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教育実習生受け入れ式 2012年05月26日(土)15時00分

平成24(2012)年度 龍谷大学付属平安中学高等学校 教育実習生受け入れ式

2012/05/26(土)15時~ 於、特別教室1

校長挨拶
 本日は、龍谷大学付属平安中学高等学校では、午前中は高校2年生の保護者会、午後は高校1年生の保護者会が行われまして、多くの保護者が一日中出たり入ったりという1日でありました。
 さて、本校(龍谷大学付属平安中学高等学校)に学んで母校で教育実習に臨んでくれた卒業生も多いので、何度も耳にしていることかもしれませんが、龍谷大学付属平安中学高等学校は1876(明治9)年、滋賀県彦根の地に「金(こん)亀(き)教(きよう)校(こう)」として創立され、その後、「金(こん)亀(き)仏教中学」「第三仏教中学」を経て、1910(明治43)年に現在地にて「平安中学校」を名乗りました。従いまして、わが学園は先日、5月21日で満136歳になりました。
 一般には教育の三本柱として、知育・体育・徳育の三つが挙げられますが、平安の目指すところは、上記三本が並立している図式ではありません。土台に宗育(徳育)があり、その幹から知育・体育の花が咲き、実がなるという図式です。知性を磨くこと、体育に精一杯の汗を流すことはもちろん大事なことではありますが、それ以上に大切なことは、自己の真実の姿を徹底的に真摯にたずねることです。その姿勢があってこそ、聖なるもの、(絶対的なもの)に触れることができ、そこで初めて、本来の真の人間の生き方ができるのであり、そこにこそいかなる困難にもくじけることのない強靱な生き方が生まれるのです。知性の開花も体育の充実も、その上に成り立つことを理想としています。つまり、その土台になるのが宗育で、それを礎とし、人間力を向上させ、ひいては学力向上・体力向上に繋がっていきます。まさに、知と情を統合する教育が、本校の目指すものです。具体的には思いやり・自制・協力・調和を重んじる教育、EQ「こころの知性」を磨くのが平安です。
 本校では、生徒の精神の発達段階を考慮し、平安には3つの大切があることを生徒たちに示しています。「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」です。平安がどういう人間づくりを目指し、教育活動を展開するかを示した建学の精神であります。
 まず「ことば」は心の表れだから、素直な心と謙虚な心を持って、常に心を整えるようにしなさい。
二つ目の「じかん」は時々刻々と進んでしまいます。今日すべきことを明日に延ばしてはいけません。今という時間を大切にしなさい。
 三つ目は「いのち」を磨くのは自分しかいません。いつまでも親や先生を頼ってはいけません。今は自分のいのちを磨く時です、しっかり磨きなさい。
 心を開いてものを見ることができるように、宗教的なものの見方ができるように、子どもたちのそんな人格形成、人間づくりをするサポートをすることが、教師の仕事だと考えています。
 最後に、先日5月21日に宗祖降誕会・開校記念式典が行われ、本校と非常に関係の深い地理的にも平安の北側に位置する知真保育園副園長の苗村隆之先生(浄土真宗本願寺派布教使)に講師としてお話しいただきました。その時のお話しで、次のような内容がありました。苗村先生が保育士の新任研修に行かれた時、全研修生に園長先生が質問されました。あなたがクラス担任をしているとします。いつも、集合の合図をしても、遅れてくる子が一人います。その子を、何とか「集まれ」の合図の後、一番に集合させたいと思います。あなたならどうしますか。[Ans.その子の隣で集合をかける]です。
常に、子どもの目線にあわせ、子どもの気持ちに立って対応するということです。それが、保育士としての「いろは」の「い」です。というお話しでした。
 実は、教師の「いろは」でもあるのです。生徒に迎合するということではありません。生徒一人一人の気持ちにたって対応してあげるという姿勢です。それが、膝と膝とをつき合わせ一対一で対峙する教師の姿であります。限られた期間ではありますが、どうぞあなた方が、理想の教育を全力で実践してみる期間にしてください。
 これで私の挨拶といたします。

平安会 総会 挨拶  2012年05月11日(金)13時30分

2012/05/11(金)13:30~                       於、本校講堂
平安会総会 校長挨拶

 本日はお忙しい中、平安会総会ということで、学校にお出まし下さいましてありがとうございます。また、日頃は、平安学園に対しまして、ご理解とご協力をいただき誠にありがとうございます。
 ご承知の通り、1876(明治9)年滋賀県彦根の地に「金(こん)亀(き)教(きよう)校(こう)」として創立された我が学園は今月21日で満136歳になります。ちょうど10年前の平成14(2002)年126歳まで男子校であった平安中学高等学校は、平成15(2003)年より男女共学、アスリート・クリエイト・プログレスの3コース制がスタートし、平成20(2008)年には龍谷大学付属平安中学高等学校となりました。137年目に入る今年度、コースコンセプトを明確化させ新たなスタートを切りました。そのスタートの時期に、安井前校長からバトンを受け校長職を仰せつかり身の引き締まる思いであります。
 さて、みなさんの中には入学式でお聞きいただいた方もおられると思いますし、また、現在、本校のHPに私の挨拶として載せておりますEQのお話しをいたします。
 みなさんはIQをよくご存じだと思います。「知能指数」です。しかし、IQのように数字では表せない大切なものがあります。それがEQです。EQとは「こころの知能指数」のことで、EQのEは英語のEmotionalで“情緒”や“感情”です。情動とも言います。つまり“こころ”のことです。私は、人間の「言動」つまり、言葉と行動はすべて心の有り様(よう)に始まると考えています。心をどう持つか、その心の持ち方一つで、感情を落ち着け、情緒を常に安定したところには、素直な心と謙虚な心が根づきます。その心の有り様をみんなが意識して日々の生活を送れば、本当にすばらしい人間関係や環境が築けるはずです。
 本校では、何よりもまず第一に「生活偏差値」を高めようということを重点目標にしております。実は、この生活偏差値の基本になるのがEQ(心の知性)なのです。このEQを高めることが、人間力を高めることになり、ひいては学力も向上していきます。充実感・満足感・不快感・嫌悪感など感とつくものは、すべて、こちらの心の持ちようです。
 今からお話しすることは、読んでいただいた方もおられるかもしれませんが、今年の合格体験記に載せたものですが、たまたま手にした本の1フレーズに書かれていたことを紹介したいと思います。
 今からずいぶん前の話ですが、アメリカでおもしろい調査がされました。4歳児数十人を前に、その一人一人の前にマシュマロを2個ずつ置いて、「おじさんが戻るまでは、決してマシュマロを食べてはいけないよ。もし、どうしても食べたくなったら1個だけは食べてもいいよ。」と言って、そのおじさんは外出しました。そして、そのおじさんは30分後に戻ってきました。子どもたちには、おじさんが戻る時間はわかりませんし、あくまでも、食べてはいけないことが強調されていたのですが、結果、4歳児の6割~7割くらいが、全く手をつけていなかったのです。残りの4歳児は、1個だけ食べたわけですが、その全てが、おじさんが出て行った直後に食べてしまったのです。
 実は、その調査をした4歳児数十人の10年後、20年後を追跡調査したそうです。そうすると、意外な事実が解りました。マシュマロに全く手をつけなかった者は、学生時代も何をするにつけても中心的存在で、社会に出てからもある一定のポジションについてパリパリやっていたのです。ところが、おじさんが出て行った直後に、マシュマロを1個食べた者は、学生時代にはいずれも友人関係が上手くいかず、社会に出ても定職に就けない者がほとんどだったのです。
 たかだか数十人の調査ですので、確かなことは言えませんが、この調査で見えてくることがあります。「三つ子の魂百まで。」「雀百まで踊り忘れず」という言葉がありますが、4歳の時に「我慢」が身についていた人は、その後も、色々な場面で「我慢」する術を知っていたということでしょう。つまり、いろいろな場面で「我慢」できる心をつくることも、EQ「こころの知性」を高めているのです。
 私事ですが、私の家内を見ておりますと、母親の子どもを観察する洞察力というのはすごいものだと感じます。私には4歳の男の子がおります。先日、4歳の男の子がお腹を壊した時のことです。目の前でしゃべっていた私は全く気付かなかったのですが、遠目で見ていた家内が突然、その子の手を引っ張って洗面所に行きました。と同時に子どもが嘔吐を始めました。子どもの顔色・仕草をつぶさに見ていたのでしょう。母親の観察力のすごさを改めて感じました。みなさんもそうだったのではないでしょうか。お子さんの変化をしっかり察知されていたのではないでしょうか。では、中1の13歳から高3の18歳になられたお子さんに対して、そういう見方ができているかということです。
 ある塾の先生が内の塾生の母親は本当に熱心でよく子どもに関わっているとおっしゃいましたので、どのように関わっておられますか、と尋ねましたら、夜遅くの送り迎えはもちろん、模試の偏差値もしっかりと分析されて、常に子どもに檄を飛ばしておられるというものでした。その関わりも大切でしょう。しかし、私が言っている関わりと少し違うと思われませんか。
 私は長く生活指導を担当しておりましたので、貴重な経験をたくさんさせていただきました。特に、宇治少年院・大津鑑別所・大阪交野女子少年院に研修に行った時のことです。全ての院長・所長・各先生方が口を揃えて言われたことがあります。この子たちにもう少し親が関わっていたら、誰一人ここに来ることはなかったでしょうね、という言葉は今も忘れられません。
 本校の教員にも、今年度のスタートに際して、生徒一人一人と膝をつき合わせ対峙し、しっかりと関わってください、とお願いしました。そういう意味で面倒見がいい学校にならなければなりません。保護者のみなさまは当然しっかりと関わっていただいているとは思いますが、もし関わりが今は薄くなっているなとお感じの保護者は、今からでも遅くありませんので、しっかりとお関わりいただきたいと思います。
 それでは、保護者のみなさまには、色々とお世話になるかと思いますが、どうぞ我々としっかりと手をつなぎ、心を開いてものを見ることができるように、宗教的なものの見方ができるように、子どもたちのそんな人格形成、人間づくりにご協力をいただきますようお願いいたしまして、私の挨拶とかえさせていただきます。

今月の言葉《宗教教育係》 2012年05月01日(火)08時10分

ファイル 9-1.pdf

【五月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

仏参(中学) 講話 2012年04月27日(金)08時25分

平成24年度 中学 仏参講話             4月27日

みなさん、おはようございます。
 1947年に創刊された『PHP』という雑誌がありますが、この雑誌は、今年2012年、創刊65周年を迎えました。その雑誌のスペシャル2月増刊号に、みなさんの中にもご存じの方もあると思いますが、相田(あいだ)みつをさんの息子で「相田みつを美術館」館長をおつとめの相田(あいだ)一人(かずひと)さんのインタビューが掲載されていました。
 相田みつをさんの名が広く世間に知られるようになったのは、今から28年前の1984年に六〇歳を機に出版された『にんげんだもの』がきっかけでした。その後、『PHP』に連載がスタートと時をあわせるように、1991年12月17日、六十七歳の生涯を閉じられました。これは今から21年前になります。 
 インタビューは、「今、なぜ 相田みつをなのか?」と題して始まりました。
「相田みつを」を支えた二人の兄の事から、相田みつをとこの雑誌「PHP」の事に話題が変わり、物の豊かさから心の豊かさへ、お金による幸せから絆(きずな)による幸せへ――。とインタビューは展開していきました。
 考えてみますと、相田みつをさんの書は、奇(き)を衒(てら)った(わざと普通と違っていることをして人の注意を引こうとする)ようなものだとか、意表を突くといったものはありません。まさにそれがどうしたの?と言われそうなくらい当たり前のことばです。だから、1954年~1973年の高度経済成長の時期には、物も豊富でお金による幸せもあり、事実、相田みつをさんのことばは、あまりに当たり前すぎて、ご本人自身も生前は、おそらく時代との乖離を感じ続けていたでしょう。そんな相田みつをさんのことばが、その死後から次第に時代に接近することになるのは、日本人が本来持っていた心根の部分を、ずっと以前から見抜いて的確に表現していた、ということではないでしょうか。 
 東日本大震災から一年が過ぎました。当たり前だったことが当たり前でなくなってしまった一年でした。当たり前のことというのは、それを失ってしまった時に初めて、その大切さが本当にわかるということです。
 今日は、相田みつをさんの三つの書と文をスクリーンを通して、みなさんに視覚からも感じとってもらいたいと思います。

 それでは、「道は一本」と題された①を紹介します。

いまから ここから

「道は一本」①   書と文 相田みつを

人間のいのち
いのちが与えられているのは、時間的に考えると、
きのうでもなければ、あしたでもありません。
まさに、いまです。
空間的に考えると、
東でもなければ西でもありません。
また、南でも北でもありません。
まさに、ここです。
つまり、いま、ここ。それ以外には
いのちの生きる場はありません。
これは万人共通の真理です。
だから、どんな仕事をする人にとっても、
スタートは、いつでも、
いまから、ここからです。

 これは、まさに本校の「建学の精神」じかんを大切にに当たります。時間とは無常です。時々刻々と移り変わります。平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす 驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。」(ぎおんしょうじゃのかねのこえ しょぎょうむじょうのひびきあり さらそうじゅのはなのいろ じょうしゃひっすいのことわりをあらわす おごれるものひさしからず ただはるのよのゆめのごとし たけきひともついにはほろびぬ ひとえにかぜのまえのちりにおなじ)とあるように、諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日(今)すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。だから、平安はみなさんに時間の大切さを言うのです。

 続きまして、「道は一本」と題された②を紹介します。

あなたの こころが きれいだから なんでもきれいに 見えるんだ なあ   みつを

「道は一本」②   書と文 相田みつを

やわらかなこころ
美しいものを
美しいと思えるこころ。
それは正しいものを
正しいと感じ
不正なものを不正と
感じるこころです。
こういうこころを
素直なこころ
やわらかなこころといいます。
大切なことは、
むこう(対象)にあるのではなく
それをどう受け止めるかという
こちら(自分)のこころにあるんですね。

 これは、入学式や始業式にもお話ししましたし、現在、ホームページに私のあいさつとして掲載しておりますEQ「こころの知能指数」に直結します。私は、人間の言葉と行動はすべて心の有り様(よう)に始まると話しました。こころの知性は、思いやり・自制・協力・調和を重んずる価値観が必要です。人間はとかく自己中心の考えをし、それにもとづく物事への執着心から欲望が生じます。そうした欲望まみれの自分の心を、どのようにコントロールするかということが大切なのです。つまり、心の有り様です。心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定したところには、素直な心と謙虚な心が根づきます。その心の有り様をみんなが意識して日々の生活を送れば、本当にすばらしい人間関係や環境が築けるはずです。

 最後に、「道は一本」と題された③を紹介します。

花には人間のような かけひきがないからいい ただ咲いて ただ散って ゆくからいい
ただになれない 人間のわたし   みつを

「道は一本」③   書と文 相田みつを

花が見ている
庭の木蓮(もくれん)が咲きました。
白い花です。
人間のことばでは表現できぬ
浄(きよ)らかな白い花です。
わたしはいま木の下に立って
木蓮の花を見ています。
木蓮の花もわたしを見ています。
損だとか得だとか
勝ったとか負けたとか
金が有るとか無いとか
そういう分別心とは
全くかかわりのない
純白な花のこころで
人間のわたしを見ています。

 浄土三部経といい「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」というお経があります。その中の「仏説阿弥陀経」の中に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
とありますが、「お浄土の池には、青い蓮は青く光り、黄色い蓮は黄色く光り、赤い蓮は赤く光り、白い蓮は白く光っている」と述べられています。それぞれがそれぞれ色の光を発し、輝いているということです。ちょうど我々が幼少期に口ずさんだ「チューリップ」の歌の歌詞にあるように♪赤白黄色 どの花見ても きれいだな♪ということでしょう。
どうか、みなさんそれぞれが自分色の花を咲かせ、それぞれ色に光り輝いて欲しいと思います。いよいよ新年度がスタートしましたが、これから始まる一年、今日(今)すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか。こころの知性は、思いやり・自制・協力・調和を重んずる価値観が必要です。今日お話ししました、やわらかなこころを持って、自分のいのちは自分しか磨けないのですから、自分でしっかりと磨いてくださることをお願いして、今日の私の話といたします。

御命日法要 4月 2012年04月16日(月)16時00分

平成24年度 御命日法要

 ご承知のとおり、龍谷大学付属平安中学高等学校の「建学の精神」は、ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切にです。ことばは「お名号」のことで、じかんは「無常」のことで「この世のありとあらゆるものは時々刻々と移り変わる」ことを意味しています。いのちは「お浄土」のことです。これを中学生にも高校生にもわかりやすい形でことば・じかん・いのちの三つを大切にということで示しています。説明は、いのち・じかん・ことばの順でします。
 まず、いのちについて説明します。私のいのちを考えてみますと、前生(ぜんしょう)(生まれる前)・今生(こんじょう)・後生(ごしょう)(死んでから)と分けられます。その中で、私たちは、今生(こんじょう)だけをいのちと考えがちです。しかし、私は今生の限りある有限の生物的な生命を過ごしているにすぎないのです。父や母や祖父母などこの先祖のだれが欠けても生まれてこなかったいのちなのです。そう考えるとき、どうして私の誕生があったのかという前生(ぜんしょう)と、死んだあとはどこへ行くのかという後生(ごしょう)と、つまり、私たちのいのちは今生だけの限りある、そこで終わるいのちではなく、阿弥陀様のおそばで無限の宗教的生命を得るのです。まことの世界に生まれかわる、つまり、お浄土に往(い)って生まれる浄土往生なのです。
 次に、じかんについて説明します。先ほど言いました私たちは阿弥陀様のおそばで無限の宗教的生命を得るということに気づくのは、今をおいてほかにはありません。時間とは無常です。諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日(今)すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。(仏の教えではなく仏に成る教えです)
 最後に、ことばについて説明します。では、後生(ごしょう)は往生浄土と、どなたが決めてくださったのでしょうか? それは阿弥陀如来になられる法蔵菩薩さまの18番目の本願に「衆生(しゅじょう)を仏にせずにはおれない」で約束されています。私たちは弥陀の号(みな)である南無阿弥陀仏を呼ぶのです。声に出すのです。実は仏さまの「おはたらき」により私の口を通して号(みな)を称えさせてくださっているのです。この声を私は耳で聞きます。これが「聞法(もんぽう)」なのです。
以上をまとめますと、いのちを大切にする生き方は、すなわちじかんを大切に生きる姿そのものであります。そして往生は臨終によって定まるのではなく、信ずる心「信心」が定まる時に定まるわけですから、私の口を通して発することばこそ、本当に大事にしなければならないのです。
 本学園の建学の精神をご説明し、平成24年度 最初の御命日法要にあたり、あらためて「いのちの大切さ」を考えさせてもらいました。
燧土勝徳

     ○ 日時 4月16日(月)16時~
     ○ 場所 礼拝堂
     ○ 法話 安井大悟先生(前校長)

       ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

平成24(2012)年度 始業式(中学) 式辞 2012年04月09日(月)09時55分

2012/04/09 中学始業式 学校長式辞

 みなさん、おはようございます。
 3月23日の終業式のあと、全体としては春休みに入ったわけですが、その後も、勉強をしに登校していた人、クラブ活動で登校したり、合宿や遠征に参加していた人、いずれにしましても慌ただしい束の間の春休みだったと思います。高校の方では、フェンシング・卓球・柔道・剣道・チアダンスの5クラブが選抜大会や全国大会に出場しました。特に選抜大会では、フェンシング部が北京オリンピック銀メダリストの太田雄貴以来9年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げてくれました。栄冠を勝ち取ったフェンシング部を心から称えたいと思います。おめでとうございます。
 さて、本日より平成24年(2012)年度がスタートいたします。今春67名の新入生を迎えて中学生が150名ということになります。先日の4月5日、平成24年度の入学式の際、私が式辞でお話しましたEQのことを踏まえて、たまたま、先日、読んだ本に書かれていたことを紹介し、お話ししたいと思います。
 今からずいぶん前の話ですが、アメリカでおもしろい調査がされたそうです。
4歳児数十人を前に、その一人一人の前にマシュマロを2個ずつ置いて、「おじさんが戻るまでは、決してマシュマロを食べてはいけないよ。もし、どうしても食べたくなったら1個だけは食べてもいいよ。」と言って、そのおじさんは外出しました。そして、そのおじさんは30分後に戻ってきました。おじさんが戻る時間は解りませんし、あくまでも、食べてはいけないことが強調されていたとはいえ4歳児の6割~7割くらいが、全く手をつけていなかったのです。そして、1個だけ食べた子ども達は、全ておじさんが出て行った直後に食べてしまっていたみたいです。
 実は、その調査をした4歳児数十人の10年後、20年後を追跡調査してみたのです。そうすると、意外な事実が解りました。マシュマロに全く手をつけなかった者は、学生時代も何をするにつけても中心的存在で、社会に出てからもある一定のポストについて、つまり、役職についてパリパリやっていたのです。ところが、おじさんが出て行った直後に、マシュマロを1個食べた者は、学生時代にはいずれも友人関係が上手くいかず、社会に出ても定職に就けない者がほとんどだったのです。
 たかだか数十人の調査ですので、確かなことは言えませんが、この調査で見えてくることがあります。「三つ子の魂百まで。」「雀百まで踊り忘れず」とかいう言葉がありますが、幼い頃に身についた性格や習慣は年をとっても変わらないとか忘れないという意味です。つまり、4歳の時に「我慢」が身についていた人は、その後も、色々な場面で「我慢」する術を知っていたのではないでしょうか。
 この「我慢」が、入学式で私がお話しましたEQのことと繋がってくるのです。EQとは「こころの知能指数」でしたね。EQのEは英語のEmotionalで“情緒”や“感情”のことで“こころ”のことだと言いましたね。
 私たち人間には「煩悩」といって、百八つの欲望があるといわれています。その中で、入学式でも紹介したように、3つの最も悪い心の状態を、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)と言って三毒の煩(ぼん)悩(のう)と言うのですよ、と説明しました。あれもこれも手に入れたいと貪り欲する心、あの人が腹立つ、この人が腹立つといういかりの心、他人のことをあれやこれやとブツブツ愚痴る心、いずれも、自己中心の考え、自分のことだけに執着する心から生ずるもので、そこには一つも「我慢」というものがないのです。私たちの言葉と行動は、すべて心の有り様(よう)ですから、望みが思い通りに叶わなくても、腹立つことがあっても、気に入らないことがあっても、「我慢」して、自分の心をしっかりとコントロールできなければならないのです。この心の有り様を、みんなが意識して日々の生活を送れば、本当にすばらしい人間関係や環境が築けるはずです。
 言いかえると「我慢」できる心をつくることが、実はEQを高めているのであり、人間力を高め、学力向上に繋がるのです。
 まず、しっかりと大きな声で「おはようございます」の挨拶から始まって、日々の生活の中で常にみなさん一人一人が「我慢」の心を持って友達と接することを、この一年間の目標にして、行動してください。これで私の式辞といたします。

今月の言葉《宗教教育係》 2012年04月09日(月)08時10分

ファイル 8-1.pdf

【四月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

平成24(2012)年度 入学式(高校) 式辞 2012年04月05日(木)10時00分

平成24(2012)年度 龍谷大学付属平安高等学校 入学式

 春爛漫の校庭に陽光があふれる今日の佳き日、龍谷大学付属平安高等学校の平成24(2012)年度入学式を挙行いたしましたところ、龍谷大学学長、法人理事・評議員の先生方をはじめ、学園同窓会、平安会の役員の方々、多数のご来賓のご臨席を賜り、理事長とともに衷心より御礼を申し上げます。新入生499名のみなさん、龍谷大学付属平安高等学校へのご入学、おめでとうございます。新入生の保護者のみなさま、ご子女の晴のご入学を心よりお祝い申し上げます。誠におめでとうございます。
 さて、ちょうど一年と一ヶ月前の3月11日、あの未曾有の大震災が起きました。そして、今なお避難生活が続いております。また、一昨日・昨日と日本列島が春の嵐に見舞われ多くの方が犠牲になられました。私たちはこのことを決して忘れることなく心に刻んでおかなければなりません。そして、今こうして今日のこの日が迎えられたことを、心から「ありがたい」と感謝いたしたいと思います。
 それでは、私の式辞はEQのお話しから始めたいと思います。みなさんはIQをよくご存じだと思います。「知能指数」ですね。しかし、IQのように数字では表せない大切なものがあります。それがEQなのです。EQとは「こころの知能指数」のことで、EQのEは英語のEmotionalで“情緒”や“感情”と訳されております。つまり“こころ”のことです。EQは、今から15年ほど前に注目された言葉であり、どちらかというとビジネスの方面で「こころの鍛え方」などのタイトルで本が出されたり、ビジネスの上で成功するにはIQだけでは足りない、とか言われていたものであります。
 私は、人間の「言動」つまり、言葉と行動はすべて心の有り様(よう)に始まると考えています。
仏教では人間の欲望を大きく三つに分けております。その三つとは、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)で三毒の煩(ぼん)悩(のう)と言います。すべて字の如く、貪欲は貪り欲すること、瞋恚はいかりのこと、愚痴はブツブツと愚痴ることです。いずれも、自己中心の考え、それにもとづく事物への執着心から生ずるものであります。つまり、心の有り様なのです。わかりやすく言いますと、自分の心をどのようにコントロールするかということです。
 心の持ち方、感情を落ち着け、情緒を常に安定したところには、素直な心と謙虚な心が根づきます。その心の有り様をみんなが意識して日々の生活を送れば、本当にすばらしい人間関係や環境が築けるはずなのです。
 本校では、何よりもまず第一に「生活偏差値」を高めようということを重点目標にしております。実は、この生活偏差値の基本になるのがEQ(心の知能指数)なのです。このEQを高めることが、人間力を高めることになり、ひいては学力向上に繋がると確信しております。
 具体的に言いますと、平安には3つの大切があります。
「ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切に」です。難しい言葉で言えば建学の精神です。これは、平安がどういう人間づくりを目指し、教育活動を展開するかを謳ったものです。
 まず「ことば」は心の表れだから、素直な心と謙虚な心を持って、常に心を整えるようにしなさい。 
次に「じかん」は時々刻々と進んでしまいますよ。今日すべきことを明日に延ばしてはいけませんよ。今というじかんを大切にしなさい。
 最後に「いのち」を磨くのは自分しかいませんよ。いつまでも親や先生を頼ってはいけません。今は自分のいのちを磨く時です、しっかり磨きなさい。
 我々教職員は、みなさんに叱咤激励の声を常にかけ続け、特に担任は、みなさん一人一人と膝をつき合わせ対峙し、しっかりと関わっていきます。みなさんはEQを高めるべく心豊かな学園生活を送られることをお願いしまして、私の式辞といたします。

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