六月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語版
学校長挨拶
保護者のみなさまには、平日のたいへんお忙しい中、ご出席を賜りまして、誠にありがとうございます。平素は、学園に対しまして、ご理解とご協力を賜りまして、心より御礼申し上げます。
さて、ご承知の通り、本校硬式野球部が第86回選抜高等学校野球大会におきまして、見事「日本一」に輝いてくれました。過日4月24日優勝報告会を開催いたしましたので、その際、ご挨拶させていただいた内容をご紹介いたします。
この度の優勝は、京都勢としては、京都一商(現西京)が昭和23年に優勝して以来、実に66年ぶりとなる、2度目の全国制覇であります。本校をみましても、平安の選抜大会は、ベスト4が最高の成績で、しかも、それは40年前の昭和49年のことです。夏の選手権は32回の出場で昭和13年・26年・31年と3回の全国制覇がありますが、そこから数えても、58年ぶりに手にした栄冠ということになります。全国最多出場を誇っている「平安」でさえも、今回が4度目の優勝なのであります。全国の頂点に立つということが、どれほど難しいかということでしょう。
まず、この度の優勝で何よりも、私が嬉しかったのは、さまざまな場面でのインタビューで、選手たちの口から飛び出す言葉は、常に「支え」「お陰さま」「感謝」でありました。このような言葉が、自然に口から出ることこそ、親鸞聖人のみ教えを建学の精神とする「平安」に学ぶ意義を、しっかりと示してくれました。ここまで子供たちを育ててこられたご両親をはじめご家族やまた野球という競技を通して関わってこられたすべての方々が、このように子供たちを成長させたのでありましょう。
また、試合直後の「龍谷大平安」ダッグアウトの様子は、さすがと言えるものでした。閉会式の終盤、ベンチに入れていただき、私がまず目にしたのは、整然と並んだグラブ・手袋・バットケースなど、個人のセカンドバッグにいたるまで、それこそ一糸乱れず整然と並べられていることでした。目に見える華やかさではなく、目に見えないところの大切さを本校硬式野球部は身をもって実践してくれていました。
自画自賛ですが「天下の平安」まさにここにあり!であります。
本年(2014年)6月には、法統継承式が執り行われ、現在のご門主から新門さんに法統が継承されます。浄土真宗本願寺派では「次代へのみ教えの継承」を掲げておられますが、人は兎角、目に見える華やかさを望みますが、私は、その裏にある見えないものの大切さこそが大事で、これこそ次代へ継承すべきことではないかと気づかされることであります。
今年度の学校方針を「規律と統制」としました。あえて、ルールとマナーと置き換えておりますが、今一度「決められたことをしっかり守ろう」「ダメなことはダメと言おう」「自分がされて嫌なことは他人にもしない、他人の心の痛みをわかろう」当たり前のことを当たり前に…ということで原点に戻ろうと新年度のスタートを切りました。
子どもは自分に都合の良いことしか言いません。それは、教師だけではなく、親にでも一緒です。そんな中で、私たちは子どもに振り回されていないでしょうか。本当の意味で、生徒に迎合するのではなく、しっかりと子どもに、ダメなことはダメと言えているでしょうか。子どもにしっかりと我慢をさせているでしょうか。我慢が足りない子どもは、社会に出てから問題を起こす、あるいは、情緒不安定になるリスクが高いというデータが出ています。
とにかく、2014年度のスタートに際し、教員には褒めるときはしっかりと褒める、叱るときはしっかりと叱る、ということを実践するようにと申しました。そんな中で、生徒との信頼関係をしっかりと築くためには、ねぎらい・気配り・人の気持ちがわかる上手な関係づくりを心がけなさいとも申しました。
子どもたち一人一人としっかりと対峙して教育に当たりますので、何とぞ、ご理解をいただき、更なるご尽力を賜りますようお願い申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。
2014/05/08 防災訓練 学校長 訓話
学校における防災教育は、自らの生命を大切にし、他の人々を思いやる心の教育と位置づけ、地域の安全に役立つための防災態勢を理解できることを目的としています。
この目的を具体化するために防災教育と、安全行動ができる防災訓練が必要なのです。
生徒一人ひとりが、自分の身を自分の努力によって守る(自己責任による自助の考え方)とともに、普段から顔を合わせているクラスの仲間が互いに協力し合いながら、防災活動に取り組む(助け合いという共助の考え方)が必要です。そして、この「自助」「共助」に学校の危機管理体制という「公助」が有機的に繋がることにより、被害の軽減を図ることが出来るのです。
特に、クラスメートや仲間が協力し合う体制や活動、つまり「共助」は、自主防災活動の中核です。
先ずは、災害・防災の正しい知識を習得することから始まるわけですが、その前に日々の学校という生活空間について、防災の視点から避難経路等を確認しておかなければなりません。そして、何より「人を知る」ことが重要な鍵を握っています。つまり、クラスの人数など、誰がいないとか、そのような関係をつくっておくことが大切となります。
今回の防災訓練は、地震を想定した避難訓練です。したがって、直ちに安全な場所への避難が必要になります。この訓練における注意点は
①避難指示の伝達
②避難生徒人数の確認
③安全な避難方法の訓練
④避難経路の確認というものでした。
本当に地震など災害が発生した時、正確で迅速な情報の収集と伝達活動が欠かせません。いかに冷静沈着な行動がとれるかということです。本当に災害が起こっては困りますが、これだけはどうしようもありません。万が一にそなえ、今日の防災訓練が意義あるものとなりますよう願っております。
本日、お釈迦様の誕生をお祝いする花まつりの行事を一ヶ月遅れで営みました。
私たちの人生は、何が起こるかわかりません。この世の中はどんなことが起こっても不思議ではないのです。仏教というのは、思いもよらぬ災難が来ないように祈る宗教ではありません。どんな思いがけない災難にも耐え、それを乗りこえていく正しい智慧の眼を開かせるのです。
みなさんには、先日の仏参でお話ししました「仏の『智慧』」がこれです。
東日本大震災から三年あまりたちましたが、今なお、苦しみや悲しみの中で生活されている方々に「寄り添う心」をしっかりと持ちましょう。そして、時間とともに記憶から薄れつつありますが、私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。
今こうして今日が迎えられていることを、心から「ありがたい」と感謝いたしましょう。
みなさん、おはようございます。
さて、みなさんには前期始業式にもお話ししましたが、昨年度(2013)の生徒手帳に「遍く一切を照らす」という意味の『遍照(へんじよう)』を記しました。私たちは自分の煩悩によって、自分で自分を見えなくしてしまっています。それでもなお、阿弥陀仏の光明、つまり、仏さまの大いなるお心は、あきらめることなく、常に私たちを照らして護ってくださっているのです。そのことに、感謝いたしましょう。
それでは、今日は、今年度(2014)の生徒手帳にしたためさせていただきました私の書『智慧』について、昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶である 澤木興道 さんの著書「禅談」をご紹介し、お話しさせていただきます。
その「禅談」の中に「本当にめでたいもの」と題して、次のようなお話が記されています。
先日、小学生を相手に、人間の「知恵」と仏の「智慧」の話をしました。
人間の『知恵』とは、生きていく上での学問や知識のことで、本で読んだこと、人から聞いたこと、役に立つ知識のこととなります。そして、仏の『智慧』とは、仏さまの心のことです。もう少しかみ砕いて説明しましょう。
「例えば、私がここで居眠りをしていたらみなさんどう思いますか。授業中に居眠りをしている人がいたらどう思いますか。」と尋ねました。みなさんならどう思いますか。
人間の『知恵』の世界だと、「先生のくせに居眠りなんてとんでもない」「不謹慎だ」となるでしょう。ところが、仏の『智慧』の眼でみると、「ああ疲れているんだろうか。」「家庭で何か大変なことでもあったのかなあ。」「何か助けてあげられることはないかなあ。」などというふうな見方もできます。
戦後の高度経済成長の中で、人間の『知恵』の世界ばかりが横行して、現在ではそれが反省されている世の中です。学問一辺倒で、物質や知識は豊かになってはいますが、心がそれに併せて、育っていないということです。
人間の『知恵』だけではなく、仏の『智慧』も備えていないと本物とはいえません。
このような内容でありました。龍谷大平安は、「ことば・じかん・いのちを大切に」という建学の精神を大事にしています。特に本校は、浄土真宗『親鸞聖人のみ教え』を教育の基盤に据えている学校だからこそ、仏の『智慧』を得ていくことが、本当に大切になってくるのだと思います。
もう一度確認します。
私たちの日常生活では、人間の知恵という言葉は、「知識があって賢いこと」だと理解されています。では、この知識とは何でしょう。これは、人が、便宜上作った、人間社会共通の約束事なのです。あらゆるものに尺度や理論をつけ差別化をしたものがすなわち「知識」です。
確かに、知識は、人が社会生活を送る中で絶対に欠くことのできない、物事を判断するうえで大事なものです。知識を生かすことで、人は合理的で豊かな生活を手にすることができました。あらゆる分野において、どんな知識もあるにこしたことはありません。
しかし、知識を積み知恵をつけた人が果たして「賢い人」でしょうか。と言いますのも、それは「知恵」には、「浅知恵」とか「悪知恵」があるように、中には知識を悪用する人もいるからです。オレオレ詐欺の例にもあるように、現代の犯罪の多くは、知識をフルに活用した知能犯が主流を占めています。
つまり、賢い人「賢人」の定義が「立派な人」だとすれば、「知恵ある人」がすなわち「賢人」とは限らないということです。これは、人のつくった知識は、人間の勝手な判断や偏った見方に呑み込まれてしまうということです。
仏教で言うところのほんとうの意味での賢人とは、人間の知恵の先にある「さとりの智慧」、つまり、仏の「智慧」を会得した人のことをいいます。その人こそ「真理に目覚めた人」すなわち仏陀なのです。35歳のとき、菩提樹の下で悟りを開かれ仏陀となられましたのが釈尊です。釈尊はこの悟りの体験から、すべての人の中にすでに届けられている仏の智慧が、私たちの身の内にあることに目覚めさせ、ものごとの真実のすがたをありのままに見ることを諭されているのです。
その“ありのままの真実”を見ること、それが「智慧」なのです。
では「ありのままの真実を見ること」ということは「いったいどういうことなのか」と言いますと、例えば、「あの人はいい人だ」というときは、たいてい「自分にとって都合のいい人」であり、「あの人はダメな人だ」というときは、たいてい「自分に利益をもたらさない人」という場合が多いのではないでしょうか。同じように、「好き」と「きらい」、「可愛い」と「憎らしい」、「きれい」と「きたない」など、ものごとや人を差別したり、仕分けたりするのも、結局は、自分という“モノサシ”ではかっているのです。
仏教では、この自分の“モノサシ”こそ、あらゆる“苦しみ”を生み出すもとであるとされるのです。
仏の智慧は、そのような偏見や分別の“モノサシ”を超えて、ものの価値を絶対平等に見る心の眼を開くことにあるのです。
「心の眼を開き、智慧を進める」ことによって、この世に存在するすべてのものは、互いに深く大きなつながりの中に存在しているのであって、そこに価値の上下はないのだ、という世界があらわれてくるのです。
仏教とは、お釈迦様が、悟りをひらかれ、その悟りに基づいた教えであり、その悟りそのものがすなわち「智慧」そのものであるのです。
私たちにこの「仏の智慧」さえあれば、愚かな行為は一切なくなるはずです。もちろん、いじめも虐待も、すべての悪行はなくなります。
というより、先にも申しましたとおり、この「仏の『智慧』」が、もうすでに私たちの身の内にあることに目覚め、ものの価値を絶対平等に見る心の眼を開くことを心がけたいものです。
そういう意味で、今年度(2014)生徒手帳に『智慧』と記させていただきました。
※前期始業式に先立ち、この度の第86回選抜高等学校野球大会におきまして本校応援団が「優秀賞」を受賞いたしましたので、毎日新聞社京都支局長から生徒会長に盾が授与されました。
学校長式辞
みなさん、おはようございます。
3月10日の終業式のあと、クリエイト・プログレスのみなさんには、小雪の舞うたいへん寒い中、新しく完成したグラウンドの人工芝の上で「人文字」を作り、毎日新聞社がヘリコプターから空撮をしてくれました。人文字の図案は、本校の校章と野球のボールを形づくりました。校章の由来については、みなさんの生徒手帳P4に記載しておりますので、改めて確認をしておいてください。ご協力ありがとうございました。
翌日から全体としては春期休暇に入ったわけですが、プログレスコースは3月17日~29日まで春期講習が行われました。その間にも甲子園の試合が入ってきて大変だったと思います。また、選抜大会・全国大会に出場されました、フェンシング・剣道・卓球・チアダンスの4クラブにおかれましても、全国の舞台での戦いお疲れ様でした。この中で、フェンシング部と剣道部がベスト8という成績をあげてくれました。あとはインターハイでの更なる飛躍を楽しみにしています。そして、第86回選抜高等学校野球大会に2年連続
38回目、春夏通算70回目の出場を果たした硬式野球部は、みなさんご存じのように、京都勢としては京都一商(現西京高)が昭和23年に優勝して以来、実に66年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げてくれました。
みなさんは「えっ」と思うかもしれませんが、平安は春の選抜大会に38回も出場していますが、ベスト4が最高の成績で、しかも、それは40年前の昭和49年のことだったのです。夏の選手権は32回出場していて、昭和13年・26年・31年と3回の全国制覇がありますが、そこから数えても、58年ぶりに手にした日本一ということになります。春夏通算70回という全国最多出場を果たしている「平安」でさえも、今回が4度目の優勝なのであります。これだけ見ても、全国での優勝や準優勝はおろか、ベスト4やベスト8に入るということがどれだけ難しいかということがわかるでしょう。
私は、光栄にも試合直後の三塁側龍谷大平安ダッグアウトに入れていただきました。私が、まず目にしたのは、整然と並んだグラブ・手袋・バットケースなど、個人のセカンドバッグに至るまで、それこそ一糸乱れず整然と並べられていることです。本校の硬式野球部は、選手であること以前に、しっかりと人間教育がなされていることの表れだと感心しました。
さらには、各試合後のインタビューで、河合主将をはじめ選手たちの口から飛び出す言葉は、常に「支え」「お陰さま」「感謝」でありました。こういった言葉が自然に口から出ることこそ、親鸞聖人のみ教えを建学の精神とする「龍谷大平安」に学ぶ意義をしっかりと示してくれました。
その硬式野球部と一体となって熱い応援を繰り広げてくれた全校生徒のみなさんを私は誇りに思います。本当に感動をありがとうございました。
いずれにしましても慌ただしい束の間の春休みだったと思います。
さて、本日より平成26年(2014)年度がスタートいたします。今春427名の新入生を迎えて高校生が1417名ということになります。先日の入学式で、私が式辞としてお話しした内容は、みなさんの昨年度(2013)の生徒手帳に私の書をしたためさせていただいていますが、『遍照(へんじょう)』という言葉についてです。『遍照』とは、あたりくまなく照らすこと。特に、仏の法身(ほつしん)の光明があまねく世界を照らすこと。という意味になります。難しいかと思いますが、仏さまは常に私たちを照らしてくださっているということです。
では「阿弥陀さまの光にいつも照らされている」とは、どういうことか考えてみましょう。
《中略》入学式の式辞に掲載しておりますので省略します
最後に、今年度の学校生活の重点目標を「規律と統制」としました。少し堅く感じるかもしれませんが、別な言い方をすれば「ルールとマナー」とも言えるでしょう。みなさんは、生徒手帳『生徒心得』の礼節のところを今一度読み返し、「決められていることはきっちりと守るということ、常に相手の気持ちにたってものを考え行動するということ」を実践してください。こうした自覚が「こころの知性(EQ)」を磨き、人間力を高めていくのですよ。
新年度の始まりに当たり、みなさんに私からのお願いを申して式辞といたします。
学校長式辞
桜花爛漫の校庭に陽光があふれる今日の佳き日、平成26(2014)年度入学式を挙行いたしましたところ、龍谷大学副学長、法人理事・評議員の先生方をはじめ、学園同窓会、平安会の役員の方々、多数のご来賓のご臨席を賜り、理事長とともに衷心より御礼を申し上げます。
新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。新入生の保護者のみなさま、ご子女の晴のご入学を心よりお祝い申し上げます。誠におめでとうございます。
さて、ちょうど三年と一ヶ月前の3月11日、あの未曾有の大震災が起きました。時間とともに記憶から薄れてしまいそうになりますが、私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。そして、今こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝いたしたいと思います。
それでは、私の式辞は、「すべてのいのちを大切にする心について」お話しします。
阿弥陀さまは「無限のいのち」の仏さまであるとともに、「無限の光」の仏さまであります。みなさんは、阿弥陀さまの光をご覧になったことがありますか。阿弥陀さまの光は、太陽や星のように目に見えるものではありません。しかし、阿弥陀さまの慈悲の光の到らないところはありません。そして、その光に包まれた人は慶びを得ると言われています。阿弥陀さまの色も形もない光が、私たちの言葉や行いや態度や表情として現れてまいるのであります。
では「阿弥陀さまの光にいつも照らされている」とは、どういうことか、考えてみましょう。
昨年の11月10日の「本願寺新報」にたいへんわかりやすく記されていましたので紹介します。
あるご法事で目の前に座った中学生の女の子に、次のような質問をしました。
「ちょっと聞いていいかな。今まで、ウソついたことある?」
皆さんはいかがですか? 今までウソをついたことはありませんか? 私は「ありません」なんてとても言えません。あります。その数は……正直数えることができません。大きなものから小さなものまで、いろんなウソをついてきました。
その女の子はビックリしていました。いきなり法事の席で質問されたことにもビックリでしょうし、質問の内容にもビックリ、二重の驚きだったようです。それもそのはず、隣にはご両親が、周りには親戚の方がいらっしゃる中での問いかけでした。
「まあまあ、どんなウソかは聞かないからさ、安心して答えていいよ」
そう言うと、彼女は目を真ん丸に開いて、息をのみながら首を縦に振ってくれました。ウソをついてきた自分を認めた瞬間でした。
私はさらに質問を続けました。
「ありがとう。じゃあさ、その今までついてきたウソの中で、まだ誰にもばれていないウソって、ある?」 女の子はさらにビックリです。今度は「えっ!?」と声まで出してしまいました。
とても答えづらい質問ですね。「ばれていないウソがある」って認めてしまうと、その後が大変そうです。
その時、一言だけフォローしました。
「お父さん、お母さん、この後いろいろ追及しちゃダメですからね!」
そう言うと、ご両親も笑顔で了解してくださいました。
そんなやり取りの中、覚悟を決めた女の子は、ついに答えを返してくれました。
静かに一言、「うん…」。
ばれていないと思うウソがある、という告白でした。あの真剣なまなざし、表情は、忘れることはできません。もし私が同じことを聞かれたら、果たしてどう答えるでしょうか。正直に答えられるかどうか、とても不安です。
そのあと少しお話をしました。
まずは彼女が答えてくれたことにお礼を言い、そして、私自身のことを話しながら…仏さまの光に照らされるって、どんなことかを一緒に考えました。
私もたくさんウソをついてきた、という事実や、その中には、彼女と同じように、たぶん誰にもばれていないと思うものもある、ということを告げました。でも、ここからが大切です。
誰にもばれてはいないけれど、ウソをついたということを私自身は知っています。光に照らされるということは、「ウソをついてしまったんだよな」って、「それでよかったのかな」って問いかけを持つことだと私は考えています、という話をしました。
それを聞いて、今度はその女の子から問い返されました。
「それって、大変じゃないですか?」
聞いてくれたこと自体がうれしかったので、私はニコニコしながら彼女に返事をしました。
「そうだね。とっても大変。きついこともあるけど、おじさんはそれが〝素敵なこと〟だと思ってるんだ」
阿弥陀さまの光に、いつも照らされている。照らされたから、ウソをつかなくなるのかと言うと、とてもそうだとは言えません。しかし、ウソをついて、つき通して、ばれなければそれでよし、という開き直った生き方とは明らかに違ってくる気がしています。
阿弥陀さまの光は、他の誰でもなく、この私にこそ注がれています。その温かさにであえばであうほど、また私の本当の姿が浮かび上がってくるのでしょう。それでも、なお必ず救う、決して離したりはしない、そう誓ってくださったみ教えです。この「仏さまの光」に、私たちはいつも照らされているのであります。
龍谷大平安は、明治9年滋賀県彦根の地に「金亀教校」として創立しました。本年5月21日で満138歳となります。その長い歴史の中で変わらないものが、建学の精神にもとづいた「こころの教育」です。仏教的なものの見方ができる人づくりであります。
本校では、一般的に『徳育』と呼ばれる心の教育を『宗育』と呼びます。それは、本校の宗教的情操教育が、仏教精神をもとにした宗教的な視点と、素直に人の話を聞く姿勢を大切にするからです。
先に申しましたように、阿弥陀如来は、常に私たちを照らしてくださっています。そんな中で、私たちは心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定させましょう。すると「素直な心」と「謙虚な心」が根づきます。そんな心のありようを意識して日々の生活を送りましょう。
龍谷大平安の教職員は、君たちを時には叱り、時には励ましの声を常にかけ続け、特に担任は、みなさん一人一人と膝と膝をつき合わせて、しっかりと関わっていきます。みなさんは、しっかりと「こころの知性」を磨き、人間力を高めるべく心豊かな学校生活を送られることをお願いしまして、私の式辞といたします。
本校硬式野球部が、2014年4月2日「第86回選抜高等学校野球大会」決勝戦;対 履正社(大阪)に勝利し、初優勝を成し遂げました。
大会期間中、ご声援いただきましたすべてのみなさまにこの場をお借りして心から御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
校長挨拶
春のお彼岸を目前に、少し開花の遅れていた校庭の紅梅も、見事に満開を迎えています。本当に暖かくなり、正に球春目の前というところであります。
本日、本校硬式野球部の第86回選抜高等学校野球大会出場の壮行会を挙行いたしましたところ、浄土真宗本願寺派総務 園城義孝 様をはじめ総局のみなさま、毎日新聞社京都支局長 小笠原敦子 様、京都府高等学校野球連盟会長 吉田眞人 様、龍谷大学学長 赤松徹真 様、本校硬式野球部OB会長 山本康裕 様ほか、多数のご来賓のご臨席を賜り衷心より御礼を申し上げます。
また、ご本山阿弥陀堂で壮行会を挙行させていただくにあたり、本山の職員のみなさまには、たいへんご尽力をいただき心より感謝申し上げます。ご出席いただきましたみなさま方におかれましては、平日のお忙しい中、激励に駆けつけていただきまして誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。本学園不二川公勝理事長も、きっと、お浄土で喜びの満面の笑みを浮かべていることでしょう。ご承知の通り、平成26年2月5日(水) 理事長は往生の素懐を遂げましたが、本当に理事長は野球が大好きで、甲子園をいつも楽しみにしていました。今日、こうして硬式野球部が昨年に引き続き2年連続38回目の甲子園出場を決めてくれました。本当に心から嬉しく思っております。また、この選抜大会は、夏の選手権大会出場の32回と合わせて、春夏通算70回目となる本校にとりましても、節目の甲子園となります。
平安は、夏の選手権は3度の全国優勝を果たしておりますが、春の選抜大会ではベスト4が最高の成績です。今年は、監督の口から初めて「日本一」という言葉が、選手に発せられました。是非とも決勝の舞台で「むらさきにおう雲のかなた……」校歌を聴きたいと思います。ご声援の程宜しくお願い申し上げます。
最後に、東日本大震災から今年で丸3年が経過いたしましたが、今なお避難生活を余儀なくされている方々がたくさんおられます。また、悲しい事件なども絶え間なくニュースで報道されているのも現実です。月並みかもしれませんが、今、こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝し、みんなに支えられてはじめて自分がここにあるのだということを忘れることなく、甲子園では頂点まで駆け上がってくれることを、心から期待いたしまして、私の挨拶といたします。
本日は本当にありがとうございます。