井さんは『おもてなし』は、人間だけが持つ特別な心です。他者を思いやる気持ちや、日本人特有の『おもてなし』精神について、科学の視点から考えてみるとさまざまなことが見えてきたとおっしゃっています。
 人間には他人の気持ちを感じ取るという素晴らしい能力が備わっています。微妙な表情や仕草や、声のトーンなどから、相手の気持ちを読み取ることで、人と人とのコミュニケーションは成り立っています。メールなどの文字だけの言葉は、複雑な情報を遠くの人へ伝えるのには役立ちますが、心の内で感じていることを共有することはできません。だから、文字だけのコミュニケーションでは、相手が何を本当は感じているのかわからずに不安になったりもします。
 人間がどのようにして他者の感情を読み取って共感するのかという仕組みを脳科学の視点から見てみましょう。脳の話になると、頭の良さや記憶力や集中力などの能力に注目しがちですが、人間の脳の本当にすごいところは、他人の気持ちを感じ取り、他人の幸せまで考えてあげることができるところです。脳の研究をすると、人間の脳は、他者と共存していくため進化してきたことに気付かされます。
 たとえば、脳の中には「顔」に反応する場所がたくさんあります。人間の脳が進化する過程で、顔から得られる情報が重要だったからです。顔を見ることで、その人の心理状態から性格まで、私たちは実にたくさんのことを読み取っています。誰であるかを識別するだけでなく、年齢や性別を推測したり、心理状態を読み取ったりと、顔から得られる情報は多種多様であります。
 普段意識することはありませんが、私たちの脳は、周囲の人の微細な表情や仕草の意味を読み取っています。まるで気温を肌で感じるかのように、意識することなく自然にそうしています。当然、複雑な状況では、相手の置かれた状況をしっかりと考えることで、他者の心の動きを理解することもあります。しかし、日常的には、他人の感情について考えているというよりは、もっと些細なことから自然に感じ取っているのです。
 無意識のうちに他者から読み取った感情は自分にも伝わっています。イライラした気分なんかは、言葉にしなくても、声や態度に出てしまいます。そうすると、嫌味を言い合うまでもなく、お互いに嫌な気分になっていたりします。逆に、楽しい気分も伝わりますから、自分の身の回りの人を楽しませてあげれば、それが自分に返ってきます。だから、楽しい人の周りには、自然と人が集まってきますし、逆に、孤独で不平ばかりを言っている人は、周りから嫌がられ、ますます孤独に陥ってしまうことになります。
 人間は、他人と関わり合う社会という特殊な環境の中で進化を遂げました。他者の顔を認識したり、表情や顔色を伺ったりといった、社会的な機能を高度に発展させたその結果に、現代の人間の脳があります。他人を思いやったり、感情を読み取ったりする心は、人類に共通する脳の特徴なのです。
 だから、『おもてなし』は、人類にとってみんなに共通する行為なのだと思います。他人の気持ちや状態を正しく認識する能力や、相手を喜ばせたいと思う気持ちは、万国共通の本能です。そして、人にもてなされて幸せだと感じることができるのは、そのような行為が、自発的な他者を思いやる心からきているからでしょう。そこに心温まる人とのコミュニケーションが生まれるのです。
 それでは最後に『おもてなし』の心得ポイントを二つ紹介しておきましょう。
 例えばレストランでウェイターがおしぼりを持ってくることであったり、旅館で布団の準備がされていることなどは「サービス」と呼ばれます。しかし、おしぼりを渡すときに「お仕事お疲れ様です」という言葉掛けをしたり、敷かれた布団の横に「ゆっくりとお休みなさいませ」と一言書いたメモを添えたりすることは『おもてなし』と呼ばれます。
 つまり、お客様にとって想定内のことはサービスでしか無く、お客様の期待をいい意味で裏切るような気遣い想定外の気遣いこそが『おもてなし』とされるのです。
おもてなしは、相手のことを慮る気持ちから生まれるものです。
 もうひとつは、滝川クリステルさんのプレゼンにもありましたように「見返りを求めないホスピタリティの精神」つまり、思いやりの精神です。
 外国では、レストランなどで接客を受けるとチップを支払いますよね。あのチップは、接客してくれた店員のサービス料として任意ではありますが支払っているわけです。一方、日本ではどうでしょう。高級レストラン・ホテルからコンビニまで、程度の差はあるにせよ、店員は無償で同じお客様として丁寧な扱いをしてくれます。
 つまり、見返りを求めず、相手を敬い丁寧に扱うことが出来るのは日本人の良いところであり、これこそが『おもてなし』と言えます。ビジネスの世界だけでなく日常生活において、見返りを求めず相手を敬い丁寧に接することは、正に『おもてなし』であります。
 こうしてお話してきました『おもてなし』という精神、『おもてなし』の心とは、さて、どうでしょう。
「相手を思いやる優しい心をつくろう」というのが、実は私がみなさんに常々言っているEQではありませんか。みなさんに自分自身でしっかりと磨きなさいと言っている『こころの知性』ではありませんか。
龍谷大平安で、しっかりと『おもてなし』の心を磨いてください。

後期始業式 学校長式辞 2014年10月06日(月)17時30分

2014/10/06 後期始業式について

 ※台風の影響で6日は臨時休校となったため、後期始業式で話す内容(式辞)については、翌7日に全校生徒にプリント配布することとした。なお、7日~10日の各学年の仏参をもって後期始業式とする。

学校長式辞 (中学、高校1・2年)
 まず、みなさんに御礼を言います。といいますのは、前期後半9月23日に中学高校のオープンキャンパスを開催しました。中学がお父さんお母さんを入れれば約500人、高校が2600人、総勢3000人を超える来校者がありました。龍谷大平安に興味を持っていてくださる方々がこんなにもたくさんいてくださるということです。
 実は、これはみなさんのお陰なのです。先日も卒業生が来られて、他の学校と比較して平安の生徒さんは気持ちがいい挨拶をしてくれると絶賛しておりました。卒業生として誇りだとも申しておられました。挨拶の言葉や時間を守ることは平安の建学の精神ではありますが、言われてするのと、言われずとも自然に行動に出るのとは全く違います。やらされている内は相手にもそれが伝わりますし、悟られてしまいます。
 そういう意味で、みなさんが元気にこうして登校してくれていること、楽しいことばかりではなく辛いことや悲しいこともあるかもしれませんが、こうして明るく学校生活を送ってくれていること、いつでもどこでもだれにでも爽やかな挨拶を交わせる生徒であることがたいへん嬉しく思います。そして、みなさんがそんな学校生活を送ってくれていることが、これから中学選びや高校選びをする受験生や保護者に自然に伝わっているのです。だから在校生のみなさんに御礼を言います。「ありがとうございます」
 さて、今年度のスタートに際しまして、前期の始業式には、みなさんの昨年度(2013)の生徒手帳にしたためさせていただいた『遍照(へんじょう)』という言葉について、そして4月の仏参では、人間の「知恵」と今年の生徒手帳に記しました仏さまの『智慧』についてお話しいたしました。少しおさらいしておきましょう。
 人間の「知恵」は頭が上がり、仏の「智慧」は頭が下がります。人間の知恵は、知識、教養、学問の世界ですから知恵がつけばつくほど偉くなり、賢くなり頭がどんどん上がって偉そうになってきます。しかし、仏さまの智慧は、仏さまの方から私を照らし、めざめさせ、心のもやもやを破ってくださる働きですから、仏さまの智慧に遇えば遇うほど、私の愚かさ、恥ずかしさ、罪ぶかさに気づかされ、ただただ頭が下がるばかりです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、めざめさせてくださるのですから、素直に仏さまの教えに耳が傾けられるようになります。平安ですべて仏式で執り行う行事は、大切な聴聞(ちょうもん)の機会であります。
つまり、素直に耳を傾ける大切な時間なのです。
 平安は「ことば・じかん・いのちを大切に」という建学の精神を大事にしていますが、この仏の『智慧』を得ていくことで、「目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の本当の大切さ」に気づくことになるのです。
 以前から申しておりますが、心を一本の幹(き)に例えた時に土の中にあって見えない根っこの部分を磨くことが、一般に言う「知・徳・体」の「徳育」だと考えています。平安では、その「徳育」を「宗育」と言っていますが、この「宗育」があってこそ、根っこから吸収されるすべての栄養源、つまり「EQ](こころの知性)を、人間力として枝に運ぶことが出来るのです。この「こころの知性『EQ』」を磨くのが、龍谷大平安での学校生活です。
 さて、龍谷大平安は面倒見のいい学校だということをあちらこちらから言われ、たいへん嬉しく思っています。しかし、私はもう一歩先に行きたいと考えています。と言いますのは、面倒見がいいと言っても、赤ちゃんには赤ちゃんの、幼児には幼児の、小学生には小学生のそれぞれの年齢に応じたケアがあります。そして、中学生や高校生にとっては、面倒見の良さは「わかるまで教える」ことではないと考えます。確かに「わかるまで教える」ことは私たち教師にとって当たり前のことかもしれませんが、みなさんも甘えすぎてはいませんか。自分でとことん考えた上でわからないことは尋ねるべきですが、考えずして最初から「わかりません」と言ってませんか。
 中学生や高校生の君たちに私たち教師がなすべきことは「わかろうとする心をつくる、そのお手伝いをする」ことが、面倒見がいいということではないでしょうか。
 本当の意味でみなさんが、「真の自立」をしてくれるために、もっと上質の面倒見の良さをしようと思います。具体的には、私たちはみなさんを少し突き放そうと思います。年齢によって違いはあると思いますが、それぞれが、今おかれている状況の中で、それぞれがしっかりと考え、自分の力で出来るかぎり努力してください。すぐに先生や親を頼りにしてはいけません。自分で出来る精一杯のことをしてくれることを望みます。
 それと前期始業式でも申しましたが、今年度の学校生活の重点目標は「規律と統制」「ルールとマナー」としています。みなさんは、生徒手帳「生徒心得」の礼節のところを今一度読み返し、決められていることはきっちりと守りましょう、そして、常に相手の気持ちにたってものを考え行動するということを実践してください。相手の嫌がることを言ったり、行ったりしてはダメです。これは、当たり前のことですが、こうした自覚が「こころの知性『EQ』」を磨き、人間力を高めていくのです。
 最後に、第1次リニューアルが完了し、みなさんが新しい環境の中で生き生きと学園生活を送ってくれていることが、文化祭や体育祭という学校行事を通して感じました。みんな、いい顔をしてました。もう少し不便をお掛けしますが、より快適で過ごしやすい環境を整えますので、第2次のリニューアルを終えた「龍谷大平安」を楽しみにしていてください。
 生徒手帳「生徒心得」の礼節を読み上げ、後期の始まりの式辞といたします。

1 本学園の生徒は、校内校外を問わず、常に礼節を重んじ、身を持すること端正でなければならない。

2 すべての秩序は活発な規律ある行為によって保たれるものであるから、時間期限を厳守するとともに、秩序を乱したり、軽率な行動をしてはならない。

3 学校は自分の修練の場であるから、校門を出入りするときは、講堂に安置するご本尊に向かって礼拝すること。

4 講堂に出入りする時は、正面に安置したご本尊に礼拝し、特に堂内においては、静粛を旨とすること。

5 職員室に入る時は、帽子・コート・マフラーの類をとり、服装を整え、敬意を失ってはならない。

6 長上に対しては、常に敬意の念をもって接し、礼を欠くことのないよう心掛け、特に校内校外を問わず、教職員に対する礼を忘れてはならない。

7 学校への来客に対しては会釈をし、敬意をもってこれを迎え、不快の念を与えないように注意すること。
                            以上

今月の言葉《宗教教育係》 2014年10月01日(水)08時51分

ファイル 132-1.pdf

十月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

御礼 龍谷大学付属平安中学校・高等学校オープンキャンパス 2014年09月23日(火)16時30分

平成26年9月23日(祝)オープンキャンパスを開催いたしましたところ、午前9時半からの中学全体説明会には約200組総勢500名、午後1時半からの高校全体説明会には約1200組総勢2600名の皆さまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。特に、高校全体説明会におきましては予想をはるかに超える来校者数に準備はしていたものの十分な対応も出来ませず心よりお詫び申し上げます。あと3回[10月13日・11月16日・12月7日]生徒・保護者対象の学校説明会を開催させていただきますのでお忙しいとは存じますが、ぜひお越しくださいますようお願い申し上げます。

学校長挨拶
 みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本学園も、今年139年目に入りました。そして創立以来、今日まで138年間、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、徹底した仏教教育を貫いております。
 こうした教育は、今春の硬式野球部の活躍にも現れています。お陰様で第86回選抜高等学校野球大会において、初の「日本一」に輝きました。残念ながら、春夏連覇を目指しましたこの夏の甲子園は、初戦で敗退という結果に終わりました。
 その選抜初優勝の時に、さまざまな場面でのインタビューで選手たちの口から飛び出したのが常に「支え」「お陰さま」「感謝」という言葉でした。このような言葉が自然に出ることこそ「龍谷大平安」に学ぶ意義をしっかりと示してくれていたと思います。
 また試合直後の「龍谷大平安」ダッグアウトの様子は、さすがと言えるものでした。閉会式の終盤、ベンチに入れていただき、私が、まず目にしたのは、グラブ・手袋・バットケース、個人のセカンドバッグに至るまで、それこそ一糸乱れず整然と並べられていることでした。目に見える華やかさではなく、目に見えないところの大切さを本校硬式野球部は身をもって実践してくれていました。
 実は、今年の生徒手帳には『智慧』という言葉を記しました。人間の「知恵」は頭が上がり、仏の「智慧」は頭が下がります。どういうことかと言いますと、人間の知恵は、知識、教養、学問の世界ですから、知恵がつけばつくほど偉くなり、賢くなり頭が上がってきます。しかし、仏様の智慧は、仏様の方から私を照らし目覚めさせてくださる働きですから、仏さまの智慧に遇えば遇うほど、自分の愚かさ、恥ずかしさ、罪深さに気づかされ、頭が下がるばかりです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、めざめさせてくださるのですから、素直に仏さまの教えに耳が傾けられるようになります。
 具体的には、平安は「ことば・じかん・いのちを大切に」という建学の精神を大事にしています。この三つの大切を日常の心得とすることが、仏の『智慧』を得ていくことになり、「目に見える華やかさではなく、“目に見えないもの”の本当の大切さ」に気づくことになるのです。
 少し難しかったかもしれませんが、龍谷大平安に入学してくだされば、だんだんと理解できるようになります。
 さて、教育環境ですが、北校舎耐震改修・コミュニケーションホール・グラウンドの人工芝化などの第1次リニューアルが完了いたしました。生徒たちは新しい環境で生き生きと学園生活を送っております。
 引き続き、南校舎・西校舎耐震改修と中庭のコミュニケーションテラスを新設いたします。また吹奏楽部練習場の整備、さらには、女子トイレの増設及び全校舎トイレのウォシュレット化を実施いたします。より快適で過ごしやすい環境を整えますので、どうぞ、第2次リニューアルを終えた「平安」を楽しみにしていてください。
 こうした環境の中で、西本願寺のお膝元である龍谷大平安で過ごす三年間や六年間は、みなさんに仏教的なものの見方や考え方が自然と身についていくのです。それが平安で学ぶ意義です。
 今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て存分に楽しんでください。
 本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。

祝 吹奏楽部 京都府マーチングコンテスト 金賞受賞 関西大会出場決定 2014年09月07日(日)18時00分

9月7日(日)太陽が丘体育館において、第27回京都府マーチングコンテストが行われ、本校吹奏楽部が規定の部で出場し、見事金賞を受賞しました。この結果、第42回関西マーチングコンテストに出場し、全国大会出場を目指します。引き続きご声援の程宜しくお願い申し上げます。

今月の言葉《宗教教育係》 2014年09月01日(月)12時02分

ファイル 128-1.pdf

九月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門