HEIAN BLOG 校長 BLOG

記事一覧

御礼 全国大会出場クラブに対しましてご声援ありがとうございました。 2014年08月30日(土)17時30分

御礼 夏休み中に行われました全国大会出場クラブ等の戦績をご報告いたします。ご声援いただきましたすべてのみなさまに心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

全国大会の戦績
・硬式野球 第96回全国高等学校野球選手権大会 初戦敗退(春日部共栄)
・剣  道 全国高等学校総合体育大会 予選リーグ敗退
・フェンシング 全国高等学校総合体育大会 男子団体Best16・個人7位
・チアダンス 全国高等学校ダンスドリル選手権大会 ソングリーダー部門5位
      全国中学校ダンスドリル選手権大会 ソングリーダー部門3位 学校総合4位
その他
・陸  上 京都ユース陸上競技対校選手権兼近畿予選会
 男子 100m2位 200m優勝 4×100mリレー2位 
 女子 200m2位 400m優勝 4×100mリレー4位 ※男女共近畿大会出場
・ハンドボール 第65回京都府私立中学高等学校総合体育大会
    男子優勝 女子2位 ※男女共近畿私立高等学校ハンドボール大会出場
・吹奏楽 第51回京都府吹奏楽コンクール 高校の部A 金賞

第10回BFA U18野球選手権 高校日本代表チーム 選出  2014年08月26日(火)17時30分

日本高等学校野球連盟が、25日「第10回BFA U18野球選手権」の高校日本代表チーム18人を発表され、本校の徳本健太朗が選ばれた。【外野手】龍谷大平安(京都)徳本健太朗(3年)
期間9月1日~9月6日 タイ・バンコクで開催

今月の言葉《宗教教育係》 2014年08月01日(金)10時10分

ファイル 126-1.pdf

八月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門

祝 第96回全国高等学校野球選手権京都大会 優勝 2014年07月27日(日)08時00分

第96回全国高等学校野球選手権京都大会の決勝戦が7月26日(土)13時より、わかさスタジアム京都で行われ、京都すばるに龍谷大平安が勝利し2年ぶり33回目の全国大会出場を決めました。春夏通算71回目の甲子園ということになります。
連日の猛暑の中、応援に駆けつけていただきました野球部OB・卒業生をはじめすべての平安ファンのみなさまに心より御礼申し上げます。この夏の大会は、春夏連覇のかかった甲子園の戦いになります。引き続き、ご声援の程宜しくお願い申し上げます。
本当にありがとうございました。

御礼 龍谷大学付属平安中学校オープンキャンパス 2014年07月06日(日)16時30分

平成26年7月6日(日)中学校のオープンキャンパスを開催いたしましたところ、午後1時半からの全体説明会に約230組総勢600名の皆さまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

学校長挨拶

 みなさん、ようこそ龍谷大平安のオープンキャンパスにお越しいただきました。
 さて、1876年(明治9)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本学園も、この5月21日で満138歳の誕生日を迎えました。そして、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは少し難しすぎるかもしれませんね。宗教的、特に仏教的なものの見方や考え方が自然に染み込むように身についていくことを言います。
 それでは龍谷大平安で学ぶ仏教的なものの見方について、少しだけお話しさせていただきます。
 昨年度の生徒手帳には、阿弥陀さまの光は常に私たちを照らし護(まも)ってくださっているということを示す『遍照(へんじよう)』という言葉を記させていただきました。今年度(2014)の生徒手帳に記しましたのは、『智慧(ちえ)』という言葉であります。
 では、私たちが一般的に用いる人間の「知恵」とこの仏の「智慧」について考えてみましょう。
 人間の『知恵』とは、生きていく上での学問や知識のことで、本で読んだこと、人から聞いたこと、役に立つ知識のこととなります。そして、仏の『智慧』とは、仏さまの心のことです。
 例えば、私がここで居眠りをしていたらみなさんどう思いますか。授業中に居眠りをしている人がいたらどう思いますか。
 人間の『知恵』の世界だと、「先生のくせに居眠りなんてとんでもない」「不謹慎だ」となるでしょう。ところが、仏の『智慧』、つまり、仏さまの心の眼でみると、「ああ疲れているんだろうか。」「家庭で何か大変なことでもあったのかなあ。」「何か助けてあげられることはないかなあ。」などというふうな見方もできます。
 今の世の中は、人間の『知恵』の世界ばかりが横行して物質や知識は豊かになってはいますが、心がそれに併せて育っていないということです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、目覚めさせてくださるのです。
 西本願寺のお膝元である龍谷大平安でこのようにして過ごす六年間は、子どもたちに仏教的なものの見方や考え方が自然と身についているのです。それが何を隠そう「宗教的情操の涵養」ということです。それが平安で学ぶ意義なのです。
 今日は限られた時間ではありますが、龍谷大平安をしっかりと見て、存分に楽しんでください。
 本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。

今月の言葉《宗教教育係》 2014年07月01日(火)08時10分

ファイル 123-1.pdf

七月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語版

平安同窓会大阪会【集いの会】 2014年06月28日(土)09時10分

平成26年度「大阪会集いの会」が6月27日(金)18時より太閤園本館(大阪)に於いて開催されました。藤松喜久次大阪会会長の挨拶に始まりました同窓会は、その後、硬式野球部顧問の藤井教諭より、急遽欠席となりました原田英彦監督からのメッセージが読まれ、本人の姿が見られなかった残念さはあるものの参加者から大きな拍手でありました。終始和やかに時間が流れ、お開きの後は、恒例のホタル観賞の一時を過ごし帰途につきました。お世話いただきました同窓のみなさまにこの場をお借りし感謝申し上げます。ありがとうございました。

御礼 第1回 学校説明会(高校受験生対象) 2014年06月22日(日)15時00分

2014年6月22日(日)午前10時から本校講堂におきまして『第1回高校受験対象学校説明会』を開催いたしましたところ雨でお足もとの悪い中、約350組の生徒・保護者のみなさまにご来校いただき心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 あらためまして、みなさんおはようございます。本日は本校の「2015年度入試の第1回学校説明会」に、休日の朝の早い時間から、また足もとのお悪い中、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて本学園は、今から138年前の明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました。 本校は、創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操教育を理想としてきました。その宗教教育の原点は、何といっても、毎朝、仏さまにお参りする仏参でありますし、年間5回実施される宗教行事であります。それでは、龍谷大平安で何を学ぶのかについて、お話しさせていただきます。
 昨年度の生徒手帳には、阿弥陀さまの光は常に私たちを照らし護(まも)ってくださっているということを示す『遍照(へんじよう)』を記させていただきました。いのちあるものすべてに等しく届けられている仏さまの光に気づくことのできる、そんな生徒に育ってほしいとの願いからこの言葉を記しました。そして、この私を救わずにはおけないという仏さまの願いを聞かせていただくために、仏参や宗教行事が行われるのであります。
 今年度(2014)の生徒手帳に記しましたのは『智慧』であります。私たちが一般的に用いる人間の「知恵」とこの仏の「智慧」について考えてみましょう。
 人間の「知恵」は頭が上がり、仏の「智慧」は頭が下がります。どういうことかと申しますと、人間の知恵は、私たちの方から色々なことを知りたくて、学び、覚え、理解するという知識、教養、学問の世界でありますから、知恵がつけばつくほど偉くなり、賢くなり、ますます頭が上がってきます。
 しかし、仏さまの智慧とは、仏さまの方から私を照らし、目覚めさせてくださる働きですから、仏さまの智慧に遇えば遇うほど、自分の愚かさ、人間の欲の深さに気づかされ、ただただ頭が下がるばかりです。
 龍谷大平安で学ぶのは、知識・教養・学問の世界だけではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、目覚めさせてくださるのです。
 人間は、知恵がつけば賢くなったつもりになるので、ついつい偉そうになり頭が上がり、素直に仏さまの教えに耳が傾けられなくなります。自分の知恵や力に頼り、自分一人の力で生きていると思いあがっている間は、頭が上がるばかりです。
 しかし、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがあるように、どんな社会の人でも本当に学問や人格が備わってくれば、自分の愚かさ、ちっぽけさに気づき、とても謙虚になってきます。
 お釈迦さまは、ものごとの真実のすがたをありのままに見ることを諭されています。その“ありのままの真実”を見ること、それが「智慧」なのです。
 では「ありのままの真実を見ること」とは、いったいどういうことなのでしょうか。
 たとえば、「あの人はいい人だ」というときは、たいてい「自分にとって都合のいい人」であり、「あの人はダメな人だ」というときは、たいてい「自分に利益をもたらさない人」という場合が多いのではないでしょうか。同じように、「好き」と「きらい」、「可愛い」と「憎らしい」、「きれい」と「きたない」など、物事や人を、比較したり仕分けたりするのも、結局は、自分という“モノサシ”ではかっているのです。
仏教では、この自分の“モノサシ”こそ、あらゆる苦しみを生み出す元であるとされます。
 仏の智慧は、この“モノサシ”を超えて、ものの価値を絶対平等に見る心の眼を開くことにあるのです。
 私たちにこの「仏の智慧」さえあれば、愚かな行為は一切なくなるはずです。もちろん、いじめも虐待も、すべての悪行はなくなります。
 本校の建学の精神である「ことば・じかん・いのちを大切に」という三つの大切が日常の心得として実践されることによって、仏の『智慧』を得ることができるのです。それが、こころを開いてものを見ることができるように、仏教的なものの見方ができるように、生徒たちがそんな人格を形成し、立派な人間になることに繋がるのであります。
 まさに、知・徳・体の知育・体育の土台となる徳育、本校では宗育と申しますが、「こころの知性」(EQ)を磨く心の教育の実践であります。龍谷大平安がめざすのは「目に見える華やかさではなく“目に見えないもの”の本当の大切さ」に気づくことであります。
 こころの教育とは、すぐに答えを求めるのではなく生徒一人一人の一生涯を見据えてしっかりとサポートすることでしょう。それは、高校の三年間に、どれだけの質のいい喜びの種を蒔けるかにかかっています。
 龍谷大学付属平安高等学校は、この喜びの種を蒔き、そして花を咲かせることができるように、しっかりとサポートすることをお約束いたします。
 このあと、具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に本校をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。
 本日は、お忙しい中、お越しくださいまして誠にありがとうございます。

硬式野球部 京都私学振興会『小野山利雄賞』受賞 2014年06月15日(日)16時30分

受賞者謝意 受賞者代表 燧土勝徳

 誠に僭越ではございますが、各受賞者を代表して一言ご挨拶を申し上げます。只今は、京都府知事山田啓二様・京都市長門川大作様ご臨席の下、京都私学振興会賞という、誠に栄誉ある賞を授賞いただき本当に身に余る光栄でございます。誠にありがとうございました。
 さて、私どものことを話させていただきますと、この度の選抜大会の優勝は、京都勢としては、京都一商(現西京)が昭和23年に優勝して以来、実に66年ぶりとなる、2度目の全国制覇でありました。
 本校をみましても、平安の選抜大会は、ベスト4が最高の成績で、しかも、それは40年前の昭和49年のことです。夏の選手権は、32回の出場で昭和13年・26年・31年と3回の全国制覇がありますが、そこから数えても、58年ぶりに手にした栄冠ということになります。
「平安」は、春夏通算70回という全国最多出場を誇っておりますが、それでも、今回が、4度目の優勝なのであります。全国の頂点に立つということが、どれほど難しいかということでしょう。
 まず、この度の優勝で何よりも、私が嬉しかったのは、さまざまな場面でのインタビューで、選手たちの口から飛び出す言葉は、常に「支え」「お陰さま」「感謝」でありました。このような言葉が、自然に口から出ることこそ、親鸞聖人のみ教えを建学の精神とする「平安」に学ぶ意義を、しっかりと示してくれました。
 また、試合直後の「龍谷大平安」ダッグアウトの様子は、さすがと言えるものでした。閉会式の終盤、ベンチに入れていただき、私がまず目にしたのは、グラブ・手袋・バットケースなど、個人のセカンドバッグにいたるまで、それこそ一糸乱れず整然と並べられていることでした。目に見える華やかさではなく、目に見えないところの大切さを本校硬式野球部は身をもって実践してくれていました。
しかし、本校がこうして「日本一」になることができましたのも、また、各個人や各団体が、本日ここにこうして授賞をいただきましたのも、在り来たりかもしれませんが、その当人の努力はもちろんですが、取り巻く数多くの方々の、暖かいお支えとお力添えがあってのことと思います。そうした多くの方々のお陰であります。あらためまして、厚く御礼申し上げます。
 この結果に慢心せず、先ほど申しました目に見える華やかさではなく、目に見えないところの大切さをしっかりと心に秘め、「勝って兜の緒を締めよ」ではありませんが、一定の目標が達成できたとき、だからこそ今まで以上に謙虚に、そして日々精進していきたいと思います。今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。本日は、誠にありがとうございました。

平成26年度 平安会役員会 2014年06月03日(火)08時06分

校長挨拶

 5月1日の本願寺新報『みんなの法話』に「親のよび声」と題して、次のような内容が記されていましたので、ご紹介いたします。
 ある年の保育園の運動会でのことです。頑張って練習してきた園児たちの晴れの舞台。園児の親だけではなく家族も駆けつけ、応援席では絶えず大きな声援があがっていました。閉会式も終わり、いよいよ解散となりました。
 担任の先生が整列している園児一人一人とお別れの挨拶をしていますが、どの園児もそわそわして心ここにあらずという様子です。そして、先生との挨拶が終わるやいなや、勢いよく走り出し、「お母さん!」「お父さん!」と大きな声を上げながら、家族のところへ脇目も振らずに一直線です。どの園児も満面の笑みを見せ、安堵した様子で帰って行きました。
 驚いたことには、走って行く方向を間違えた園児は一人もいませんでした。よくよく思い返しますと、演目の最中でも、親や家族からの声援に手を振って応え、向けられたカメラにピースサインで応える園児を何人も見ました。園庭を囲む数百人の中からでも、親や家族の声や顔を聞き間違えることも、見間違えることもなく、その居場所を必ず見つけ出すことができるのです。自分の親や家族を間違えない園児がすごいのでしょうか。
 ところで「お母さん」「お父さん」と呼び始めたのはいつ頃からでしょうか。身近にいた人を自分が勝手に親と決めつけ、呼び始めたわけではないはずです。それは「私があなたのお母さんだよ」「私があなたのお父さんだよ」という、親の方からわが子に向けた名のりに始まることでしょう。
 また、この名のりは子どもにとってどんな存在であるのかをも知らせています。そして、早く私の名(お母さん、お父さん)を呼んでほしいという思いをもって呼びかけ続けるのです。この呼びかけはいつもわが子を慈しみ、一度この名を呼んでくれればすぐそばに寄り添い、不安な思いをさせることはないという親心で満ちあふれています。
 ですから、子どもが親を間違えることがないのは、この親心のおかげであり、子どもの口に出た「お母さん」「お父さん」の一言は、両親の強い思いが確かにわが子に届き、まさしくそこにはたらいていることを物語っているのです。
 以下、省略させていただきますが、このあと、親がわが子を思うように、阿弥陀さまは私をわが子であると慈しんでくださる親さまなのであります。と続いていきます。
 10数年前、少年鑑別所・少年院・女子の少年院を見学したことがあります。すべての院長先生方が口をそろえて言われたのが、この子たちにもう少し親が関わってくれていれば、誰一人ここに来る必要は無かったでしょうね。と言う言葉が今も忘れられません。
 まさに、親子の関わりの大切さをつくづく感じていることであります。
 今年度の学校方針を「規律と統制」としました。あえて、ルールとマナーと置き換えております。決して生徒に迎合するのではなく、子どもにはしっかりと我慢をさせる。現代の子どもは昔に比べて絶対的に我慢が足りません。今一度、決められたことをしっかり守ろう。ダメなことはダメと言おう。自分がされて嫌なことは他人にもしない、他人の心の痛みをわかろう。当たり前のことを当たり前にということで新年度のスタートを切りました。
 一年間いろいろとお世話になりますが何とぞ宜しくお願い申し上げます。