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御礼 第4回 生徒保護者対象学校説明会 2013年12月08日(日)16時30分

本日(2013/12/8)第4回生徒保護者対象学校説明会を開催いたしましたところ、中学受験約100組・高校受験約400組のみなさまにお越しいただき誠にありがとうございました。お忙しい中お越しいただきましたみなさまに心より御礼申し上げます。

学校長挨拶

 本日は、本校の「学校説明会」に、たいへんお忙しい中お越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、本校は、浄土真宗の宗門校として、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を推進してまいりました。明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました本校も、この5月21日で満137歳になりました。心の成長は、例えば何年でこれだけ伸びた、というように外からはっきり見えるものではありませんが、日々の声かけや実践によって着実に成長していくものだと思います。また、それが、我々平安に勤める教師の使命だと考えます。
 その日々の実践として「あ・じ・み・そ運動」を展開しております。すなわち、挨拶をすること、時間を守ること、身なりを整えること、掃除をしっかりとすること、という基本的生活習慣が、自然な形で生徒たちに染みつくことが大切だと考えております。本校では「こころの幹(き)」を育てようとの呼びかけを広く行っておりますが、いわば土の下にある根っこの部分は表から見えなくても、幹の豊かな成長を支える土台になる重要な部分だと思います。つまり、目に見えない、地面から下の部分を大切にしたいからです。こう考えますと、みなさんよくご存じの 相田みつを さんの言葉を思い出します。
 土の中の水道管
 高いビルの下の下水
 大事なものは表に出ない
             みつを
 私たちは普段の生活の中で下水や水道管はあまり意識しません。しかし、いずれも我々の日々の生活を支えてくれている大切なものです。こころを開いてものを見ることができるように、仏教的なものの見方ができるように、生徒たちがそんな人格を形成し、立派な人間になることを願っているのです。
 本校では、学年交代で毎朝仏参を行っています。仏参とは文字どおり仏さまにお参りすることをいいます。仏参では、講堂でご本尊に手を合わせたあと、教師が経験や見聞した中から、生徒の心に響く話をします。今年度、高校1年生に「こころの幹(き)」と題しました「仏参ノート」を配布し、その日に聞いた話のテーマ、要旨、主題、つまり先生が伝えたかったことについて自由に記述させています。昨今は一般に、他人の言葉を聞くことができない子どもが増えているといわれますが、仏の教えを聞く聞法(もんぼう)や他人の話に耳を傾ける聴聞(ちょうもん)を通して、月を追うごとにどんどん記述も増えてきています。これを教師がチェックして、子どもの感じ方や考えを把握し、日々の指導に生かしております。
 優しい心、謙虚な心、素直な心を持つこと、多様な意見を受け入れ、他人を許す寛容な心を持つことは、私ども教員にこそ求められているものではないかと考えます。生徒との間に人間関係が築かれていれば、時に強い口調で生徒を叱咤激励することがあっても、「奮起してもらいたい」という願いは自ずと伝わるものではないでしょうか。日頃から、相手の気持ちに立ってどのような言葉をかけるのか、教員としての感性を磨きたいものと思います。
 また、今年度から「生徒手帳」を一新しました。本校の三つの大切「ことば・じかん・いのちを大切に」の「じかん」に焦点を充て、一分一秒を大切にという基本的な考え方をベースに、生徒たちにスケジュール管理をしっかりさせたいという思いから、Diaryの部分を大幅に改良いたしました。
 入学式・始業式から始まり卒業式・終業式まで年間スケジュールを全て盛り込んでおり、各学年の保護者説明会などの予定も入れてあります。そこに生徒たち自身が学習目標や計画、定期テストの結果などを書き込み、自分で自分の伸び方を記して、自己管理ができるように努めさせています。こういったことで、勉強を含め自分のことは自分でするという当たり前のことを身につけさせ、真の自立へと導いております。
 本校が目指す「こころの知性」EQを磨く実践は、ここから進めたいと思っています。こころの教育とは、即効性を求めるのではなく、在学中はもとより、卒業してから10年後、20年後、生徒一人ひとりの一生涯を見据えてサポートするということでありましょう。高校の三年間に、どれだけの良質の種蒔きをするかにかかっています。
 龍谷大平安は、この良質の種蒔きをしっかりといたすことをお約束いたします。
 さらに、今まで以上に「安全・安心・快適」な環境で学習ができるよう施設のリニューアル計画を実施しております。現在既に、第一次リニューアル計画として北校舎耐震改修と北校舎に面したグラウンドの全面人工芝化、さらには、全教室の省エネを考慮した照明のLED化を実施しており、年度内に完成予定です。次年度は南校舎のリニューアルを予定いたしており、整えられた環境づくりにも取り組んで参りますので、どうぞ、リニューアルを終えた平安を楽しみにしていてください。
 最後に、次年度募集より「選抜特進」「プログレス」「アスリート」として、さらにコースコンセプトの明確化をはかります。
 少しややこしいかもしれませんが、龍谷大学教授陣と本校5教科教員により10年以上にわたる高大連携教科ワーキングを経て育て上げた「プログレス」の名称を龍谷大学進学コースと位置づけ、また国公立大学・有名私立大学進学を目指すコースを「選抜特進」として新たなスタートを切ります。アスリートは、従来通り甲子園を目指します。
 このうち「選抜特進コース」は、昨年から続く進学校化への改革は着実に進めており、月・水・金の放課後に実施しております「ドラゴンゼミ」も、4月から全学年で実施し、生徒アンケートでは高3生の90%が「役に立っている」と回答してくれており、満足度の高さがうかがえます。龍大連携「プログレスコース」は、一定の基準をクリアすれば基本的には全員が龍谷大学に進学します。龍谷大学の全学部で付属平安からの入学生が核となるよう、基礎学力の定着をはかり、プレゼンテーション能力を育成しています。
 さらに次年度からは、カリキュラムの精選により、6時間目以降はコースコンセプトに応じた活動を行い、夏休みの使い方もメリハリのある形にしたいと考えています。現在、生徒一人ひとりの努力が見える新たな評価システムづくりに取り組んでおり、文化祭などの学校行事もさらにパワーアップしていきます。
 また今春、文化系クラブとして藪内流の茶道部を立ち上げましたところ新入部員が20~30人にもなりました。来春は、華道部・競技かるた部の新設予定もしており、現在、高校1年のクラブ加入率は85%にも達しています。
 いずれにしましても、自分の足でしっかりと歩いて行ける真の学力、人間力の育成を目指して新しい取り組みを推進してまいりますので、是非とも、龍谷大平安をお受験いただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。

今月の言葉《宗教教育係》 2013年12月01日(日)14時00分

ファイル 96-1.pdf

十二月
今月の言葉 ・・・ 各クラス掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門掲示板

平成25年度 平安学園 校友関係物故者追悼法要 2013年11月18日(月)17時27分

平安学園 校友関係物故者追悼法要 14時20分~ 西本願寺 御影堂

校長挨拶
 本年度は学園関係者およびそのお身内の方々が46名お亡くなりになられました。本日はその方々を追悼する法要を勤修し、これを機縁として私の生き方を学ぶという意義深い日であります。
 さて、それではお亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行ってしまわれたのか…と思うと、悲しみどころか不安で、とても辛い気持ちになります。
 お釈迦様は『愛別離苦』と名付けて、八つの苦しみの一つに数えられました。私たちはこの世で、愛する人と必ずお別れをしなければならないという苦しみのことです。この苦しみとは、思うようにならないことを意味しています。
 それでは、お亡くなりになられた方々は、いったいどこへ行かれたのでしょう。その答えは、今、みなさんと歌いました追悼の歌『み仏に抱かれて』に歌われておりますので、味わってみましょう。

み仏に抱かれて
1.みほとけに 抱かれて
  君ゆきぬ 西の岸
  なつかしき おもかげも
  きえはてし 悲しさよ
2.みほとけに 抱かれて
  君ゆきぬ 慈悲の国    
  みすくいを 身にかけて
  示します かしこさよ
3.みほとけに 抱かれて
君ゆきぬ 花の里
つきせざる たのしみに
笑みたもう うれしさよ
4.みほとけに 抱かれて
君ゆきぬ 宝楼閣(たまのいえ)
うつくしき みほとけと
なりましし とうとさよ

 1番の歌詞は、君ゆきぬ「西の岸」です。彼岸は、西方にあるとされます。西方浄土のことです。
 2番の歌詞は、君ゆきぬ「慈悲の国」です。仏様のお心を表す言葉が慈悲です。人々をいつくしみ、苦しみを取り去る心です。この心に満ちた国のことです。
 3番の歌詞は、君ゆきぬ「花の里」です。四季の花々が咲き競う美しい世界です。
そして、
 4番の歌詞には、君ゆきぬ「宝楼閣」とあります。仏説阿弥陀経には、宝石でできた建物が描写されています。
 つまり、この「西の岸」「慈悲の国」「花の里」「宝楼閣」の四つとも、お浄土・阿弥陀如来の国を指す言葉であります。亡くなられた方は、仏さまにすくわれてお浄土へ行かれ、すでに仏さまになっておられますからご安心ください…と歌われているのです。
 ということは、私が亡き人々のことを案じていたのですが、実は、亡き人々の方から「いつまでも悲しんでばかりはおれませんよ!しっかり生きなさい!」と案じられている立場であったのです。このことに、一日も早く気づき、私のいのちを精一杯磨き輝かせる努力をしましょう。それが、いのちを大切にし、先に逝かれた方々に応える私の生き方であったことに気づくことになるのです。
 本日は、ようこそお参りいただきました。

御礼 第3回 生徒保護者対象学校説明会 2013年11月17日(日)17時00分

本日(2013/11/17)、第3回生徒・保護者対象学校説明会(高校受験)を開催いたしましたところ、約400組のみなさまにお越しいただき本校講堂(1300名収容)がほぼ満堂になりました。お忙しい中お越しいただきましたみなさまに心より御礼申し上げます。

学校長挨拶
 明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました、本学園も、この5月21日で満137歳になりました。本校は創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは、少し難しすぎるかもしれませんが、宗教的仏教的なものの見方や考え方が自然に染み込むように身についていくことを言います。
 本校では、毎朝仏参をおこなっています。仏参は文字どおり仏さまにお参りすることをいいます。
 仏参は「私を救わずにはおけない」という仏の願いを聞かせていただくためにおこなわれるものです。ましてや私の願い事をかなえるためにお参りするのではありません。静坐(せいざ)して、「合掌・礼拝(らいはい)」をおこなう姿は人間の最も美しい姿だといえます。
 今年度、高校1年生に、こころの幹(き)と題しました「仏参ノート」を全員に配布しました。
 これは、毎朝の仏参で本校の教員が講師を務め、約15分ほどの話をします。話の内容は、仏教的な話もあれば、体験談もあり、本を読んで感動したことであったり、本当にさまざまですが、教員は、生徒たちの心に響くよう、一生懸命に講話をいたします。その話を聴いて、感じたことを素直に文字にするためのノートです。書き方は特に指定せず、ただただ感じたことを文字にします。それを担任が集め、目を通し、生徒一人一人の感性を担任が共有するのです。決して、評価をするのではなく、生徒指導の一助とするのです。
生徒たちにとっては、こうして文字に落とし込むことによって、自分とむき合うことに繋がります。
 そういう意味では、「仏参」は、自分と向き合う時間と位置づけられるでありましょう。この「仏参」やさまざまな「宗教行事」を通して、宗教的なものの見方が、自然に心に染み込んでいくのです。そして、仏教的なものの見方ができることと、素直に人の話を聞く姿勢をつくるのです。これが「宗教的情操の涵養」です。
 また、今年度から「生徒手帳」を一新しました。それは、本校の三つの大切「ことば・じかん・いのちを大切に」の「じかん」に焦点を充てました。この世に生きとし生ける全ての者、万物に平等に与えられている時間、また、無常なる時間、一分一秒を大切にという基本的な考え方をベースに生徒たちにスケジュール管理をしっかりさせたいという思いから、Diaryの部分を大幅に改良いたしました。
 入学式や始業式から卒業式・終業式まで年間スケジュールを全て盛り込んでいます。各学年の保護者説明会などの予定も入れてあります。そのDiaryの一週間単位で、学習目標や計画を立て、さらに、振り返りもできるようにしてあります。Diaryのあとの部分には、考査はもちろんのこと、週単位の早朝テスト、月単位のSUT、模試等の偏差値など、成績の記入欄もあり、学力の伸長度も確認できるようにしております。
 自分のことは自分でする、という当たり前のことを身につけさせたいという思いからです。いつまでも、親や先生を頼っててはいけませんよ、自分の足でしっかりと地面に足を付けて立ち、自分の責任の下、自分で前に進むこと、真の自立を願っている次第であります。
 本校が目指す「こころの知性」EQを磨く実践は、ここから進めたいと思っています。龍谷大平安として、どのように生徒たちをサポートできるか徹底して考え、実行に移すというのが、我々の使命だと考えます。こころの教育とは、即効性を求めるのではなく、在学中はもとより、卒業してから10年後、20年後、生徒一人一人の一生涯を見据えてサポートするということでありましょう。高校の三年間に、どれだけの良質の種蒔きをするかにかかっています。
 龍谷大平安は、この良質の種蒔きをしっかりといたすことをお約束いたします。
 以上、ソフト面としてお話しいたしましたが、ハード面、つまり、施設等の教育環境においても充実させたいと考えております。現在、校内には古い施設から新しい施設まで8棟の校舎がありますが、将来を担う生徒たちのより充実した教育環境の整備に着眼し、「安全・安心・快適」の3つのキーワードのもと、現在既に第一次リニューアル計画として、北校舎耐震改修と北校舎に面したグラウンドの全面人工芝化さらには、全教室の省エネを考慮した照明のLED化を実施しており、年度内に完成予定です。次年度は南校舎のリニューアルを予定いたしており、整えられた環境づくりにも取り組んで参りますので、どうぞ、リニューアルを終えた平安を楽しみにしていてください。
 最後に、次年度募集より「選抜特進」「プログレス」「アスリート」として、さらにコースコンセプトの明確化をはかります。
 少しややこしいかもしれませんが、龍谷大学教授陣と本校5教科教員により10年以上にわたる高大連携教科ワーキングを経て育て上げた「プログレス」の名称を龍谷大学進学コースと位置づけ、また国公立大学・有名私立大学進学を目指すコースを「選抜特進」、中高一貫を「一貫選抜」として新たなスタートを切ります。アスリートは、従来通り甲子園を目指します。
 中でも、昨年から続く進学校化への改革は着実に進めております。月・水・金の放課後に実施しております「ドラゴンゼミ」も4月から順調に実施し、模試の偏差値にも着実に現れております。また、先ほど触れましたように次年度から、高校のコース改編を行ない、それぞれのコースコンセプトに基づき、各コース、さらに、しっかりと充実させていきます。
 ぜひとも、龍谷大平安をお受験いただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。

平安学園 同窓会 総会・懇親会 2013年11月09日(土)08時10分

平成25年11月8日(金)15時より本校礼拝堂にて勤行後、総会を開催、16時出発でスクールバスにて昨年10月13日竣工いたしました龍谷大平安ボールパークを見学、その後17時30分よりリーガロイヤルホテル京都に於いて平安学園同窓会懇親会が開催されました。約100名の卒業生が集った懇親会では、昨年に引き続きOGが数名参加し、姉妹のタップダンスを披露してくれました。また本校卒業生のシンガーソングライター佐々木清次さんが歌を披露してくださり大盛況でありました。同窓のみなさまに心より御礼申し上げます。

今月の言葉《宗教教育係》 2013年11月01日(金)08時33分

ファイル 93-1.pdf

十一月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門 聖語版

龍谷総合学園 第42回 管理職(副校長・教頭)協議会 開催 2013年10月24日(木)10時57分

龍谷総合学園 第42回 管理職(副校長・教頭)協議会が、京都女子学園と平安学園が当番校として、24日・25日の二日間の日程で開催されます。本日、9時30分より西本願寺御影堂で開会式が挙行されました。

当番校 校長(燧土勝徳)挨拶

 龍谷総合学園の副校長・教頭先生方、あらためまして、おはようございます。
 第42回の管理職協議会ということで、たいへんお疲れさまでございます。先生方には、まだ、協議会も始まっていないのにお疲れさまとは何事だとお叱りを受けるかもしれませんが、あえて「お疲れさまです」と申しましたのは、10月20日の本願寺新報のコラムに次のような記事が掲載されておりました。
「おはようも ありがとうも ごめんなさいも さようならも おやすみも もう要らない この世を生き抜くためには 挨拶はひとつでいい 『お疲れ』だけで事足りる」と詩人のトーマ・ヒロコさんの『ひとつでいい』という詩の一節で書き出されたコラムは次のように続きます。「朝、出勤していきなり『お疲れさまです』は勘弁してほしい」その場に応じた挨拶があるだろう、と友人が話していた。
 しかし、駅のホームで、コンビニで、ぐいっと栄養ドリンクを飲み干すサラリーマン。会社ではノルマ、子どもたちは成績に追われる。家庭では介護、子育てが待ち受ける。
肉体的なことに加え、精神的プレッシャーから国民の多くが、いつも自分が、お疲れ状態にあると感じている。
 「体の時間は昔と何も変わっていないのに、社会生活の時間ばかりが、けた違いに速くなっているのが今の社会」で、この両者の間に存在する極端なギャップが、現代人のストレスの主な原因だと指摘される。現代人は膨大なエネルギーを消費することで時間を速め、時間を生み出してきたといわれる。
 その生み出された時間はまさに、人間が便利さ、効率を追い求めた結果だった。もっといえば飽くなき欲望の充足のためで、時間を求める営みは、ますます激しくなっている。しかし、その速さに生物としての人間が追いついていけず、より便利にという要求が逆に、人間自身を苦しめていくことになった。「ゆっくり、もっとゆったり」と心の悲鳴が聞こえる。
と、このように書かれておりました。国が打ち出した「ゆとり教育」とは、また別の意味での、何をするに付けても「ゆっくり、もっとゆったり」という心の余裕が必要ではないか、と思うところであります。
 このあと、いじめ問題をどう克服するか、どう対処するかについて、お二人の先生方から基調講演をいただきます。まさに、先に申しました、この心の余裕のなさも、「いじめ問題」の大きな起因となっているのではないでしょうか。「ゆっくり、もっとゆったり」という心の悲鳴をしっかり受け止め、いい意味のゆとりを持ちたいものです。
 二日間の協議会が充実したものになりますことを、切にお願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。

仏参講話(10月) 2013年10月16日(水)10時22分

2013年10月 仏参講話(中学生・高1・高2・高3対象)

 おはようございます。
 後期始業式でみなさんには、日々の生活習慣を整えて心に余裕を持つことをお願いしました。その中で五つの言葉とその心を話しました。「すみません」反省の心、「はい」素直な心、「おかげさま」謙譲の心、「私がします」奉仕の心、「ありがとう」感謝の心ですが、みなさんが普段あまり使わない「おかげさま」の心について、今日はお話しいたします。
 「座右の銘」という言葉を知っていると思います。直訳すると「自分自身を知り、自分自身であり続けること」となりますが、一般的には、「常に自分の心に留め置いて、戒めや励ましとする言葉のこと」を言います。結局、向き合うべきは、自分自身の内側ということになります。そして、そのときに、自分自身と向き合いなるべき自分になろうとすることを邪魔する心の中にあるものが、煩悩なのです。
 我々人間は、常にたくさんの煩悩を抱えて生活しています。大晦日、除夜の鐘で撞かれる108回が人間の煩悩の数ですが、この数は、最小は3、一般に108、最大は64000とも言われます。いずれにせよ、この世に生まれてくる前、そして現在、未来までを含めて、我々の心や体を通して生まれてくる煩悩の数は、それほどまでにもたくさんあるということなのです。
 この最小の3つというのが、「貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚癡(ぐち)」という3つの煩悩です。いずれも、苦しみの原因となる悪玉で、三毒の煩悩と呼ばれています。
 「貪欲」とは貪りの心のことで、なんでもかんでも自分のものにしたいと思う欲望です。欲しかったものを手に入れることで欲望は満たされますが、それは一時的なもので、すぐに、次の新しいものが欲しくなってしまい、際限がありません。また、「瞋恚」とは怒りの心のことで、自分が嫌なものはなるべく遠ざけておきたい、それができない状態にイライラしてしまう状態です。そして、「愚癡」とは、無知の状態を言います。苦しみの原因が物事への執着であることを知らず、ひたすら貪ったり、自分の思いどおりにならないことに怒りの感情を表したりする状態そのものです。
 そんな煩悩の中でも特に厄介なものが怒りです。怒りは自分が認めたくないもの、寄せ付けたくないものを振り払おうとすることから起こります。でもなかなか振り払えるものではないですから、怒りの感情はさらにエスカレートしてしまいます。怒りっぽい人とは、「自分が正しい」という思い込みが強く、また、それ以外は受け入れまいと常に警戒している人です。逆に、怒りの感情をうまくコントロールできる人は、たとえ、自分が正しい考え方を持っていたとしても、それだけが正解ではないということをちゃんとわかっており、他人の考え方も積極的に受け入れようと、心をひらいている人ではないでしょうか。怒りという感情からは、どちらかというと暴力的な働きかけをイメージしてしまいますが、実はそうではなく、その人自身の弱さの表れです。その弱さを見せまいと、虚勢を張っていることが多いものです。
 仏教では、自尊心が強い状態のことを「慢」と呼び、煩悩であると説きます。高慢、傲慢、慢心という言葉がありますが、「慢」とは自尊心が強い、プライドが高いことを指し、仏教のものの見方でも、これは非常に恐ろしいこととされています。自分にこだわり、自分が正しい、自分が優れているとする生き方ほど、恐ろしいものはありません。それは、やがて、わが家が正しく優れている、また、わが国は正しく優れているという考えに通じます。そのプライドが傷つけられると怒りが生まれ、他人を見下すだけでなく、他人を攻撃することにつながります。
 人間というのは、自分が一番好きなものです。これは、自分以外の人も同じです。かといって、誰もかれもが自分にこだわり、自分を主張して一歩も譲らなかったとしたら、世の中はいったいどうなってしまうでしょうか。自分が正しい、優れているというのは、相手があり、その相手から認めてもらわなければ成り立ちません。正しいとか正しくないとか、優れているとか劣っているとかいうことは、それ自体が自分勝手な思い込みに過ぎないのです。自尊心が強い、プライドが高いということは、誰か他の人の存在なくしては、保つことさえできません。常に正しく、誰よりも優れているというのは、この世にもし自分一人しかいなかったら、決して感じえない感覚なのです。
 「自分が、自分が」というところから離れ、「おかげさま」という気持ちを持つことの大切さをお話しまして、本日の仏参の話を終わります。

御礼 第2回 生徒保護者対象学校説明会 2013年10月13日(日)15時49分

本日(2013/10/13)第2回生徒・保護者対象学校説明会を開催いたしましたところ、中学約70組、高校約280組のみなさまにご来校いただきまして誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。  

学校長挨拶

 本日は本校の「第2回学校説明会」に、たいへんお忙しい中、お越しいただきまして誠にありがとうございます。
 さて、明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立されました、本学園も、この5月21日で満137歳になりました。本校は創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。「宗教的情操の涵養」というのは、少し難しすぎるかもしれませんが、宗教的仏教的なものの見方や考え方が自然に染み込むように身についていくことを言います。
 本校では、毎朝仏参をおこなっています。仏参は文字どおり仏さまにお参りすることをいいます。仏参は「私を救わずにはおけない」という仏の願いを聞かせていただくためにおこなわれるものです。ましてや、私の願い事をかなえるためにお参りするのではありません。静坐(正座)して「合掌・礼拝(らいはい)」をおこなう姿は、人間の最も美しい姿だといえます。
 今年度、新入生に、こころの幹(き)と題しました「仏参ノート」を全員に配布しました。
 これは、毎朝の仏参で本校の教員が講師を務め、約15分ほどの話をします。話の内容は、仏教的な話もあれば、体験談もあり、本を読んで感動したことであったり、本当にさまざまですが、教員は、生徒たちの心に響くよう、一生懸命に講話をいたします。その話を聴いて、感じたことを素直に文字にするためのノートです。体裁も何も考えず、ただただ感じたことを文字に落とすのです。それを担任が集め、目を通し、生徒一人一人の感性を担任が共有するのです。決して、評価をするのではなく、生徒指導の一助とするのです。
生徒たちにとっては、こうして文字に落とし込むことによって、自分とむき合うことに繋がります。
 そういう意味では、「仏参」は、自分と向き合う時間と位置づけられるでありましょう。この「仏参」やさまざまな「宗教行事」を通して、宗教的なものの見方が、自然に心に染み込んでいくのです。そして、仏教的なものの見方ができることと、素直に人の話を聞く姿勢をつくるのです。これが「宗教的情操の涵養」です。
 また、今年度から「生徒手帳」を一新しました。それは、本校の三つの大切「ことば・じかん・いのちを大切に」の「じかん」に焦点を充てました。この世に生きとし生ける全ての者、万物に平等に与えられている時間、また、無常なる時間、一分一秒を大切にという基本的な考え方をベースに生徒たちにスケジュール管理をしっかりさせたいという思いから、Diaryの部分を大幅に改良いたしました。入学式や始業式から卒業式・終業式まで年間スケジュールを全て盛り込んでいます。各学年の保護者説明会などの予定も入れてあります。そのDiaryの一週間単位で、学習目標や計画を立て、さらに、振り返りもできるようにしてあります。Diaryのあとの部分には、考査はもちろんのこと、週単位の早朝テスト、月単位のSUT、模試等の偏差値など、成績の記入欄もあり、学力の伸長度も確認できるようにしております。自分のことは自分でする、という当たり前のことを身につけさせたいという思いからです。いつまでも、親や先生を頼っていてはいけません、自分の足でしっかりと地面に足を付けて立ち、自分の責任の下、自分で前に進むこと、真の自立を願っている次第であります。
 本校が目指す「こころの知性」EQを磨く実践は、ここから進めたいと思っています。龍谷大平安として、どのように生徒たちをサポートできるか徹底して考え、実行に移すというのが、我々の使命だと考えます。こころの教育とは、即効性を求めるのではなく、在学中はもとより、卒業してから10年後、20年後、生徒一人一人の一生涯を見据えてサポートするということでありましょう。高校の三年間に、どれだけの良質の種蒔きをするかにかかっています。龍谷大平安は、この良質の種蒔きをしっかりといたすことをお約束いたします。
 以上、ソフト面としてお話しいたしましたが、ハード面、つまり、施設等の教育環境においても充実させたいと考えております。現在、校内には古い施設から新しい施設まで8棟の校舎がありますが、将来を担う生徒たちのより充実した教育環境の整備に着眼し、「安全・安心・快適」の3つのキーワードのもと、この7月よりまず第一次リニューアル計画として、北校舎耐震改修と北校舎に面したグラウンドの全面人工芝化さらには、全教室の省エネを考慮した照明のLED化を実施しており、今年度末の完成予定です。次年度は南校舎のリニューアルを予定いたしており、整えられた環境づくりにも取り組んで参りますので、どうぞ、リニューアルを終えた平安を楽しみにしていてください。
 最後に、次年度募集より「選抜特進」「プログレス」「アスリート」として、さらにコースコンセプトの明確化をはかります。
 少しややこしいかもしれませんが、龍谷大学教授陣と本校5教科教員により10年以上にわたる高大連携教科ワーキングを経て育て上げた「プログレス」の名称を龍谷大学進学コースと位置づけ、また国公立大学・有名私立大学進学を目指すコースを「選抜特進」、中高一貫を「一貫選抜」として新たなスタートを切ります。アスリートは、従来通り甲子園を目指します。
 中でも、昨年から続く進学校化への改革は着実に進めております。月・水・金の放課後に実施しております「ドラゴンゼミ」も4月から順調に実施し、今後の模試に、必ず成果が現れると確信しております。また、先ほど触れましたように次年度から、高校のコース改編を行ない、それぞれのコースコンセプトに基づき、各コース、しっかりと充実させていきます。
 このあと具体的に説明いたしますので、よくお聞きになって、是非とも学校選びの一番に龍谷大平安をあげていただきますよう切にお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。本日は、お忙しい中、お越しいただきまして誠にありがとうございます。

平成25年度 後期始業式 2013年10月07日(月)11時50分

2013/10/7 後期始業式 学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 さて、明日10月8日は、二十四節気の一つ「寒露(かんろ)」であります。寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のことを言います。秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりになります。この頃になると五穀の収穫もたけなわで、農家では繁忙を極めます。露が冷たい空気と接し、霜に変わる直前で、紅葉が濃くなり、大気の状態は安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなります。夜には月も美しく輝いて見えます。みなさん、一度、空を見上げてみてはいかがでしょう。これまでと違った、秋の清々しさと趣を感じる空に出会えるはずです。いずれにせよ、この季節は、読書の秋・行楽の秋・芸術の秋・味覚の秋・スポーツの秋と最高の季節ですが、中でもスポーツは私たちを興奮させます。ちょうど1ヶ月前には2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決定し、日本中が湧き上がりました。本校卒業生の太田雄貴選手も素晴らしいプレゼンテーションを披露し大活躍でした。
 本校の夏はと申しますと、今年の夏は、インターハイ出場のフェンシング部は全国3位、剣道部は全国ベスト8、チアダンス部は中学ソングリーダー部門優勝、高校はチア部門2位とソングリーダー部門3位という成績を残してくれました。スポーツだけではありません。写真部が全国高等学校総合文化祭に出品してくれました。硬式・軟式の野球部はいずれもこの夏は全国大会出場が果たせませんでしたが、硬式野球部は春の選抜大会に向けて好スタートを切り、昨日、秋季大会で優勝し、近畿大会出場が決定いたしました。近畿大会の活躍を期待し、選抜甲子園への出場を願っているところであります。また、8月31日と9月1日の2日間にわたって開催されました学園祭におきましては、今年の文化祭のテーマであります「彩」(~異なる色から新しい色へ~)にふさわしく、随所に新しい色が作り上がっていた文化祭だったと思います。そして、前期考査が終わり、試験休みに入りました。
 さて、いよいよ本日より後期がスタートいたしますが、昨年より、EQ「こころの知性」を磨くことをずっと言い続けております。今日は、この「こころ」ということについてお話しいたします。
 仏教で、心を湖の水面にたとえることがあります。湖は普段は静かで、夜になれば鏡のように月の影を映し出します。でも、一度風が吹けば、水面は波立ち、その美しい月も乱れて消えてしまいます。このたとえは、心はほんの小さなことでも乱れ、穏やかなままにしておくのがとても難しいということを意味しています。
 私たちは心が乱れたとき、気持ちを意識的にコントロールしようとしますが、でもそれは難しいことです。心を落ち着けようと思えば思うほど、心はそんな私たちの思いとは逆に、あちらこちらへさまよい出していきます。
 では、この乱れた心を落ち着けるには、どうしたらいいのでしょうか。実は、落ち着けようと何かをするのはかえって逆効果です。先ほどの湖の水面にたとえると、手を入れれば波立つし、風を止めることもできません。一度広がった波紋は、時間を逆戻りさせない限り消えることはありません。どうにかしようとあがけばあがくほど、それが乱れの原因を作り出すことになります。だから、EQ「こころの知性」を磨くことの大切さを言っているのです。別な言い方をすれば、心を育てようと言うことになります。
 仏教では、心を育てることをとても大切にしています。それというのも、今も申しましたように、心は自分の意思でコントロールすることができないものだからです。
 お釈迦さまは、心を、陸に打ち上げられ、もがきまわる魚にたとえられています。水を求めて もがきまわる魚を手で捕まえようとしても、ヌルヌルと滑るのでしっかりつかめませんよね。たいていは、そのまま逃げられてしまいます。同じように、形がなく、とらえどころのない心は、自分の意思でコントロールしようとすればするほど、いつの間にかスルリと私たちの手を抜け逃げていってしまうものなのです。
 では、心を育てるためにはどうしたらいいのでしょうか。
 仏教では3つのことを学ぶように勧めています。ひとつは、生活習慣を整えること。次に、心を育てること。最後に、智慧を高めることです。
 訓練されないままの心は、あちらにもこちらにも、好き勝手に行ってしまいます。だから、まずは具体的に変えることのできる日々の生活習慣や行動から変えることを目指すのです。規則正しい生活スケジュールを守ること。汚い言葉を使わないこと。暴飲暴食をしないこと。盗みや殺生をしないこと。
 このようにして生活を整えていくことで、心にも余裕が生まれてきます。基本的生活習慣を整え、それを続ける努力をしているうちに自然と心も育っていきます。だから、あまり無理に自分の心を抑えてコントロールしようと思わずに、焦らず少し時間をかけてみてはいかがでしょう。むしろ、心に余裕が生まれて初めて、心を成長させていく準備ができるのです。精神的な成長を目指すなら、まずは自分自身の行動を振り返り、良くないところを直し、良い習慣を持つところから始めてみましょう。常々言っている「基本的生活習慣の確立」、具体的には、「あ・じ・み・そ運動」ということになります。さらに、後期からみなさんには、五つの言葉の実践をお願いしたいと思います。
五つとは、「すみません」「はい」「おかげさま」「私がします」「ありがとう」です。
・「すみません」という反省の心、
・「はい」という素直な心、
・「おかげさま」という謙譲の心、
・「私がします」という奉仕の心、
・「ありがとう」という感謝の心
を「あ・じ・み・そ」の「あ(挨拶)」に加えて積極的に実践してください。
 後期のはじめにあたり、みなさんには、生活を整えて心に余裕を持つことをお願いして、私の式辞といたします。